◎正当な理由による書き込みの削除について: 生島英之とみられる方へ:
【日本史】アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 part9 YouTube動画>1本 ->画像>10枚
動画、画像抽出 ||
この掲示板へ
類似スレ
掲示板一覧 人気スレ 動画人気順
このスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/comic/1573037688/
ヒント:5chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
やっぱ姫さんの恥じらいシーンがないとダメだろ>編集者
白石通泰については、自分も死んじゃった白石さんとなんらかの関連づけすると思ってたけどそうじゃないのかな。こっちが本家を乗っ取ったあるいは再興したとかみたいな。
漫画で白石というと、
ゴールデンカムイの脱獄王をすぐ思い浮かべてしまう
主人公はいつ出てくるんだ?
今の状況も面白いからいいけど
ところで現在作者がロンドンにいる件について
大英博物館が目的地ぽいけど何見に行くのかな
>>21 元寇や鎌倉時代に関わりそうなものってあるかなあ?
>>24 日本とイギリスの大変な共通点に気がついた
実は、どちらも島国なんだよ!!
負けた元朝はそれでも三度目の遠征を考えてたし、
勝った日本側も高麗侵攻を計画したってのが面白いね
どちらも実現はしなかったものの、
その代わり海上戦力の減少した中国大陸・朝鮮半島沿岸を、
倭寇が荒らし回る展開に至ったってのも興味深い
倭寇の跳梁が康応や応永の外寇を招くこととなり
元朝を追って海禁政策を取った明朝は北虜南倭に悩まされ
李朝も含めて倭寇の対応に追われるうちに文禄の役に遭って亡国の危機を迎える…
そういや作者シュメール専攻だったな(対馬編の後書きで書いてた)
道理で昨日の写真は中近東方面のが多かった訳だわw
>>26 でもイギリスは大陸に近すぎて何度も侵略されてるし民族がゴチャゴチャになってるやん
丁度ヴィンランド・サガがそのあたりの話だな
>>27 そうすると海上戦力を激減させた元寇はやっぱり失政だったんだな
半島民族の能力が不足してただけじゃね
もしも北欧並に渡洋能力がたかい民族が元に征服されてたら日本の侵略も成功してたんじゃなかろうか
>>34 弘安の役では10万人の南宋人が新たに加わってるし、
南宋は海洋貿易してて強力な海軍持ってた
ノルマン・コンクエストが平安時代の摂関政治の末期から院政の開始期
まあ泳いで渡れる海峡とは一緒にできんだろう
渡るだけなら文永の役の高麗船でも来れてるし、
沈没船の調査では高麗船の方がしっかりした作り出し、
文永の役は渡った後に何故か撤退してるから、
渡海した後の方に原因がある気もする
>>35 大舟を必要としたことが問題じゃね
ヴァイキングのロングシップみたいなやつで来襲されたら揚陸地点が特定できず対処不能になると思う
渡海後の問題と言えばまず食糧の調達
基本は現地での略奪だろうけど、どこかを拠点化してから軍を分けて沿岸襲えばいいのかな
弘安の役では少弐が壱岐に逆撃かけてるし、そう上手くはいかんだろうが
ぶっちゃけこのこの時代の日本を占領しても、
達成感以外なんのうま味も無い
>>40 当時の日本は金銀硫黄がザックザックここほれワンワン
あと南宋を孤立させられる…といっても
元々日本と南宋ってそんな攻略のために
日本征服する必要あるほどには近くないがw
襄陽開城は1273年
文永の役は1274年
杭州臨安府の陥落は1276年
崖山の戦いは1279年
弘安の役は1281年
たぶん、南宋攻略と元寇の結果は関係ない
>>38 中国はロングシップみたいな、底が尖って竜骨のある船を持ってるし、元寇でも使われてる。
ヨーロッパも三段櫂船やロングシップとかあるんだよな。
それに比べたら当時の日本なんて丸木船とか丸木船に構造を積み上げた準構造船しかなくて、かなりショボい。
島国なのに。
馬は南部馬という世界的に見て優れた馬が居るのに船はこれだもんな。
白村江も秀吉も海戦でボッコボコにやられたものネェ。
このリベンジは日清戦争を待たねばならない。
いや文禄・慶長の役はその期間中にボコボコに仕返してリベンジはしてる
終盤は篭城戦ばかりだから海戦ほぼ無いけど最後のあれはまともな海戦と言えるかどうか
そーゆーのいーからw
半島で負けて命からがら逃げ帰ってきたの認めよう。
韓国人御自慢のイスンシン将軍も島津に討ち取られたんだよなw
半島を無視して台湾から大陸を攻めるのは難しいのかね?
難しいと言うよりもそれは台湾に独立した地方政権を打ち立てる事に他ならない
それを制御下に置きつつ人員や物資を常に送り込めるかと言うと……
あと中国を南から統一した王朝って元を北に追った明くらいなのよ
>>46 場所は半島といえばまあそうだけど、相手は中国(明)との連合軍だよ
唐新羅連合軍にやられた白村江もそうだけど
けど元寇は第一次は元+高麗(+北部の漢人も?)、第二次は+南宋人なのに負けたね
まあ鎌倉時代だと、弘安の役の14万人でも九州と西日本や関東武士と合わせたら上回りそうだけど
>>42 日本への使者は1265年には送るの決定してる(日本に最初の使者が来たのは1267年)から、
日本への関心はもっと前からあった模様
>>53 南宋軍はほぼ銭湯には参加してないよ
到着が遅れて、着いた途端台風に巻き込まれて壊滅
尤も日本側も主力の六波羅探題の軍は結局着かず仕舞いだったが・・・
言うほど大きな合戦じゃなかったんだよね
>>47 李舜臣は本当に朝鮮民族ではありえないぐらいの英傑なんだけど、
やっぱり持て余されたのか激しい嫉妬心を受けたか、
国難のまっ最中なのに味方から引き下ろされてしまうという、
いかにもな朝鮮クオリティw
李舜臣って逃げて殺されただけでしょ
何で英雄になってんの?
>>55 弘安の役の後に南宋軍だけは助命されたのもそれも理由なのかな
>李舜臣は本当に朝鮮民族ではありえないぐらいの英傑なんだけど
正面からはまともに戦えないくらい弱いから
周辺でウロウロしているだけで、日本の海上輸送を一度も停滞すらさせていないのに
手柄顔で自分を誇る…
典型的な半島人です
>>58 鷹島沖で発見された南宋の船には人を寝かせるのにちょうどいい大きさの板が敷かれていたらしい
それで奴隷船よろしく船底に繋がれて輸送されていたのではという説が出てきてる
まあ10万もの反乱分子を運ぶのだから止む負えない措置なのかもだが
モンゴルの指揮官の立場で考えてみれば、この10万人の兵士を武装させるのが如何に危険か判るかと
南宋人10万人って強制的に連れてこられたのかな
銀英伝の田中芳樹が海嘯という小説で、
一応募集という形にはなっているけど
しなかったらどうなるかわかってるだろうな〜?
という実質強制だろうと南宋人が皮肉って
南宋の大臣が嘆いてた
昔から南宋兵が不逞分子化しないよう海外追放を兼ねてたとか言われてたやん
>>57 逆、どうでも良いところで果敢に立ち向かい
返り討ちにされたんやぞ
>>64 李舜臣は人気ですぎてあのままだと朝鮮王に殺されそうになってたから
戦って死ぬか王に殺されるかの二択だった
李舜臣の水軍も秀吉の水軍も、紀元前のギリシャ海軍には勝てんよ。
五十歩百歩、どんぐりの背比べ。
そうだよな
そのギリシャ艦隊も現代の米太平洋艦隊には敵わんだろうしな
紀元前のギリシャ海軍が出てくるんなら、
バイキングなんかどんな強さだったんだろう
ヴィンサガアニメなんかやってるから思うが、
海上戦闘より海兵隊的な上陸戦がメインな感じかな
日本の(初期)倭寇も含めた、
世界の海賊・海戦全部を総括した歴史とか面白そうだな
古代ギリシャ人も北欧人も海上に出てどんどん侵攻し、
各地に植民地を作った歴史があるし
ヴァイキングは神出鬼没で無防備なとこを襲うから強いのであって
両軍が正面からぶつかって戦ったような会戦の勝率ではイングランド側と五分五分だったようだけど
>>70 >ヴァイキングは神出鬼没で無防備なとこを襲うから強いのであって
なるほど
高い機動力があって、
電撃戦的に敵の急所を強襲できて、
略奪が得意で、
不利になったら即撤退
海上と陸上の違いこそあれ、
遊牧騎兵と強みが一緒なのね
>>74 海上戦でもイングランド側が本格的に海軍を整備して一旦は撃退に成功してるんだよね
まあ結局後の王が無能で征服されちゃうけど
洋ドラのヴァイキング観てwiki巡り(英語版含む)すると楽しい
脚色入りまくってるけど
9世紀のイングランド侵略やらパリ侵略やら面白ネタ満載だった
ながらく迅を描かなかったので目のとこの傷を入れ忘れた
来週は傷が入ってる
>>79 シャアもアムロに突かれてついたはずの傷が時々消えるからねw
「アンセスターズレガシー」PS4日本語版では、
審査機関が禁止表現と定める以下の点において、演出に変更を加えています。
・一部の性描写の変更
ヴァイキングが近いのは元寇より刀伊の入寇かな?
不意打ちで襲われて略奪されたという点では
その点、元寇は一回目の元寇の何年も前から使者が来てることで
日本も警戒してたったのも大きかったのかな
>ヴァイキングは海賊・交易・植民を繰り返す
>略奪経済を生業としていたのではなく、
>ノルウェーの考古学者であるヘイエルダールが述べたように、
>故地においては農民であり漁民であった。
>また、ヴァイキングたちの収益の大部分が交易によるものだったと言われている。
>この事実から、ヴァイキングたちにとっても航海の主たる目的は交易であり、
>略奪の方がむしろ例外的なものだったと考えられる。
こう見ると、軍事戦術的には遊牧騎馬民族と共通点が多くても、
ヴァイキングたちの本来の性格は定住民
だからこそ、イングランドに侵入した後に王朝を作ったりできたと
後に大航海時代が控えてる訳だし、
前の時代にはギリシア商人が航海しまくってたから、
商人したほうが侵略より楽だってのも事実なんだろうね
元もしつこく日本侵攻を考えるのではなく、
早めに和睦に切り替えて、
室町幕府⇔明の日明貿易みたいに、
鎌倉幕府⇔元の日元貿易をやってればね…
幕府も延命できただろうし、
日中(蒙)協力で取締りが強化されて、
倭寇が暴れる余裕もなかったかもね
実際日元貿易は元寇後に行ってるしな
貿易だけなら南宋との交易が盛んで貨幣も輸入してた当時、
南宋を元が征服したら日本だって何も強いなくても
自然と貿易相手を南宋から元に変えただろうに
後の時代の豊臣秀吉は元寇の話とか知ってたのかね?
リベンジ感はなかったのかしら
>>87 元のカタキを明で取るとかのことわざは知らんだろうけど
天下人が無知では務まるまいよ
捏造で前政体をsageない政権なんて人類発祥以来存在しないお。
平家の公達が無能なイメージなのも
北条高時が悪逆の暗君なのも
後醍醐が毀誉褒貶激しいのも
信長の酷虐さがやたらと強調されるのも
徳川綱吉の生類憐みの令が「ただの」悪法扱いされるのも
田沼意次が欲の突っ張った金権親父なのも
みんなそうだよ
そういえば元寇の功績があまり評価されなかったのって
室町幕府が自分たちが倒した鎌倉幕府の功績を隠したかったから、
みたいな見方もあったな
太平記でも鎌倉武士はディスられて神風の棚ぼた扱いだけど
太平記は執筆者が室町将軍家と親しかったからじゃないかとか
>>85 三回目まで予定してたからなあ
本当にしつこいよね
そこまでしつこいのにそもそも何で日本に攻めてきたのか
未だにはっきりしてないという…
クビライにもモンゴルにもそれまで日本と縁なかったのに
>>97 それはフビライ、その人が日本人の血を引いていたからだという・・・
>>97 単なる征服欲で片付くんじゃね
ムカつくじゃん
海の向こうに服属しない国とかあると
もしかしたら竹崎戦死の、迅三郎成りすましとかいうシナリオか?
それは無い
文永の役の後の竹崎さんの行動考えるに絶対無い
>>101 実際そのノリで次々国を滅ぼしてきたんだもんなあ
ただ、地続きならなんとかなっても、
海の向こうの相手ではなかなか難しかった
塩野七生の短編集で『元の再来襲の噂がある中、死んでいかなければならなかった時宗の心中いかばかりか』ってあった
確かに当時の人たちはもう攻めてこないなんて分からないもんなー、無念だったろうなぁ
>>106 倒幕まで見届けられなかった高杉晋作もそうだったかもな。
ただ共に自軍の強さを確かめられた上だったろうし、無念はあれど不安はなかろう。
弘安の役の後にも、1283年には阿塔海(弘安の役の総司令官)が
日本省丞相に任命されて兵士の募集や船の建造も行われてるから、
噂だけじゃなく実際再来襲の予定はあったんだよね
時宗が亡くなったのはまだクビライが健在だった1284年だし、
三回目の元寇が中止されたのは交趾(ベトナム)との戦争が優先された
1286年だからまだ準備中の段階になる
大陸や高麗での情報収集してた説もあるから、
時宗が動きを知ってたなら三回目の元寇ほぼ確実と思ったままだったかもなあ
でも1283年には淮西宣慰使の昂吉児が民の疲弊や不満を訴えて中止を上言もしてるから、
三回目も強硬したとしてもそれを無視して、無理をしてのものになっただろうから失敗しそう
高麗の馬鹿王子が情けない
そして
チョンは昔から嘘ばかり吐く
時宗は世界情勢に無知と叩かれまくってたけどよく調べるとかなり疑問なんだよなあ
戦後に使者斬ったことがその代表だけど、他国でもモンゴルの使者斬られてるの思えば、
むしろ当時の世界ではありえないことでもないし
クビライに返書しなかったのも、高麗が従属後にどうなったかや
元寇の出兵、造船などの負担を調べたら英断に思えるし
朝廷の返書止めたのは、内容がかなり喧嘩腰だっただから
元との国交を結ぶ気は朝廷にもなさそうだし
クビライは当初日本を攻める気なかったとも言われるけど
実際には文永の役のもっと前から日本征服に言及してるし
>>62の「海嘯」で田中芳樹は
「この時日本の為政者たちは大陸の情報をかなり正確に知っていた」
「高麗は積極的に日本遠征に協力していたが
南宋人は侵略者に無理矢理連れてこられた
被害者だとわかっていたから助命された」と分析してたな
刀の重さが平均して1s強(0.8∼1.5s)
頭の重さが体重の10分の1(体重が50sなら5s・60sなら6s)
だから精々7・8s程度
そこまで重くないよ
ごめん文字化けした
刀の重さは0.8から1.5sってことね
約7〜80cmの棒の先に5kgの鉄アレイくくってみたらいい
ID:0MJBpXXW0は頭の方を両手で捧げ持つんだろうな
ヴァイキングの船って壁とか盾とか全然ないよな。
ショボい日本の軍船でもついてるのに。
海上での戦闘は全く考えてないんだな。
船の推進方法は櫂と櫓の2つがあり、
ヨーロッパでは櫂が使われ、東洋では櫓が使われた。
調べると櫓の方が推進効率が良く一人で大きな船を動かす事も可能だが、
スピードを出すなら櫂の方が良いとも書いてある。
櫓なんだけど、船の中心軸に対して右よりに「軸」が置かれていて、これが重要らしい。
人力で船をこぐ!櫂(かい)と櫓(ろ)の違い
https://www.ship4everyone.com/archives/1197 日本の船の構造が分かる画像探したらこんなのあった
>>118 船を輸送手段に使う牧畜民って感じなんかねえ
小さなバイキングビッケだと、ふなべりに盾がいっぱいついてて、
白兵戦になるとみんなそれ取って使ってた気がする
ヴァイキングのロングシップは乗員が吹きさらしで、よくまああれで外洋航海してたと思うわ
>>123 寝るときとか、トイレとか、
どうしてたんだろうかと思ってしまう
まあ、それは温暖な地域で気温的には余裕はあるものの、
この時代より遥かに昔に簡素な船で太平洋を渡ったポリネシア人とか、
日本人の先祖とかも同じだけど
あんな連中が東洋側にいたら日本もヤバかったね
イングランドみたいに征服されてただろ
東洋の船はロングシップほどの機動力なかったでしょ
河川を遡ってくるとかシャレにならん
>>125 多分上陸した先から武士団に皆殺しにされてお終いだと思う。
弓主体の武士団とは相性が悪いだろうし、ヴァイキングお得意の敵を怯えさせる戦法も武士団には通用しない事は元寇を見ても明らかだから。
>>125 ゴメンそれ倭寇www
実際元寇の後の高麗は報復で倭寇にボロボロにされてんじゃんw
>>129 女真族が対馬と壱岐を襲ってイキってたら九州で撃退されて逃げ帰った事件でしょ?知ってるよ。
少なくともそれでヴァイキングが日本を征服出来たなんて微塵も思えないしそもそもヴァイキングが蒙古より強いとも思えない。
せいぜい離島や沿岸沿いで略奪するのがせいぜいだと思うけどね。刀伊の入寇もそうだし。
>>129 それ最初高麗の仕業かと思って詰問したら、「じょ、女真がやったニダ」と攫われた島民を返していた
高麗にせよ女真にせいよ陸の民なので、船で神出鬼没な立ち回りは出来ないだろうね
>>128 ヴァイキングは神出鬼没
簡単には撃退できんだろ
あんな小舟で外洋渡ってきて
上陸地点を選ばないんだから防衛側はなすすべないよ
しかもロングシップって速かったらしいから海上でも捕捉できない
水賊や海賊が恐れられてるのは洋の東西を問わないだろ
単に長江の江賊や瀬戸内海の水賊は北海やバルト海より恵まれていて遠征の必要が無かっただけでは?
倭寇の活動範囲はウラジオストックからベトナムまでほぼ全ての海岸線に渡っているし、
そうであるなら当然呂宋や台湾も根拠地があったろう
日本海は海賊が暴れ回るには広すぎた、良港も少ないし
>>134 でも9〜10世紀頃のヴァイキングのロングシップはチートすぎるだろ
喫水が浅くどこでも上陸できる
前進後進自由自在
そんな舟で外洋航海までやる
どーなってんだよ連中
>>136 >喫水が浅くどこでも上陸できる
外洋の荒波で一発転覆だと思うのだが、大丈夫なのか
引っ繰り返ったら自力で戻してまた漕ぎ出すとか?w
>>133 いやだから揚陸した後はどうすんだよW
征服するなら陸に上がらなきゃ行けないし拠点も作らないといけない。
その時はとっくに上陸はバレて討伐軍が差し向けられるだろうし陸戦でヴァイキングが武士団に勝てるとはとても思えない。
そもそも神出鬼没と言っても潮の流れや沿岸の地形の関係で陸に上がれる場所なんてある程度決まっているしな。
133で書いてあることは沿岸での略奪には大いに役立つだろうが侵略、征服に関してはそこまで役に立たんわ。
>>137 船幅でカバーしてるのかな
よくわからん
川の浅瀬に乗り上げられるほどの喫水の浅さと外洋耐候性能をどう両立させてるやら
>>138 イングランドでは居座って退去料をせしめて撤退してたわな
9世紀イングランドは統一勢力が無かったのも大きいかも
しかしイングランド兵がそんな弱いわけでもなくガチの陸戦だと五分五分だったという話もある
いずれにれよ海軍力で劣るので防衛しきれずにアルフレッド王が領土を割譲してるよね
>>139 イングランドの騎士団と日本の武士団ではそもそも装備や戦法が違う。
馬は移動専門で戦闘では馬に乗って戦わなかった、いわば歩兵専門のヴァイキングが重装弓騎兵の武士団相手にどこまで戦えるか甚だ疑問なんだが。
ついでにいえばモンゴル軍の方が武士団以上にヴァイキングに強かったと思う。
歩兵が魚鱗の陣で突撃するヴァイキングの戦法はモンゴル軍にしたらお得意様以外のなにものでもないからな。
>>140 武士団が当時の他の国々の兵士に比べ極端に強いとかさすがにないだろ
奴らフランク王国に侵攻してパリを包囲して退去量せしめるとかもやってるぞ
たとえば鎌倉を急襲されたら御家人が集まる前に略奪され尽くし焼き払われてしまうだろ
>>141 強い弱いじゃなくて相性の問題もある。特に飛び道具の有無は非常に大きい。
ヴァイキングも弓は使っていたようだが、威力、使い手の練度は比較にならん。
後、鎌倉を急襲されたら御家人が集まる前に略奪され尽くし焼き払われてしまうだろ
は寝言は寝て言え、としか返しようがない。
まさか鎌倉に武士団はいなかったと思っているのか?
実際に鎌倉行けばわかるが、鎌倉は三方が山で囲まれているから海からの進行路なんて限られているし、そもそも鎌倉近くの海岸まで気づかれずにヴァイキングが来れるわけないだろ。
当時は中国との貿易で鎌倉の港も整備されていたし、多くの船が出入りしている以上まず気づかれるわ。
>>142 ヴァイキングは丸盾を使ってて矢に対する防御力はある程度確保ししてる
イングランドやフランク王国だって普通に矢ぐらいは使ってる
現実に欧州各国が急襲されてる歴史をみたら鎌倉が海側から奇襲されない合理的な理由に欠ける
パリ襲撃時のようにロングシップ300隻、一隻あたり平均30人で9千の戦士団に奇襲されたら城塞都市でない鎌倉は即座に陥落だよ
>>143 >イングランドやフランク王国だって普通に矢ぐらいは使ってる
だから、弓の性能や射手の練度が違いすぎるの。
鉄板を重ねた大鎧も貫通する弓矢に木製のヴァイキングの盾なんてなんの役にも立たんわ。
>現実に欧州各国が急襲されてる歴史をみたら鎌倉が海側から奇襲されない合理的な理由に欠ける
パリ襲撃時のようにロングシップ300隻、一隻あたり平均30人で9千の戦士団に奇襲されたら城塞都市でない鎌倉は即座に陥落だよ
海側から奇襲できる合理的な理由も何にもないね。
ロングシップ300隻が鎌倉の真正面から来てどうやって奇襲出来るの?
さっきも書いたけど海から鎌倉に攻められる場所なんて真正面の一箇所だけなんだけど。
後、鎌倉にいる武士の人数って一説だと3万弱とも言われてるけど。
戦闘能力で大幅に劣る上に人数でも劣るヴァイキングがどうやって勝つのかね?
後、揚陸自体時間と手間がかかるのは知ってる?河から揚陸するのと海から揚陸するのは全然違うぞ。
まあ、ヴァイキングが鎌倉に来たところで皆殺しにされて終わりだわな。
>>144 鎌倉に常駐兵力3万?
それはどういうシステムなわけ
説明よろ
面白そうなネタだ
当時のロングシップはかなりの高速船でイングランドはじめ欧州の船では追いつけなかったらしいから
逆に襲来を発見してもヴァイキングより先に通報することができない
1mの浅瀬に乗り上げてそのまま下船して攻め込んでくるから揚陸にも時間がかからん
だから当時ヴァイキングの襲撃に各国が対処しきれんかったわけで
>>139 おまえ支離滅裂やな
自分が主張したことに責任持てよ
アホサヨみたいやん
>>143 >鎌倉に常駐兵力3万?
正確な人数は解っていないが、当時の武家屋敷の数からの推定値。
少なくとも鎌倉には戦闘ができる武士が多数いたのは確か。(鎌倉幕府成立後に多くの東国武士団が住むようになった)
軍事政権の本拠地だから当たり前だが。
ってか何が面白そうなネタなのか全く意味が分からん。
鎌倉時代でも鎌倉が戦場になったことなんて何度かあるのに。
鎌倉の山部ってめちゃくちゃ見晴らしがいいから夜間でも無い限り船の接近はかなり遠くからでもわかるぞ。
流石に海岸部はどうしようもないだろうが鎌倉全域まで進行する前に戦闘準備は整えられるわ。
そもそもどうやって土地(海洋)勘もない鎌倉にピンポイントでたどり着く事自体が難しそうだが。
最後にロングシップの揚陸についてはそっちの方が正しいみたいだな。
そこは訂正してお詫びするわ。
>>147 いや源平合戦時の本当の両陣営戦力は互いに数千なんて研究もあるからね
総人口に対する兵力抽出の比率はある程度定まってるから、当時の日本において数万の兵力動員となると容易なことじゃない
こちらも調べてて鎌倉番役とか京都番役というように警備兵力は存在してたけど、常駐兵力3万ってのは過大すぎるだろ
家族や下男など非戦闘員含めて3万、実際にへ兵力となりうる御家人郎党がせいぜい数千ならわからんでもないが
そもそも望洋たる太平洋に面してるから鎌倉なんであって
簡単にヴァイキングが大挙する環境ならまた違った構えになるに決まってるから、面白い歴史のifは山ほどあるが
これは心底無意味なifだ
「鎌倉の隣にモンゴルがあったら鎌倉滅亡してしてるよ」
「鎌倉の裏山にヴァイキングの拠点あったら瞬殺でヴァイキング殲滅されてるよ」
と言ってるに等しい前提から意味不明な妄想
>>148 確かに家族などの人数も考慮しなけりゃいけないのは確かだが。
鎌倉幕府滅亡時の鎌倉の戦いでは1万5千の兵を動員したと言われている。
これまでの戦いで多くの兵を失って最後の最後の兵力でこれだから、3万は多すぎかもしれないが数千は流石に少なすぎだと思う。
>>149 イングランドの例を挙げれば大西洋側を含めてほぼ全域が襲われてるので太平洋に面した鎌倉が安全ってことには全くならない
イングランドが一時的にヴァイキングに対抗できるようになったのはアルフレッド王がデーン人に領土を割譲して土着したデーン人から造船技術を学び同等の海軍力を整備してからだし
それぐらい当時のヴァイキングの航海術が突出していた
>>150 鎌倉番役は数カ月の輪番制だったようだし、戦時はともかく平時の警備で万単位の兵力を常駐させたら、それこそ費用の無駄だろ
>>151 それでもデーンローとして根拠地化されたのは北海沿岸のノーサンブリアやイーストアングリアだし
南岸地域から南西部へは対岸のノルマンディーの存在が大きい
モールドンやロンドン等の大きな戦いも南東部の平野で行われているし
日本と地形の似たウェールズやスコットランドへの侵攻は散発的な略奪程度だよ
あと君は紀伊半島と熊野灘を甘く見過ぎてる
>>153 少なくとも鎌倉を急襲、略奪するぐらいの能力は十分に持ってた
熊野灘とかw
それアイスランドからグリーンランド、果ては北米大陸にまであんか小舟で到達した連中に言うかねw
>>154 熊野灘は台風や津波の被害が多いからな。
大西洋を渡った小舟が台風に耐えられるかはまた別問題。
そもそもイギリスなどの大西洋はめったに台風が来ない場所だから喫水が浅い船でも大丈夫だろうが
、喫水が浅い小舟が台風に耐えられるかは疑問。そもそも台風を想定した構造ではないだろうからな、必要ないし。
昭和の時代でも台風でいくつもの船が沈没しているわけで、台風の恐ろしさを過小評価しすぎ。
>>155 北大西洋は極低気圧の発生エリアで決して穏やかな海じゃないぞ
北大西洋で安定した海域はもっと南の北緯30度付近になる
逆に風が弱すぎて帆船航行に不向きとされる海域
大西洋に台風やサイクロンみたいなのはないやん
サイクロンと台風も違うけど
大西洋に強い暴風雨を伴う嵐はないやろな
>>138 征服って概念がそもそも大陸的発想なんだよな
海の民は地べたに価値を見出さない
船が寄港出来て補給が出来れば問題なし
その後何が来ようが知った事じゃないw
尤もヴァイキングは牛や羊を育ててたみたいだから、ちょっと違うのかもだが
>>147 それ常駐兵じゃなくて動員可能兵なんじゃ・・・
ワンパンマン世界に核兵器ないなら百目蛸クラスでも蛸の射程外から爆撃機でバンカーバスターおとしてちまちまダメージあたえなきゃいけないし
マルゴリには手も足もでないだろう
>>157 ありまくり
映画Uボートでも北大西洋で任務についてて嵐に悩まされる描写あったろ
>>159 ヴァイキングは半農半漁だから肥沃な土地が欲しかったみたいよ
だからデーンロウやノルマンディーに居着いたわけで
アメリカ基準で作られたハルゼー艦隊の艦艇が
台風で損害だしたんだっけか
面白い流れになってるな
90年代前半の角川&光栄なら
こうした意見を汲み取ったSLGを出してくれたかしれんなぁ
普通に戦えば武士が勝つ。
歩兵は弓騎兵に対して相性が最悪だから。
歩兵は弓騎兵に接近することも弓の射程外に逃げる事もできずに一方的に弓で攻撃される。
>>167 和弓の弱点として威力は高いが飛距離が劣るってのがあるじゃん
そこらは蒙古側の記録にもあるようだけど
いろいろググるとアイスランドでの弓の威力規制?が480mなんてのがるみたいで遊牧民ほどじゃないにしろ飛距離は相当あったよう
上陸支援で船から撃つかからかな
あとヴァイキングの装備が和弓に対して相性が悪い。
手で持つような盾なら和弓は鎖かたぴらや人体ごとぶち抜くよ。
ヴィンランドサガの1巻でヴァイキングの盾や兜が弩でぶち抜かれたけど、たぶんあんな感じになる。
蒙古襲来絵詞でも和弓に盾と鎧と人体をぶち抜かれて死んでる兵が描かれてるし。
>>170 戦術とは変わっていくので和弓の威力を知れば相応に対処するだろ
日本ではかい盾とか置盾なんか使ってたわけで、和弓に対処不能なわけじゃないわな
>>171 それはずるくね?
武士側は対処なしの条件なんだろ?
>>163 それあくまで映画だから実際とはだいぶ違うよ、あくまで事実を元にしたフィクション。
言い方が悪かったようだから大西洋じゃなくて欧州にはハリケーンがめったに来ない、と言い換えるね。
だからこそ今年10月にハリケーンがアイルランドと英国に向かうと言うニュースが大きく取り上げられたわけで。
カトリーナはアメリカ大陸に向かったわけで欧州に向かった訳じゃないからな。
ヴァイキングの活動範囲で台風がめったに来ない事に変わりはないよ。
>>171 それ言い出したら武士団の方だってヴァイキングの対処覚えてより効果的に戦闘を進められる、って事だよな。
実際、元寇だって二回目のやつは一回目で元軍の対処を学んでより効果的に撃退出来たわけだし。
ヴァイキングがどのくらい対処能力に優れているかは知らんが武士団は実際に対処能力に優れていたわけで、
今やっている博多編でも、武士団は対馬などの戦闘を経て元軍のやり方を学んで対処したとも言われているからな。
それと使い続けていると曲がってしまうヴァイキングの剣と元の兵士を鎧ごとぶった斬ったと言う刀などの錬鉄の技術の差は対処云々でどうにか出来る壁じゃない。
>>168 Wで北欧勢力とヴァイキングが出てるよ。
ヴァイキングは海戦では最強で、君主で水軍がSなのは北欧の君主だけだった、はず。
攻撃側は数百キロの海を補給地もなく無傷全戦力で走破して
GPSよろしくピンポイントで首都を急襲するが
守備側はそんな敵国の存在も脅威も知らず、対応も出来ずに突如襲撃され
攻撃側は瞬時に相手の装備に順応して兵器がバージョンアップするが、守備側は何の工夫も出来ないという
そんな前提がもうイカレてる
>>168 そういや蒼き狼と白き牝鹿って元寇シナリオもあったっけ
日本史の一大イベントだけどゲームにはあまりなってないね
これとゴーストオブツシマくらいか
>>174 ヴァイキングの兵装には槍や斧もある
欧州の剣vs日本刀なんて簡単なものじゃない
元寇との大きな違いがロングシップによる場所を選ばない奇襲攻撃なわけで
セーヌ川まで遡ってパリを襲ってるような連中に鎌倉武士団がどう対処できるかだね
元寇のときは一応、国書による応酬があって戦になることが予めわかってたけどヴァイキングみたいな言っちゃ悪いが遊牧民以下の蛮族は予告もなく突然襲ってくるよ
>>175 史実がそうだから
欧州沿岸諸国が荒らされまくったけど北からやって来る、ぐらいの事しかわかってなかった
航海術に決定的な格差があって襲われる側は当初は海軍力で対抗できなかった
ヴァイキングを海上で初めて打ち破ったのがヴァイキングの船を研究して取り込んだアルフレッド王が最初
結局、イングランドも後の王が無能で征服されちゃうけど
>>177 ちゃんと文章読もうね。
俺が言いたいのは錬鉄の技術の差でヴァイキングが槍や斧をつかっていること位知ってるから。
槍や斧だろうが低品質の鉄しか作れないヴァイキングの武器が刀に劣る代物なのは何も変わらないよ。
ついでに鎧もな。
まともな戦闘ではヴァイキングごときじゃ話にならんよ。
戦闘員の練度や戦術騎馬の有無や武器、防具の性能が段違いすぎるから。
だから奇襲にこだわってるんだろうけどそれこそ略奪程度で引き上げなきゃそれこそ陸上で戦闘になってヴァイキングは全滅してお終いだわな。
鎌倉時代の武士団は後世に比べてまだ上下の繋がりがゆるいから、各家の連中はある程度勝手に動けるため対応も早い。
それと一度奇襲に成功しても二度はない。元寇も再度の襲来に備えて完璧に近い対策を立てたし敵の襲来には室町時代まで備えていたからな。
それと前に鎌倉は城塞都市じゃないから云々書いてたけど、野戦だと騎馬の有無がもろに出るからヴァイキングに不利な要素でもある。
>>176 W以降蒼き狼シリーズが出てないのは売上が悪かったかららしいし、続編は望み薄かもね。
>>177 そういう意味では元寇より刀伊の入寇の方が近いのかな
>>179 そこらはおよそステレオタイプのヴァイキングのように概ね蛮族で武装度に劣るのは確かだろうね
しかし史実では装備に優れるはずの欧州の兵団も大いに苦戦させられてるわけで、鎌倉武士団なら優勢に立てるという根拠が薄いわな
火器のように絶対的優勢が保てるわけじゃいから
奴らが面倒くさいところはヴァルハラ信仰で死んでOKな蛮勇と、ヴァイキング進出論の中に9〜11世紀頃の温暖な気候による人口増加の背景説があり、
殺っても殺っても出てくるとしたらどーするかね
>>180 あれのもっと大規模な感じかな
どこからか現れた大規模な海賊船団が淀川を遡ってきて京都を荒らして引き上げました
みたいな事件があったら国が傾くわな
継続的に占領されてたら叩き出すだろうし
一時的なものなら
源平合戦、南北長、応仁の乱と幾度も経験してるが
叩き出すつか
お金払ったら退去するよ〜
銀200kgぐらい
って要求してくるよ
死ぬまで戦う面倒くさい連中だから金で退去させた方がお得って判断がイングランドやフランクの対応だったわけで
まあ弱腰との批判もあったけど
というかどこに拠点がある設定なんだ
続々くるとか
そのへん明らかにしないと設定からしてクソゲ臭あるぞ
欧州事情に合わせるとすると北のどこかからやってくる面倒くさい連中
上で刀伊の話が上がってたけど、あれも当時はよくわからず女真族らしい、ってことなんだろ
シベリアや樺太あたりから優れた航海術で蛮族が度々攻め下ってくるとしたら悪夢でしかないわな
ヴァイキングが航海術に優れてたってのも、
本業の一つが貿易でもあったからなんだよね
それ目当てに行った先で味方してきた奴とかいただろうし
まあいいや
あんたの中では瞬間移動で襲ってくるのと同義の補給も中継点も根拠地もいらない、戦闘では何をされても即対処してくる無敵の蛮族なんだな?
うん、そんなのに襲われたんじゃ対策もクソもないとは思うよ
>>188 前触れなしに突然やってくる、は史実どおりだわな
一々予告なんかしないw
渡洋遠征が高いのも史実が証明している
戦闘能力に関してはイングランド上陸後の会戦戦績では実は五分五分らしく、イメージほど無茶苦茶強いわけでもないが、殺しても殺しても襲撃してくるウザったい連中ってこと
とりあえず、いきなり京やまして鎌倉には来ないって事でいいんじゃないの
それこそ同時期の刀伊の入寇をはじめとした海賊被害は九州沿岸に留まっているし
日本の朝廷が彼らの九州への移民を認める政策を取らない限りは同じ状況にはならんでしょう
そらいきなりはないわな
イングランドにしろフランク王国にしろ小規模な襲撃の繰り返してから大規模な侵攻してるし
調べてみるとヴァイキング側も馬鹿じゃなくフランク王国の内紛に乗じてパリに攻め込んだりしてるみたいで
商人としての活動は諜報活動を兼ねてたんだろね
>>189 どこか途中で襲わないのかとかそういう話だ
淀川上って京とか
瀬戸内からずっとバレないのかよ、と
鎌倉とか、どっち回りか知らんがどこにも寄港も上陸もせずに行けるのかよと
おふたりさん
月曜日の真っ昼間にするような話じゃないから
年金暮らしの暇つぶしならおおいに結構
さんざんやり給え
>>192 記録によるとヴァイキングは河口からパリまで1ヶ月弱で遡行してる
パリから河口まで自転車道が整備されてて、それが約430kmあるようだから一日あたり14.3km移動してるとして
淀川河口から京都まで約40km
3日で到達してしまう
ヴァイキングを淡路あたりで探知して早馬を走らせたとしても
90kmとして6日
本格的に防備を固めるには時間が無いね
だからなんで瀬戸内海で誰も気づかないんだよ
仮に山口あたりで略奪しても脱出者が馬飛ばしたらもっと早く通報可能だろう
太宰府に通報する可能性高いが…
ロングシップが速いとかですまんのだよなんで船でしか通報不可能なんだって話
保元平治の乱見ても3日あれば最低限の準備は整う
守備側ってのは守りながら援軍待てるんだぞ
>>195 そうだな
朝鮮半島→対馬→五島列島→南下して屋久島、種子島を拠点に一気に四国沖から紀伊水道北上して大坂湾から淀川侵入ってのはどうよ
全行程略奪よ
離島を経由することで通報されないようにするわけ
漁師の小舟一艘見逃さず皆殺し
種子島から一気に紀伊水道から大阪湾は距離的にはアイスランド〜フェロー諸島とかわらん
日本の高温多湿にやられて、後の世に夏将軍最強伝説と呼ばれるのであった
>>199 奴らシチリアまで略奪してるので暑さにも耐えるよ
>>200 商人として活動範囲を広げて行った側面があるからね
あと略奪先で情報収集とか
とっ捕まえた現地民から新たな航路を聞き出したり
なら
>>188の通りだな
「対策できない」という前提条件ということな
対策しにくい、ということになるんじゃね
最初は商人としてやってきて地理国情など情報収集しつつ、機を見て攻め込む
フランク王国にしてもカール大帝の治世では防衛対策とれてたみたいだけど死後の内紛期に乗じて攻め込まれてるわけで
あと商人っぽいところが金を払えば退去するよってやつ
そこらの値のふっかけ方が絶妙だったんじゃないかね
それぐらいなら払った方が得だなと思わせる線を心得てた
下調べ十分にして…商人として潜入したりその航路を下調べするだけで数年かかるだろう
かつ守備側は準備も対処もできないという仮定なら
それはつまり勝つべくして勝つ、準備段階で勝ちの決まってる戦だな
ヴァイキングとか関係ないだろ
ヴァイキングとか倭寇の時代って百年二百年スパンだよ
一度限りの侵略にそんな手間暇かけるとかじゃないわな
アジアの海賊とヴァイキングの違いはやはりロングシップにある
あのチート船を考えて進歩させたヴァイキングは優れた民族だったんだろな
>>181 >>火器のように絶対的優勢が保てるわけじゃいから
武士は弓騎兵だけど欧州に弓騎兵は無い。
この違いは大きいぞ?
欧州はローマの時代から弓騎兵に負けっぱなしだからな。
>>179 日本が製鉄の技術に優れてたのはそうだけど、刀はないだろ。
鏃や鎧や馬具の方が重要。
和弓や騎馬の威力に比べれば日本刀は無力だよ。
>>181 ここアンゴルモアのスレだよな?
このレス見て確信したけど君アンゴルモア読んでないでしょ。
アンゴルモア見てたら装備に優れるはずの欧州の兵団なんて口が裂けても言えない筈。
大まかな理由は
>>206が書いたとおりだけど、アンゴルモアでも欧州の重騎兵がモンゴル軍に殲滅させられたシーンはあるんだけど知ってる?
付け加えておくと、あの時の戦争、欧州(厳密にはポーランド軍とドイツ騎士団)軍は総力を上げていたけど、モンゴル軍はただの別働隊。
弓騎兵ってそれだけ強いのよ。だからこそモンゴルが常識はずれの領土を征服できた。
そして、武士団はモンゴルと同様の弓騎兵で、かつ重装。
だからこそ数では劣る九州勢が元軍を追い払えた訳。
>火器のように絶対的優勢が保てるわけじゃいから
火器がない当時、まさに弓矢がその火器に相当する兵器なんだよ。
どちらも敵の攻撃が届かないところから一方的に攻撃できる兵器であり。
位置づけとしては全く同じ。
後、ヴァイキングって言うほど野蛮じゃない気がする。ちゃんと交易もやっていたし、戦争も金さえ払えば停戦にも応じるしな(額が額ではあるが)。
むしろ、鍛錬の為に通りがかりの浮浪者や僧侶を弓の的にする鎌倉武士団の方が野蛮かもしれない。
当時の法令なんてのは野蛮な行為を止めるために作られたとも言われてるし。平均寿命も弥生時代より低かったのはその野蛮さも一因だと思う。
>>207 刀は必要でしょ。
いつまでも弓で射続けられる訳には行かないからどうしても近接戦闘は起こるよ。
モンゴル軍だって重騎兵はいたしアンゴルモアに描いてあった上記の戦争でも最終的に騎士団を殲滅したのは重装騎兵。
前も書いたけど元寇でも元の兵が日本刀で鎧ごと斬られたと言う記述もあったようだから、決して刀の存在は軽くはないよ。
>>209 君の確信は大ハズレ
読んだよ
つかアニメから入ったクチだけどw
ヴァイキングも陸に上がると欧州兵とは戦績が互角だったと書いてるように無茶苦茶強えなんて言ってない
彼らが欧州各地を荒ら回れた理由がロングシップにあると説明してる
外洋航海可能な上に小河川ですら遡上でき上陸ポイントを選ばないってこと
次に信仰からくるウザイ戦い方
蛮族相手に我の損害が増すの割に合わない
そこに金銭による退去をチラかせてきて、これがまた払ってもいいかなと思える微妙なラインを突いてくる
さらに襲撃するときは国が乱れてて全力で応戦できない時期だったりして
そんな事が繰り返されてくうちに、分かった土地やるからここに住め、
その代わり他のヴァイキングを撃退しろ、と懐柔策をとらざるえないようになるんだよ
>>176 昔の角川だと商機とばかりにクソゲーでもアンゴルモア出しそうだったんだけどな
>>212 読んでたのか。
それはすまんかった。
まあ全く本編の話をしてくれなかったんでそう思った事は多めに見てくれ。
君の論点の問題点は欧州でこうだったから日本でも同じ様になる、というのが多すぎる。
気候も違えば地形も思想も武装も戦法も何もかもが違うんだから欧州での例が当てはまるわけがない。
例えば気候で言えば
>>201で暑さにも耐えるとあるけど問題は多湿の方。
暑くても湿度が低けりゃそりゃ耐えられる。だけど多湿になると汗も大量にでるから話は全く違ってくる。
元軍もモンゴル式の防具は寒さに強いが故に熱や汗を溜め込むから元軍はかなりきつかったのでは?とも言われている。
多分寒さに強いヴァイキングも日本の気候は地獄。今でもアフリカから来た人は日本は故郷よりもきついという程だしな。
後アンゴルモア読んでるんだったらそっちの話もしてくれ。
ここはヴィンランド・サガのスレじゃないし。せっかく元寇の影の主役とも言える竹崎季長が出てるからそっちの話もしたいんで。
小説版どう?って聞きに来たんだけど、なんでヴァイキングの話ししてんの?
鎌倉武士団vsヴァイキングIF
アジアにはヴァイキングほどの航海術が発達しなかったけど、もしヴァイキング並みの蛮族が北から襲ってきたらどうなってたか
元寇のように撃退はできなかったろ
ってネタ
>>217 だからさあ、アジアにはヴァイキングほどの航海術が発達しなかった、とか書いている時点で地域の違いを全く理解してないんだよ。
台風がないからヴァイキングの船は速さに全振りできたけど、台風や荒潮で荒れやすい東南アジアでは速さより安全性重視の船造りになるのは当たり前なの。
そういう事を一切考慮せずひたすらヴァイキングに有利な事例ばかり持ち出すから賛同されてない事にそろそろ気づいてくれ。
元寇のように撃退はできなかったろ
じゃなくて
(ヴァイキングが)ヨーロッパのように行かないだろ
ってのが皆思っているネタだよ。
大西洋が穏やかな海とかどうして勘違いするかな
特に北部大西洋は極低気圧の発生エリアで海は荒れる
そもそも論として高緯度海域は両極で荒れる
北太平洋も商用航路には適さないし、南半球の高緯度は特に荒れるだろ
欧州側でもヴァイキングの船に対処できないぐらい技術格差があったわけでアジアだからという話ではない
>>219 荒れ方がぜんぜん違う。
特に日本海域は潮の流れも複雑怪奇で遭難率も非常に高い。
鑑真も日本に来るまで5回も失敗してるし、半島から日本までの海域では交易船も大量に沈没している。
台風の有無も非常に大きい。
北太平洋はあくまで東南アジアと欧州海域の話をしているのに無関係な地域だされてもとしか言えない。
技術云々は欧州ではそうだろうがそもそも当時は中華圏が世界の文化、技術の最先端地域で欧州の技術レベルは低かった。
要は当時は世界最高の技術でも日本近海の海は克服出来なかった訳で、それを無視してアジアだからと言う話じゃないと言われても困る。
>>220 それ逆なんじゃね
恒常的に荒れやすいのはむしろ高緯度海域
台風だけが嵐じゃないと説明してるやん
極低気圧ってのがあるし、高緯度海域は極渦による強い西風の影響下にある
そんな海域で航行を余儀なくされたからこそロングシップが発達しただろ
北から沖縄経由で鎌倉か京をピンポイントで襲ってくるという…
つっても史実でセーヌ川を400km以上遡ってパリを何度も襲ってる連中だからね
恐ろしいよ
いい加減もう終わらせた方がいいんじゃないかな
北海やバルト海って単語が出て来なくて普通は外洋を指す北大西洋で語ってる時点で意味ない思うよ?
ヴァイキングの活動範囲がアイスランド、グリーンランド、果ては北米大陸にまで及んでるからだよ
彼らが外洋航行能力を持ってたのは史実だよ
北米大陸は通り道に全力で侵略したわけじゃあるまい
航海と陸地への到達が目的のものと
豊かな街があるのがわかってるところへ軍備揃えてカチこむのとは全然違う
積荷の内容からして違うだろ
アイスランド、グリーンランド、北米きは入植してるんだよ
単なる探検航海に終わったわけじゃない
だから誰もいない土地を開墾して住うのと…
まあいいや
無敵のヴァイキングはなんでも出来ないはずないんだよな?
もういい
いや少なくともグリーンランドとアイスランドには定住しててフェロー諸島経由でユトランドやスカンジナビア、イングランドとの航路が確立されてたわけで、北部大西洋を数百kmも往来してたんだよ
ヴァイキングのロングシップの技術は後に地中海沿岸の造船技術と合わさって欧州造船技術の基礎となったことからも、いかに先進的だったかわかるだろ
>>221 南極周辺がとてつもない難所だっていうのは有名だが、北極の方も近い感じなんだろうな
>>222 ってかいきなり来ても京や鎌倉の場所わからなくね
元寇の時の元もその当たり知ってたか疑問だけど
さすがに元が知らんわけないやん
高麗や宋の情報握ってるし
結局対馬は放棄して撤退してるんだよね
なんで前線拠点として押えなかったんだろうか
知ってたからってピンポイントで、途中で妨害されずに到達できるかと言うと全然違う話だと思うけどな
元の場合はほぼ博多湾しか揚陸可能な場所がなかったんでしょ
日本側も正確にそれを予測してたわけで
逆に言えばそれが当時のアジアの渡洋能力の限界だったんだよね
博多湾をスルーして関門海峡から瀬戸内になだれ込むとかできんかったのかね
ヴァイキングは吃水の浅い船に水も食料も積まなくていいんだもんな?
ロングシップなら満載状態でなお喫水が浅く揚陸地点を選ばないわ小河川ですら遡上するわ
どーなってんだかよくわからんチート船だよ
史実がそうなんだから可能だとしか言いようがない
速力は5〜10ノット、最高15ノット
ほぼ現代のヨットに匹敵する速力
(江戸時代の和船の最高記録が7ノット)
前後対称設計で浜に突っ込んで、そのままバックで離岸できる
ターン不要
沿岸から遠洋まで自由自在
どうかんがえてもおかしい
それで由比ヶ浜の遠浅の海岸や巨椋池まで遡上してきて
橋かかってる川でも誰も気づかないし急報しようとも思わない設定なんだよな?
百姓の忠誠心(笑)をあてにする大名なんか存在しない
>>232 遅レスで済まんがあそこは山ばかりで農業生産力が壊滅的なんだ
だから大勢の兵士を長期間置いておくのには向かないし、土地そのものからの旨味も少ない
加えて日の本が自国の領域と認識しているから外交摩擦や紛争の原因になる
侵攻に使うなら都度占領すれば良い訳でね
劇中で対馬を一つの国だな、と感想漏らしてたけど生産性がどうしようもないか
日本と半島がもっと頻繁に交易やってりゃ重要な中継地点として宿場町のように栄えたかもしれんけど
>>243 地形・地質の問題もあるからねぇ
それがあるからこそ、
あれだけの大軍にそこそこ粘れたわけだし
しかし対馬のあの複雑な湾内なら少々の嵐でもしのげるだろ
数年スパンの侵攻作戦なら対馬を前線基地化して物資兵糧の集積地にした方が再侵攻が楽だったんじゃないかなぁ
高麗がやる気なさすぎたのか
淀川の話が出てたけど、江戸時代までは大阪から京都まで船が通ってたんだよな。
今の淀川見ると、とても船が通れるように見えないけど。
大阪市内はいいけど、枚方あたりから川が干上がるっていうか水深が浅いっていうか石がゴロゴロしてる感じ。
おそらく今と江戸時代では水深や川幅が違うと思う。
江戸時代の淀川がどうなっていたの気になる。
あと京都市内の高瀬川も現在は水深10センチくらいだけど、
昔はもうちょい深かったんだよな。
あれで船が通るとは思わんし。
高瀬川は人工の運河だからな
淀川も秀吉が岸から船引かせて往来したとか、
三成が岸の蘆を自由に扱う権利を褒美にもらって一儲けしたとか
伏見が今日の玄関口とか
大阪船場の成り立ちとか聞くにつけ…
そう言えば江戸の水運もたいしたもんだったらしいね
掘割と運河が網の目のようで、小舟が絶え間なく行き交ってたとか
>>232 高麗も宋も京や鎌倉の正確な場所や経路なんか知ってたのかな
宋人は九州には沢山いたらしいけど
>>250 元の使節は太宰府までしか行けてないね
日本側の使節は大都まで行ってるのに
元の国書は無礼だけど日本側の対応もたいがいだなw
いずれにせよ京都や鎌倉の大まかな位置ぐらいはわかってるでそ
あとは現地で捕虜をとって道案内させればいいだけだし
>>251 日本は最初の使者が来た時にもう元の侵略を予期して警戒してるんだから
無礼というか情報漏れを防ぐことを優先しただけじゃないかな
実際日本側の使節連れ帰った五回目の使者が偵察して情報持ち帰ってたわけだから
使者が偵察して情報持ち帰るのを警戒するのは杞憂じゃないし
>>251 それと日本の使節は元からしつこく寄こせと言われて送ったけど、
日本は別に元の使節に来てくれと頼んだわけじゃないしなw
呼んだのと呼んでもないのに押しかけてきたのとじゃ対応同列にできないんじゃw
元はもっと艦隊を分散して九州各地の手薄な地域を襲わせるべきじゃなかったかな
博多に集結した御家人も自分の領地が襲われてるとなれば浮足立つだろうに
>>254 いややってるよ
ただ何処から上陸しても抑える要地は決まってるのでまあ
九州なんて山ばかりの狭い土地だしね
では東路軍、江南軍を集結させるのではなく
東路軍は東進させて若狭湾急襲とか
博多攻めでさえ合流しきれない船がたくさんあったのに
隠岐や若狭いきなり攻めるのは無理だろ
ある程度まとまった数の軍船で若狭湾を襲えればいいんだよ
これだけで十分に戦略的挟撃になるだろ
やっぱり国府たる京都を脅かさないと陽動にならんよね
若狭湾を襲えば六波羅探題の後詰めを九州に送れなくなるし、逆に九州勢を後詰めとして引き抜かなければならなくなる
軍船も割かなければならない
となると博多、太宰府は落せたんじゃなかろうか
>>260 半島由来の人ですか?
そんな夢みたいな妄想ばかりしてるからいつも・・・
元寇が実質九州勢力だけで撃退された事実をご存知ない?
六波羅探題突くってあんた・・・九州の10倍以上の軍勢が集結中ですがどうやって戦うの?w
>>261 逆w
なんつーかガキの頃、教科書で習ったような神風のお陰で日本は勝った、じゃなく元側が結構悲惨なのでつい贔屓したくなるんだよw
六波羅探題の六万騎とかって、それ本当なんかね
記録と兵力の実数は乖離してるんじゃないかって話はよくあるじゃん
源平合戦も実はせいぜい数千騎だったとかさ
>>260 普通にその後詰めで若狭湾の元軍を追い返せるんじゃね
文永の役の元高麗軍んて船員除くと3万しかいないし
二手に分かれたら同数でも一万五千
>>262 承久の乱の動員数考えたら普通にそれくらいはいたと思う
>>263 若狭湾をまとまった軍勢に襲われた、という情報だけでいいんだよ
当時は情報伝達がメチャ遅いから、京都を脅かされてる時点で対策を打たなければならない
万が一にも六波羅が破られたら京都は陥落するからね
太宰府とは違って絶対に落とされちゃいけない都なわけで、なんらかの後詰めを手当しなきゃならなくなる
>>264 その記録自体の精度や信憑性の話だよ
誇張されてんじゃないかと
六万「騎」とかいうけど、まさか重装弓騎兵が六万いたわけじゃないでしょ
実際のところ大半は歩兵の下郎じゃない?
その方が建設的よ
何かに託つけて自己顕示が目的になってるより
>>265 確かに持ってる可能性はあるね
防衛省の研究だと人口3000万の江戸時代で現役武士の数は40万人と推定してる
当時の人口は700万とすると10万人程度?
さてどんなもんなんでしょうねえw
御家人といわれてる家名をもつ士分がどれぐらいいたんだろ
さらに御家人の下に郎党がいるわけでしょ
郎党も騎兵と歩兵にわかれてるだろうし
この時代はまだ農民を雑兵として大動員してないよね
何しろ戦略的挟撃も何も、事実として九州勢だけで元寇は撃退された
若狭襲撃されたとして、鎌倉や六波羅がどんなにどんなに泡食っても九州の情勢に影響はない
あと日本史的には国府は令制国ごとにある奴な
いまだと国府田とか府中とか国の略称+府っていう地名があるところ
それは史実では京都を脅かさてないからね
九州勢は腰を据えて迎撃きたし、六波羅の後詰めが来ることも期待できたから、それを見越した戦いもできたろ
でももし、六波羅の後詰めが来ないとしたら?
京都がヤバイかも?となれば?
鎌倉の命を待つまでもな九州勢内からも京都へ援兵なんて意見も出るだろ
そういう点で戦略的挟撃はかなり効果的じゃないかと思うけどなぁ
情報遅いんじゃなかったのか
各個撃破で終わりだろ
情報が錯綜したとして、まず目先の敵だろう
京に御家人が集結してるというのは九州勢も知ってるはず
先に若狭→九州勢にも急報→博多じゃなかったのか→軍議→京か九州か…でもいいが、
その場合、若狭襲撃組と綿密に連携取らなきゃやっぱり意味がない
若狭攻撃の報が九州に届くまで、博多組は姿さえ見せてはならない
若狭組が撃退される前に九州勢が九州を離れて、若狭組が撃退されたとの報を受けて九州勢が戻ってくる前に博多を攻撃しなくてはならない
そもそも大陸からの攻撃控えて九州空にするほど、鎌倉武士はバカじゃないよ
まー近代辺りになるまでほぼ「略奪」メインだし
羊が草をはめる草原があれば丸ごと移動も可
>>271 日本側はかなりビビってたと思うけどね
何せあの強大な宋が滅ぼされてんだから
九州であれだけの準備をしてるのに他からの侵攻を考慮してないと筈がないかな
3ヶ月経つのに六波羅軍が大宰府に到達してないのもその理由だと見るね
どこから攻め込まれても対処出来るように状況を見定めてたんだろう
武家の世が始まってからの日本を力攻めは難しいかと思うわ
やるならイギリスが薩摩支援したような感じの絡めてで・・・政治音痴のモンゴルじゃ難しいかもだが
維新はカノン砲とか銃とか黒船とか見せられて
めっちゃ技術が遅れてるという危機感があったからで、
技術レベルにたいして差が無ければ入れないんでねの。
>>272 確か博多〜鎌倉まで12日で情報が届くんじゃなかったけ
だから京都〜鎌倉、博多間は多分6日ぐらい?
九州を空にするんじゃなくて、太宰府と京都を比較して京都の方が重要だから九州勢から後詰めを抽出して派遣する必要に迫られる、ってこと
各個撃破というがゲームのように豊富な情報を元に俯瞰できるわけじゃないので、万が一六波羅が破られる可能性を考慮して早期に決断を迫られらるわけよ
苦戦や劣勢の報を受けてからじゃ遅いからね
>>275 統一武家政権が誕生し、かつ軍事的に専制を振るえたのは日本にとって本当に僥倖だったよね
戦国時代に元寇があったらヤバかったね
大名の中には外国勢力を利用しようと大陸軍を招き入れる奴も出てきただろうし
わけよ、ってどういうわけよ
万が一博多にも元軍が来たらとは誰も考えないのが「前提」か?
鎌倉が破られるわけじゃない
南北朝や幕末ならともかく、全国の武士が地元捨てて京にこだわるとは思わんがね
ちなみにゲームのように考えてるのはそっちじゃないかね
おれはもうそれぞれが何が起こったかも考えずに目の前の敵倒すイメージなんだが
前にも書いたように有機的でタイムラグの許されない連携が必要なのは挟撃側
守備側はそれぞれが単独で撃退できるだけの能力を持ってるので連携が遅れたり取れなかったり、取れた上で無視しあってても問題ない
遠隔からの挟撃で、撹乱目的の情報にうまく踊ってくれるという作戦の見込みの方がよほど甘い
>>279 江南軍が博多、東路軍が若狭湾という2面作戦ね
夷狄に京都を落とされ禁裏が蹂躙される、なんてことになったら武家政権の権威が地に落ちるだろ
京都は絶対に防衛せなあかん地よ
敵が外国勢の場合ね
>>280 戦略的挟撃なのでそんな緻密な作戦じゃないよ
一応、日を定めて壱岐に集結するはずだったので、日を定めてそれぞれ上陸作戦を行う、と定めることは可能だわな
その上で数日のズレがあったからといって挟撃効果が薄れるわけじゃないわな
>>278 戦国時代はそれこそ日本が最強だった時代なんだが・・・
村人までもが武器持って戦闘に加わる時代だぞ
半端な勢力が攻め込んだところで村一つ落とせず追い払われるわ
元寇後の日本は海外勢に対する対策も強化され、欠点だった和弓の飛距離も改良され飛躍的に伸びている
尚の事征服は無理だよ
>>282 そもそも効果出ること自体が難しいって言ってるんだが
>>281 北条氏は征夷大将軍ではないし
京と御家人には御恩と奉公の関係もないしなあ…
楠木正成が後世どこまでも持ち上げられたのは彼の選択が異常だったからだ
京が焼けたことなんて何度でもあるし、鎌倉は天皇と戦争したこともある
最終的に異族追い払って京に安寧取り戻せば鎌倉の権威は保たれるさ
天皇周辺を落ち延びさせることくらいはしたほうがよかろうが…
前提条件で鎌倉御家人を無能にし過ぎてるんだよ
>>273 ライオンと虎どっちが強い?の話の時に餌やねぐらの事話題にする奴はいないからな
>>283 日本国内が群雄割拠で統一された戦略で動けなかったら沖合に現れた大艦隊に一大名がどう対処するんだよw
逆に外国勢力を招き入れる大名が出ててくるかもしれんと言ってるだろ
それこそ容易に上陸してくるかもよ
>>285 武家政権は実権を朝廷から奪いはしたが、朝廷がもつ歴代の権威までは奪えてないでしょ
つまり王権の簒奪まではしてない
だから武家政権の権威を維持するには朝廷は絶対必要なわけで、禁裏を蹂躙されるなんて起こしたらいかんことでしょ
>>273 たしか弘安の役で沈んだ船から農具とか出てきたよね
屯田、植民を視野に入れてたとも言われてるので基本現地調達でしょ
なんつーか悲惨w
おまーら、更新きてますよ
竹崎さんほんといいキャラしてるわ
三十路なのに気持ちが若い若い
>>287 このちょっと後に起きた応永の外寇観るのが解りやすいよ
元寇を真似したのか李氏朝鮮が1万7千の軍勢で対馬を攻めた
結果数百の対馬の守備隊に蹴散らされてるのよ
単純な比較は出来ないが、元寇前とは比べ物にならないくらい対応力がアップしている
元の艦隊なんてその一大名にすら勝てないだろうね
そもそもその時代の覇者であるスペインポルトガルの艦隊ですら征服は無理だと判断されてなかったか?
>>290 竹崎は図太いイメージがあったから、感動で涙する星飛雄馬みたいなキャラになるとは思わなかった。
>>291 あれは単に李氏朝鮮が本気じゃない(上に作戦目的が不明確?)なのを見切った作戦勝ちじゃないかな
まー精鋭のはずの先鋒が山岳戦であっさり蹴散らされてるのは確かなようだけど
それで引かずに力押し続けられてたらこの漫画に近い結末にはなってたはず
>>281 >>275 それだと文永じゃなく弘安の役って仮定?
南宋滅亡して江南軍が加わったの弘安の役からだから
>>272 九州制圧してない、まだ先端も開いてない状態だと
京都の場所、そこまでの地理を知ってるかどうかってのあるしなあ
上で捕虜ってレスあったけど、九州戦前だとその捕虜も本土のはとれてないし
>>243 半島と交易なんかしても害しかないやん
別に現代だけの話ではない
>>294 まー軍を分けるとなれば本格的な侵攻を意図した第二次になるだろね
情報収集は常に現地で獲得した捕虜からでしょ
平戸島の情報だって漁民から得てるわけで
どこぞこ御家人は妻子を拐われたなんてのもなかったけ
>>295 ってもこの時代は既に中国〜欧州の交易ルートが確立されてるわけで
マルコポーロもかなりの行程を船で移動してるのに、なんで中国〜半島〜対馬〜日本まで交易ルートが伸びなかったのかね
どうもブツ切れでしか読めないせいか
感動したらいいのかよくわからん
>>297 この時代は日宋交易が盛んだから、中国との交易は
直通ですれば良くて半島ルートを伸ばす必要性ってあまりなかったんじゃ
幕府は石見、長門、瀬戸内方面から京都を衝かれることを極度に恐れていた。
とくに長門防衛には力を入れていたようだ。
例えば、幕府は甲斐源氏の武田信時に安芸国へ下向するように命令を出したり、
弘安合戦のときは北条時業が播磨国に入り警護にあたったり、
安芸国の児玉氏に賊船が関門海峡に入ったら、すぐに長門の軍陣に属し防戦するよう命令を出している。
>>299 やっぱり民族的にイマイチなんだよなw
もし半島民族が優秀なら対馬経由で往来が盛んになってたかもね
>>298 ある程度期間置いてまとめて読もうにも公開期間が短めなお陰でそれもできないしな
web漫画のやり方としてかなり下手
>>275 つうかクビライハーンが、元寇の前の使者の情報と反対押し切って遠征してる時点で
事前の情報収集しているにも関わらずその情報と直接日本見た臣下の意見重視してない感じが
文永の役は脅しだった説あるけど、もしそうなら使者が日本人の気質も報告してるのに
4万で一度攻められたくらいで怯えて従うわけじゃないってわからなかったのか、とか
海風の危険報告したのに(文永の役は異説もあるけど)その通り台風にあってるとか
>>275 元は元寇より前の国書で使者が来ないなら「王城」を攻撃すると脅してる
首都攻撃の危険性は日本も考えてはいたんじゃないか
しかし、昔は10万を超える大軍で攻められて奇跡的に助かった、だったのにキチンと精査してみると全くの兵力不足で無理ゲーとか
歴史考察は面白いわ
今の教科書はちゃんと教え方変えてるのかね
>>288 希望的観測と仮定と妄想とを重ねた末の条件なんか知らんよ
こっちはそうなることはないしそうなると思い込ませることも難しいって言ってんだから
>>307 難しいわけないじゃん
他の人の書き込みでも京都を襲われることを日本側は危惧してたってことじゃん
なら若狭湾に迫れば幕府は対応を迫られるわな
六波羅探題6万騎とかどう考えても水増しした記録で、現実にそんな騎馬武者いるわけないんだから
>>308 他の人が言ってるのは若狭湾を突かれることを危惧するあまり軍を動かせず
結果的に九州を見捨てた形になってるってことじゃないかと
ということは若狭を突けば動揺は計り知れなかったかもね
九州側への揺さぶりにもなるとすれば、面白い戦略だと思うんだが
兵糧や兵の拡充、撤退の難易度が格段に上がるからなぁ。リスク高すぎ。
若狭までの山陰沿岸を進む道中、ずっと襲撃に怯えることになる。
史実より数倍の日数がかかる航海で、何割が辿り着けるのかってのもある。
>>308 動揺というか当然一考はしてるだろう
だから太宰府ではなく拠点に集結なんだし
だが越前や出雲に全力で攻めてくるという報告があったとしても、大陸からの攻撃に備えるにあたって九州を空にすることはどう考えてもありえない
だったら日本がやることは変わらない
各々の持ち場で目の前の敵に対処する、これしかない
そもそも一体どれくらいの兵を若狭に送ることを想定しているんだ
博多にもロクに上陸できなかったような軍船で
博多を攻める兵数は減らさない前提なのか
各軍団の連携はどうなってるのか
それぞれが各個に目的を攻めるのは単なる二正面作戦であって挟撃とは言わん
中学時代サヨク教師が元寇で勝てたのはボロい船を作った高麗の人々のおかげと力説してたわw
過去の説と違う最新学説を教えたら歴史修正主義者として有罪だからな
>>312 隠岐の島があるやん
対馬同様に前線として落としてしまえばいいだけ
>>313 九州を空にはしなくても九州諸将も援軍が期待できないとなれば取るべき戦略も慎重にならざる得ないんじゃね
歴史とは異なる結果になる可能性も出てくると思うが
慎重になった結果、どうするのが元軍の理想で
実際に直面したとしたら鎌倉武士はどうすると思う?
最近盛り上がってますな
昔の日本史板の元寇スレみたいだわ
>>319 弘安の役の江南軍は10万と軍兵が多い割に戦闘正面が狭く数の利を活かせてないよね
こいつらをどう早急に揚陸させ展開させるか
東路軍は対馬、壱岐、長門から博多ではなく出雲を襲撃した後、隠岐の島を落として拠点とす
そこからさらに若狭湾を脅かす
六波羅軍はこれで西進できなくなる
江南軍は平戸島から鷹島ではなく、予定通りに博多湾に
江南軍の方が東路軍より数が多いので、志賀島を押さえた後、日本軍の軍船を牽制して陸海挟撃されぬようにして海の中道から進撃する
どうよ?
>>322 文永の役では一度は博多から日本軍を押し出してるわけで、江南軍は10万なので博多を確保して物資の揚陸もできるんじゃね
陣を固めれば六波羅の後詰めが来ない九州御家人勢も損害の増える力攻めはできなくなるだろ
幕府は京都を攻められる事を極度に恐れていたが、それは瀬戸内経由であり、日本海経由ではない。
日本海側はせいぜい石見くらいでで、なんらかしらの理由があったんじゃないの?
帆船で釜山から博多を行くのと、若狭行くのとで実験してほしいね。
対馬海峡横断で調べてたら、こんなの出てきた。
潮の満ち引きで時間ごとに流れが変わるらしい。
http://29.pro.tok2.com/~kyokutan/public/next/a02_kuna_tushima/a02_kuna_tushima.html
>>324 ならば軍船のまま関門海峡強行突破はどうだろうか
日本側には大船がないから止められないんじゃね
>>315 最近の水中考古学(海に沈んでる船の残骸の調査とかしてる)によれば
元軍が台風にあったあたりの海で発見されるのは多くが南宋船
高麗史でも高麗人は7割帰還してる
あ、
>>315の7割は弘安の役ね
>>321 江南軍は直前に指揮官交代トラブルあったせいか遅れてるからなあ
そのままだったら蒙漢軍や高麗軍と合わせて行動するのは難しいんじゃないかな
>>327 江南軍の問題は兵の質と士気の低さかなぁ
元に滅ぼされた挙げ句、尖兵として渡海して日本を攻めてこいとか
船にも慣れず酔ってゲロゲロだろうし
さてどうやって鼓舞しようか
首尾よく博多に橋頭堡を築き物資兵糧を揚陸する
台風で江南軍の脆い船が沈む
さあ帰れんぞ
この地を奪え
背水の陣となり南宋兵も腹をくくる
これだな
>>328 >船にも慣れず酔ってゲロゲロだろうし
江南が船に不慣れってもう・・・
なんつーか妄想垂れ流すのもいいけど、ちょっとは調べてからやって欲しいね
>>330 元々水軍兵で構成されてたっけ?
敗残兵の寄せあつめだろ
瀬戸内の辺の水軍(海賊あるいは地場豪族)て縄張り意識強い上に隣同士で仲悪かったり非常に面倒くさい集団じゃなかったか
>>328 病気が発生して何千人も亡くなってたような話もあったな
>>329 鷹島の掃討戦の時は(一応木を伐採して船作って帰ろうとしてたけど)
無事な船は将軍たちが乗って帰ってしまって兵士は取り残されて帰れない
ある意味背水の陣だったけど、見捨てられてそれじゃ更に士気が下がりそうだなあ
>>328>>331
南宋は海に面してるから、そのあたりの出身者なら海に慣れてると思う
ただ南宋も領土広いから、内陸の規模も細長い日本とは段違いだろうね
10万じゃ海軍や沿岸地域だけから構成するってわけにもいかないだろうし
>>335 海が近いからと言って船に慣れるわけじゃない
船室はゲロだらけだろうな
漁師でも酔う体質の人は酔う
自分の船の揺れには慣れててもフェリーに乗ると酔うとか、外洋の波の揺れには慣れてても瀬戸内の小さな波の揺れに酔うとか
だから江南沿岸の漁民を徴兵しても大船に載せたら一定の割合で酔いまくるだろな
江南から平戸島まで7日ぐらいかかったみたいだし
ましてや船慣れしてない内陸出身者なんて悲惨の極みだったろな
>>334 江南軍に必要なのは背水の陣で士気を鼓舞し死兵になって戦わせる事ができる名将だな
もしそんな名将が指揮してたら日本側の被害も半端なかったかもしれんなぁ
もういいからいい加減止めろ
延々と妄想垂れ流しやがって
流石にスレ違いだ
ドレイク提督だかも船酔い全然治らんかったんだっけw
まあ絶対に負けないぼくの考えたヴァイキングが鎌倉に攻めてきたら…よりはマシだな
厳密にはヴァイキング並みの航海術をもつ北方民族がいて元寇の尖兵になっていたらどうなったか?
だよ
実際に女真族も元寇に参加したよね
奴ら日本を荒らしに来たことあったろ
もしロングシップのような造船技術があったらヤバかったね
おっと、スレ違いという意味が理解できない蛮族か?
他所へいけ、そしてそのまま戻ってくるな
なんで?
造船技術や航海術の発達史は歴史を語る上では外せないネタだぞ
欧州の船はヴァイキングと地中海の船がベースになって発達してて、この時代ではアジアの船より格段に進んでた
マルコ・ポーロは帰路は海路で帰還してるんだぞ
皮肉なことに造船技術のみ発達が日本を守ったともいえるわけで
蛮族だった…
一度だけ説明してやるからよく聞け
ここは漫画板のアンゴルモアスレ
歴史板の元寇スレですらないんだ
お前が語りたいのはアンゴルモアという漫画作品についてではないだろう
せめてアンゴルモアに関連づけて語るつもりがないのなら疾く消えろ
早く早くいなくなれ
>>347 鷹島に孤立した状況ではそうなるね
もし博多上陸に成功してたら指揮次第で太宰府まで落せたんじゃなかろうか
なんだかんだで10万は大軍だし
とりあえず現地調達つまり略奪しかないわなぁ
江南軍の沈んだ船から農具が発見されてて長期戦に備えて屯田の用意してたけど本国から補給の準備もさすがにあったろ
そんなことより鹿乃のレイプと性奴隷生活について熱く議論しようぜ
漫画の内容について一切触れられないのはつまりそういう事なのか?
いや、梁塵秘抄の遊びをせんとやの替え歌なんかはおもしろいと思ったよ
>>352 アニメでは乳ポロなかったなw
それなりに上玉だから上官に献上されてんじゃね
その通りニダ! ウリたちは戦場における末端の兵まで性欲を抑制出来る理性の民族ニダ!
>>357 3回づつ回したあと上官に献上って、あなた?
ああいうのは性奴隷しながら博多まで引かれて。最後はモンゴル兵の食事になる。さすがに高麗兵は食わないだろうけど
姫を逃がすために自決しなかっただけだから、あの場所を去ったあとに死んでると思われ。
元軍の軍律はどうなってんのかね
記録では捕虜は紐で繋がれて連行されたというから兵士個人による略取は禁じられてそうな気もする
そう言う点では女はその場で廻してから連行かな
>>345 中国の造船技術や航海術がヨーロッパに比べて劣っていたとは思わない。
他の東洋は知らんが。
>>364 南宋の船は台風に耐えれず、むしろ高麗船の方が頑丈だったそうだが
北宋時代にやたらバカでかい船を作ってたらしいが、性能的にどうなんかね
北ヨーロッパではロングシップからコグ船に進化して、一部の船はバウスプリットに縦帆を張って風上への切り上がり能力も獲得しつつあったそうだが
>>366 宋の船の行動範囲を調べてみるといいよ
遠洋航海技術は正直西洋なんかより遥かに進んでいたと言わざる得ない
船の手抜き説って南宋の方にもあったね
まあいくら気の乗る戦争じゃなく征服者に徴用されたとしても
自分たちの乗る船を手抜きするかって疑問もあるけど
急造で粗悪品になるのをどうしようもなかったんでねの
それより運用の仕方でしょ
台風避泊って船同士の衝突を避ける為に沖に出て流されてもぶつからない距離を保って錨泊するのがセオリーなんだが
江南軍の指揮官ってモンゴル人で、その辺りのノウハウが欠如していた
ビビッて陸に寄り、密集していたために互いにぶつかり合い甚大な被害がでたのかと
船の運用の巧みな肝心の南宋兵は船底に押し込まれ、恐らく繋がれていたので、只々海の藻屑と消えるのみ
鷹島周辺に固まって沈んでるんだよな
投錨した状態で全艦ほぼ同じ方角向いて沈んでて風向きがハッキリわかるとか
モンゴル側のマハマドという武将の史料に
モンゴル軍が船を縛って武士団に対抗した
ことの記載があるので、船を縛られた状態で
南風を受けて、船同士や鷹島に衝突したから
大損害を受けるのは当たり前な話。
船が頑丈だろうと無かろうとこのような状態では
大損害は免れなかったろうな。
山陽・南海両道の兵力
建治元年(1275)になると、長門国は京都防衛の要害と位置づけられた。
建治元年モンゴルの使者杜世忠らが長門国室津浦に漂着してから、幕府は大急ぎで兵力の増強につとめている。
まず、建治元年5月12日、長門国警護にあたる幕府使僚二階堂行忠は、同国の御家人不足を関東に訴え、
これを受けた幕府は周防・安芸の兵力を長門国へ回す事に決定した。
さらに、その8日後には備後国をくわえ、長門・周防・安芸・備後の四か国結番体制で、長門の要害を警護するように命じた。
ついで建治2年8月、これでも不十分とみた幕府は、山陽道と南海道の兵力を差し向けることにした。
山陽道といえば、播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・周防・長門の国々をふくみ、
南海道は紀伊・淡路・阿波・讃岐・土佐・伊予の諸国からなる。
これらの国々の軍勢を一挙に投入しようというのであるから、幕府の危機意識がいかほどのものであったか、推して知るべしである。
「戦争の日本史7 蒙古襲来」新井考重
>>373 そっちの方が古いよw三国志なんだからw
一応置き去りにされた兵士が10万なので、
船を失っても島に泳ぎ着けた兵士も相当数いた模様
まあ捕虜になった2、3万のうちの南宋人以外は殺されたそうだが
自業自得ってか、侵略側だから同情なんかできないが、
「大ハーンの命令だから渋々従ったが、
船なんかおっかなくて乗りたくなかったんだ。
大草原で馬たちに囲まれながら天に昇りたかったのに、
こんな風に船酔いに散々苦しめられ、
海で溺れ死ぬ最期になろうとは……」
とか思ったモンゴル人も大勢いたんだろうな
そもそもモンゴル尖兵って処理に困った捕虜の詰め合わせ特攻だから
もう行く時点で侵略成功しないと死ぬ
から
そりゃ強いわな
>>374 具体的な兵力の数値が無いんだよなあ
吾妻鏡だっけか
テキトーすぎるわな
>>375 いや、史実のではなく連環の計やら三国志演義の描写にって意味。
三国志演義の成立は元寇よりあとでは。
通常明の太祖朱元璋が陳友諒を鄱陽湖で破った戦いがモデルとされているな
まあ、海の外で蒙古が率いたとはいえ負け戦をモデルにするより自然なのでは
モンゴル人がどれだけの割合でいたかは
わかっていないので、ほとんど来ていないとは
言えない。
ただ、モンゴル側の史料の元史に日本側の捕虜に
モンゴル人と漢人、高麗人、旧南宋人がいたことの
記載があることから、モンゴル人も捕虜になっていた
ことがわかる。
半島土人の中には
アイヤーウリはチャンコロニダアルヨ〜っつって逃れた奴も居るだろうな
さすがに南宋と高麗だけで攻め込ませるわけにもいかんでしょ
一応は元による日本侵攻なわけで蒙古軍がいないと示しつかんわな
スパルタじゃねぇんだから一番多くなきゃ反乱されるわ
>>374 そりゃ日本より遥かに強大なな宋が滅ぼされたんだからビビるわな
しかし実際に攻撃もされてんだから準備は無駄ではなかったか
>>384 対馬編のチョンにいたな
ウリはチョンよ〜って敵陣に走り込みながら(/ω・\)チラッってしたら対馬の人達がやっぱりなみたいな顔しててワロタ
誰もショック受けてなくて呆れるのを通り越して笑って手を振りそうな顔してた
>>386 弘安の役は10万が南宋軍だから
モンゴルが一番多くなかったのは確実
>>388 一度文永の役で攻められた後だしな
もう侵略の脅威は誰もが現実だと思ってただろうな
>>386 >スパルタじゃねぇんだから一番多くなきゃ反乱されるわ
そんなこと言ったら、
モンゴル大帝国のモンゴル族ほど少数割合ではないにしても、
後の清朝だって少数女真族(満州族)によって、
大多数が漢人の軍団が統率されてたはずだろ
ただ、駅伝制を伝って速攻でモンゴル騎兵が反乱鎮圧に来れる陸上と違って、
海上の大艦隊みたいな状況下各帆船内とかで少数のモンゴル人が、
ほかの漢人(旧金国人、旧南宋人)や高麗人を抑えてた手段は、
確かに気になるな
大航海時代以降の奴隷船のように奴隷たちを鎖で繋いで、
支配者側が銃器を持ってた頃とは違うわけだし…
記録に残ってないだけで、何気に船によっては反乱とか起きてたりしてな
もし南宋兵が反乱起こしてモンゴル兵を斬って日本側に投降してたらどうなってただろ
俺たちもう帰れないからどうか日本に住まわしてくれ
っても10万人も簡単に受け入れられるわけないしなぁ
>>393 世界の歴史でそんな現象はなかったのかね?
もちろん難民みたいな現代の話じゃなくて、
もっと昔に数万人単位で投降してきた、
敵対してない人たちにどう対応したかみたいなこと
降伏してきた敵兵が多すぎて処刑した事例ならあったよね
20万の生き埋めってのはさすがに盛りすぎでも数万は殺ったのかも
どっちもだよ
大陸なら自陣営に組み込むことも不可能じゃないかもしれんが
当時の日本でいきなり10万増えたらアカンやろな
>>393 もう少し時代後ならな…
庭に頭蓋骨飾って家横切る坊主撃ち殺してたのがデフォの鎌倉武士に
降伏なんて物が通用するなら
身内同士の族滅連打なんか起こってないw
>>398 けど南宋人捕虜は助命したのがその鎌倉武士でもあるし
何人くらいだったんだろうな
鷹島掃討戦の捕虜が二、三万だったらしいけど、
高麗人は船があまり沈まなかったならその前に帰れた人も多かったとすると
捕虜自体、南宋人率が高かったんだろうか
>>393 奴隷船よろしく船底に詰め込んでたって説がある
まあそのくらいしないと運べんよな
元々敵兵なわけだし
そういえば高麗に逆襲上陸計画してたし
もし南宋兵が投降したらそのまま尖兵だな
どっちみち死ぬしかない悲惨な結末か
>>403 https://gigazine.net/news/20190730-slave-ship-3d-video/ このサイトを見ると、
アフリカから運んだ黒人奴隷でも日中は甲板に出されて、
そこで働かされてたみたいね(もちろん鎖は繋がったまま)
だから、↓の画像みたいにすし詰めにされて寝かされてたのは、
あくまで夜間だけだったみたい
じゃないと、さすがに長い航海で奴隷の生命が保たなかっただろうし、
糞小便垂れ流しな室内を洗い流したりもできなかっただろうしね
>>399 これマズいだろ
こんなことしてたら民衆の支持を失って武力鎮圧されるじゃないか
島原の乱とかこんな感じだったのかって気がする
>>407 島原の乱はそもそも年貢90%のクソ地域で不作が起こり
蓄えができるわけないのに去年と同じ位は出しやがれ言いだして
そんなん無理って直訴したら直訴した奴の首がすぽぽぽーんして
その嫁の妊婦が水牢に死ぬまで浸けられたのがスタートなんで
鎮圧はされたけど外の民衆的にも「これひどすぎね?」
ってなってやらかしたアホ大名は後でキッチリ改易された
>>409 これは俺の書き方が悪かったな
俺が似ていると思ったのは籠城側が引き際を見失ってるところよ
つーか、スレ違いなことを書きこんでスマンかった
みんな楽しくやってちょうだい
>>409 一揆軍が他の村にも一揆参加するよう強要して回るから周辺地域まで巻き込まれて悲惨だったらしいね
>>405 もし三回目の元寇が実行されてたら南宋兵も防戦に参加させられてたかな
そこは開いてる土地に入植して自活してもらうとか
南宋なら米造ってた人もいそう
そりゃ鎌倉期ならまだ開拓の余地がある土地は多々あるだろうが収穫が得られるようになるまで援助したらなアカンやん
>>412 それはない
当時の武士が何の為に戦していたか考えれば分かる事
>>251 同時の中国の船について調べたらこんなのあった。
https://www.6parkbbs.com/index.php?app=index&act=view&cid=940030
これによると尖底竜骨船で、14の水密区画に分かれてて浸水があっても大丈夫らしい。
羅針盤まで使われていたようだ。
こういう船を福船と言うようだが、後のジャンク船とは全く構造が違う。
縦帆かぁ
中国も結構進んでるのに何なんだよ
元寇のこの体たらくは
やる気あんのか?
>>417 陸を遊牧民に抑えられてた事もあって、南宋は中国王朝の中でも随一の海洋国家だしね
キールに隔壁構造とかもう近代艦と基本構造は変わらん
南宋滅亡で失われた技術もあるだろうし、ある意味オーパーツ
アフリカまでを行き来する船が東シナ海を渡るのを難儀してたのはひとえに船頭の未熟さ故でしょう
まあ船が足りずに相当な老朽艦も徴収してたみたいだし、過積載等色々要因は重なったのでしょうけど・・・
南宋の沿岸地域の一部は南宋滅亡前に元に寝返ってたりしてるし
その後も反映してるんじゃないかな
泉州だったか
>>419 もしかすると船尾舵がまだ無いかもしれん
あと舷側に櫂がないので戦船としては小回りが効かないな
その点において沿岸での攻防戦では日本側に劣ることになる
>>422 在殷商?代至?在春秋末年,我国船只已?使用船尾舵?
http://fanwen.qzjlw.com/N2MjKnbz/ ちょっとググったら、早ければ殷の時代には船尾舵は使用してたらしい
ただ戦闘に関しては・・・南宋の戦下手は有名だし
船尾舵があったのなら暴風を避けるのに鷹島周辺に集結するのではなく沖合で自由に分散、帆を畳んで波を凌ぐことだけに集中してれば被害は軽減できたかもしれんね
岸近くは岸壁に波がぶつかった反射波で複雑なうねりが形成されるのよ
昔釣り船にのってて大荒れになって避難したとき、岸近くで船が揉まれまくってヤバかったことがある
後で船頭が説明してくれた
>>397 大東亜戦争でも
シンガポール要塞陥落したときイギリス軍の捕虜が数万
南京事件のときも日本軍より中国軍の捕虜が多かった
んで
コボウ食べさせたり、中国人捕虜が暴れて略奪したとかが東京裁判で日本人のせいになる
マジレスするなら第二次大戦時には戦争法規が定められてるので捕虜を保護するのは至極当然
南方の海は岩が多く水深が深いため尖底の福船が作られたそうだ。福建で使われたから福船というらしい。
一方、北方の海は砂で水深が浅いため、底が平たいジャンク船が作られたそうだ。
他にも廣船と言って広東で作られた船があるが、福船と同じ物なんだろうか?
>マジレスするなら第二次大戦時には戦争法規が定められてるので捕虜を保護するのは至極当然
マジレスすると、朝日新聞系文化人が現行憲法は米に強制されていないと言い張るのは、
ハーグ陸戦条約で、占領軍が法改正することを明確に禁じているから。
だからハーグ陸戦条約は誰も守らない条約として広く知られている。
元はインドネシアにも軍隊を2〜3万人、派遣している。
海軍力半端ない。
南宋滅亡後なら、南宋が持ってた海軍力手に入れたわけだからね
モンゴル人「なんでこんなに島国のものどもが強いのよ!
いや、いくら強かろうが、大草原でなら、
我らモンゴル騎兵は無双できたのに……
漢人や高麗人は役立たずだし」
武士団連中「大草原なんてものは日本にはねえよw
島国日本をなめるなよwww」
モンゴル軍が広大な版図を広げた過程で山岳戦や市街戦もあったろ
単に大軍団で攻められたなかっただけ
もし地続きなら20万でも30万でも繰り出して来たわな
>>431 GHQが日本国憲法を押し付けたのにね
ケンポー9はシゲルの発案かもしれないけど
また
タリバーンされたケンポー9信者が死んだらしいな
>>436 弘安の役の後にもう民が疲弊してるから止めてよ〜って奏上されてるから
14万の犠牲はきつかったんじゃないかな
造船の方の負担もかなりあったみたいだけど
2000年代以降プロデビューの刀剣漫画家・刀剣漫画原作者「たかぎ七彦」
https://www.touken-world.jp/tips/24502/ 刀剣ワールドってサイトみてたらアンゴルモア作者の頁があったw
>>439 そんなヌルいこと言ってたらあれだけの版図拡大なんかできんよ
勝てば奪えるんだから
>>442 勝てば奪えるけど、勝てない戦に大量にチップ賭けたら大損じゃん?
>>444 だから地続きだったら負けてたよね、って話
フビライは第三次遠征計画してたけと海がある以上たぶん何度やっても無理だったろね
>>445 地続きなら向うは物量戦ができるから日本は負けたかもね
元軍1000人、日本軍100騎500人なら互角だけど
元軍はヨーロッパまで徴用ができるから兵を無尽に補充できる
そういうことが言いたいのでしょ?
さすがにそんな遠方からは無理だろw
14万の大軍が地に足をつけて後方からの補給に支えられてたらとても対抗できんわな
まあ最初からそんな地勢なら、執権も使者殺しどころか無血開城したデショ
ゲーム脳人に何と何はどっちが強い?
と聞くのが流行ってるよね
ゲーム機のなかで鎌倉と元を戦わせたいらしい
これはもうゲームスレに行けとしか
中国は造船技術も航海術もあったのに、なんでスペイン、ポルトガルみたいに海から世界制覇しなかったかな。
中華主義によるものか、それとも富とは金か米かという考え方の違いだろうか。
西洋に比べて東洋の経済規模があまりに大きく、遠くまで出ていこうという気にならなかったのかもしれん。
民族的な差じゃね
アジアではネジが発明できなかったように
東西で何か差があった
明の鄭和の大航海は有名だろう
羅針盤もあったわけだし、西洋よりも先に大航海時代の幕は開いたが、鎖国というか海禁政策取ったんだよな
華夷思想からスタートしてるから朝貢に来やしない遠い蛮夷をわざわざ征服に行かない
>>450 強いて言うなら、自分の土俵に持ち込んだ方が有利としか言えんわな
戦術も地の利も得意分野も違うものを、数値スペックだけ提示して優劣付けろと言われても
デカい剣持ってるから強い、強い弓使ってるから強い、
盾持ってるから強い、鋼鉄の板金鎧着てるから強いとか、そんな単純な話じゃない
そもそも元軍に補給という観念はないよ。
弘安の役の際も東路軍は3ヵ月分の兵糧を用意して
戦いに臨んでいる。
だいたい江南軍と東路軍が合流してまとめに橋頭堡を
確保出来ない軍勢が日本に勝つことなど不可能。
江南軍に至っては、元史に日本に到着してから
1ヵ月も躊躇して進軍出来なかった。
陸続きの志賀島の戦いで、元軍の精鋭部隊の
蒙漢軍が大敗している以上は旧南宋兵が多い
江南軍が陸戦をしてもとても良い戦果は出せない
だろう。
それを江南軍は分かっていたからこそ日本軍と
陸上で戦うことを躊躇していた。
指揮次第じゃないの?
南宋側に名将がいればもう少し善戦できたんじゃね?
お前等が全然漫画の話しないから、更新を忘れてしまうw
我こそはぁ〜!!
トロトロしか進まなくて一向に戦わないしな。
やるやる詐欺みたいな状況だしそらつまらんわ。
賽を投げもしなきものに賽の目は味方しない、ちよっとウルッときたぞ
買わなきゃ当たらないで買わされて結局少額しか残らない宝くじ
クリティカル狙えるだけの勝負勘か、ダイスに細工するしたたかさがないのなら、
ダイスを振っちゃいかん
ゴブスレさんはダイスを振らないというよりも細工するタイプ
古代〜現代の国別GDP推移
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm2272334 これ見ると昔の各国の経済規模が分かる。
南宋を落としたフビライはやるな。
南宋というか宋の軍事力の弱さは歴代でも際立ってるからな
それでも岳飛やら韓世忠やら張世傑やらは出るには出るんだが
南宋、南宋って言うけど、領土が減っていこうが、
当事者はあくまで「大宋帝国」だと思ってたんだからね!
まあ、帝都コンスタンティノープルと少しの領土を残すだけになった東ローマが、
「ローマ帝国」だと言い続けてるのと同じ寂しさがあるけど……
>>465 >南宋というか宋の軍事力の弱さは歴代でも際立ってるからな
↓みたいに金の力で平和を買ってたぐらいだしね……
> 1004年、北方の遼が南下したが、
>真宗は遼に対して毎年財貨を贈ることで和睦した(澶淵の盟)。
>また遼の侵攻と同時に西の西夏が宋に反旗を翻していたが、
>こちらも1044年、財貨を贈ることで和睦した(慶暦の和約)。
>>466 まあ・・・朝貢してくる国はみんな自分の領土って認識だしなw
日本も含めて果てはアフリカまでみんな宋に朝貢してくる従属国って認識w
やってる事は押しかけてって採算割れの貿易してるだけなんだが・・・
>>464 流石のモンゴルも力押じゃ秦嶺・淮河線は越えられなかった
南宋政権が腐敗しきっていたお陰やね
文永の役はかなり攻め込まれるだろ
博多奪われて後退するんだし
また船で逃げられると面倒だから、一度上陸させちゃおうぜwという。
>>472 砲撃メインならともかく、歩兵メインの戦いなら上陸してからが恐怖の始まりだしなw
まさか攻め込まれると思ってなかったから一族が蒙古に連れ去られたとか多くの悲劇が待ってるやん
>>467 そこがスペイン、ポルトガルとの違いだね。
スペイン、ポルトガルに比べると中華思想がまともに思えるから困るw
思想もあれだけどヨーロッパの国は基本貧乏だから欲が深い
>>471 >>472 その当たりはよくわかってないんじゃなかったっけ
博多の被害は詳しくは不明で、
鎌倉武士が博多先に略奪したってのは本当かわからないと
元寇防塁で戦ったのなら博多の町は敵に落ちてるでしょ
元寇防塁で戦った事実はないよ。
それに博多が元軍に占領された証拠も
焼けた跡も出てこないという。
つまりどうみても元軍は博多の町まで
来ていない。
でもかなり内陸に侵入されて妻子を拉致られたとかあるんでしょ?
ほとんどの武士が領地から急いで出張して来てるのにわざわざ妻子連れてくんの?ってのもあって
想像で語ると陣中に居た後方支援要員?近くの領民?が捕虜になったとも取れるけど
どこに陣をひいたか明記されてないんだよね
北九州一帯の在郷武士が被害に遭ったんじゃね?
勝っても妻子を拐われたとか
海のも屑で行方知れずとか悲惨だわな
土地の次ぐらいに跡継ぎを最重要視してたけど、
子供が居なきゃガンガン養子取ってたから
血の繋がりはあれば好ましいぐらいで余り重視されてなかったんかね?
その話の元ってなんだっけ?
八幡愚童訓は神の霊験について語ってる宗教本だから
鵜呑みにはできないんじゃねって見方も今はあるみたいだけど
前々から思っていたんだけれど元寇とか鎌倉武士に関するコピペ
とかってどれが根拠になっているんだろう
そしてその根拠はどれぐらいの信頼性があるのだろうか
あと元寇の被害の実態とか
タイムマシンねーから余程のトンデモ以外はノーと言いきれんから
永遠に殴りあうことができるんやぞ
>>487
鎌倉武士に関するコピペ の意味は分からんけど
元寇の資料はなぜだかたくさんあるから どんな史料に載ってる数字でも「盛ってるでしょ」で片付けるひといるからな
>>487 元寇や鎌倉武士に関するコピペ沢山あるからなあ…どれだろう
よく見かける元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究)のことならかなり怪しい
初出調べたらなんJのスレだったけど、
スレ主がソースと言ってた本読んでもそんなこと書いてなかったり
>>489 「鎌倉武士に関するコピペ」ってのは男衾三郎絵巻が多分出典の
武士ならば殺しまくれ云々、坊主を弓矢の的にしろ云々とか、
御成敗式目とかの一人旅の女云々、鎌倉蛮族云々みたいな
ネットのやり取りです。
そういったやり取りがどういった根拠で、どれだけの件数で
どれぐらいの信頼性があるのか気になっているものなので。
>>492 「増鏡」とかそこらに載ってるとかさらりと言ってたな
大学行って文学でも専攻すれば古典なんて数知れてるからあるだけ全部読めるでしょ
いまどきの小説で100冊の分量よりも少ないのじゃないか?
ソースが書かれてて、そのソースにも同じことが書いてあるなら
ある程度の信ぴょう性はあるだろうけど、
ソースがない、また歴史資料と矛盾していることをもっともらしく書いたり、
ソースを出してるけど確かめたらそんなこと書いてなかったりすることも多いからなあ
それにソースにあるものでも、八幡愚童訓が宗教的な意図があるの前提に読む必要があるように
歴史資料でも鵜呑みにはできなかったり、
本だと同じことでも学者によって言ってること違ってたりする
>>487 元寇に関するコピペ、はどれだろう
鎌倉武士に関するコピペの中でも元寇関連はかなり怪しいものがあって
しかもそれがコピペされまくったり信じた人が語ったりしてる印象ある
>>495 自分で読んだらいいじゃない
一級資料なんて原稿用紙で1万枚もないぞ
日本、元、高麗その全ての史料と矛盾することが
本当のように広まってたりするからなあ
アンゴルモアのスレやまとめでも何度か見たけど、
元寇の原因を日本が使者斬ったからだって勘違いとか
嘘でも繰り返すと本当のように広まるものなんだなあ
あれって使者って言うより
スパイとか斥候に近い感じなんでしょ?
そりゃあ斬られちゃうよね
>>499 使者が偵察してたのは事実(日本側も把握してたし帰った後にフビライに報告もしてる)だけど、
使者斬ったのが原因って誤解は、使者の性質以前に
元寇の前に日本が使者斬ったなんて事実はないから、
ありもしないことが原因だと主張しているという意味不明なことになってる
一回目の元寇の後には二回斬られてるけど、
この使者のことなら元寇の後に使者が殺されたのが元寇の原因、
というそれはそれで意味不明なことになるし
記録に沿って描写するって凄いなあ
こんな細かく記録されてるのか
まー個人の自伝(自費出版)なんで信憑性はどこまでって記録ではあるけれど
少なくともこんな記録が残されたって事実はある訳だね
実際に現地に居たのが確実と思われる人の
ないものをあるように言って話をどっかに誘導していない?
そういう手口はもう通用しないよ
使者を切ったなんてのは開戦ののろしのようなもんだよ
>>495 「元寇に関するコピペ」は
>>491の人が紹介している
元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究)の事です。
蒙古襲来絵詞の有名な絵あるじゃん。
季長の馬が弓で射られてるやつ。
一本は馬の左足の付け根に刺さってるけど、
もう一本は季長の足(膝のあたり)に刺さってるのか、それとも馬の腹に刺さってるのか。
馬の腹に刺さってるとしたら鎧直垂と下鞍か障泥を貫通してる事になるのだが、それは無理があるような。
ロングボウも運動エネルギーと重力加速度で騎士の鎧貫通するど。
蒙古のはそれ以上だからイケるイケる。
>>504 そもそも開戦前に使者切られてないんだよね
開戦して文永の役が終わって、その翌年の使者が切られた
>>505 それも6回も使者が切られたとか和平(休戦の使者が切られた)とか
使者の回数や時期と整合性がないこと言ってるからやっぱり怪しかったな
>>506 馬が暴れてるようにも見えるけど、あれは怪我のせいか、
てつはうの音のせいかどっちなんだろうね
てつはうには馬相手の音響兵器説もあるけど
文永の役前に使者斬った(誤解)は、
だから元寇は侵略じゃない、日本が悪いという結論に
強引に持って行ってるのも何度か見たな
教師や塾でまで日本が先に使者斬ったと
教わることもあるのかそういう体験談も見かけた
最近は歴史の本にまで載ってるとか
単なるネットの怪しい書き込み以上に広まってるらしいね
>>499 六回目の使者の趙良弼って人がかなり偵察してたけど、
(よく見かける日本人は獰猛で礼や孝行を知らない〜ってコピペの人)
その人は殺されてないから、戦争前なら偵察してただけでは殺さなかったんじゃないかな
文永の役の後に殺された杜世忠は、侵略と虐殺のあった文永の役のその翌年に送られてるからなあ
なんでも日本悪いにしたい勢力でしょ
高麗が倭寇報復のために元をかついだ説が主流だったのが最新の研究では日本悪いになってるのか
ほかの最新の研究では日本が南宋と交易したからというのもあった
ともかく倭寇説をなかったことにしたいらしい
司馬が書いていたせいか前世紀なら、金閣寺を放火したのは朝鮮人というのは常識だったが
今じゃ綺麗に消されてるしな
司馬は朝鮮人に同情的だったが、自分が死んだ後には原稿に手を入れられて「なかったこと」にされるのは
思うところの一つもあるんじゃないだろうかと
>>510 馬が助かったのか死んだのか気になる。
次の絵で同じ馬と思われるのがが横たわっているが。
神よ赦したまえと言いながらサクサク殺る方が主人公らしいよなw
やっと出る
『Ghost of Tsushima』「冥人(くろうど)」トレーラー
>>520 主人公っぽいのがジンで女が弓使いってのは本作の影響かな
まぁはやくでてくれ、ゲーム中のヒトもどきやチャンコロを屠殺してやりたい
>>522 史実縛りがあるから対馬では負け確定してるやんけ
>>520 出るのはいいが、具体的に何をするゲームなのか?
ただうろついてそこらの敵をぶった切るだけ?
>>524 順番にレベル上がってラスボス倒したら姫様と結婚できる
ゲームの王道
舞台は対馬だけなのかな
文永の役なら九州までいって九州武士に加勢して無双したい
ゴーストとあるけど生き残りってことは幽霊ってわけでもないのか
最初ホラゲかと思った
>>527 弘安の役でも対馬は占領されてるから大丈夫ですよ。幽霊のように神出鬼没てことか?
>>533 折角だから、絵巻まんまってのは
良い選択だと思った
臨場感が沸く
菊池のは、訳わからん流れだった
うん。絵巻まんまは正解だと思う。
絵巻が残ってる合戦っていうと他には前九年とか後三年とかあるよね。
俺もそう思う
この場合ストレートな方が分かりやすくて
次週はきっとこれだ
合戦絵巻を見ると緑色の鎧がたくさん描かれているが、
実物だと緑色の鎧って残ってないよな。
実物で残ってるやつだと、赤・紫・青・白か。
なんでだろ?
化学成分的に、残りやすい色とそうでない色があるんじゃないかな
萌葱や浅葱の縅があるらしいな
大三島の宝物館では赤も紫も紺もぱっと見わからなくなってたからそういうもんなんだろ
>>537 重装弓騎兵による密集突撃w
戦車かよw
こんなんに突撃されたら悪夢だなw
>>536 よろい武者の腰につけてる牛の鼻輪みたいな白いわっかはなんだろ?
>>544-545 おお、すばらしい。なぜにこうもすばやく返ってくるのだろう
長年の疑問が解けたよ
博識すぎて草w
よくまあそんなことまで知ってるわw
>>537 これよく見ると、弓を射っているのは前の方だけだよな。
後の方は味方が邪魔で射る事ができないのか?
という事は基本直射で曲射はやらなかったのかな。
>>551 すでに射た連中が矢筒から矢を取って番えてる間に、他の連中が前に出ただけじゃね。
一斉射するわけじゃないし。
矢の射程は日本の方が上。
当然曲射しただろう。
でも、モンゴル側は弓に毒塗ってたらしい。
当時の和弓は飛距離出ないよ
矢も重いし、近距離から直射して鎧を貫くのに特化してる
弓に毒塗っても射手がうっかりミスで死んでしまう事が起きるだけで攻撃力は変わらないような、と無粋なツッコミ
武田氏が使ってたエゲツナイ鏃はまだこの時代には無いのかな
筑波大学体育科学系教授・森俊男によると和弓と蒙古弓を比較した場合、日本の弓の方が射程距離、威力は優っているとしている。まず、矢の比較だが、和弓と蒙古弓とも矢の長さは80〜90cmとほぼ同じ長さである。
しかし、日本の矢は竹製の矢柄を材料として、それを火で焼き、まっすぐに矯めると同時に矢柄の硬度を高め、竹の肉厚が均一になるよう削って作られている。そのため、矢の重量や重心位置が一定となる。
また、「箆張り(のばり)」といわれる、矢の中央部を押した時の反発力が、蒙古軍の使用する矢よりも強い。でき上がった矢柄に鷲・鷹類の羽が3枚付けられ、鉄製の鏃を矢先に差し込んで戦闘用の矢(征矢)となる。
一方、蒙古弓の矢は日本の矢のような複雑な製作過程はなく、矢は木を削って作られた。矢の飛行を安定させるため、飛行中に矢が回転するように3枚の羽が付けられている。
矢を同じように発射した場合、使用する矢の重量、重心位置、箆張りなどの規格が均一でなければ、矢の着点や飛行状態は異なってくる。着点は命中と密接な関係があり、その飛行状態は矢が命中した際の威力の大小に関係する。
これらの理由により、森俊男は日本の矢の方が性能は良かったと指摘している。
次に弦の比較であるが、日本の弦は麻を材料とし、それを縒り合わせて松脂(まつやに)を染み込ませ、絹糸を全体に巻き締めて、その上に漆を塗って作られている。現在、通常使用されている弦の重さは二匁(7.5g)くらいである。
糸を巻いて漆を塗り、重さが3倍になったとしても22.3gである。一方、蒙古弓の弦は動物の皮を使用し、重さは46gと日本の弦の2倍以上の重さがあった。
したがって、矢が発射され弦が復元する過程では、弦の重さや空気抵抗などから、同じ強さの弓だとしても、矢の速度に差が生じるため、日本の弦の方が性能が優っているとしている。
鏃および矢柄の重量は発射される矢の飛行速度に大きく関係するが、両軍の使用する矢の重量はほとんど差はなかった。矢の速射性に関しても、引く矢の長さが同じため、運動量も同じであり、差はなかったものとみられる。
以上の点から射程距離、威力に関しては和弓が若干優位であったと森俊男は結論付けている[425]。
なお、和弓と蒙古弓についてそれぞれ言及されている史料もあり、日本側の史料『八幡愚童訓』によると「蒙古か矢、みしかしといへとも、矢のねに毒をぬりたれは、ちともあたる処、とくに氣にまく…」とあり、[178]、
一方、元側の史料の『汎海小録』によれば和弓ついて「弓(和弓)は木によって作られ、矢は長いが遠くには届かない」[163]とある。
http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/%8C%B3%9B%84/80/ たぶん和田義盛だと思うけど、檀ノ浦で二町三町(200m〜300m)先の相手に
次々と矢を当てるスナイパーみたいな奴も居たみたいよ。
>>537 この絵を見ると重騎兵だけだよな。
白石勢の軽騎兵は別で行動していたんだろうか?
鎧は腹巻きで兜が無くて泥障が無い軽装の騎兵。
よくよく考えてみると重騎兵がこんなに密集してるのって違和感あるね。
他の合戦絵詞だと重騎兵と軽騎兵と歩兵がごっちゃになってるし、
重騎兵だけのがあってもこんなに密集してないし。
白石通泰は重騎兵、軽騎兵、歩兵と兵科ごとにわけて組織的に軍を運用していたのではないか?
よくよく考えてみると重騎兵がこんなに密集してるのって違和感あるね。
他の合戦絵詞だと重騎兵と軽騎兵と歩兵がごっちゃになってるし、
重騎兵だけのがあってもこんなに密集してないし。
白石通泰は重騎兵、軽騎兵、歩兵と兵科ごとにわけて組織的に軍を運用していたのではないか?
あくまで物語的な絵だからねぇ。
現実そのままを描写したものでも、それを目的にした絵でもないからしゃーない。
>>562 それ盛ってるだろ
現代の精密弓でも無理じゃね
いわゆる六韜みたいな兵法テキストみたいなのは無かったのかねぇ
>>566 そうそう
昔の絵は写実的にそのまま描いてるとは限らない
戦争の絵なんかは、一枚の絵に複数の場面や場所を同時に収めて、
その戦の印象的だった部分をまとめてる例も多い
有名なナポレオンのこの絵↓だって、
馬が美化されてるし、
ナポレオンも男前に改変されてるんだよね
>>568 孫子あたりは曹操編集後の豆本読んでるだろ
>>569 >>571 いや日本国内で編纂された兵法書とかさ
具体的な用兵術を書き残してなかったのかな
軍学や兵学は江戸時代の浪人くずれの商売だったからなあ
それ以前も太平記や将門記あたりで学んだ気になってたという…
六韜三略くらいは坊主が仕入れたの読んだりしてた戦国武将はいたろうが
国産のものは…鬼一法眼とか信頼できるとも思えんが
ということは当時の具体的な用兵術って各家で各々相伝してたんかね
相当に差異とか出そうだけど
家康の昔からの家臣が出奔した瞬間に
編成からなにから役に立たなくなるから変えてた位だから
カードゲームのデッキみたいなもん
>>565 >一人の騎馬武者につき、3人の奉公人が付く計算です。
>この奉公人が何をしているのかというと、
>槍を持って騎馬武者の周辺に立ち
>騎馬の足を薙刀(なぎなた)で狙ってくる
>足軽を追い払う役割なのです。
>馬は脚が傷つけば走れないので、
>それを守る為に奉公人はいたのですね。
騎歩別の主従含めた1ユニットの部隊編成が普通だったわけで、
兵種別にまとめる形はなかなか大変たったんじゃないの?
元寇では異例なそれをやった場合もあったから、
元側の資料にわざわざ >騎兵は結束す。
って残してるんだろうし
そこらは状況に応じて騎兵のみで機動戦やったり歩兵と連携したりしてたんでしょ
そこらは現代戦でも同じな訳で
半分ネタバレかもしれんが、この後公式には戦功認定ハネられて恩賞無しになるからな
下手に活躍させると経資殿がボンクラになってしまう
いや、この作者
物語構成が、ホント下手くそ
盛り上がりかけているのに、何故か全部鎮火させてしまう
単行本でまとめて読むとまた違った印象になるんかねえ
>>576 重騎兵と歩兵の役割は分かったが、
胴丸で兜なし泥障なしの軽騎兵の役割はどういったものだったんだろうか?
機動力を生かして遊撃などを行ったのかもしれん。
もっとも、もし白石勢が兵種別に運用していたとしても、それはせいぜい家ごとの100人程度であり、
万単位で兵種別に運用していたモンゴル軍に比べれば程遠い。
集団戦か一騎討ちかという対比は大袈裟すぎるが、当たらずとも遠からずといった感じだろうか。
>>578 文永の役での竹崎の活躍はここで終わりだね。
しかし、あっさり終わらせたなぁ。
まさか元兵の目を射ぬいたシーンを数コマで流すとは思わなかった。
騎射で相手の目を射抜くなんて達人級の武人にしか出来ない芸当なのにねぇ。
絵巻の逃げる元兵のシーンも無かったし、正直肩透かしの感はあった。
目を狙ってその通り射抜いたのなら素晴らしい技量だと思うが
あれは反射的に撃ってたまたま顔しかも目に当たっただけではないかね
>>587 仮に目を狙ったなかったとしても、反射的に顔を狙って射った、って所じゃないの。
さすがに反射的に狙いも定めず射ったなんてのは先駆けをしている以上、いつでも遭遇した敵を討つ心構えは既にしていただろうしそれはないだろ。
すまん久しぶりにきたんだが姫ってどうなった?
迅が船乗って以降見れてないんだが
>>582 博多編は資料史実で進めてるでしょ
下手かうまいか分からんよ
こんなとこで描いてるから下手なんだろうけど
当時の元軍の弓はコンポジットボウで
馬上特化のもんを基本装備にしてただけで
馬の尾の毛使ってるから弦の重量はかなり軽いし
そもそも元の一部だったトルコ弓なんて
当時でも射程500メートル軽く超えてるんだ
森って人は物理学の先生でも歴史の先生でもないからイメージでしか話をしてない
>>593 だだっ広い平原でモンゴル弓騎兵と戦ったらそら勝てんわな
延々と矢の雨を浴びせられるだけか
イギリスの長弓はフランスの弓に比べて優位だったらしいので、
その長弓に威力で優位とされる
日本の弓の方が優位だった可能性が高いよ。
乾燥した環境で使うモンゴル弓は日本の環境に合わなかったのでは。
>>596 さすがにそんな短期間で弓が劣化するこたないでそ
単に日本の狭い戦場では長射程と機動力を組み合わせた優位性が発揮できなかっただけかと
>>598 コンポジットボウは日本で発達しなかったのは
素材の動物性の接着剤とかが、湿度でやられるからじゃないかとおもう。
イギリスも海洋国家だけど長弓で単一素材なんだよね。
あと、フランスの弓を圧倒してる。
>>599 運用の違いも大きいと思う
日本の弓の進化はガラパゴスで、近距離からの直射で重鎧を貫通させる事に特化してる
和弓の大きさは矢振れを少なくし、矢の重さと相まって貫通性能が高い
逆に遠くに飛ばすには向いてない作りになっている
まあ元寇以降、つまり室町時代辺りからは改良されて飛距離も出るようになったけど
森某は弓道を愛するあまり
日本マンセー意見を捏造してるようにしか見えん
短弓は雨に濡れると劣化するってツイッターに書いてあったけど本当かな?
そこに、朝鮮軍の持つ弓が雨に濡れて使い物にならなくなったって書いてあったけど。
大陸でも降雨はあるんだし
なんらかの対処法はあるだろ
後の時代だと鉄砲を油紙に包むとかあるし
>>602 こういうのがあんのよ。
サボタージュの言い訳なんだけど、言い訳にできる程度には常識だったってこと。(この直後にクーデター起こす)
威化島回軍
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A8%81%E5%8C%96%E5%B3%B6%E5%9B%9E%E8%BB%8D >1388年2月、元を倒して政権を確立した明の洪武帝は、高麗に対して元代に得た旧領を返還するように要求してきた。
>これに対し、親元派が主流であった高麗朝廷は議論の末、崔瑩を総司令官とする攻伐軍の遼東派遣を決定し、
>曹敏修と李成桂を左右都統使に任命した。この派兵に対して、李成桂は「四不可論」を掲げて反対を表明していた。
>『高麗史』によれば、「四不可論」の内容は「今者、師(軍のこと)を出すに、四つの不可あり。小(高麗)を以て
>大(明)に逆うは、一の不可なり。夏月に兵を発するは、二の不可なり。国を挙げて遠征せば、倭(日本)はその虚に乗ぜん、
>三の不可なり。時方に暑雨し、弓弩の膠は解け、大軍は疾疫せん、四の不可なり」というものであった。
ナショナルジオグラフィック放送の「武士道と弓矢」
和弓がイギリスのロングボウより貫通力が優れているとしているね。
和弓が距離より威力を重視していることは
モンゴル軍の矢で負傷した武士の竹崎季長や
その郎党、福田兼重などが数本の矢を受けても
死んでいないことでもわかる。
威力に富んだ和弓に対和弓として発達した日本の鎧が
モンゴル軍の貫通力の弱い矢に有効だったということだと思う。
対してモンゴル軍は博多の初戦で副司令官の劉復亨が
和弓に射倒され、船に担ぎ込まれている。
和弓はモンゴル軍には非常に厄介な存在だったのでは
ないかな。
まぁ元軍の弓兵に使われた毒矢が何の毒なのかはわからないけど
少なくとも相手を戦闘不能にさせるための毒なんだから弱毒なわけがない
有名な絵巻でも竹崎季長に矢が鎧に突き立ってるし矢が飛び交う乱戦の中で
矢を受けても日本軍はピンピンしながら我こそはと武功を稼いでるわけだし
元軍の矢は貫通力にかけ完全武装の日本兵の鎧は貫通できなかったってことだよな
皮膚を傷つけるには至らなかったってことだから
元軍の弓はたいして日本軍の中枢たる重装騎兵の御家人勢には脅威ではなかったのは想像つく
まぁ鎧の隙間に運悪く当たってしまったり軽装兵の奉公人は知らん
で日本兵の弓はそれに対して本来奇襲を受けるようなことがなければ弓傷で戦線離脱することが少ない階級にあるはずの
万単位の兵を指揮する将軍級があっさり弓撃で戦線から離れざるを得ないほどの重傷を負った元軍
時と場合によって状況は変化するし地平線が見える見晴らしのいい大陸の大荒野で戦争するなら一方的に弓撃ができる射程距離の長いほうが有利だろうけど
全国各所に大小さまざまな森林があって急峻な山に囲まれ死角も多く敵に接近しやすい日本ならではの地形では射程距離よりも貫通力重視な日本弓の方が有利だとは思う
弓矢食らってる記録は沢山あるから
鎌倉武士にもモンゴル弓は普通に通ってる
無双したわけじゃねぇよ
毒矢もモンゴル軍が一般的に使用していたとも
思えない。
史料からモンゴル軍の矢を受けて毒にかかった武士は
確認できない。竹崎季長も福田兼重も河野通有など
有名どころの武士も矢を浴びたが、毒矢にかかった
形跡がない。
毒矢の記事があるのは八幡愚童訓にしか無いし
毒は維持管理が難しい代物で大量に用意できる
物ではない。
八幡愚童訓が異国の脅威を強調したいがために
付け足したかもしくは一部のモンゴル兵が使用
していただけと考えた方が良さそう。
短弓は弓袋に入れて移動するけど、これは雨への対策なのかな。
全天候型の武器ってわけでもなさそうだね。
河野通有の子孫?(諸氏末裔)が河野太郎防衛大臣なのは因縁を感じる
>>566 俺は絵巻は正確に描かれてるんじゃないかと思うよ。
https://mobile.twitter.com/sakone_shogen/status/1208037590923763713 大鎧姿での歩射。太刀や腰刀、兜に袖、そして鳩尾の板があるので弓を引くのも中々難しい。
特に太刀の柄に弦を引っ掛けない様にするのに結構難儀する。
上手く引ける姿勢を求める内、やはり以前胴丸でした時と同じく絵巻物と同じ様な姿勢になった。
やっぱ絵巻って割と忠実なのね。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
習俗は正しいと思うけど
戦術はどうかなあ
見栄えするように描いてると思うが
そもそも有名な一枚絵ですら
俺戦果上げてないけど先駆けしたんだから!
苦戦したのはこれこれこういう理由で!
って説明して先駆け恩賞貰う為に盛りながら説明しつつ描かせた絵だしな…
そもそもリアルタイムでスケッチしてたわけでもなかろうしな
例えば、蒙古襲来絵詞の竹崎季長が河野通有の屋敷訪問場面で、絵師が河野の屋敷に妻戸を書いてしまったのを
、わざわざ竹崎は「奧の妻戸は本来なかった」と注釈を入れている。
竹崎がこのような細かいところにまでリアルを求めていたことは注目に値する。
また、晩年の作品でありながら、竹崎がかなり鮮明に
当時を覚えていた何よりの証拠。
蒙古襲来絵詞ほど元寇の信頼のおける史料は他にない。
>>618 そらあれほどの戦いだから鮮明に覚えてるわな
軽いトラウマになるだろし
扉のある無し覚えてるくらいだから
命がけの戦闘中に周囲全てに目を配って細かいことまで正確に覚えてないわけないよな
それどころか命がかかるので周囲がスローモーションにすら見えてるかも
そういえば昔事故で大怪我したことあるけど、
その瞬間のは本当に感覚がスローモーションみたいな感じで、
十年以上経つ今でも今でもその時の記憶が鮮明に残ってるな
>>621 あれ研究によるとゆっくり見えるんじゃなくて
コマが数秒とんでキンクリされてるだけなんだってさ
つまり格闘技で使うと見えるけど
次の瞬間食らっとるという役にたたんやつ
>>618 それ凄いな
かなり几帳面な性格だったのだろう
出来る限り忠実に当時の出来事を再現しようと心血注いでたのが判るね
それが供養になると信じて
>>624 いやいずれにせよ脳裏に深く刻み込まれるってこと
武士にすれば戦はお祭りの稼ぎ時
元寇なんて一生に一度のものが二度も来たから大喜び。報奨も薄いしで糠喜びだったけど
文永の役は個人戦の色が強いのでよく覚えているだろう
竹崎季長にとっては人生の転機だしね
おかあさんも安心したろうか
>>627 勝てたからそう言えるだけだろ
全滅した対馬や壹岐は地獄
>>624 どういう研究なのか知らんけど
俺は事故にあって路上に投げ出されたとき、受け身をとりながら前方の視界を確認した後
後ろから車がきているのか確認したかったのに、なかなか後方を確認できなくてイライラした。
モノを考える時間は充分にあるのに、手足は水の中を歩くような感じでゆっくりとしか動かない。
んな感じ。
元寇から160年後の1440年に起こった結城合戦を描いた結城合戦絵詞というものがある。
1490年くらいに作られたようだが、よく見ると大鎧姿の武者や大鎧を着た弓騎兵が描かれてる。
本やネットには大鎧や弓騎兵は南北朝時代からだんだん廃れ、徒歩戦集団戦に移行すると書いてあったりするが、
実際には応仁の乱以前までは平安以来の大鎧や弓騎兵というスタイルが続いていたのではないかな。
時代背景からすると食い詰めた大量の民が
足軽になったから大鎧なんか持ってなかっただけだよ
そしてそいつらがタイマンだの密集戦闘だのしてもフル装備に勝てないから
人海戦術の塹壕で足止め、高台からの狙撃や投石で減らす、兵糧盗み
寄られたら散のインパラ戦法で追われなかった奴等が生き延びる戦法が確立してしまい
本格的に数の戦闘に移っていく
>>632 それは応仁の乱とその後の話かな?
応仁の乱が始まる前はどうだったのかな?
あけおめ。
今日更新されているのに誰もいないのかな?
ことよろ!
主人公の活躍がないまま博多編も一周年…
と思ってたら、何する気だ迅ちゃん
迅さんまだ船の上ということはこの間出てきた迅ぽいやつはいったい誰だ?
迅はでかいんだな
急にでかくなったような気もするけど
>>630 わかる。俺も事故のとき左から車出てきて右ににげないとーでもまにあわねーって感じでゆっくりぶつかった感じ
まんこミサイル
お爺ちゃんミサイル
運転するミサイルだらけ
ロックオンかよww
ハンドル回避どころかブレーキすら踏まないミサイルだからな
だが
誰もいない交差点では急にブレーキ踏み壁になる
全力で衝突させようとしてる運転だわ
マジで運転免許与えないで欲しいわ
結城合戦絵詞
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2540903 拡大したり、スクロールして見ることができる。
絵巻が作られたのは合戦から50年後で当事者がまだ生きてるから、信頼できる情報だと思う。
大鎧着用率が高いのが気になる。
室町時代中期までは大鎧が主流だったのかな。
>>644 戦後60年くらいの左翼自演番組で
南京に兵隊として行ってて虐殺を見たと言ってた左翼オッサンはどこの部隊にも所属してない当時は小学生くらいの換算
こんな証言が戦後60年では左翼自演番組とは言え放送されてるからな50年はあまり信用出来ないな
それ年数の問題ではないのでは
いくら50年経ってても戦争に言ってないのに言ったと勘違いすることは普通ないし
去年NHKで放送された大和
字幕が間違えていないなら、証言した爺さんは16か17で軍医として
大和に乗艦していたことになるんだが…
そんな歳で医者だと言われてもなぁ
謎なんだけどそういうのって事前にスタッフがチェックしないもんなんだろうか
>>650 負けている戦争の末期には促成の〇〇というのは珍しいことじゃない
十代後半の医者が当時の日本で実在したかどうかは知らないけど
>>652 負けて苦しい時期ってことは人材も不足してるってことだからな…
平時なら2・3年の長く厳しい訓練の末にようやく育成できる優秀なパイロットも
敗戦時には3・4か月の簡単な訓練しか積んでいない未熟なパイロットを戦場に送り出すこともある
物資も枯渇・財源も枯渇・人材も枯渇
あるのは未熟な兵士ばかり
旧日本軍は無能な指揮官・平凡な将校・優秀な兵士とはいうけど実際は兵隊が優秀だったのは戦中前期ぐらいなものでしょ
パイロットと違い軍医はシステム的に十代は無理だって
捏造だよ
>>656 いくら困っても高校生に兵隊はやらさんよ。
>>658 厨房ですがなにか?
当時は旧制消防か
>>660 海軍なら17歳で志願可能
10代後半の兵士は日本だけでなくアメリカ軍にもいた
>>657 数日前にBSでやってたから、
何度も見てるのに思わず最後まで見てしまったわw
仲間たちが必死になって助けようとしても結局助からないってのは、
ブラックホークダウンでの同様の場面もそうだが、
やっぱりきついなあ
>>662 本人が腹を撃たれて死ぬシーンがきつい
生々しすぎる
>>664 いやあれは鉄血勤皇隊の少年兵
でも海軍なら17で志願して出征できる
有名な坂井三郎も17で戦艦に乗ってた
【歴史】「元寇」はなぜ失敗した? 神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか=中国 ★4
http://2chb.net/r/newsplus/1578298368/ 元寇スレ立ってた
結構盛り上がってる
結城合戦の頃の大鎧。
このような鎧は当時どの程度使われていたんだろうか。
ちなみにこの鎧は今月から東京で展示される。
https://www.hotel-nagata.co.jp/2014/02/17/13389 室町幕府6代将軍の足利義教が着用していた鎧です。応仁元年(1467)年の仮遷宮の際、8代将軍義政が奉納しました。
重要文化財に指定されています。
>>669 浮張がついたからかな?
なぎなたで頭ぶん殴られたら痛いもんな。
兜の内側を見てみたいものだな。
鏡で見せてくれないかな。
調べたら昔やったんだな元寇
今の関係じゃ無理だろな
無理じゃないよ
何故か攻められる日本が悪い脚本になるだけで
ほらな? 使者殺しちゃうとこうやって後の時代までずっと引きずんべ?
タブーにはちゃんと先人の経験を元にした理由があるんだっテw
文永の役前の使者は殺してないんだけどね
そしてその後の斬首した使者も丁重に葬ってるの知ってる?日本以外でありえない事だよ
自己漫オナニー史観披露は鹿乃ちゃんの宴会芸だけにしてくれニダw
対馬戦忍カノの話になるとバカウヨが涙ぐむのがワシャ面白うて面白うてのう
>>684 穴が3ツあるから同時に3人いわせる
あ、そういう話じゃない?
最近はもうウリたちもヤリ飽きたから捕虜の対馬民たちと同じ檻に放り込んでるニダ。
「民百姓も守れねえで宗家が聞いて呆れるわ」
「オラの母ちゃんを返せないならお前が代わりじゃ」
「おぶうううお許しくだしゃいましぇぇ」ズコズコ
「おかあの代わりにおっぱいくんろ」チュウチュウ
と言葉で責められながらいつも男共にたかられてて笑えるニダ。
本当に醜くておぞましい性根のミンジョクニダネェ〜w
史実もいいが、やっぱり迅三郎が出てきた方が
フィクションがどう膨らむか、期待感が湧くな
>>677 そもそもそんなタブー本当にあったのか?
当時使者を殺したのは日本だけじゃないし、
モンゴルも殺しこそしてないが文永の役と弘安の役の間の南宋攻略中に
南宋が使者に出した文天祥監禁してるし
>>677 日本が使者殺したから攻められた、だから日本が悪い、
は後の時代までってか近年ネットで突然出てきたもので、
しかも
>>678もいう通り文永の役前の使者は殺してないから完全にデマ
間に受けて日本叩きしてる人もよく見かけるが
>>678 >>666も方のスレ、盛り上がってたとはいえ
一日で十回くらいその間違いが書き込まれてたな
それでも流石に本に取り上げてる学者は見たことないし、
大河の北条時宗だって使者を殺した時期を取り違えて
文永の役の前に使者殺害や批判を持ってきたりはしてなかったから
>>677のはその点でも見当違いだけど
>>698 いや完全に間違いだよ
あっちの記録でも文永の役前の使者が殺された記録なんてないし、
ちゃんと生還が確認できるんだから
史料では殺されたと疑う余地すらない
「世界史の中の蒙古襲来」に詳しく書いてあるよ
元寇関連を知るにはお勧めの本
『サムライ千年やりました』の主人公みたいなのが蒙古に突っかかってたんだろうなw
宮脇さんのはどうも好きになれん
対象に対するリスペクトがないのは良くないよ
宮脇さんが好きになれんなら岡田英弘も好きになれんだろうな
でもモンゴル史においては右に出る人居ないんじゃないかと思うけどね
中央アジアや北宋では、皆殺しみたいなことをやってるんだろ。
肉食のモンゴルは、やり方が残酷。
貿易で交流があった当時の日の本に、情報が伝わらないはずがないわ。
モンゴルの使者が来た時点で、国の総力戦になっただろうね。
>>708 厚遇 www
モンゴルの身分制は、教科書にのってるでしょ。
身分の違いは、絶対的なものだからな。
異民族が、人間扱いされるわけがないだろww
>>711 中世頃の戦争は、皆殺しが当たり前だったんだろ。
住民は、奴隷として売買の対象にされたりした。
虐殺が無くなったのは、近代以降だろ。
鎌倉幕府すら40年ホラかましてた教科書に価値なんかない
70年前もアメリカとの戦争に負けたら
男は全員去勢女は全員レイプって国民脅してた国ネ。
いい国作ろうからいい箱作ろうになった話?
40年も変わったのか、俺の認識とちょっと違うな
元寇の武士の戦い方の認識も随分変わったよな
けどよく考えたらちょうどこの漫画で描かれてる
竹崎季長やそれを助けた武士たちの様子見ても
別に一騎打ちじゃないな
メイン武器が長弓で即スナイプが誉めたたえられるのに
なんで一騎討ちしまくるなんてデマが蔓延したのか
大損害を受けたのは、主力の高麗と南宋なんだろ。
元寇は、大部分が高麗と南宋から徴用された軍隊だったから。
モンゴルに抵抗する勢力は、完全に根絶やしにされたんだろ。
三回目の元寇の準備してる時に、その負担が原因で
旧南宋かどっかで反乱起きてたからどうだろう
どこを区切りにするかってだけの話で教科書否定するのも馬鹿馬鹿しいけどね
元寇前後の得宗体制の確率と権力基盤の強化とそれによる自縄自縛にも目を向けてあげて?
>>719 一騎討ちを申し込むことは一種の挑発であり、乗ってこなければ臆病者の罵って敵の士気を低下させされる
一騎討ちに持ち込んで討ち取れば彼我共に損害が軽微で済む
割りとメリットあるし
>>722 遊牧民族の王朝は、本当に残酷・・
後の清王朝では、弁髪を義務づけて、従わなかったら死罪とかにしたんじゃね?
征服した民族には、絶対服従だからね。
元は従えば緩いよ
従った奴らの権力争いが激しいだけで
元のシステムは基本上がりさえちゃんとしてれば後はお前らがなんとかしろだから
特にフビライは負けた将軍に処罰を与えたりしないしな
元寇で大負けした将軍達も斬首や降格されてないんだぞ
でも高麗への要求はかなり厳しくなかったっけ
元寇なんてはげ山になるくらい木材を造船で消費したとか
船作るのに人とられすぎて畑耕す人まで足りなかったとか
>>727 服属までが長かったからねー
モンゴルが水軍無いのをいいことに宮廷だけ島に引きこもって無駄に粘ってたし
世界史の中の蒙古来襲読んで基礎知識は身に着けてくれ
元寇以外でも内政干渉や人や物の要求はあったようだし
以前ちょっと読んだ高麗史かなんかにその当たりの悲嘆が結構あったような
高麗も3つの高麗があるし、モンゴル帝国にしろ単純に遊牧民族が支配してるわけでもない。
教科書通りのステレオタイプで思い込むと全貌がみえてこなくなるよ。
歴史を知れば朝鮮半島に住んでる奴らの醜さと情けなさがよくわかるよな
盾になってるのは海なのでは
元寇だって別に高麗が盾になったわけじゃないし
むしろ日本に渡海するための造船したのは高麗だし
そもそも、言語が別ものなんでしょ。
高麗と南宋ではまったく違うし、ましてやモンゴルとはまったく違う。
下級扱いの南宋や高麗は、意見しただけで斬首だろうからね。
いや、高麗出身の洪茶丘がフビライに意見したりしてるよ
憶測で言わずちゃんと資料なり読んだりしたら?
フビライが第3次日本遠征を断念したのは部下の漢人の劉宣の言がきっかけ。
実力があれば何人だろうと上に登れるシステムだよ。
鎌倉幕府はなんで朝鮮に攻めなかったかな。
元寇やベトナム侵攻で消耗し、フビライが死んでから元は衰えてたろ。
正規軍を送り込むのでは無く、和寇みたいにゲリラ的に略奪をすれば儲かったんじゃないかな。
政府公認で海賊行為を許す代わりに分け前の5%をよこせとか。
御家人の貧困を救う事ができるし、鎌倉幕府がもうちょっと続いたかもしれない。
>>736 クビライは漢人の言を引用してるし、
元寇の司令官のクドゥンは孫子引用してるし
日本へのクビライの手紙も漢文だから
この時代になるとクビライや将軍クラスは
漢文漢語の読み書きできたんじゃないかな
>>738 よく見るこのコピペの人も高麗や南宋じゃないけど金、女真族の出身で
日本に来た時には秘書監というけっこう偉い文官になってて
元寇反対しても意見は容れられなかったけど処罰もされてなかったりするね
1 :名無しさん@おーぷん:18/10/06(土)22:05:20 ID:Y4y主 ×
一年ほど日本に居た第五回&第六回使節の趙良弼さんの報告より
・獰猛で殺を嗜む
・親孝行を知らない
・上下の礼も知らない
・土地は山水が多くて耕作に利がない
・日本人を得ても役に立たない
・日本の土地を得ても富まない
・舟で海を渡るのも風は不定期で、損害を測ることもできない。
・日本征服なんて有用な民力で底なしの巨大の谷を埋めるようなもの
・結論、(元寇)反対
ここまで言われてなんで攻めてきたんや…
>>737 そういう人も、中にはいただろうね。
ガス抜きのために・・
従順な人を登用して、南宋や高麗を懐柔してたんでしょw
清王朝もだが、モンゴルも強権で支配してたんでしょ。
逆らったら、すぐ斬首だったんじゃないかな。
モンゴルも一枚岩でないし、中国も高麗もそうではない。
複雑な関係があるんだよ。
資料も無しになんで斬首したと言えるのか。
>>739 鎌倉時代の幕府は、武士の代表みたいな感じだったんじゃね?
京都の天皇を中心とした貴族も、厳然と力を持っていたからね。
首都が、京都と鎌倉に2つあったようなもの。
モンゴルや高麗に攻めこむまでの権力は、北条家には無かったんじゃないかな。
失敗すれば、京都の勢力に足元をすくわれるわ。
攻め込むメリット無いしね
白村江の二の舞も頭にあるだろうし
言っても同時代にアイヌが樺太に攻め込んでたけどね(笑)
>>744 権力を甘く見すぎ。
中世どころか現代社会でも、権力は怖い存在だよ。
現代社会は、意見して命を取られる心配は無いけどね。
>>724 でも弁髪強制は基本的に一番多数の漢人に対するってのが大きかったみたいよ
女真族が一番上の身分だからって威張り腐ってたわけではなく、
清朝の皇帝はたとえばモンゴル高原に行けばモンゴル式のハーンとして振る舞い、
チベットへ行けばチベットの住人が受け入れられる様式で行うなど、
その地の風習などを尊重する形を取って多民族帝国を治めていたという話
古代ローマがエジプトを統治する際に、
長年「神」とされるファラオが治めてきた土地であることに配慮して、
(ローマ皇帝は死後神格化されることから)
当代皇帝は神の子であるとして、
エジプトはあくまで皇帝直轄の私的領土という形式にしていたのと似てるね
だから階級高けりゃ物は言えるって
張良ヒツとかフビライの言う事断わって使者になったのに日本をうつなかれと言ったんだぞ
実力あれば物は言える社会なんだよ
>>739 Wikipediaに日本が元軍撃退後に朝鮮半島攻めを計画した、
「鎌倉幕府の高麗遠征計画」というページがあるよ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B9%95%E5%BA%9C%E3%81%AE%E9%AB%98%E9%BA%97%E9%81%A0%E5%BE%81%E8%A8%88%E7%94%BB?wprov=sfla1 下は「元寇」のページ内で簡単に触れられてる部分
>元軍に大勝した鎌倉幕府は、直ちに高麗出兵計画を発表した。
>『東大寺文書』によると、
>幕府は少弐経資か大友頼泰を大将軍として、
>三ヵ国の御家人を主力に大和・山城の
>諸寺の悪徒(僧兵)をも動員して
>高麗への出兵を計画した。
>しかし第二次高麗出兵計画は突然中止となった。
>詳細は不明ながら、
>御家人の困窮などの理由により実行されなかったともいわれる。
鎌倉幕府が朝鮮征討を実行していてくれてれば、
後年に植民地化どうこうで騒がれることもなかったんだろうな
そういえばまんがで読む歴史みたいなやつで、
日本に遠征するというクビライに反対した人が
いきなりクビライに手打ちにされる、
みたいな始まり方したのあってびっくりしたw
けどそんな史実ないよね?
南宋が既に滅んでたりグユクはともかくモンケがスルーされてたりバトゥやフレグの領域までフビライの統治下扱いされてたり
まあ漫画だし細かい事か
漫画や小説を一次資料にするのは間違いの元だよ
それらは史実を元にしたファンタジーと捉えるべき
フビライの元はモンゴル帝国が4つに分裂した内の一つにしか過ぎない
物語的にわかりやすく強大な王朝としたいがためにそうしたが都合が良いんだろう
北条時宗もよくファーストコンタクトでいきなり使者殺しただの
ムカついたから使者殺しただの
クビライの国書読みもせず使者殺しただの
和平の使者なのに読まなかったからそうと知らず殺しただの
ありもしないことで叩かれてるからなあ
文永の役までは使者や国書の内容が結構あれでも殺してないし
文永の役後なら侵略と虐殺の後なんだから
そんな簡単なことじゃないのに
フビライは優秀な人材はどんどん取り入れるタイプだし自軍の負けた将軍を処刑するような事もしていない。
征服した国の優秀な人材を積極的に登用した方が効率が良いと考えたのだろう。
>>763 しかも処刑した5人の使者を供養するため常立寺と言う寺までつくってる
攻めて来た敵を祀るとか中国や朝鮮半島じゃありえないよ
ちなみに神奈川にある常立寺はモンゴル人力士が毎年春の巡業で墓参りに行くらしい
>>765 そういうのって呪われたくないから成仏してね、みたいな自己保身的供養だと思うけど
頭に血がのぼってヤッちゃった後に怖くなった小心者によくあるパターンなダケネ
キリスト教なんかだと神の名において処刑する、みたいな名文でやってるから供養なんかせんわな
むしろ禁忌とされる火葬すらやる
学研の方は『学研まんがNEW日本の歴史』の人物学習事典の方でこんならしい
338名無しさん@1周年2019/10/14(月) 13:20:51.09ID:eekq0/ho0
>>314 学研の子供用?の歴史の本は内容がピンキリで、本によってはあまり…
たとえば「人物学習事典」の北条時宗の項なんて、
>国書を受け取った幕府は、要求を無視する決意をかため、十八歳の時宗を執権職につけて、
>幕府内部の体制を新たにして、危機にのぞむことにしました。
>その後、何回か元の使者が来ても、時宗は、求めをことわり、
>使者を追い返したり殺したりしました。
>そして西日本の御家人たちを九州にまとめ、守りをかためました。
>一二七四年、フビライは兵力二万五千人をこえる大軍をおくってきました(文永の役)。
とあるけど、文永の役の翌年、一二七五年に七回目の使者・杜世忠が殺されるまで、
時宗が使者を殺したことはないのに、文永の役の前の記述で
『使者を追い返したり殺したりしました。』と書いてしまってる。
この本は『学研まんがNEW日本の歴史』という歴史漫画シリーズの一冊で、
シリーズのうち鎌倉時代を描いた『武士の世の中へ 〜平安時代末・鎌倉時代〜』では
『翌年以降、さらに4回の使節がおとずれたが、時宗は返書をおくらなかった』と
ちゃんと書いてるし、古い方の学研の歴史漫画でもこの点の間違いはないんだけどね…。
神田明神や天神さまや白峰神社とかと同じで力が大きいと認められたら信仰の対象になるよ
ネット普及前の歴史関連は
そもそも教科書すら間違ってる
戦後の発見を更新しない
気持ち悪い団体のひたすら日本下げ戦略
でひたすら歪められたからね
このすれみてると日本人じゃないチョンやチャンの書き込みがすぐわかるよな
日本人では無いから日本人の精神性がわからないし嘘や捏造を言い張る
>>776 同意
同じ遊牧民族系の清王朝ですら、弁髪を義務づけて、違反したら死罪だったんじゃね?
モンゴルは、清王朝よりはるかに厳しかったんだろ。
虐殺なんて、当たり前にあっただろうね w
元に辮髪の義務付けなんて無いよ
忠烈王がフビライにすり寄る為に遊牧民族のコスプレしてた記録はあるけど
遊牧民族と言ってもモンゴルと清の女真族は違うし
またいつもの奴か?
無根拠の妄想を垂れ流すのはいい加減止めて欲しいんだよね
無根拠の妄想って俺の書き込み?
そうならどの部分が無根拠なのか具体的にレスを示して
>>778 帰国した時に髪型も服装もモンゴル風になってて高麗の民を泣かせたらしいね
>>783 まあ、ある意味凄いかも
祖国の誇りとか全て捨て去れるのは
そこで三跪九叩頭の礼ですよ
ここまで強者には徹底的にへりくだる民族は他に居ない
>>789 え?
陛下も宮中儀式以外は洋装ですが????
それを西欧に媚びるためだと思ってるの?
アメリカはともかくイングランドやフランス、ドイツ、ロシアあたりの国で、
民族衣装を国の元首クラスがきてるのもあまり記憶にないが
「近代化」のために先進とされた欧米に倣ったんだろ
大帝国のモンゴルに倣うのは別におかしくね?
今こうして使ってる漢字も大陸由来で我々は独自文字を開発できなかったし
もしかして「別におかしくなくね?」って言いたいのか
近代化の為と単に媚びへつらうためじゃ目的が全く違うよなあ
それと金(清)には「強制的に」平民服にさせられた李氏朝鮮の王族だし
民をほったらかして逃げ回ったあげく捕まって必死こいて助命嘆願した王いる?
李氏朝鮮とか言うんだけど
今回登場の一行は何者?
船を奪うには兵力不足だし
まさか降伏しに行くとか?
>>790 日本よりはよっぽど文化あるよね
音楽で例を挙げると弦楽器などで伝統的に使われてきた弦の
「腸線(チョウセン)ガット」は「朝鮮(チョウセン)」に由来してる
このガットが無ければ、音楽の都ウィーンもモーツァルトも存在しなかったと言われてるよ
>>793 まず、平仮名カタカナは文字な。
あと、モンゴル文字は独自開発じゃないし、
ハングルはモンゴルの影響な。
漢字もピエログラフが先行しいてるし、
全文明の影響をなんらかの形で受けるのは当然。
だけど、征服されるて、それを受け入れるのと自ら
選択していくのとは全然違うだろ。
韓国擁護が酷すぎる。
まあ、まけて属国化するのは仕方ないけどさ。
朝鮮半島は土下座と蹂躙の歴史しかないからね
攻められれば歴代の王族や為政者達も民を見捨てて自分だけ逃げる
>>800 仮名文字も漢字由来
オリジナルじゃないよ
その理屈ならアルファベットもキリル文字もギリシャ文字もオリジナルではないから
独自の文字持ってる文明が特別なだけだな
独自文字を発明できた民族は少ないからね
独自文字はその時代における先進性の証明といえる
いずれにせよ現代の我々は事実上、固有の和風文化を捨て洋式に徹してる言える
他国が文化を棄ててプギャーなんて笑える立場にはない
和装や和の様式が完全に無くなったかのような言い方
なんだよ徹してるって
意味わかって使ってんのか
事実だろw
クソする時すら和式便器なんか使うかよw
成人式の着付けすらもはや家庭ではできなくなってるのに
そうなんだ…
どこの地域か知らんが大変だな
そりゃ、コンプレックスになるわな
初詣、入学・卒業式、夏祭りに秋祭り、旅館の部屋着に
冠婚葬祭と和服着る機会なんざいくらでもあるし
家は和風建築だし風呂にはゆったり浸かるし
日本人とすぐわかる名前で、英語さえろくにしゃべれないし
三食白米食べてるけどな
首脳や元首が外交の場でタキシードやスーツやモーニング着るのは
共通語としての選択なだけで欧米に媚びてるわけじゃないんだよ
わかるかな
>>807 いまどに初詣に和装で行く奴なんかそうはおらんな
入学式や卒業式への参列しかり
祭りすら浴衣着せるのは子供ぐらいか
まあ、おねーちゃんは着ることも多いだろうが
冠婚葬祭
和装減ったよな
いずれせよ和装が残るのはイベント事だけ
日常ではほぼ皆無
圧倒的に生活は洋式化してる
>>808 外交だけでなく国内行事ですら洋装だよ
伝統の宮中儀式だけじゃん
着物着るのは
日本の独自の文化があったことを否定してるわけじゃないよ
少なくとも装束に関しては日常生活において完全に洋式化してる
家でくつろぐ時の袢纏(笑)を和装とか言うなよw
近代工業生産式と言った方がいい気もするけどね
日本に入ってきた時期の関係でひとまとめに洋式扱いされてるが西洋だって昔からああだった訳でも無い
公式の場ではあれだ、先にルール作られちゃったから仕方無い
あと日常生活で着物着なくなった俺らが悪い
ルールが先に作られたんじゃなくて明治期に一気に西欧化されたんだろ
髷を結うのだってその時棄てられたわけで
>>802 文字開発してるだろ。
バカなのか。
あと、まけてたこくの文化を強制されるのと
独立を保ちつつ侵略を受けないために先進的な部分を受け入れるとでは
後者の方がよいだろ。
お前がおかしいのはその二つ。
>>813 様式の方が機能的だから、
広がったのと
そもそも、西洋人のように振る舞うことで侵略を避ける必要があったのと両方だろ。
侵略を受けて強制されてないから、まだまし。
だいたい、ローマだってほぼギリシャの真似から始まってるし、
アメリカもイギリスのクーロンから始まってる。
侵略を受けずに、独立を保つことの価値はそういった発展を達成する基礎にもなる。
朝鮮半島が蹂躙されていた期間は独自文化の発展の使用がないだろ。
日本の明治期の西洋化はその意味で侵略うけるよりはベターだ。
>>815 いやしてないぞ
仮名文字は漢字由来
まさかw
神代文字とか寝言言うなよw
生活様式は和洋折衷ではなくほぼ洋式化しており
良いとこ取りなんかなってない
>>815 カナは漢字から開発された音を表す文字。
アルファベットもおなじな。
それを開発というんだよ。
やっぱりバカだっか。
>>817 カナは漢字から開発された音を表す文字。
アルファベットもおなじな。
それを開発というんだよ。
やっぱりバカだっか。
いいとこ取りかどうかは、おまえがきめればいい。
お前着物に褌なのか?
勝手にしてろよ。バカだな。
>>819 開発とは言わないな
漢字の流用だよ
そんなに怒るなよ
事実は覆らん
ほれ
仮名文字は漢字の変形流用や部首流用にすぎない
カナ文字は表音文字で
他の漢字文化圏の人が見ても読めない
まあ漢字を崩したり一部引っこ抜いたにせよ
これは日本独自の文字だわ
>>809 へー
祭りで法被に足袋に晒しとかやらない地域か
祭りが盛んな土地ばかり選んでるわけじゃないけど
新しくきた人なんかはあまり地域行事に参加しなかったりするみたいだな
もったいない
>>823 用途が違うからな
ただの流用ではない
漢字で書体の違う異体字なんかはいくらでもあるがそれとは別の扱いされてるわけだ
…が、まあいいよ
お前はそういう基準で話してるわけだな
>>825 その文字の成立が独自か流用かであって
用途は関係ない
我々は独自文字を持たなかった
でもそれは世界的にみて珍しくはない
文字を開発した民族の方が限られてる
揉めてるのは「発明」と「開発」の認識の違いのような気がするにょ〜
処女喪失鹿乃ちゃんの高麗兵1000人24時間チンポまらソン!
漢字を略したり変形させたりを独自文字の開発とは言わないw
カナ文字ってすごいんだけどな
漢字にはない凄さ
だがまあ漢字あってこそというのはわかるからそれはいいや
>>829 表音、表意文字の組み合わせが柔軟性を生んでるというだけで
文字そのものが優秀なわけではない
>>829 カナ文字はピエログラフに対するアルファベットの立ち位置だからね。
漢字廃止しなかったのは漢字の抽象度が高くて廃止しなくても不便じゃなかったからだろう。
しかし
平仮名、片仮名を独自文字と思い込んでるヤツがいるとは驚いた
文字の成り立ちって小学校レベルで習ったようなw
「戦闘機を発明した」って言えるのはライト兄弟か
第一次大戦で複葉機にピストルか機関銃を持って乗り込んだやつだけど、
「戦闘機を開発した」は、連面と続く戦闘機の系譜の端っこである、
F2とかF22を作った現代の技術者が言ってもおkデショ?
「ひらがな、カタカナを発明した」はアウトでも、
「(漢字から)ひらがな、カタカナを開発した」は言葉として間違ってないノヨ。
チョンは何も開発も発見もしたこと無いからな
ノーベル賞実質ゼロの国(爆笑)
音に漢字を当てて、それを次第に簡素化していっただけなのに
開発したとかいう表現は適切じゃないわな
漢字を参考にしつつ独自に象形したわけじゃない
西夏文字ぐらい乖離して各文字の成立過程がわからないぐらいだと開発したと言ってもいいかもしれんがね
>>822 これが中国だと簡体字に略されるんだから
日本独自に生まれたと言っても過言では無いお
んん〜? ホ〜ラ子供の頃にお風呂で裸を見せあった幼なじみの権太郎の生首に
ニンジャまんこ丸出し姿を見られながら、
高麗チンポでアナルを「開発」されてるのはどんな気持ちニカ〜?
0→1を生み出すというのか
1→2でも独自文化というのは問題ない
そもそも読みづらい不便な漢文を補間するために生み出したわけでそ
もともと独自文化の喋り言葉があってできた文字やん
0→1だけを発明だと思っている奴なんておるんかの?
馬鹿チョンだけ思ってるよ
1から2の発明もなくてパクりしかないから
>>839 片仮名なんて部首を切り出しただけ
平仮名は草書変形させただけ
日本における特有の文字に変化してると表現はできるが独自性が高いとは言えない
>>843 一応やつらの文字は漢字ベースではなく言語ベースで生成され政権により公布されてるから独自性は高い
バカでもチョンでも覚えられるように構成されてるのである意味合理的w
>>835 アルファベットがヒエログラフから生まれたのとおなじで、
平仮名は漢字を基にした独自文字だよ。
まだわかってないのか。頭わるいな。
平仮名が漢字が基だから、独自文字じゃないとかまだいってるバカは放っとけ。
バカだから。
>>846 特有と表現すべき
漢字の簡略変形なので独自性は低い
>>849 「賢い者は朝の間に、愚かな者だとしても十日なら十分に学んで習うことができる」
なんでこんな流れなのか
これも姫様が出ないのが悪い
「特有」とか「徹してる」とか「ピエログラフ」とかどうも普通の日本語の使い方じゃないな
しょうがないんです、日本語の起源が不明なアレがあって
>>856 ハングルと文法が似てるという話はだれかの捏造7日ニカ
違うだろ
琉球語と系統が同じか否かで議論があるらしいが
>>853 また日本語が通じてないなら
成り立ちはみんな知ってるだろ
どうやってできたか知らないと言ってる奴がいるか?
そこもお前の言葉の使い方が独特すぎて周りと噛み合っていないだけだよ
>>859 成立過程が真に理解できているなら仮名が漢字の省略変形でしかなく独自文字でないことも理解できるはず
ここは対魔忍カノの調教ストーリーを考えるスレニダ。
>>860 お前が「独自文字」とはどういうものかを一度もきちんと定義してないから(他人の言葉を否定するときにしか理由を持ち出さない)
お前とお前以外の人間が考える「独自の文字」と噛み合ってないだけだよ
カナの成り立ちは知ってるかどうかはいまこの話と全く関係がない
>>864 そら他の文字の模倣や流用ではなく文字どおり独自に創成されてることが前提になるわな
だからせめて西夏文字のようにと書いたわけで
>>858 最新の研究だと沖縄方言と佐賀方言に共通要素が発見されて、沖縄方言は九州語派の南九州方言の一部と見なされてる
>>866 そういう見方もあるってだけで学会で統一された見解ではないだろ
ここ10年ほどの沖縄の成り立ちに関しての研究は、喜界島の城久遺跡の発見が影響大きかったからな
アンゴルモア関連なら、源平合戦直後の人の流れが相当多いようだというのもね
そういえば源平合戦で死んだはずの武者が沖縄に流れ着いて…みたいな話もあったな
沖縄の人間は平氏の子孫か今後はこの歴史教科書でいこうか
元寇の時の兵士も南宋人だけは助命されたというけどどこに行ったんだろう
>>873 送り帰されたのでなければ、
普通に日本名もらって日本人と一緒に生活するようになったんじゃね?
元史には「奴」にしたとあったけど鎌倉時代なら奴婢ってことなのかな
どっかの寺の宝物の製作だか修復だかに南宋人が関わったらしいみたいな話あったな
坊さんが日本からも留学したり、南宋の坊さんが日本に来たりしてたから
宗教関係の美術品の製作修復スキル持ってる人もいたのかな
しかし中世日本における奴隷ってピンとこないな
どういう管理されてたんだろ
奴隷の定義に合わせれば、年季奉公とか普通に奴隷契約だし
博多には沢山南宋人いたらしいけどその人たちはどうなったんだろう
日元交易にシフトしたのかもしれんが
>>884 その程度なら契約期間と身柄までは拘束されない点において穏当だな
元軍も鎌倉武士も補給体制が伴ってるわけないんだから、博多の村々を略奪しておくのは戦略的には理に適ってるな
どこぞの皇国の守護者が敗走していく先で村を焼いて井戸に毒を入れたのと同じ理屈で
実際日本本土まで追いかけられなかったんだから、
倫理的にはどうあれ実効性は認めるしかナイネ。
>>887 >皇国の守護者
この漫画の表紙を最初に見たとき、
それの漫画版の手術をパクリ
……リスペクトしてるなって印象だったな
だから、戦史ものとしては外れでも無さそうという判断をした
なんだ手術ってw
それの漫画版の主人公を、
のつもりでした
ごめんなさい
確か季節は秋から冬じゃなかったか…なのにこの格好ってw
ちゃんと着物羽織ってたやん
これから暖まるから薄着でええのよw
甲冑は重いしw
なぁこの漫画、面白いか?
トッちらけで全然に興味が続かなくなってきた
まとめて読むと気にならない
web掲載の仕方がまずいと思うんだよな
単行本出る頃には連載時の記憶薄れてるからちょうどいい
>>904 アニメで一気観したから及第点
たぶん漫画も一気読みなら面白いと思うわ
web掲載も細切れじゃなくて月更新にすればいいのに
天草太夫大蔵太子ってホントにいたんだなあ。
本渡諏訪神社の縁起に乗っているらしい。
また面白いキャラを見つけてきたもんだ(笑)。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/本渡諏訪神社
実在の人物かよクソワロタw
でも神様になった御方をあんな鎧萌えデザインにしてええよかよw
>>909 天草の乱でキリシタンが異教徒の寺社を焼き払ったからそれ以前のものは何も残ってないのか
ひでえw
いつものことだが、まだこの時代には存在してないっぽい鎧だね
それに当時ウェーブベアーは醜女扱いだっけか
>>909 ほほー、いい所に目をつけたもんだなぁ
この作者のこういうセンスはとても好き
まあまあ善戦するが、結局蒙古に捕まって
くっコロになるんやろ?
>>909 を読んでないのか?
弘安の役の2年後に戦功を立てられた恩返しで神社勧請したとよ。タケちゃんコースだ。
博多弁ヒロイン枠来た〜
菊池さんが粉かけてた出自の良い姫も気になってるんだが
話に関わってくるのかな?
どげん、どがん、どぎゃん
あげん、あがん、あぎゃん
そげん、そがん、そぎゃん
で判断できるぞ
>>904
やっぱ主人公が良くて、姫様がしっかりキャラ立ってたのが大きいかったんじゃね。
今は主人公はたまにしか出てこない、姫様は影も見えないんじゃなぁ。
なんか大雑把に歴史辿った描写してるだけになって、漫画的な面白さが消えちゃった印象。
>>924 たどるにしても竹崎がキャラ立ってるようで立ってないからな
上陸する前のモンゴル軍を海上要撃するのって本当にあったのかな。
上陸前からやってたかは分からないけど
船に糞を投げ入れるとか乗り込んで襲撃はしてたみたいだね
テレビの元寇特集で見た
流人はみんなインパクトあったのに九州の連中はなんか記憶に残らない
麻呂っぽいのなんかもただの出オチというか
そんな状態でまた一気に新しいメンツが出てきたしなぁ
鳥飼潟の戦いの見せ場を描いて、文永の役はもう戦況的に中盤過ぎてね?
まあ追撃戦がある意味、日本的には見せ場かもしれんが。
逆だろ
日本側が敗走して水城まで撤退寸前に追い込まれなきゃ
起死回生の劉復亨狙撃で難を逃れる展開がピークになるはず
>>934 史実を追ってるから日本軍壊走はないんじゃない?
漫画とはいえそこまでの新解釈はいかがなものかと
>>935 八幡愚童訓によると日本側は押されて敗走してるじゃん
弘安のときよりも文永の方が戦況的には厳しかったはず
八幡神さまが救ってくださったって物語をそのままやられるのもなぁ。
まあ全然史料ないから沿うしかないっちゃないんだけど。
600年も前に唐を想定して作った水城が生きるとかロマンあふれるね
作劇的にみても日本側がピンチにならんとドラマチックにならんやろ
八幡愚童訓以外の記録見ても博多での戦闘は1日だけで両軍(の一部?)が一当てニ当て
はっきり勝敗つかぬまま双方陣に引いて夜間のうちに元軍撤退という今一つ盛り上がりに欠ける流れになる
それなら夜襲で追い返した展開に持ってける方がいいかもよ?
アニメだと迅三郎一人生き残り矢の雨が降り注ぐイメージシーンあったよな
日本側苦戦は絶体にやるよ
太子(ふとこ)って名前はドンぴしゃりだな
名前なんてものは昔は出世や環境に応じて変えてったみたいだし、
こいつの名前はこれだ!みたいに決まったのやもしれん
子供の頃「太(ふとし)」って名前の子がよくからかわれていたが
良い意味の名前なんだな
考えてみれば〜太って名前はよくあるし
あったね。太=デブというイメージが
昭和時代のTV番組でそういうキャラが多かったからかな
てゆうか昔(つっても戦前ぐらいまで)はデブはプラスイメージだったんデショ。
デブになれる家庭ってだけで
超勝ち組の時代だからね
なんとか85キロとかいう番組でデブ扱いが成り立つ時代
今じゃ85キロなんて180越えた
部活やってるやつの通常体型やし
平安時代の美人の基準ってふっくらやしね
今のインドみたいにふくよかな方が好まれたのかもしれない
アフリカでも太いほうが好まれるらしいな
懐かしいゾマホンなんかも言ってたw
痩せてる=貧相ってイメージなんだろう
>>951 前に見た海外のドキュメントでは、スラッとした身体能力高そうな娘を金持ち兄ちゃんが指名
娘の親族が娘を数ヶ月部屋に閉じ込めて食わせまくり、ボテボテに太らせてから嫁入りなんてやってたな
>>954 日付変わってすぐじゃなく昼12時頃の更新でそ?
前からそうだよ
播磨には太子町っていう地名があるからややこしい(笑)。
>>959 それは接待王子の太子だからややこしない
>>955 蒙古ではなく、高麗兵かな
いずれにしても正直で宜しい
ウィキペディアより。なるほど中間管理職の悲哀みたいなのもやるわけね、盧進義のは。
高麗軍の韋得儒、盧進義、金福大は日本侵攻での不手際で譴責され、金方慶に含むところがあった。
1277年、忻都との会見から帰還した金方慶を諸将が出迎えたが、盧進義が機嫌を取ろうとしてか
酒を注ごうとするも、金方慶腹心の韓希愈が「こんな奴の酒など飲むべきでない」と割って入り、
金方慶も無視して席を立った。韋得儒は韓希愈にとりなしの依頼をしたが侮辱され、殴り合いの喧嘩となった。
ここで韋得儒らは忻都に虚偽の告発をし、洪茶丘もその讒言に乗って、謀反と横領の罪で
クビライに捕らえられる。金方慶は針金を首に結ばれて引き回され、鞭打ちに処された後、
大青島(忠清南道)に島流しにされた。
しかし、クビライに対して忠烈王が懸命に金方慶の無罪を主張し、最終的にはクビライ御前での
裁判となるはずだったが、その直前に韋得儒と盧進義が不審死したため、許されて帰還を果たす。
>>950 貴族の姫はたっぷり食べてふっくら。
平民の娘は飢えてガリガリ。
色白ふっくらの貴族の姫と野良仕事で色黒な痩せた娘…当時の美の基準にこの状況が関係あるのでは?
>>963 朝鮮半島はそんなのばっかだな
もっと後の時代の秀吉の朝鮮攻めの時だって、
働きぶりには諸説ある李舜臣でも、
内輪もめで散々だったのは事実だろうから、
朝鮮人の嫉妬心は酷すぎるわ
>>964 間違いないでしょ
今の時代みたいに貧民が偏った栄養バランスで肥えられるわけじゃないから、
デブ=金持ちな構図なんでしょ
梶原源太景季と佐々木高綱なんかは嫉妬し合いの騙し合いで手柄と高名競ってたな
こうなったら2人無為に死んで頼朝に損させようとか
俺も盗めばよかったとか
>>966 頼朝3兄弟の仲違いとかな。
頼朝死後の幕臣同士の争いも半端ないし。
源義朝→父親の為義と弟の為朝と頼賢を討ち、家人の長田忠致に裏切られて殺される
悪源太義平→叔父の義賢を討つ
頼朝→義賢の息子義仲(従兄弟)を討つ、叔父の行家、弟の義経、範頼を殺す
頼家→叔父の阿野全成を殺す。母方の祖父の家系に滅ぼされ、弟に地位を奪われる
実朝→兄の息子に殺され、家系が絶える
えっ、織田さんて日本でいっちゃん有名な「家臣に裏切られて殺された」ヒト……
織田信長→斯波義銀を追放、足利義昭を追放
明智光秀→織田信長、織田信忠を殺害
豊臣秀吉→織田信孝を殺害、織田信雄を追放
徳川家康→豊臣秀頼を殺害
ごめん失敗
>>969 ノッブは家臣にも身内にも裏切られまくりやんけ!
同腹の弟にすら二度も背かれてるし
降参してきたなら義昭も氏真も顕如も殺さない
裏切ってなかったなら黒田長政殺さなくてよかったと反省するようなこともある
浅井長政や武田勝頼や荒木村重なんかは最後まで降参しなかった連中
皇帝の後継者となると、
自分の兄弟から後継者争いをされるのを避けるために、
皆殺しにするのが当たり前(時期によっては監禁とかに変わった)だったオスマン帝国もあるし
サウジの王子は4,5百人とかいうし
もう王子ホロコーストになるね
遠くを見ようとした以外にあるか?
対馬の方か博多の方か…
流石にあんなカッコしてたら褌くらい履いてるやろう
なんも履かないのは引くわ
>>980 篠原千絵の「夢の雫、黄金の鳥籠」は
スレイマン1世の寵姫ヒュッレムが主役でそんな話をやってる
それ読んだことないけど、スレイマンとヒュッレムの時代にはまだ黄金の鳥籠って存在しないよな?
>>987 何のこっちゃ?と思ってぐぐったら
即位した皇帝の兄弟たちを抹殺する掟をなくした代わりに
幽閉された所が“黄金の鳥籠”と呼ばれたのか
へぇ〜知識が一つ増えたよ、ありがと!
wikipediaのサフィエ・スルタンの項を読んだけど
スレイマンの3代あとのメフメト3世の即位後からだってさ
「夢の雫〜」ではヒュッレムがスレイマンに献上される前に
イブラヒムから贈られた扉のない小さな金の鳥籠のことだけど
作者的には幽閉所のことは意識してそうだね、面白い
対馬編だと姫は尻、海女衆は乳首&褌まで見せた
この娘はどこまでオープンしてくれるかな
>>990 姫様と違って全然そっち方面に期待持たないわ。
姫様の出番まだー?
博多編のヒロイン枠が太夫様か?
また姫様が拗ねるぞw
小袖の上に直垂も袴もなしに直に胴丸姿だと、村上海賊の娘を思い出すな
モチーフにしてたりして
コレ系の元ネタは大祝の鶴姫でしょ
元寇で活躍したという実在人物と繋ぎ合わせたのは上手いと思う
鶴姫は実在がほぼ否定されているようだけどこの人は実在したの?
ホーイホイフーイ!と新スレ立ててきたぞい
【日本史】アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 part10
http://2chb.net/r/comic/1580997964/ 次スレ落ちてる…最終書き込み2020/02/07(金) 01:28:07.45なのに??
夜になっても立ってなかったら、
立てられたらまた立てるので、
20レスの保守お願いします
-curlmmp
lud20241227221132caこのスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/comic/1573037688/
ヒント:5chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
TOPへ TOPへ
全掲示板一覧 この掲示板へ 人気スレ |
Youtube 動画
>50
>100
>200
>300
>500
>1000枚
新着画像
↓「【日本史】アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 part9 YouTube動画>1本 ->画像>10枚 」を見た人も見ています:
・【日本史】アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 part10
・【日本史】アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 part6
・アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 3 [無断転載禁止]
・アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 3 [無断転載禁止]
・アンゴルモア元寇合戦記 [IDのみ]
・アンゴルモア元寇合戦記 Part.2
・アニメ「アンゴルモア元寇合戦記」 7月放送。モンゴル人の襲来に立ち向かう武士の物語
・【アニメ】 率土の地・対馬 勇者たちが挑む七日間の戦い―― 「アンゴルモア元寇合戦記」
・【長崎】元寇をテーマにしたアニメ「アンゴルモア」 対馬で全国のファンが“聖地巡礼ツアー”
・【ニッポンドットコム】第一次元寇を終わらせたのは神風だったか否か 元軍撤収の理由に今も定説なし [みの★]
・源氏=ゲン=元(モンゴル) 源平合戦=元平合戦 神風とか全部ウソ [無断転載禁止]
・【元寇】モンゴル軍が用いた「てつはう」に殺傷能力はあったのか
・韓国人「元寇で、モンゴル人や中国人は戦いがいい加減だった。高麗人はよく戦った」
・【ドラマ】木村多江、民放連ドラ初主演 元文春記者監修でリアル報道合戦も [無断転載禁止]
・【歴史】CGで完全再現したらわかった! 元寇で押し寄せた蒙古軍船の弱点 なぜ蒙古軍は一夜にして撤退したのか [すらいむ★]
・聖守護者の闘戦記 第五弾 邪蒼鎧デルメゼ 84戦目
・聖守護者の闘戦記 第五弾 邪蒼鎧デルメゼ 6戦目
・聖守護者の闘戦記 レギロガ・スコルパイド・ジェルザーク・ガルドドン総合スレ 106戦目
・聖守護者の闘戦記 レギロガ・スコルパイド・ジェルザーク・ガルドドン総合スレ 109戦目
・聖守護者の闘戦記 第五弾 邪蒼鎧デルメゼ 8戦目
・聖守護者の闘戦記 第五弾 邪蒼鎧デルメゼ 77戦目
・【DMM.R18】クラン戦記 Part13 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©bbspink.com
・聖守護者の闘戦記 第五弾 スレ 1戦目
・【DMM.R18】クラン戦記 Part8 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©bbspink.com
・【DMM.R18】クラン戦記 Part6 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©bbspink.com
・聖守護者の闘戦記 第五弾 邪蒼鎧デルメゼ 63戦目
・【エンドコンテンツ】 常闇の聖戦 聖守護者の闘戦記 総合スレ 180戦目
・オリュスラーン戦記 第1164部「再度炎上」【糞城覇権】 [無断転載禁止]
・聖守護者の闘戦記 第五弾 邪蒼鎧デルメゼ 74戦目
・【DMM.R18】クラン戦記 Part10 [無断転載禁止]©bbspink.com
・【DMM.R18】クラン戦記 Part26 [無断転載禁止]©bbspink.com
・【DMM.R18】クラン戦記 Part16 [無断転載禁止]©bbspink.com
・【DMM.R18】ソウル戦記 Part6 [無断転載禁止]©bbspink.com
・聖守護者の闘戦記 最終決戦 羅刹王バラシュナ 22戦目
・関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part11
・関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part26
・モー娘。がロッキン出れないのとアンジュルムが生合戦出れないのではどっちが憐れなの?
・【悲報】アイドル生合戦からアンジュルム排除wwwwwwwww4敗北 [無断転載禁止]
・アンジュルム対こぶつば連合軍でアイドル生合戦やってくれたらどちらを応援するかで悩むのに [無断転載禁止]
・【新機動戦記ガンダムW】リーブラ アンチスレ
・【愉悦】声優ファンのための祭典「声優紅白歌合戦」開催決定、発起人は中田譲治 19年4月14日、千葉県・舞浜アンフィシアター
・アンジュルム北海道公演恒例の雪合戦に初参加の笠原桃菜が木や氷を投げつけようとしてメンバーに止められる狂気の大暴走wwwwww
・【大晦日】紅白歌合戦トリビア 歴代最高視聴率81.4% 瞬間最高視聴率は五月みどりの85.3%
・青葉容疑者の自宅から「響け!ユーフォニアム」のサイン色紙 元ユーフォ信がなんらかの原因でアンチになったか★2
・モンゴルアンチスレ
・【音楽】デヴィッド・ギルモア チャリティのために自身のコレクションの中から120本以上のギターをオークションに出品
・【グラビア】WEEKDAYはグラドル日記 元女芸人「魔女っこ」の魅力あふれるGカップ美女『伊藤しほ乃』[03/08] ©bbspink.com
・【グラビア】WEEKDAYはグラドル日記 元気いっぱい『舞子』のセールスポイントは「大きなお尻と胸!」[11/19]
・【グラビア】WEEKDAYはグラドル日記 週プレ酒場のバイトからミスヤングチャンピオンのグランプリに輝いた『青科まき』[10/30] ©bbspink.com
・裏紅白歌合戦
・マウント取り合戦
・平成豚合戦BooBoo
・関ヶ原合戦の真実
・家族そろって歌合戦
・三方ヶ原合戦の真実
・釜のコロナ戦記
・ヤジニモ戦記 Part.3
・ヤジニモ戦記 Part.5
・のび太戦記ACE Part2
・亜空戦記ライジン
・ヤジニモ戦記 Part.6
・戦記ヲチスレ
・ボタルシア戦記
・令和の元寇 「原神」 、AppleとGoogleの2020年ベストゲーム賞ダブル受賞達成!!! 全世界でセルラントップを取り前代未聞の高みへ
・【ゴルフ】<日本女子オープンゴルフ選手権>「畑岡奈紗」圧巻の20アンダーで“40年ぶり”大会連覇を達成!
・【漫画】 さいとう・たかを氏、ゴルゴ13にも通じるプロの流儀 連載50年目「生きているかぎり続ける」 [無断転載禁止]
12:22:44 up 20 days, 22:46, 0 users, load average: 6.71, 8.48, 8.88
in 0.12177610397339 sec
@0.12177610397339@0b7 on 010202
|