早雲の里荏原駅
荏原荘
前スレの写真がきれいだったので保守で貼らせてもらいました m(._.)m
不要かもしれなかったけど前々スレのリンクを >>1 に書いておきました。
20スレ目のリンクが消えてしまうかなと思ったもので。 Gonza@呉鎮守府
@Gonza_Orc
ゆうきまさみ先生の「新九郎、奔る!」、現時点では黒田先生もアドバイスという形で関わっておられるそう。
黒田先生曰く、ゆうき先生はかなり勉強熱心で様々なことに興味を持たれ質問されるので答えるのが大変らしいw
#戎光祥ヒストリカルセミナー
#新九郎奔る
おつー
左近寺「さぁ、新しいヨロイよー」
新九郎「まさか、SDクロスのイングラムとか出さないだろうな?」
荒川「おい!」
有竹「逃げるな!」
こっち >>24 の方があってるような気がする。。。 前スレ984
「長善は、天正十八年(1590)下総守氏長と共に小田原城に籠って討ち死にした。」
一緒に籠っただけだね。これは誤解を招く表現。
この漫画、今参局が出てこんなと思っていたが、
いまググったら1巻の時点で死んでるんだな。
ゆうき先生の描く妖艶な今参局も見たかった。
明日、いよいよストライクイーグルが帝王賞に出走します
昨年のJBCクラシック(5着)以来のJpnI出走です
JRA勢の一角崩しなるか
法泉寺への道を教えるのに野球場とか言ってる。
これもゆうき節か。
>>37
グーグルマップで見るとわかるが、高越山城のある東荏原から法泉寺に行く途中に「興譲館原田常司記念球場」というやたら長い名前の高校付属野球場があるんだよ
そこで左折して進んでいくと法泉寺のある谷に出る
作者は現地取材もしてるからこれも本人の経験じゃないかな >>40
勝ち馬はJRAダート最強馬とも呼ばれるクリソベリル。
そこから1.2秒差の8着でノンコノユメに続いて地方馬2番手というのは上出来でしょう。
ルヴァンスレーヴに先着したのには驚きました。同馬は調子がいまいちとの情報は
ありましたが。
イーグルの次走に期待しましょう。このまま地方勢のトップグループにいれば秋のJpnI(GI)
シリーズにも選出される可能性が高くなります。JBCや東京大賞典で見たいですね。 >>43
ごめん、ゆうきまさみ自体知らなかったから、、新九郎で初めてパトレイバーのひとやって知った( パトレイバーも名前しか知らない、、)
ヤマトタケルは面白いの? 発表当時は山岸凉子の「日出づる処の天子」のせいで
雨後のタケノコのように上代〜平安時代のコミックが量産されていて
そのうちの1つって感じなんだよな
内容は…まあ上記の影響を受けていると思う
個人的には好きじゃない
>>44
とりあえずパトレイバー読んだほうがいいよ 前スレの979-981
新九郎のじい様の通称継いでるのがあの長兄だからあの人が嫡子で盛景盛定が庶子なのはほぼ間違いないよ
>>46
日いずるところの天子とか10年ぐらいずれとらんか?
まあ内容は、超展開がヒドくてしかもいきなり終わるから、実質初連載ってこと汲んで若書きと暖かい目で見てやれないとかなりキツいと思う
掲載誌は違和感しかないし、かなり無理して連載ねじ込んだ意欲作だけど結局打ち切られたんだろうなという >>51
日出処の天子が80年、ヤマトタケルが84年だからブームにのって描かれたんだろうとは思う
美少年、近親相姦、ホモに対抗して美少女、近親相姦、ロリという熱い意気込みを感じる
総じて当時のアニオタがはじめて描いたストーリー漫画って感じ
打ち切りのせいで後半の展開が意味不明だし >>52
単行本収録時に普通に加筆されて完結しとるやろ。
オトタチバナ以降があっさりめというのは否定しないが。 >>53
雑誌掲載時はもっとひどかったの?
単行本で読んだ限り突然オウスノミコト死にました!〜fin.
みたいに見えるんだけど >>54
そもそも連載形態が特殊だった
月刊OUTの増刊(不定期刊行)から始まって、このままだと終わらんってので
本誌に4ページずつの連載(+増刊で16ページ)…ってのがしばらく続いた
で、もともとOUTって雑誌は漫画誌じゃないし、編集方針とかもいろいろ事情があって
連載中断、描き下ろしつけて単行本化…って感じかな
ぶっちゃけ、単行本が出ただけマシって状態 >>54
東征からの帰りに死ぬのは伝承通りで、そこらは安彦さんのヤマトタケルも同じではある。
武内宿禰とか伏線回収してないとも言えるが、これも記紀の記述通りではあるし。なんせ天皇5代に仕えたとの記述が。 >>54
雑誌掲載は東征に行くところ、伊勢に寄ってムニャムニャ…までかな?
あの辺り、雑誌掲載とはコマ割とか天皇の台詞がちょっと変わってる。 表現者は個人的思想を作品以外でぶちまけない方がよいと思うのだが。
表現者が君のご意見に従わなければならない義務もない
違うんだよ、表現者にとってはありとあらゆるものが作品なんだ。
例えば、火浦功がお茶漬けを食えばそれが島本和彦の作品になる。
【ならない】
>>57
手元にブツガないので、超うろ覚えだが
最初から兄貴殺害までがAPC(加筆で4Pぐらい増えてる)
大蛇倒すまでがOUT本誌 毎月4P最終回のみ16P
クマソタケルを倒す ヤマトに戻る 伊勢に行く オトタチバナ がAPC
エピローグが書き下ろし
だったと思う
竹内さん(入来さん)初登場でもあるな 山岸凉子先生も「ヤマトタケル」描いてるよな
ゆうき先生はどう思ったかね
>>62
オトタチバナって、キリスト教に心酔してたよな…
漫画内に直接は登場しないけど、(クロニクルの)ヨハネ教会の神父も
ヤマトタケル関係者になるか >>63
山岸さんのヤマトタケルは梅原武が原作で
猿之助(現猿翁)のスーパー歌舞伎(梅原氏原脚本)と連動してるわけだから
あちらも山岸さんオンリーで書いたらどうなってたのかな いやー今週つか来週もおもしろかった
新九郎大活躍じゃん
中学三年くらいでありながらこの鳳雛ぶり
笠原が協力的だったのは珠厳の蒔いた種ではあるな
結果論だが
貞宗さんは第1集から新九郎をかってたみたいだから
親父たちのしがらみ超えて重用することになるのかな
もりさだスクリーンはどうなるんだろう
>>65
確かに当時は歌舞伎との連動でした
日出処の天子も梅原猛の「隠された十字架」が元になってるんだよね >>64
そういえば、何でオトタチバナが、古代日本人なのにキリスト教に心酔しているのか、
と思ったら、きちんと元ネタがあったのだよな。
キリストの墓が日本にあったり、聖徳太子の出生がキリスト誕生譚から来ていたり。
ゆうきまさみ氏の勉強熱心さには、あの頃から本当に頭が下がります。 67の追加
もっとも、キリストの墓云々は、完全にトンデモ系の話だし、
聖徳太子の出生にしても、遣唐使の時代に、キリスト教が既に唐の国内に
広まっていたことからの推測だけど。
それでも、よくそこまでネタを仕込めるものだ
今回のスピリッツは土曜日発売ですよ
新九郎賢い
盛頼さんをちょこっとだけやり込めた
おおむね単行本で追っかけてるんで見てないところあるんだけど、
那須家の元にあるという頼朝公の下し文、実は平盛時に書かせたものだったりして?
>>67 >>69
単行本派なんだけど、うっかり今週号を立ち読みしてしまった。
なかなか面白かった。4巻最終話から今週号までの間にいろいろあったっぽいが。
ところで新九郎の父ちゃんが完全に荏原を召し上げられて新しい領主になったら、
被官の笠原や平井らも領地を没収される可能性もあるのかな?
笠原や平井も、小規模な「国人」という理解でいいんだろうか。 笠原の息子が勝手に上がりこんで飯食ってるの、後に関東に行って新九郎の家臣になる前フリなんだろうな
そして父ちゃん・・・二度目の失脚で心が折れたんだろうけどひでえよw
>>67
白クロに出てきたあのオキナガ神父様、やっぱり、……なんだろうか。 >>74
やっぱそうだよね。名前も「入来(イリキ)」だし。
肌もうすい褐色ぽかったし、ああいうところは先生まじめに調べてるなと思った。
「新九郎」でも、いわゆる武家言葉(もちろんイメージとしての)が、
ちゃんと使われているのもいい。だからこそアクセントで現代カタカナ語が活きる。 スターシステムで使い回すために直接関係ないところまで詳しく設定したのか
ファンならニヤリですね
>>69
つる殿に男にしてもらったとしか思えない覚醒ぶり。 盛頼も思ったより新九郎が手強い相手だってわかったし、自分が達者なうちに東荏原を手に入れたいだろう親父の盛富ほど焦ってないというのはあるだろうな
荏原全部もらえると思っていたのに弟に半分持ってかれた親父とちがい、
盛頼は物心ついたときから東荏原が叔父さんの領地だったから、
そこまで執着がないのかなと思った。憎めないキャラに移行中?
なんか最終的には「荏原のことは俺に任せて、おまえは関東で暴れて来いよ!」
みたいな後押しキャラになるような。
親の世代と違って感情的な遺恨はないから
割り切るべき所は冷静に割り切れるんだろうね
「ここの漬物は旨うござるな」で思ったんだけど
この屋敷にも他の屋敷にも飯炊き女と言うのか大勢女性が働いてるハズなのでは
なんかこう裏の方ではキャッキャした空間もあって然るべきだけど
新九郎周りは男子校のノリなんだね
まったく問題は無いけど
>>82
裏ではあるかもしれんけど
そういう裏方は絶対に領主の前に平気で出てきたりはしない
一歩間違うと無礼討ちだよ でも高越ってオモテとオクをきっちり分けられるほど広く無いよーな
つーか東荏原せまいっ
西と同貫高とはおもえん
京都にいたときは新九郎がむしろ裏方だから工房の爺とか子守のこうとかと一緒の場面もあったのか。
で、有竹、じゃなくて在竹父とかが怒ったのには主君のほうが裏に来るな、的な意味合いもあるんだな。
那須の使いが来た、と荒川や在竹に取次ぎを求めたのは一段身分が低い家臣かな。
たぶん、笠原弥八郎は現状の席次としては彼らのちょっと下に当たる感じなのでちょっと離れたところで飯を食ってる。飯が食える。
新九郎の家臣団の中で一番格上なのは誰だろう。従兄弟の太郎かな。
荏原出身の家臣の中では荒川がまとめ役で在竹がムードメーカー。
京都の伊勢家の家臣団子弟からはニヒル枠の荒木とマスコット枠の駒若。
美作はまあ盛定の家臣としても、平井や井上、荒川兄や在竹一家は二君に仕えるような感じ?
平六「……」
>>83
地方弱小領主でそこまで主従の分け隔てが出来たのって江戸時代になってからじゃない? 前回の話なんで今頃書いても遅いかもしれないんだけど、荏原にやってきた平六が彦次郎のはっぱにビクついていたのは何かの伏線?
>>82
そもそも大所帯なはずの伊勢守邸においてさえメインキャラ以外の女性は
伊都の輿入れとか子供たちのお守りとか「奥」に関わる場面くらいしか出て来てないから
それこそ飯炊きくらいであろう高越山だとフォーカスされる余地あんまないのでは この調子ではいつ何時成原博士が登場して連載終了するかわからんな。
そもそも駒若は男の子だよな。(男の)娘じゃないよな。
いや、“身の回りの世話”にでぃすこみ的なものも含まれてたりとか浮かんだんで。
>87
来る前に喧嘩してるからなぁ。
>88
そういえば駒若縛られてる時に出てきてるのは……どっちも男か。
>89
あ〜る「やあ、泣かせてしまいましたね」
大道寺氏、山中氏、荒川氏は北条氏の中でも重要な家臣として続いたようだけど、荒木は2代目の頃には姿が見えなくなってる
在竹氏は3代目の頃には目立った活躍がなくなり、北条氏には仕え続けるが重臣という位置ではなくなってる
笠原氏はいわゆる御由緒六家ではないけど、後に北条氏に仕えて重臣になってる
>>90
昔の日本男性は、元服前(そうじゃなくても)の男性を女性扱いするのに抵抗ないからなぁ
(悪左府やら光源氏やら 女しか相手にしない秀吉が変人扱いされてるし) 盛頼「お前の兄貴も今出川殿に尻奉公したんだろう?」
そして大粛清が始まる。
新九郎の電子書籍版、2巻3巻4巻と修正されたみたいで再ダウンロードなんだが、どこが変わったのかわからない。
「荏原の男たちは、みんな一度は鬼姫に恋をする」
加藤登紀子みたいなフレーズが浮かんで、それで考えた。
スレの流れから言っても、那須与一は実は女でオキナガだったんだよ。
>>98
ebookjapanで買ってるけどそんな指示表示ないな
どこのサイト? FGOのサーヴァントになるとしたら、
・伊勢新九郎盛時はライダー(牛をけしかける)
・那須与一/弦姫はアーチャー(扇の的に必ず当てる)
・北条早雲はルーラー(戦国時代を始めたから)
>96-97
ああそうか、厠についていこうとしたのも……
>105
プロローグ以降の話はさらっと流しそうだよね。
横山光輝の秀吉みたいに。
火牛は色んな時代や人で似たようなパターンが使い回されてるから知略に優れた人のテンプレ表現だったのだろうなと
ゆうきさんならこのレベルの逸話は採用しないと思うよ
>>107
エンターテイナーとしてあんなド派手な逸話スルーするはずがない 最近は木曾義仲がらみでさえ使われない傾向だぞ
もっと最新の考証にあわせて上手く作ってくるんじゃないかな
貴重な農具である牛を大量に戦場に放って散逸させるなんて非現実的ということですね
1巻目で、アイスラッガー型の分離合体できる鞍を設計してたしなあ
「男のロマンです!」
ゆうきさんの牛は松明を見せられたら、その時点で
いや〜こわい〜
そんなもん近づけんなよ
って人間をどつきまわしていると思う
ゆうき先生が「都知事選に投票してきました」とツイート
ワイも言ってきた
ホリエモン新党とか慰安婦像だとか小池百合子には入れたくないから困ったけど
都民でまで投票に行ってない人は20時まで投票できるので行ってください。
なって欲しくない人はいるけど投票したい人はいないってことあるよね
この人だけは嫌です、って投票も出来ればいいのにw
いくらかでもマシな人に投票するだけでもだいぶ違うよ
それにしても瞬殺状態だったね
今、荻上さんのラジオぼーっと聴いてる
ゆうき先生が誰に投票したかは知らないが、投票したことを
ツイートしてくれただけでもありがたい
>>0085
2巻だったか荏原から駆け付けた在竹と荒川初登場の直後に、新九郎にタメ口の乳兄弟大道寺太郎が在竹と荒川に敬語だったことがある。
おそらくその時点では在竹、荒川は将来備前守家嫡子八郎の家人になる予定ではあるが新九郎はそのまま行くと御一門で家人と横並びの立ち位置であること、また年齢では新九郎が元服直後で12〜13歳、従兄弟の大道寺太郎は15〜16歳に対して、荒川や在竹はすでに20代なのではないか?
で、順位としては3巻で八郎が死んで新九郎が嫡子になることが決まったシーンや荏原でのシーンで、最初に荒川が新九郎に直言し次に在竹がモノを言う場面がいくつかある。これからすると新九郎家臣の中での順番は荒川が1番で在竹が2番なのではないか?明日から朝稽古やるぞって家臣一同に言うのも在竹で、2人がまとめ役をやっていたとは想像できる。こういうディテールがしっかり描かれていてすごいなあと思ってしまう。
なお太郎は乳兄弟だから特別な側近で、戦で新九郎に命の危機がある時最後に身代わりになって主君を逃がすような感じなんだろうけど、史実では新九郎の寿命より20年くらい早く小田原攻めの段階で戦死してしまったようだね。
伊勢伊勢守貞親は政所執事の立場もあり自邸で養育する龍王丸足利義尚を次の将軍にすべく今出川殿足利義視を失脚切腹させようとかかなりの策士で結局自分が2回も失脚、逐電出奔することになるのだが(2回目は1471年近江朽木へ。ただその2年後、おそらく新九郎がまだ備中荏原にいる1473年に死去したことになってる。これ亡命先で警備が薄くなった折昔恨みをかった関係者に暗殺されたんじゃね?って気がする)、細川右京大夫勝元は三官領の細川京兆家としてもっと策士として暗躍するのに失脚しないって政治力強過ぎ。マンガではどちらも顔からして良い人じゃ無さそうに描いてあって良いですね。新九郎盛時の父盛定は爽やかなおじさんに描いてあるのですが
貞親はさばさばした顔で出家遁走してるので、あれはこの物語からは降りてもう出ないよって描写なんだろう
もう政治的には完全に死んでるので実際にはどういう最期を迎えたかはこのお話では重要じゃないし
貞親はあの時代ではもういつ死んでもおかしくない歳で、殺菌という概念も予防接種も抗生物質もない時代の人は今ではどうということのない病気であっさり死んでしまう
義政は卒中の発作何度か起こして半身不随みたいになって最後は寝たきりで死亡というある意味現代的な死に方だったりするが
平均余命が短いのは成人するまでに死亡する率が極端に高いからであって
30〜40まで健康に生きたなら60〜70まで生きるのは珍しいと言うほどでも無い
でかい病気一つしたらそこでアウトだから、前近代で還暦超えはやっぱりハードモードだよ
40ぐらいまでは若さに任せてなんとかなったのが、このぐらいになるとそれでごまかせなくなるし、これまでのツケがのしかかってくる
厄年なんてまあ迷信だが、このへんで人生のハードルが来るのは昔の人はわかっていたんだろうね
歴史的に見ると息子の貞宗の方がよほどヤバいんだよね
明応の政変は貞宗が主導したってのが最近の説だし
戦国時代の幕を開けた張本人と言ってもいい
親父と違っていつもニコニコとして周囲からは温和な人と思われつつやってる事は…って恐ろしい人物
(親父も他の奴等も何でこうあけすけな謀略を図りたがるんだ、俺ならもっと上手くやるのに)
とか思ってたりしたら怖いな
義忠追討も貞宗じゃないかしら
甲斐氏が貞宗生母というのを伏線としてわざわざ言わせたように聞こえる
畠山政長と仲良さそうな描写を入れたのも明応の政変時にそういう相手でも
やむを得なければ切り捨てられる人物として描くためかな
伊都姉ちゃんは「じゃじゃ馬」の千草母さんに似てるな
ひびきちゃんよりはずっと如才ない
伊都ねーちゃん野心家義忠の御台所なんてやって
スレてませんように(ナモナモ
>130
治部殿野心家でも出し惜しみしないところあるからなぁ。
なんか無茶ぶりしそうになってると奥から出てきて窘めるとか。
そういえば義忠、義元の祖父か。
義元といえば春風亭昇太。昇太の師匠は今や我が国には一人もいなくなってしまわれた春風亭柳昇。
つまり氏親は校長先生の若いころのデザイン!
>>127
確かにゆうき氏が2巻のあそこで貞宗生母が甲斐氏であることを出す理由は全く無く突拍子もない逸話と感じたが、仰るとおり伏線張りかも知れませんな。
遠江で義忠と対立した斯波氏の守護代甲斐敏光は、生没年がはっきりしないようだがおそらく貞宗生母の兄弟または甥と考えられ、貞宗も肉親関係だけで政治的には動かないだろうが、同じ東軍だが遠江で利権を求める斯波氏甲斐氏と、幕府からすると言うことを聞かない古河公方や関東官領に対し壁になってくれる大事な今川義忠が、遠江の利権で争ってしまうと言うのは頭が痛い問題だったのではないか。結果、遠江に介入した義忠はその地で戦死してしまい、遺された遺族北川殿(伊都)と今川家嫡男龍王丸(のちの氏親)を差し置き家督を継ごうとする今川一門の小鹿範満は関東官領上杉の親族でもあるので、幕府はというか貞宗とか盛定は今川家で関東官領の影響力を排除すべく家督争いに盛時を送り込むことになるのだよね ちょっと強引だけどナイスガイに描かれていた伊都のダンナ今川義忠が戦死してしまうというのも、まだ登場していない場面だが悲しい
頭が切れるし人間的魅力もあるけど敵に回したら油断ならない男だという点では盛頼に近いのかもしれん
あそこで甲斐氏に触れたのは朝倉孝景調略の前振りかなと思っていたがそれが原因で越前での基盤を失い遠江守護代に転じるなら
後の新九郎駿河下向にも繋がる伏線でもあったのか
まさか横地残党を率いて新九郎が義忠討ちに行く展開にならんか今から戦々恐々している
ゆうきまさみが主人公にそこまでやらせるかね、いやまさかだが、まさかこそが歴史の醍醐味なのもあるわけで
比較的史実に忠実な歴史作品でも記録に残っていないところは創作の余地があるだろうが、「新九郎、奔る!」は現代風のおふざけもあるものの、歴史に詳しいファンをうならせるほど史実や最新の説、また言葉作法まで押さえ、ストーリー的にもこれまでのところ史実から飛躍しすぎてはいない作品でもあると思う。だから史実を大きく外れた創作ストーリーは無いと思うけどね。
遠江に関しては幕府は斯波氏を守護に任じその家臣の甲斐氏が下向するが
そこで親幕府派で隣国の元遠江守護今川氏と争いになるのは幕府も困っただろう。
だが幕府には利益は無いので遠江紛争に幕府や伊勢氏から人を派遣しなかっただろうし、まして新九郎を送ることはないのではないか。仮にそう描いてしまうとその後の幕府の行動の論理に一貫性が無い創作になる。義忠が遠江で戦死後の今川家の家督争いに幕府が新九郎盛時を派遣するのは、龍王丸派は既存の家臣と共に父義忠の流れで親幕府として関東の古河公方や関東管領に対する壁になってくれそうだが、その従兄小鹿範満は母が関東管領上杉家の出身で幕府に対し関東の壁になってくれそうにないからだろう。
つまり幕府はもともと親幕府の義忠を買っており、それでいて人を派遣し義忠を殺し、さらにまたその継嗣争いで龍王丸派を支援するのは一貫性が無く創作としてもしっくりこないと思うがなあ。
甲斐敏光が東軍寝返ってきて遠江駐屯してきたら密かに西軍寝返ろうというのは人情としてアリ得る展開じゃない?
その甲斐西軍時代の旧主斯波義廉は堀越公方側近上杉政憲にしてみれば父の敵渋川義鏡の子、今川当主を自分の親族小鹿にすげ替えて裏切りを隠密に無かったことにするってシナリオは今作の伊勢守貞宗は好みそうでしょ
そして新九郎はスカンピンになりそうなので郎党食わせるためには何でもやらざる得ないっぽい
3巻で新九郎の兄の八郎が叔父掃部助盛影に殺されてその処遇を伊勢一門で話し合い貞宗のアイデアで八郎の乱心急死ということにするシーンがあるけど、その場面が終わり直後に伊勢一門の家人たちが
「宿直(とのい)の者は飯ができているぞ」と大勢で晩飯を食べながら噂話をするところがある。太郎や荒川、在竹もいる。
宿直にも大勢の家人達が働いていたんだなというのがわかる描かれ方で、現代的なものと比較したくなる親近感もあって良いですね。11月の秋の終わりの寒い夜に仕事を終えてあったかい飯を食いたい(笑)
なおその直後雨の中で新九郎が泣きながら家臣達にお主らが恥じない主になるというシーンでは、荒川、在竹の後ろに笠原弥八郎や那須修理享資氏みたいのが描かれてる。弥八郎はともかく、那須資氏は新九郎とは4巻で初対面のはずだが、伊勢備前守家に従う国人ならば当主本人ではないにせよ一族の誰かを奉公に送り込んでいる可能性はあるのでそういうひとりかもね。そうだとすれば在竹家並みに顔がそっくり(笑
元々斯波義敏が斯波当主クビになったのも義敏が堀越公方への与力をサボったからなのよね
一応将軍義政は堀越を強化する気はあったようだ
>>139
貞宗は腹黒い人物であったとしても政所執事の立場上日本の政治の中心におり将軍家、幕府のための政治を行おうとしていたはずで、まあ地方の個々の陳情はいっぱいあっただろうが基本路線は将軍の名で命じた守護が治める形を第一と考えていたのではないか。斯波を守護に任じた遠江では守護の斯波や守護代甲斐が負けて追い出された訳ではなく一部の国人が今川に責められた程度なので、基本的には荒っぽい中世だしその段階で幕府からどうこうということは無かったのでは。
あと1476年の新九郎の一回目の駿河下向では、義忠が戦死した直後で龍王丸派と小鹿範満派が争っており、新九郎は前将軍義政(義政は1473年に将軍を退位)の「龍王丸が今川家の継嗣である」との御内書(こんなものを義政に書かせたこと自体、新九郎盛時が、ではなく伊勢守貞宗がその意向を持っていたはず)を携えていたものの小鹿派が優勢過ぎて、調停により一旦小鹿範満が家督相続、のちに龍王丸が成人したら家督を渡すとの合意を付けさせた訳で、家人と食いっぱぐれてどうこうというのは無かったでしょう。飯は龍王丸と北川殿を保護していた焼津の長谷川長者が海の幸付きでいくらでも食わせてくれただろうし(長谷川の名前は3巻で伊都が駿河に出発する直前に出てくる)。
>>141
古河公方(古河へ逃げてしまった鎌倉公方)と関東管領は幕府の言う事を聞かないので、将軍義政は僧だった自分の庶兄の政知を還俗させ新しい鎌倉公方として京から関東へ派遣するが、関東管領上杉らに脅されて鎌倉に入れず伊豆堀越に留まり以後堀越公方と呼ばれる。が義政は併せて斯波義敏に関東へ出兵し政知を支援するよう命令。しかし斯波義敏は自分の分国越前の内紛鎮圧のため関東に出兵せず義政の怒りを買い斯波氏当主を更迭、ってやつね。なお関東では斯波抜きで幕府軍が編成されるが古河公方足利成氏に敗れ以後関東で幕府軍が編成されることは無く、堀越公方は関東に入れず京にも戻してもらえない伊豆だけの宙ぶらりんの存在となったってやつですね。 >>135
盛頼は、イケイケなだけで、自分の利益優先で、頭も特には良くない
貞宗は、頭と勘が良く品行方正。だが父の立場を継ぎ次第に腹黒いことを画作するようになっていく
くらいの違いあるんじゃね? >>140
弥八郎っぽいのはわかるけど、那須修理亮っぽいのてどれのこと?
どれも違うと思うけど >>145
似てるかなぁ?
眉も目も鼻も、似せてないと思うけど >>146
俺も見直してみたけどさほど似てるとは思わんかった >>143
叔父を最後の最後まで騙して失脚に追い込み自分の弟を後釜に据え、親父ほど脳筋ではないので新九郎が御しやすい相手ではないと見るや懐柔しつつ自分の利益を最大限にしようとする男は「イケイケなだけ」とは言わんとは思うが 北川殿こと伊都姉ちゃんと
息子の龍王丸(今川氏親)を保護した
小川の法永長者こと長谷川政宣は
江戸時代の火付盗賊改方
鬼の平蔵こと長谷川平蔵宣以の先祖
という話は本編では触れないだろうけど
新右衛門さんには語ってもらいたい
複雑な話ではなく盛頼は伊勢掃部助家が2/3ほど実効支配している荏原荘を全部取ろうとしてるだけだろ。盛時の伊勢備前守家だって京で活動というか宗家伊勢守家に仕えて家人郎党を養う費用は他に給料を貰えるわけではなく全て東荏原から捻出しないとならないので減らすわけにいかないわけだ。「新九郎、奔る!」で今後どう描いていくかによるが、4巻時点で1473年頃を描いているとして1476年の1回目の駿河下向を経て1487年に2回目の駿河下向をする頃まで家計を東荏原に頼っていたと考えられるので、早々東荏原を減らしたり手放したりするわけにはいかなかったはず。
盛富兄ちゃんちは越後にも所領を持ってて
後に守護代長尾氏に横領されつづけ関東管領に泣きついて幕府から返還の御内書出してもらうことになる
>>151
他の備中伊勢氏の情報が少なく探していたが、さすが。
応仁の乱→戦国の時代の悲哀だね。 >>150
2回目の駿河下向の際、備前守家は新九郎盛時が嫡子で跡取りなので、一緒に下向した「御由緒六家」以外にも京や荏原に家人郎党がいたわけだしどうなるのか分からないですな。あまり北条早雲からみで語られて来なかったはず。そういえば盛定が隠居なり死去すれば嫡子の新九郎が備前守盛時になって宗家の伊勢守貞宗を支えて将軍の申次とかやるはずなのだが、備前守を名乗った形跡は無い?ようで。このへんどう描くのかなと >>149
法永長者長谷川政宣は焼津の小川湊を管理していたようなので、武装商人または水軍の頭みたいなもんですかね?まあ話が駿河編まで行けば少しくらいは出てくるでしょう 今週も面白いな。史実の間を上手く埋めている。
次も楽しみ。「負債その三」が気になるが。
細川聡明丸、、のちの政元ですな。勝元は応仁の乱がまだ終わらない1473年に山名宋全が死去した後ほどなく死去するので、今週の連載でも痩せたとか病の雰囲気で描かれてますな。聡明丸=政元は成人後に父勝元以上に大きな政治力を持つが修験道にのめり込み結婚せず養子を跡取りとした事実から、女房たちがウザい何とかしてくれと父に依頼するあたり、子供ながら女嫌いなことがほのめかされて描かれてますね。
江戸時代の例から引くと大名継嗣は代が替わり後
将軍面会が叶うまで官位がもらえなかったのに近い形が
貞親盛貞失脚で生まれたんじゃないかと思うんだけど
個人的には八郎兄が改名して生きてるシナリオが捨てがたい
そもそも備中家なのに通字「貞」を名乗るのが室町後期ではイレギュラーで
貞親失脚で返上した上で官途名名乗って記録のどこかで眠ってるんじゃないかと
>>157
なるほど官位はあくまで朝廷が与えるので武家としては将軍の推挙が必要ということですな(もっとも戦国時代?江戸時代以降下級武士や果ては庶民すらごく普通に名乗る○兵衛とか右衛門、左衛門だって本来は朝廷の兵士、門番の官職名だから、そのへんは自称でしょうね)。父盛定は上司の貞親に加担したからと頭を丸めて勝手に隠居を決め込んだが、おそらく将軍義政は隠居を認めず?まだ奉公を続けることを求め?新九郎盛時に備前守に引き継がせないとか。。?でも最終的に新九郎はこの後備前守を名乗ることはないはずでどうしてか分からないところですが。 Wikipediaで初めて細川政元の項目を読んだが…
えらくまた波乱万丈な人生の人だな。
十分に物語の主人公になるだろ。
若くして成し遂げ過ぎたからなのかね
北条高時や唐の玄宗あたりと話が合いそう
義政や北宋の徽宗とは少しイメージが違う
>>151
その頃から北条と上杉には因縁があったのか
しかも昔からやられる方で >>161
昔から大河の主人公になって欲しいキャラだったわ
義時を主人公にするならこっちも出来なくは無いと思う 魔法半将軍は相当マイルドにしないと史実の味付けが濃すぎてな……
ルーデル閣下に通じるところがあるな。
史実のほうが盛りすぎ認定。
継承して早速貞宗さんが親父そっくりの登場の仕方してるの草
聡明丸が聡明過ぎる
幼少時にオモチャにされたトラウマ?が長じて女を遠ざける要因になるのかな?
ほんと今週もおもしろかったわー
聡明丸君は後日のご活躍が十分想像できますな
でも須磨さんと仲良くできる分
弥次郎君もなかなかの大物だと思う
盛定スクリーンはやはり譲られるのね
関東に持ってくるんだろうか
>>165
魔法半将軍=修験道の修行の成果で天狗のごとく空を飛べる、まるで半分将軍のように権力を持った、細川政元のことね。どっちも当時言われた話らしい。
>>170
駿河に来てからは、新九郎盛時は甥の今川氏親を終生、御屋形様と呼び続けたと聞いたことがある。いくら自分は母の弟で伯父でも今川家では当主氏親が絶対的なトップなので、そこでの家臣というか客将となればそうなのだろうな。数度に渡り新九郎が今川の兵を率いて遠江へ出陣し今川家の悲願回復に貢献したようだ。このへんなら盛定スクリーン使う余地ありそう笑 堀越公方足利茶々丸を攻め滅ぼしてからは自分が主になって小田原城や相模を切り取っていくのだろうが 義政はめんどくさい人だなあw
いまいち相手の気持ちを理解できてないというか、弟の義視を追い込んじゃった時と同じことをしてるのに気づいてないのが
心が折れちゃった盛定パパの不甲斐なさも問題ではあるけど
>175
や、なんかそんな展開になりそうだな、って。
新九郎がまだ千代丸だったころからダメっぷりとか変なところでほくそ笑むとか見てたわけだし。
盛定が何もしなかったらしなかったで
何かしら文句言ったろうな義政
さすがの新九郎も将軍義政を叱責はできないと思うぞw 新九郎はこの頃備前守を名乗った形跡がなくそれは父盛定の地位をそのままは引き継がないということなので、義政は盛定の隠居を認めず、さりとて労いの言葉なんか掛けちゃったりして盛定はしばらくは伊勢守貞宗の下で働くことになるのではないか?実際遠江問題の幕府の対応で貞宗と盛定で対応していたような形跡もあるらしい。ここから1〜2年以内に将軍義政は弟今出川殿足利義視が西軍に出奔してしまっていることから何の障壁もなく息子の春王こと義尚に将軍職を譲り隠居するわけだね(実権はその後10年くらい握ったままで。銀閣寺に住むのはいつからかな?)
これは良くも悪くも貞宗も権力の毒に侵されはじめたってイメージかな
公方様が一休さんの公方様並みに面倒くさくなってきたなあ
後白河法皇の行状なんか見てると、政治的に冷遇されていても何とも思わないのに
シュミ・道楽の邪魔をされたと思ったらそれまでに例を見ないような苛烈な報復を
したりしてるからな
人それぞれで実際近くにいなきゃいけない人たちは大変だ
家督を継いだら荏原に注力したい、エンタメの常として人に話した願いはまず叶えられません
というわけで荏原(一回目)編終了
多分荏原(二回目)編もあるはず
14年後に盛頼と再戦するから
>>174
義政ブチ切れで新九郎の方が出奔か?
新九郎、今川に奔る!(一回目)
ならば荏原は弥二郎の後の義父(京都伊勢分家)にお預けかな? >>169
まさに、で、で、出たー! って印象
これぞ過ぎたるは及ばざるがごとしな危険すぎる聡明ぶりか
>>172
まずは自分が率先して敬意を示さねば当主としての権威を付けられないというのもあるだろうが >>168
本来なら八郎の着くべきだった座に新九郎だけは付けたくないという感じも >>185
義母須磨は兄八郎の形見の鎧を新九郎が使うことを許可しているので、新九郎が当主を継ぐのだって問題にしないんじゃない?というかそうしないと自分の居場所である備前守家が潰れてしまう。まあ皮肉のひとつくらいは言うかも知れないが。この義母さん皮肉は祖父の貞国に似てないし貞親にも似てなくどっから皮肉が出てきてるんだろう?ちなみに当時の鎧はそれぞれの階級でそれぞれの階級の屋敷を建てるくらい費用がかかるものを使っていたと聞いたことがある。 須磨はいずれ新九郎が備前守家を継ぐにしろ、「それは今じゃないでしょ」って感じで怒ってるんだと思う
謹慎だけで済ませてもらったのに心折れてる盛定への怒りもあるし、状況に流されて当主継ぐ気になってる新九郎もあかんでしょって感じで
>>185
娘の伊都が今川家に嫁いでいるので自分の血統は続くし、京都の実家住まいで夫とは別に資産も持ってるので露頭に迷う心配はない
八郎が死んでしまったことへの無念の思いはあっても新九郎が家を継ぐことには異論はないだろう
この時代の武士の妻は共同経営者みたいなものだから、自分の息子が後を継ぐ継がない以上に家が存続することのほうが重要
まあ日野富子みたいに自分の息子(義尚)が死んじゃったから妹の息子(義視)を後継者に指名したのに、今度はそっちと仲違いして夫の甥(義澄)に挿げ替えたなんて例もあるけど >>180
公方様の義政は、一休さんの公方様義満の孫だからね。
ただし義満ほどは権力なかったと言われているね。
本作だと十分わがままに描かれているがw
>>181
特に隠居後なのだろうけど義政も後白河の今様狂い以上の道楽というか芸術狂いだからね。
芸術にのめり込んで国家財政からの支出で寺や庭園作り絵画を描かせるのは、徳がある為政者の世に対する施しのひとつでこれも政治なんだという考えもあったらしい。で伊勢家が政所としてその経理を担当していたわけね 明応の政変の首謀者は政元じゃなくて貞宗らしいんだな、親父と違って成功してはる
あの政変は誰かが首謀者というより政元・貞宗・富子の共同謀議ってイメージ
>>182
家督継いだら京都から離れられなくならね?(笑) >183
散々罵り合って新九郎が飛び出してから、貞親に色々教わったことを思い出してしんみりする義政?
>190
一休さんとこの将軍様はわがままだけど決めるべきことは決めてるからなぁ。
>193
といっても、弥次郎も関東について来るわけだしなぁ。
申次衆伊勢備前守家にはならないのか。
>>174
叱責じゃなくて、正論だけどめんどくさいことを言いだしそうな気がする。
義政の反応がどうなるかは分からんが。 頼もしく思える自分に自己嫌悪を覚える須磨さま、という展開が見てみたいが無理か
>>194
伊勢弥次郎は「御由緒六家」に入っていないので後から駿河に来た可能性もあるね。
ゆうきまさみ氏がどう描くかわからんが。
ただ記録にあまり残っていない人で諱もはっきりしないようだ(盛興との説あり)。
小田原城で戦った記録はあり戦で大きな怪我を負い出家した説もあるようだね。
笠原も後北条氏の重臣で
「御由緒六家」に入っておらず長らく伊豆の国人出身だと思われていたようだが
備中国荏原付近には今でも笠原姓が多いそうだ。備中国の出自であることを
感じさせるエピソードだね。4巻でゆうきまさみ氏は城主館の対面に笠原一族の
館群があるのを描いており城代を務めるにふさわしい一族として扱ってるね。
(現地を取材し笠原が多いことに気づいたのかも?)
笠原弥八郎が単身で駿河か伊豆に後追いで来て加わったのかも知れないね。 >>198
そら弥次郎は新九郎の弟、一門衆なんだから家臣の後由緒六家には入らん
新九郎の名前が資料に出るのは文明13年だから家督継ぐのはその辺と思われる
15年には申次衆にはなっているから一応申次衆備前守家は継承したんじゃないか
その4年後にはまた奉公衆になっているからこの辺くらいから政元貞宗の手駒、実働部隊として動いていくんだろうと思う
作中でいうと10年後くらい先の話だけど 弥次郎は後から来るのは資料で確認されてるんしゃなかったっけ?
>195
かもしらんけど、義政が生まれて初めて怒鳴りあう相手になるとか。
>196-197
でも、弥次郎はかわいがってるし。
>198-200
いずれにせよ、この漫画では新九郎の右腕として活躍することが決まってる(1巻P135)わけだし……じゃあ左腕が太郎か。
今一瞬、「笠原弥次郎」になりかけた。
盛定さん真面目な働き者だけど
ものの判断とか旧伊勢守に丸投げしてたふしがあるからなあ
くっついてけばいいや的な
新九郎の父ちゃんが廊下走り出すコマだけなんとなく落ち着かない。
>>201
例えば一休さん的に描いたりとか、ゆうき氏の創作の余地はなくはないが、普通将軍義政と怒鳴り合いなんかしたら間違いなく切腹か打首だよ。立場が違いすぎるし、義政にはそれを命じることが出来る権力がある。乳母父の貞親ですらあれだけ言葉に気を遣っているのでね たしかちゃむボッシーの生まれじゃなかったっけ?
黒髪って顕性遺伝だったっけ?
>>204
今出川殿足利義視ですら伊勢への出奔から戻り義政周辺の奸臣の煤払いをせねばなと義政に諌言したら、今後出入りを禁じるといわれてしまった訳だし。継嗣にした弟ですらそうなのだから家臣だったらあぽーんだよ。この時代に限らず今だって平社員がワンマン社長と怒鳴りあいの喧嘩をしてしまったらそうそう許してもらえるもんではない。 新九郎が元服して初めて義政にお目見えした時も、
いちいち貞宗を経由して会話してたくらいだしね。
途中で義政が「直答を許す」みたいになって、最後は直接会話してたけど。
やっぱりないかぁ。
逆に、そんなことになってなお無事でいられるってことは相当義政の信頼とかそういうのが高いってことになる。
そしたらもう、京都から出られなくなるくらい重用されて駿河下向とかホイホイできないか。
>>198
笠原弥八郎が単身か従者ひとりくらい連れて伊豆に後追いで来て主人新九郎の館で出された飯を食って一言、ここの漬物は美味いでござるな、とかwww
伊豆の韮山はそんなに高くない山に囲まれて川も流れているので荏原と風景似てるんじゃないかと思っているが。 >209
敵「ここに、美味い漬物を用意しておびき寄せよう」
それはそれとしてこういうのを見つけた。
義満が美少年ならその孫たちもそうだったのだろうか。 一介の小坊主を呼び出してはお話したがる将軍様、今なら事案
>>208
仮に義政の信頼が高かったら、そちは儂の相談相手になれとか言われ日頃から頻繁に義政に呼ばれたりする訳で呼ばれていないということはそうでないということ。実際そういう立場なのは日野勝光とか細川勝元とか伊勢貞宗なわけで、その立場はその立場で公方様への影響力が強過ぎと妬まれると、あらぬことを讒言されてそれを信じてしまう公方様よりそちを許さん切腹!となってしまう。政治的に強い立場で居続けるのも難しく、その観点でも失脚しない勝元や貞宗は人間関係の力学を上手くコントロールしており凄いのですよ。 >>214
ゆうき氏の創作が入る余地はもちろんあるが、ゆうき氏は将軍と幕臣の距離感とか人間関係を現代人の読者が違和感を感じないレベルで史実に近く丁寧に描いており、その基本路線は乳母父で義政の幼い頃しつけすらした実の父同然の貞親ですら成人した将軍義政への言葉使いに相当気を遣い(1巻で義視を讒言したときは御所の御前でイヤな汗が吹き出したとか)、作品全体でそういう基調で描かれているので、ここで本作主人公の新九郎だけ将軍と怒鳴りあいが出来るとかはアンバランスで、次週の連載ではそういう風には描かないでしょう。 >>215
でも新九郎の乳兄弟の大道寺太郎は、幼い頃から新九郎と兄弟同然(太郎のほうが年上)で成長したこともあり、自分の主人である新九郎にタメ口だしおまえとかあいつとか言っちゃったりするんだよね。この辺は本作のご愛嬌。乳兄弟だし子供または元服してすぐの頃ならあり得なくも無いのかななんて思ってしまう。 まあ、新九郎にとって太郎は乳兄弟であり、しかも実母同士が姉妹(横井氏)だから、
いろいろな意味で「身内」ってことなのかな。
今週号の展開はいいな
荏原より魑魅魍魎の京都の方が面白い
>>211
美少年好きではあったようだな
世阿弥はそれでおそばに侍らせてたみたいだし >>216
伊勢家とはいえ国主ですらない陪臣の家と、将軍家は比較にならんよ。 >>217
その後があまりぱっとしない家が多い御由緒六家の中で大道寺氏は一門扱いで別格だし、新九郎の頃からそういう位置だったんだろうな
後から来た笠原氏のかなり高い位置についてるし、作中で笠原氏が城代を務める現地被官筆頭みたいに描かれてるのもそこから来てるんだろう 新九郎の声が大きくなった瞬間息子をぶん殴る盛定!
これならパパンもう少し頑張る方向で進んだりして。
「おやじにも殴られたことないのに!」
「今殴っただろう!」
義政(父上にも貞親にも殴られたことないなぁ)
息子を殴りに黄泉帰る万人恐怖にして天台開闢依頼の逸材
義尚(春王)は貞宗の屋敷で養育されており、御所にはいないので出てこないんじゃないかな。
まだ養育中か、どういう会話になるかわからんなーとりあえず死なないのは分かっているけど
今日からパトレイバー4D始まってるけど、結構入ってるね
新右衛門さんカムバーック!
あと福寿丸君はどうなってるのかな
スピリッツの連載だから読者の平均年齢に近い新九郎と同年代の側近の会話はタメ口や現代語を多用するよう編集部からゆうき氏に指示依頼が出てるとか?京の伊勢家では貞親や盛定も儂なんだけど、新九郎が荏原で若い側近に話すときは俺なんだよね。まあ全体の雰囲気を壊さない程度にして頂きたいですね。
未だに現代語ダメとか外来語ダメとか言ってる奴いんの?w
現代語使わない当時の言葉遣いで書いてある歴史漫画なんてあんの?
>>218
京都に足を取られて戻るに戻れなかった親父の苦労も分かってほしい 書状なら目上だろうが目下だろうが候文やで
仍って件の如し
>>231
あの父ちゃんのことだから一番の理由は
三百貫の恨みが怖かったからだとおもう >>230
昔の時代劇マニアだから。昔の手紙を基にして普段から堅苦しい喋り方をしていたと勘違いした間違った時代考証の産物 高橋のぼるの劉邦で重要な場面でマスターマインドって叫んでいるのはどうにかせえと思った、言い換えなんかいくらでもできるだろうに
新九郎における横文字は説明シーンのときに多用されるからな
「win-winの関係なのだ」
「ちゃんとケアしないからですよ!」
「男のロマンです!」
…先日亡くなったジョージ秋山氏の代表作「浮浪雲」、アレを渡哲也主演でドラマにしたやつが
いろいろすごかった、とリアルタイムで視聴していた身内が言ってるなー
桃井かおり演じる嫁のかめさんが、鼻歌歌いながら長屋の縁側にガーガー「掃除機」かけてるっていう
あの「もりさだスクリーン」とか、そのへんのオマージュなんじゃないか、って
わーおもしろいもっとやれだな自分は
専スレでさえこうだもの
実際に大河にしたらNHKに抗議の電話やメールがガンガン来て
途中で放映中止になるだろうな
にわか歴史マニアが偉そうに批判している様には苦笑しかできないわ
マンガだから許される表現もあるし
ただでさえわかりにくい状況が続くんだから
あれぐらいゆるくていいでしょ
昔、花とゆめLaLa(「日出づる処の天子」掲載誌)で連載してた
「信長君日記」シリーズが「新九郎」と同じようなノリだったな
「○○インターチェンジ方面から攻めてまいります!」とか言ってて
佐々木けいこって作者だったけど作品はこのシリーズしか
なかったような気がする
歴史コミックとしては自分的には「新九郎」の次に傑作だと思う
ギャグ中心だけど
>>234
そのコメント的外れじゃねーか
誰が昔の時代劇マニアなんだか
妄想力さすがだな 選挙の落下傘候補にたとえたくだりはめっちゃ腑に落ちた
>>242
ゆうきまさみの作品なんだからコミカルで軽めのシーン織り込んでいくのはあたり前だろ。
そもそもあんたの見たい重厚な()大河作品じゃないんだから、その作品の雰囲気が気に食わないというなら読むのやめた方がいいよ。 だいたい盛定スクリーンなんか真田丸でもやってたじゃないか。
さむらい探偵のノリでやったっていいじゃないか。
小太刀右京はスーパーロボットや高校生がモリアティ教授とフードファイトして勝たないとコロニー落としで大江戸最後の日な時代劇ゲーム作ったけど、
そういうのはだいたい数十年前に使い古されてんだよ。
>>242
この漫画はあなたの知識を再確認するだけの備忘録じゃない
今後どんどん気に入らない展開になるから、そういうもんだと思って読むか諦めてブコフに売るかしてくれ
ここで文句を書き散らすために読むのはやめてね 台詞回しを逆のアプローチでギャグにしているのが衛府の七忍ってことだな
盛定スクリーン面白いじゃないか。
山名宗全にサインもらったか聞くのだって面白いし
備後に出陣したのがビンゴだって
荏原の状況を選挙の候補者に見立てた説明が難しすぎるなんてセリフも面白い。
大体誰も今の展開が気に食わないなんて言ってないだろ。
それにこんな掲示板誰が気ままに書いたって構わないし
それをやめろとかいうのは自治厨だけどな。
実際のところ駿河編に突入したら誰がメインの解説役やるかは気になる
宗長さんかしらん
盛定の方が分かりやすかったとか言われちゃうのだろうか
大河の「毛利元就」で妻が夫に、「殿、チャンスですぞ!」と言ったとかいう都市伝説。
解説シーンでは、「葵」の水戸光圀(中村梅雀)が、「ポエムがない」と言っていた。
こういうの好き。
三谷幸喜が「新選組!」で、沖田総司の一人称を「僕」にしたり「(将来の)夢がある」
というセリフを書いたら、考証の先生から「幕末にそういう用法はまだありません」
と訂正が入ったとか。
創作側もいろいろ大変だけど、「新九郎」はバランスとれてていいと思うけどな。
現代風な解説で一番面白かったのは荏原での西に比べれば東の新九郎は落下傘候補みたいな物だという奴
>>252
一人称の「僕」、幕末だと使ってるのは長州くらいでないかい。 >>254
ああ、長州にはあったんですか。
考証的には沖田は多摩育ちだから「僕」は不自然だということだったのかな?
(結局三谷氏は「わたし」を沖田の自称にした)
むかし月スピに三谷氏とゆうき先生の対談が載ったみたいだけど、よんでみたかったな。 >>255
吉田松陰の「松下村塾」が発祥って説はある。「僕」
一君万民論で、君子の下に士農工商とかなく皆が平等に「下僕」だから「僕」。 くだけた現代語はいいんだが出来れば漢字にもうちょいルビ振って欲しいんだが
ルビ打つ基準がいまいちわからん誰でも読めそうな一般的な漢字にルビ振ってるわりに歴史的な漢字使いに振ってなくて調べたりしてるわ
肝心なシーンで横文字使わなきゃいいんだよ、兄貴が死ぬところで横文字使ってはいかんだろうし、そんなことはしていない
>>254
古代中国の君主の一人称に「僕」が使われてたはずだが、日本には輸入されてない事を考えるとその後使われなくなったんだろうか? >>260
それは知らんので、中国のどのあたりか教えてもらえるか、URL書いてもらえればありがたい。
松下村塾も何もないところから「僕」を使い出したわけでもないだろうから、ルーツはそっちで、日本で普及しだすのは松下村塾から…でいいかもしれん。 僕はしもべだし大元の人は元々臣なんだけど君主が僕なんて使ったの?
スピリッツ最新号の聡明丸(細川政元)が割り込んでくる場面では、ゆうき氏のアシスタントの方?が聡明丸を描いたから画風が違うのかな?本スレでも何人か書いてるけど眼が少女マンガみたいw 会話で伊勢家が礼法の家柄であることが語られてるけど、その礼法の家の新九郎が室町時代の制度を否定する戦国大名になるのだから不思議。
思えば北條氏って、伊勢氏の主家の足利の敵だった家なんだよな
名乗った時、問題にならなかったのかな
これか
源平交代思想(げんぺいこうたいしそう)または源平交代説は、日本史上の武家政権は平氏(桓武平氏)と源氏(清和源氏)が革命(易姓革命)的に交代するという俗説のこと。室町時代ごろから一部で信じられていたと言われている。
へ〜ダブスタなんだって。相当違うけどな。
以前から本作のおふざけを含めて好きだから書き込んでるんだよ。
一般ウケするか微妙な歴史的な表現も頑張って作り込んでるので
今の雰囲気を崩してウケ狙いだけに移行して欲しくないと思ってるだけだ。
言われてダブスタになったと思うのは読解力無い勝手な誤解と妄想なんだが。
ここはみんなの掲示板なんだから空気カリカリさせること書いて荒らすなよ。
>>265
足利氏は北条氏の身内みたいなもんだったので、敵視してたというより新田義貞の蜂起がどんどん勢力大きくなっていくのを見て生き残るために一方的に裏切ったという感じ 自分の考えに賛同者が現れず逆に何人かから叩かれてる時点で、普通は察して黙るもんだけどな
叩かれると逆に燃えるんだよきっと
おもしろいから言わせとこ
徳川も源氏名乗ってたっけか
室町から徳川までどう変遷したか複雑でもうわからんね
足利氏で鎌倉政権の真の重鎮だったのは頼朝期の門葉No.1だった義兼とその息子・義氏。
義兼の嫁が北条政子の妹で、義氏は若くして父母ともに亡くしたのち叔母・政子にお預け。
義兼は頼朝ありきで北条と付き合ってたと思うけど、義氏は北条の成り上がりに完全に協力した側。
義氏の次代の出来がイマイチだったせいか政権内でパッとしなくなっちゃって、
得宗家からは嫁もらえなくなっていったけど、それでも北条一門から嫁もらう者が多かった。
最後に裏切ったのは、得宗家の家宰ごときに押さえつけられるようになってキレたから。
家康が自分の名前を「源朝臣」で書いてる文書とか普通に残ってるよ
氏姓と名字の使い分けの感覚はなかなかわかりづらいよね
277名無しんぼ@お腹いっぱい2020/07/19(日) 21:38:39.68
大阪在住バイオテロリストチワワことアウアウカーくんのレス↓
278名無しんぼ@お腹いっぱい2020/07/19(日) 21:42:29.12
>>167
頑張って話の輪に入ろうとしてもたいしたレスができなくて嫌われてるアウアウカーくんらしいレスだと思うよ >>263
成人後の政元もかなりの変人だっただけにむしろあのくらいが将来を暗示させるという感じ ゆうき作品としてはスタンダードな作風だと思うけど。
283名無しんぼ@お腹いっぱい2020/07/19(日) 23:14:37.45
>>282
【( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ】 新ちゃん「侍の本懐とは舐められたら○す」の本場関東にいったら衝撃受けるんだろうな
>>281
ウィキペディア見たらわかるけど、すごい残念な人、才能あふれていたのに 勝元が死ぬときに聡明丸がいれば細川は安心だとかなんとか言ったらしいが
それって何の資料に書かれてんの?
それともそんな話自体無い?
勝元も若くして死んだしちゃんと嫡男が生まれていれば「安心だ」くらいは言いそうだがね
まもなく勝元も宗全も逝く、宗全に至っては晩年はかなりおかしくなっていたのが悲しい
何度見てもどこが面白いのか全く理解できない
途中から入ってきたので登場人物の相関関係も分からない
彼らが何をどうしようとしているのかも不明で要は置き去り
あと、説明が冗長で見る際に苦痛を生じる
うーん、何か思っただけで頭が痛くなってくる…。
メモ帳とペンがないと話についていけなさそうで…。
ショタっ子しんくろうきゅんが酷い目に合うところを萌え転がってりゃいいのよ
初期のハイライトは「寝所に呼ぶかもしれませんぞ」
あボクこの人に犯すされちゃうんだドキドキ
>>293
>>294
ありがとうね
読むのかと思うと気が重くて辛くなっていたところだったから
助かった >>296
そうする
というかもう見たくない
頭痛と軽い吐き気がしてくるし
お邪魔しました >>298
恐ろしいことに
こいつ常駐してるんやで
もうかなり長いことに やつがれは元々は違う語源で、後から漢字として僕を当てはめただけらしい
>>286
その、らしい、はどこで見た聞いたんだよ >>275
細川京兆家ってやはり北条得宗家をも意識した呼び方かな 京兆も武衛も中国風官名で当時としてはかっこいい感じだったので通称として使ってた
社長をCEOと呼び替えるようなもん
でも唐名最強は東宮ではないか?なんせ現役役職もある
武士って厨二だよな
基本的にアイデンティティ確立のためだけの理論武装
細川京兆家は、伊勢家の宗家当主が伊勢守を歴任したのと同様に、当主が右京大夫を歴任し、右京大夫の唐名が京兆だったから。斯波武衛家は、当主が左兵衛督を歴任し、兵衛の唐名が武衛だったから。北条得宗家は執権職を継ぐ宗家のような意味なのでこれらとはちょっと意味が違うかな
宗家のような意味というか、北条泰時が得宗という名前だったから
その泰時の直系である北条家嫡流のことを北条得宗家って言ってるんじゃないの
北条早雲家とか武田信玄家とか言ってるようなもん(これらの呼び名はされてないけど)
もし泰時が得宗じゃなくて雲湖という名前にしてたら北条得宗家じゃなくて北条雲湖家になってたというw
まあ官職の中国語名である京兆や武衛と先祖の別名である得宗は成り立ちは違いますわな
>>285
いよいよ新九郎が寝所に召されるのだろうかgkbr
「日出づる処の天子」のファンだからやりかねない… 名越が執権になってたら得宗の代わりに名越という言葉になってたかもね
泰時以下は得宗流として一族に
> 社長をCEOと呼び替えるようなもん
そう言われると中世日本の唐名かぶれに納得いった
官職としては北条得宗家は代々相模守だったかと。これには唐名はないよねw
相模守だったら「相州」だろうね
遠江守だった小堀政一は小堀遠州で知られてるし
伊豆は豆州で伊勢は勢州なんだよな
伊はつけない風習?
>>317
で、結局、新九郎は勝元の寝所に呼ばれたの?
今の新九郎はともかく、元服前ならアリ……かな? 賀州だったらなんか目出たいイメージが過ぎるな
貧しい盆地なのに
預けられた新九郎が有職故実や弓馬と共に仕込んだのなら罪深過ぎるな
性癖が魔法使い聡明丸ちゃんを作り上げて一国を揺るがす
>>327
畿内だからと言うのもあるんじゃないかな 聡明丸くんは神童が本当に神童だったパターンだけど色々と臨界点突破した大人になっちゃったから人間は難しいね
神か大人になっても神童だったんだよ
神懸かってたし童っぽかった
>>321
新九郎御当地の備前や備中・備後って、そういう呼び方が無いな、そういえば。
越前や越中、越後もそうか。 >>334
前中後に分かれる前の地域を総称して備州と越州という呼び名はある 神童は青年のうちに燃え尽きた方が後世の評価高くなるんだろうなぁ
少し前の時代の北畠顕家も40代まで生きていたらどうなってたか・・・
>>335
あ、しらなかった。ありがとう。
いまの備前の一住人としては、備後は「別のエリア」っていう感覚があるけど、
これは現在の岡山県・広島県の区分が影響してるんだろうな。
ちなみにうちの御先祖(伝)である国衆も、備前守を自称していましたw 上野は上州、下野は野州、上総下総には適応されず
近江は江州、遠江は遠州
ふと思ったんだけど、備前介とかそれ以下の官位の人っていないはずないよね?
全然聞いた気がしない。
越前から加賀を分割したことによって越の国は越前と越中越後が分断されてしまったように感じる
今ならネット大荒れしそうな命名だな
>>318
名越家との微妙な関係もあって得宗家という呼び方自体には「本来の嫡流家ではない」というニュアンスも感じるんですよね
最強なのは間違いないが正統かは微妙だって
そういえば先日に中公新書で「北朝の天皇」が出ましたが語り口がこちらのファンにもお勧めですね
あと当時の天皇と将軍の酒宴政治についても触れてますし >>337
備後の人間は文化的には岡山、でもアイデンティティは安芸寄りというか広島県人という意識があって複雑らしいぞ。
方言で言うと安芸「いびせぇ」備後「きょうてぇ」とかな。 >>338
上総下総はどっちも(あるいはまとめて)総州だよ
安房は房州 >>334
もとは遡れば吉備国やから
>>339
君が知らんだけや
まあ備前は親王任国じゃないから、律令が機能していた時代はともかく形骸化すれば介とか掾とかの中途半端な受領名わざわざ名乗るやつはそういない
てか守の戦国大名が配下の国人に介の受領名許したら、それある意味下剋上認可みたいなもんやw
ただ刀工とかでは備前介時々いるぞ
備前は長船とかあるしな 親王任国の常陸、上総、上野は介が実質トップで守は名乗れない
だから織田上総介や吉良上野介で有名になる
(信長は無知な時に上総守なんて名乗っちゃったけど変えたw)
他は守で名乗るから介の人なんて有名にならん
小国や中国では介や掾が無い場合あるけど
応仁の乱では今出川殿足利義視は当初東軍の総大将だったのに
途中で西軍に鞍替えした理由を個人的に理解できていなかったのだが、
「新九郎、奔る!」を読んで初めて腹落ちしたな。
例えばYouTubeに置いてある「英雄たちの選択 応仁の乱」なんかでも
とにかく義視が「よく分からない判断をする人」という描き方がされており
(監修の学者先生達は各学説を知ってると思うけど番組ストーリーの簡略化のため?)
「よく分からない人」だと人間の行動として全然腹落ちもしないのだよね。
「新九郎、奔る!」では伊勢貞親は自分が養育した
春王(義尚)の将軍継嗣の立場を確立させ義視廃嫡のため義政に誣告したのだが、
逆に義視や諸大名の抗議で貞親が失脚し切腹命令が出る前に遁走出奔(文正の政変)、
でも貞親は1年せずに許され戻ってきてしまい
貞親が戻ったのを見た義視は今度は自分が身の危険を感じ西軍へ出奔、
とまあ自分の命が危ないと感じたのであればこれくらいせざるを得ないだろうと
納得させる描き方で良いですね。
史実は斯波家のお家事情への義政や貞親の介入など他の要素もあるようだが
新九郎の伊勢家の利害視点で描いているところが創作としても良いところかな。
(斯波家のお家事情も、貞親の若い後妻とか義敏からみで描かれてるけどね)
>344
ああ、ボウシュウさんね。(燕返し)
ついでに言うと伊豆は豆州。(真田丸どうでしょう)
>345,348
やっぱり、創作物の見えるとこに映らないだけでいることはいるのね。
ほかの官位は内蔵助とか左衛門尉とか治部少輔とかあるのにな、って
スケどのというと
源頼朝と真田幸村が思い浮かぶが
頼朝は右兵衛佐で真田は左衛門佐だなあ
>>317
呼ばれるとしたら弟くんの方ではなかろうか 戦国時代に大名が勝手に出すようになると介レベル以下の受領名は国人領主クラスがほとんどになるから知名度がないだけで地域史とか調べると時々見るぞ
>>349
その辺りは今でいう中央省庁の局長課長と県庁の部長との違いになるかもね
田舎の役職を自称で名乗ってもカッコ良くない 親王任国以外でも●●介はたまに見るけど、さすがに●●大掾や●●掾って武将では見ないな。
もう、職人や芸人に与える程度のものだって広く知れてたのかな。
氏族名に取り込んでいた大掾氏は、戦国期だとちょっと気恥ずかしさあったりしたろうか。
兵衛尉とか弾正大忠、検非違使少尉とか聞くからな
まあ武士に似合いの…というのもあるんだろうが四等官だとカッコ悪いなんて発想はなかっただろう
むしろ無知だからこそ国司や一等官ばかり名乗ってたんだろうし
平安くらいまでは在庁官人が貰ってるから中央にはいない
承久以降は国衙領が地頭支配に吸収されたので中級武士化
また官途名受領名の私称が始まって当然名前がインフレする
戦国時代の真田昌幸の「安房守」も自称なんだろうけど、
地理的にも格式的にも実に中途半端な気がするな。
ライバルである北条との関係だとは思うけど。
安房守というと勝海舟だな
実名の読みまであわせちゃった
榎本武揚はあの時代に私称してそのままもらっちゃった
織田上総守は今川上総介に対抗した私称説がある
天台座主沙門に対抗した第六天魔と発想がおんなじ
完全にヤンキー
北条常陸守はよくわからん
反抗期だったのかしら?
伊勢さん所の新九郎の周辺だと、
伯父「伊勢守」、叔父「備中守」、実父「備前守」
出身とゆかりのある受領名だけど。
中枢にいる貞親伯父さんは官途名(?)のほうが、権威もアップするんじゃなかろうか。
伊勢宗家の伝統かもしらんけど。