>>1
乙です。
これ、保守したほうがいいんだっけ? 乙です乙です
別のスレでテレビ版パトレイバーを
原作レイプと言っているひとがいた
遠江国の横地城のあたりは牧之原台地の台地と谷間が交互に連続し
大軍が安全に駐留しづらくゲリラが奇襲攻撃を掛けやすい地形だな。
前スレ996だがスレ立てた途端規制かかって告知できなかったごめん
次スレから>>7をテンプレに入れるのはどうだろう? 北条早雲 強そう
伊勢盛時 態度だけデカくてクソ弱そう
>>19
早雲はともかく、北条はクソ弱いイメージしかない >>1乙
スピの他スレで、新九郎はいつ北条早雲て名乗るんだ?とか訊かれたが
他のひとが答えてくれました ありがとーw 早雲 それは
僕が見た光
君が見た希望
早雲 それは
ふれあいの心
幸せの早い雲
いまどき昭和のネタに喜んでしまったと反省したが
もっと古い応仁からの話をキャッキャと盛り上がっているスレなので
余裕だった
圓楽「お戦国は、毎日こうですよ」
たい平「何か、あったのか!?」
ゆうきまさみ作品の特徴の一つに若い男性登場人物の自室に貼ってある水着ポスターの一コマアップがあるけど、流石に新九郎ではその手は使えないね
眼鏡キャラの眼鏡の向こうの目が見えない演出も使えないな
>>26
早雲庵宗瑞とは名乗るよ
名乗らないのは北条 息子の氏綱が北条を名乗ったから北条
早雲庵という寺をおそらく建てていたので早雲
幻庵が幻庵宗哲だから同じなのか
幻庵は北条幻庵と名乗ってたのかな?
>>38
出家は文字通り「家を出る」ことからその後は姓と名(諱)ではなく、法名のみか庵号(出家後の住居)と法名の組み合わせで名乗る
だから「山名宗全」というのも実は間違いで当時は宗全入道とか赤入道とか呼ばれてた 武田信玄上杉謙信もそれに当たるのか
家を出る言いながらどっぷりまだ浸かってるように見えるけど
室町期には既に形骸化してたろ
(名字)(受領名)入道との表記が至る所に出てくる
出家といっても家督を嫡子にわたすだけで実権を持ち続けてるケースなんて山とあるわけで
他にも新九郎がそう言われてるような心機一転のために出家するケースとか、一応実家からは離れてますよという立場で外交などフリーハンドで行動できるようになったり
この頃は元服と出家隠居は武士を含めた人の人生に必須の通過儀礼みたいなもの
当時の人は寄進とかよくする反面、戦の際寺や神社を燃やしたり壊したりするのも珍しくなかったみたいだしね
>>45
信玄「そんな漫画」
謙信「珍しくもない」 新九郎の子供が織田信長より長生きしてるのって結構すごいな。
それでも
国司元相、三成長男、KG父、天海の
戦国三桁四天王には及ばない
恐ろしい事実
>>50
>KG父
これって誰だっけ?
伊達家の鬼庭氏当主も長命が多かったし、何か秘訣があるのかな?
ゆうきスレ的には、実はオキナガが当主で改名を繰り返して・・・ >>51
前田慶次の実父で滝川一益の従兄弟の
滝川益氏(1527〜1635)
傾き息子より20年以上生きたそうな >>52
ああ、KGは慶次なのね。
いまぐぐったけど、柳生宗厳と同年生まれで、
あの爺さんよりさらに20年以上長生きなのか・・ 7歳の春王は竹馬に
6歳の聡明丸は本物の馬に執着してるんだなあ
今気がついたわ
>>54
聡明丸様って父ちゃん爺ちゃんの遥か上行く
凄まじい権謀家だもんなあ...
最期がゲイは身を滅ぼすシリーズで無ければ
もっと評価されたはずだけど...
明応の政変はやるんかなあ
従兄弟親子活躍するけど >>57
当時の馬って現代のクルマだから普通のクルマとフェラーリの違いは子供でも分かるように、管領家に名馬として購入された馬が只者じゃないことは子供でも分かるだろう
ただあの執着ぶりはその馬を与えられることと家督相続が結びついていると考えているんだろうとは思う 3-4年で全盛期の走りができなくなる馬
かなり不経済
>>59
そういう馬の中でも
いやもういいやめんどくさいマウント成功したと思ってください ふと思いついた
賀茂の競馬(くらべうま)でちゅどんする梅ちゃん
>>58
争うけどいつも簡単に落着しない?あの家
むしろ巻き込まれた
関東公方や伊達や武田や北条や吉良が
後で酷い目にあってる気がする
まあ最後のは上杉悪い訳じゃないけど 梅ちゃん、庶民の折り烏帽子(?)スタイルで
京洛をヒョコヒョコしてても違和感ないな・・
ほんとうにオキナガで、10年単位で住処を変えてるんじゃないだろうか。
>>63
競馬は兵器お披露目会であって、やってる事は変わっとらんのよ >>59
父が馬を選んでくれなかったから自分で選ばなければならなくなったってのは中々に意味深だよな
これからは自分の流儀でやるという意味なんだろうが >>61
言いたいことは分かる。気分害してすまんかった >>68
そういう深読みできるよね。作者がどこまで意図してるかは後からわかるんだろうが聡明丸のキャラが超人的な悪者顔だから誰かが言ってた勝元薬殺の可能性も匂わせてるようにも見える >>66
20年前からオキナガSAGA?構想があったとしたら
ちょっとスゴいねw >>70
後継者教育を受けてないとも取れるし
もし障子に映った影が犬だったらまさにオーメンの世界 >>66
梅ちゃんの競馬外れて爆発が無くななってから
じゃじゃ馬は詰まらなくなった >>72
我に後継者教育など不要だ!のタイプになるのは確定してると思う
手が付けられない悪党キャラになるだろうけど、やりすぎるとSFになるから史実の枠内でサイコキラーなんじゃないか >>67
全然違う
平地競馬なんて繁殖馬選定目的だし、レースの賞金目当てに数年で使い潰す勢いで走らせまくってるだけ
より実戦に近そうな、海外の障害レースは10歳馬でも勝てるし、総合馬術でも10代後半の馬が活躍してる
大事に乗れば10年は使える >>75
場末の競馬で血眼になって賭けるのをやめて、競馬の歴史を調べてみ >>74
クッション役として有能な弥次郎に逃げられて暴走状態になるとでもなれば面白い >>71
「梅ちゃんてさー」「謎だよねー」って当時既に言われてたもんね >>77
海外の障害競馬や馬術を引き合いに出してきた相手に、場末の競馬で血眼??筋違いも甚だしい
平地競馬の上っ面しか知らないことを指摘されて悔しかったんだろうが、恥の上塗りはやめておけ なんか出渕と思われるアニメ監督のパワハラ告発のツイートをRTをしてるけど
決別してたりしたの?
>>83
一応の名目上戦前の競馬は軍馬の選出だよ
繁殖っていうけど軍馬の繁殖
ダービー馬も戦場に駆り出されたよ
もちろんサラブレッドなんて戦場じゃ荷駄馬の代わりにならんが 聡明丸が「動物のお医者さん」のキャラっぽく見えるのは私だけだろうか
氏綱の後妻は前関白の娘、但し年配で形式的なものだった…
新九郎の頃と比べて結婚相手の家格がダダ上がりしてるというべきか、
公家がガタガタになってきてるというべきか
そら五摂家の一条さんが
世の無情に嫌になったので
高知の片田舎で大名始めました
的なラノベみたいな事やりだして
果ては戦国末の近衛の当主が
源平武者のまねごとしてみたみたいな
You Tuberみたいな事始める時代ですし
>>91
跡継ぎおらんようになって急いで呼ばれただけよ 将軍家ですら結婚相手は日野家だったのにな
政知の孫の足利義晴の夫人も近衛家だけど、氏綱より一世代若い
氏綱の夫人が近衛家なのはかなりアンバランスだ
>>86
つい最近グリフォンの元ネタの話したばっかやで
ちなみにがいしゅつ
インタビュー本にも出てる >>87
日本の平地競馬だけは多少勉強してるようだけど…馬事文化の本を何冊か読んでから出直しておいで。
軍馬の基本は馬術だよ。戦前の五輪では各国の軍人たちがメダルを争ってた。バロン西ももちろん軍人。
平地競馬は繁殖馬を選ぶのが目的で、見極めたらすぐ引退させる。だから欧米の一流馬は3歳で引退しちゃう。
そして、馬術を仕込む馬は去勢して、じっくり調教して長く使うんだよ。
戦場は平地どころか凸凹してるし、障害物や騒音もあるから、平地調教だけじゃ通用しないんだよね。
日本のダービー馬の戦場送りは、戦意高揚のための例外。歴代ただ一頭の消息不明で、裏を返せば他のダービー馬は繁殖入りしてる。
ここまで書いておいて、実は、明治以前の日本には去勢文化がないんだけど、何故か分かるかな? >>96
平地と馬術は全く別もんだよ
オリンピック出るサラブレッドなんてほぼ皆無
なんで日本でアングロアラブなんて半端なもんがあったか考えてみな
日本で去勢文化がなかったのは遊牧民じゃなかったからと聞いたことある
つまり技術かないから 旅はいいやねえ
旅ゆけばぁ〜
駿河の国はぁ〜茶の香りぃ〜(伊豆だけど)
ところで姉ちゃんがくれたこづかい、いくら位なんだろう?銅銭ひとつかみって新九郎くらいの身分の人間がありがたがる程の額じゃなさそうだけど、銀とか?
太田道灌と伊勢新九郎がまさかの対面か
今川の家督争いに道灌も懐中してくるんだってな
ここで新九郎が北条の名を出すのも上手い
それにしても政知の政治センスは無さそうだな
例え無位無冠でも今川の正室の弟なのに
いてもいなくてもがいない方がマシになる日も近そう
>>101
路銀にするなら銀だろうね
路銀だけに、なんちて >>103
センスや軍事的実力がたりないから関東にはいれなくて伊豆止まりなんだろ >>102
まだ生きている太田の父は堀越を巡る渋川案件で隠居させられたんだよな
その結果として堀越の傀儡化も進んだわけだが >>105
幕府としては堀越が第二の古河になられても困るというのがあったんだろうな
とにかくあくまで旗頭であってくれれば良いって 幕府は堀越公方に軍事指揮権や所領安堵&恩賞授与権を与えなかったんだっけ?
>>108
軍事指揮権は関東菅領で他は中央直轄の筈
その意味でも義忠が言っていたように堀越の役割はあくまで旗手に過ぎない
但し初期には堀越に現地の実権を持たせようとした渋川事件も発生している 新九郎と小鹿は将来殺し合いだけど、貞宗と政長も同じようなもんだよな
フラグをわざわざ書いたような組み合わせ
>>103
今回門前払いで会ってもらえないという展開でも面白い。どうでもいい存在の堀越公方なら別に問題無い
小鹿の顔は潰れるから小鹿は災難だけど、関東の情勢の難しさならそういうのも起こりうるだろう わざわざ伊豆にまで足伸ばしたのは
堀越公方と茶々丸にお目見えするためだけかな?
ウルトラC使って景春と対面しないかな、と思ったら
まさか道灌ととは
それだけ新九郎と道灌との関わりを先生が重視するいう事だろうな
政知が伊勢と聞いて挙げた「備後 駿河 因幡」はいずれも伊勢氏の世襲官位で、因幡守は貞親と同世代の京都伊勢氏傍流に義政の申次衆だった貞仲という人物がいる
小鹿範満が新九郎の案内をさせるといった弟は小鹿孫五郎範慶なんだけど、後に新九郎に・・・
今川義忠が餅を食べさせてあげてる娘(竜王丸の姉)は後に正親町三条実望の室になる
弟(氏親)も後に中御門宣胤の娘(寿桂尼)を娶るわけで、この辺の縁組は義忠死後のことだろうけど今川家の京とのつながりがよくわかるな
読んだー
いい温泉回でした・・・いい,かな・・・?
乳首出てるけど・・・w
もうちょっとで駒若ちゃんのおしり🍑が見えそうなのに・・・
政知さんが義政さんクリソツでくすりとしたわ
以後義昭さんまではこの系統やもんねえ
義尚くんは後年美男子と讃えられたそうだがやはりあの顔系統に育つんだろうな
政知の鼻が赤いのは酔っているのか飲酒癖で酒焼けしてるのか
そういや聡明丸様って
美男子エピソードなにかあったっけ?
腹違いの姉上は...
好みの別れるお顔していたみたいだけど
>>111
道灌と和歌と言えば万里集九は後々出てきたりするのかな
結構興味深い人物なんだが 何というか人生がごりごり動いてきた感があっていいね
まぁこれまでも波瀾万丈ではあったのだが
むっしゅうが何の理由もなく扇谷の所領でもない伊豆に来たりしないよね
なんか理由が考えられているのか
新九郎が伊豆を掌握できたのは以前から伊豆の地元勢力と仲良くしていたから、
という展開になっていくと思うので
伊豆の情勢は丁寧に描きそう
>>129
熱川温泉を発見したのは太田道灌だという伝承がありましてな 政知に新年の挨拶をする筆頭として伊豆守護代寺尾礼春(らいしゅん)という人物が出てきたけど、調べてみたら山内上杉家臣団の長老で長尾景信死後の次期家宰に息子の景春ではなく総社長尾氏の忠景を据えたのもこの人物が主導してたんだな
年若の景春が選ばれる目はなかったとはいえ、これが反乱につながるわけでここにも関東情勢に関わる人物が出てきているわけだ
修善寺温泉のシーン、皆で一緒に温泉に入ると警備上の問題があるとのことだが
そういう時キャラ的には真っ先に警備役に立候補しそうな彦次郎が温泉に入っているのな
>>131
でも温泉発見のために伊豆に来たわけではないかと タモリ「でも、伊豆には良い坂道があるんですよ」
こんなことは言ってなかった気もするけど。
>>115
貞宗と政長の場合は殺し合うというより一方的に政長がやられるという感じかな
話の内容自体が既に明応の政変の伏線っぽいし 延々義就と戦っているけど負け続けて管領としての存在感ないし、今回の話以降もあれこれやらかして幕府の信頼失って最後は新将軍義稙頼りになるしで、そりゃ貞宗も見切りつけるよなってダメっぷりだしね
>>136
幕府に貢献するどころか最後は義就の息子相手に将軍と奉公衆を引っ張り出す始末だしな >>118
オレもそれちょっと思ったが暗殺は温泉じゃないよなあ
当時の風呂だからサウナか?
ちなみに新九郎黒幕説あり(雑説)
しかし、寄進とかそっちのフラグも雑に立ってたな いいなあー温泉行きたい
まさかここでむっしゅうと会うとはね
亀ちゃんかわいいーおもちーあーん
姉ちゃんやっぱり漢前だな
畳の下にへそくり隠してたのか
いろいろと観察していて戦ってるね
>>139
富子様級の女傑に確実になりつつある感じ >>98
全然知らないのに、何でそんなに上から目線になれるんだろう??
平地と馬術の調教の根っこは共通、だからJRAでも馬術経験者が進出して、調教の基本を手掛けない騎手上がりの調教師は低迷してる
疑うなら、競馬関係者に聞いてみな?
五輪レベルじゃなきゃ戦場で使えないなんて誰も言ってないし、乗馬調教されたサラなんて腐るほどいる
サラより扱いやすくて丈夫なアングロアラブも、馬術調教されて総合やエンデュランスの試合によく出てる
そもそも、戦場で平地競馬みたいに襲歩で全力疾走されたり引っ掛かったりされたら、まともに扱えんぞ
抑えても機嫌を損ねたら阪神大賞典のオルフェーヴルみたいになるし、下手な奴は振り落とされる
去勢が必要なのに技術がなかったなら、去勢に近い効果を発揮する代替方法が発達するはず、それは馬術調教?それとも他に何かあったかな?
でも、このあたりの話はお前にはまだ早過ぎる
まず、馬に乗るところから始めてみたら? 畠山の2人は対照的過ぎるし、お互い何をやったか最後どうなったかよく分かる
斯波は名前さえどっちがどっちか自信ない
>>127
杉本苑子「武蔵野の虹」(『引っ越し大名の笑い』所収)って短編では万里集九の視点で道灌が書かれてるよ
台詞の中にしか登場しない新九郎は素浪人の設定
山吹の話もちょっと変えて書いてある >>129
堀越公方の正月の儀式に列席する為じゃない? >>142
息子達二人もまた対照的なんだよな、孤立無援の中でも独力で戦い続けた政長の子、尚順と京兆家の支援頼みの義就の子、義豊
こいつらどっかで入れ替わってないか? >>123
史実なら礼儀作法
伊勢は小笠原の次に有名な礼法の家だし 礼法で有名な伊勢貞親から直々に指導を受けたからな!
伊勢流礼法指南の看板掲げて田舎大名から
金を巻き上げられるだろ
>>122
本人は息子が将軍になる前に死ぬが
家族の惨劇を見なかっただけまだマシかも >>120
少年誌と言うくくりではないだろスピリッツは >>104
マジレスすると路銀はあってるぞ
銅銭よりもかなり軽く、当時は銀は必要に応じて切り分けられて使われてたから、西国では経済流通の基軸だった >>144
幕府は反抗した関東公方(鎌倉公方→古河公方)足利成氏を罷免し
新たな関東公方として任命し送り込んだのが足利政知(堀越公方)だから
幕府側の関東管領配下の太田資長(道灌)が正月に堀越公方を挨拶に尋ねてくるのは理にかなってる。
想像だがおそらく新九郎が足利政知に会う時に
太田資長(道灌)も堀越公方館に居て
お互い何者か認識することになるんじゃないかな。 >>152
少年誌青年誌に限らず、ポリコレだセクハラだへの配慮もあってか
世間全体的に「乳首は極力見せない」傾向にあるのねん
スピなら土竜とサターン、ジャガーンなんかは
けっこう無差別に“見せていい”作品
風都探偵はときめはOK亜樹子はNG、
新九郎は今回の遊女ならOK、つる姫は行水や逢瀬でもNG
こういうのは編集部の指示があるのか
作家側に個々のOKNGの基準があるのか
今後の研究が待たれる >>116
ゆうき先生は本作で黒田基樹氏説を多用しているが
であるとすると新九郎は京での立場と並行し
足利政知の奉公衆になり伊豆に小さい所領までもらうようなので
門前払いは無いのではないか?もっともこれは1487年のことで
第49話の文明6年1475年ではないかも知れんが。
政知と小鹿範満が話している次の間で待ってる訳だし面会はあるだろ。
ところで政知の顔は正月の宴席で酒に酔っているのかも知れないが
鼻が赤鼻のように描かれているなあ。
あるいは実権もなく政治的にやる気がなくなり
酒に溺れているという描写かも知れない。。 >>155
ゆうき氏の前作、白暮のクロニクルでは、デリヘル嬢のがはっきり描いてあったな。伏木あかりは茜丸に睡眠薬使って裸にされたが描写なし。 義尚寵臣設定でありながら将軍就任時に名前が残ってないのをこういう理由付けしてきたか
フィクションなんだからそこまで気を遣わなくていいのに
>>158
鶴太郎画伯は30年経ってもまだ北条高時さんのイメージが強くて 第七集カバーイラストの政知さんは義政さんよりも気骨があるように見えるが
実際登場するとそうでもないね
やっぱ血かな
山内や扇谷からは「神輿が勝手に歩けるいうんなら、歩いてみいや!」って扱いだし
>>164
舐められたら頃す武士に担ぎ上げられた将軍様の家系が
そんな扱いされるなんてつらたん(´・ω・`) 講談社現代新書新刊の下剋上でこの辺に大きく触れてくれてるのがとにかく嬉しい
未読の方々にはとにかくお勧めです
得宗家の内管領もだか家宰というのはとにかく凄い利権ポストだったんだな
新九郎が修善寺に興味津々だったのは、空海が建てたからじゃなく、
頼家が暗殺された寺だからってことでいいのかな?
ウィキみたけど、密偵関係の出来事かな。
それにしても、読めるのは何年先の事なんだろう・・
ツイッターで今川義忠は10年くらい前の阿部寛で見たいって書いてるね
10年前の阿部ちゃんではチョイ役の今川義忠は無理ですな
20年くらい前ならキャスティング可能
結男は15年前だな
10年前はロシアでコサック騎兵を破ってた頃
政知と小鹿と新九郎
この三人の関係も意外な変化と展開をしていくんだよな
駒若ちゃんのおヌードをもっとくっきり描いたらええんにブフェフェフェ
>>182
軍師官兵衛で演じた小寺がまさにこんな感じ >>182
大河ドラマでやったんだぞ、そのコント
あれは酷かった >>184
庶兄を処刑しようとしたが処刑できず、庶兄に処刑された次兄の事件 >>188
鶴太郎が出てる大河には陣内も出てるんだよな >>186
茶々丸様将軍家の養子に送りつけたら
聡明丸様と楽しい世紀末実現してくれそう >>190
茶々丸って意外としぶとかったんだよな
果たしてここで新九郎との顔合わせはあるのか >>160
たづなとの出会いの風呂場の場面は、
「風呂のお湯のしずくだろ」
「いやいや、しずくに見せかけて軽く乳首を描いて魅せたのだ」
などと当時,議論百出したものですが、どう思いますか
当時乳首無法地帯だった80年代サンデーで
露天風呂入浴でNGだった さんごと椎ちゃん
ヤンサン移籍後に、丸出しのバーディー、
スピ移籍後に、NGの中杉・・・などなど、>>155、>>157を交えて
「ゆうきまさみとサンデー作家たちの乳首リテラシー意識」て
評論が書けそうですが誰かどうですか
そういや、俺が始めて目にした ゆうきまさみは、
OUT83年7月号?のヤマトタケル 禊の行水場面でした・・・乳首OKの・・・ 茶々丸が逃げた先には武田もあるからそこからもまた広がり将来に結び付いてくるんだよな
ウィキみて知ったけど、今週元服の義尚、
幼名「春王」は史実じゃないのか。
大河「花の乱」でもそうだったからてっきり史料に残ってるのかと思ったが、
脚本家のオリジナルだったとは。
違和感ない良いネーミング。
幼名ってあんまり残らないのかね
本作の千代丸も推測?
弟の弥次郎ってよく考えると幼名じゃなく
元服後の仮名なのでは
>>201
wikiに推測した理由が書いてあるよ
姉ちゃんの名前も創作だろうね 麒麟が来るの、斎藤道三・本木雅弘、織田信秀・高橋克典は良かったな
そこに今川義元・片岡愛之助を付け加えてもいいけど
こいつらだけで完全にラストまで主役を食ってた
道三も信秀もお父ちゃんとして悩んでたね。信秀は骨肉の争いは見なくて済んだ分救われたかな。
一般向け書籍だとなんで小鹿が討たれた経緯が良くわからんよね。
今回の話は義忠さん視点だと関東に深入りは敵味方入り乱れ過ぎてて無益と判断していて、実は姉ちゃんも同意見らしいと描かれている。
小鹿さんは関東に関わるべきという立場で、政知も道灌も駿河守護にもっと動いて欲しい立場。だから義忠さん急死で政知と道灌は小鹿さん擁立に動いた。
それで小鹿が守護になったけど、関東情勢は義忠さんの危惧した通り複雑怪奇で小鹿さんは次第に求心力を失っていき…てな展開なのかね。
小鹿さん時代の駿河の関東出兵はどんな感じだったか解説求む
>>206
実際は信勝(信行)が大体悪いけどな
甥の信澄とかは信包に次ぐ扱いで
可愛がってたし >>207
小鹿の意志を継いで関東に兵を進める新九郎
に、なるのか >>207
関東情勢の変化から政知が中央寄りになって北川殿に接近したのが最大の契機なんだよな
そこで新九郎を呼んで戦旗を思い切り掲げるわけで >>192
約40年前のOUTを知っている世代ですか
古参ですね >>205
愛之助さんて、半沢のあの金融庁の人かあ >211
ああうん、あれ、見つけた時に買っておけば……
>>213
単行本ではさらに描き足しがあってエロさが微妙に増してたぞw >>153
後の伊豆乱入の際にしっかり北川殿の所領も作ってるのはあるいはこの時などのお返しか >>207
今川は歴史的に東にはあまり興味を持たない感じだよなあ
後に北条が東駿河を分捕ってからは流石に東に目を向けるけど
基本的には常に中央指向で西を見てる このスレには漫画画廊に通ってた馴染みの者もいると訊きましたが…
>>216
東京に繋がってる沿線で、東京方面の駅は皆詳しいのに、
逆方面にある駅は自分の利用駅までしか知らないのと同じだろ まだ先の事だけど龍王丸が元服して
氏親になる頃には義忠様みたいな
濃い顔になっているんだろうか?
あと義尚は後年酒食に溺れて夭逝しているため
赤ら顔になりそうだが。
パトレイバーの後半知らないんだけど、
アニメ終わって残りは漫画のどこからになるん?
サンデーで見た時は、グリフォンと水中?で戦ってたような所までしか知らない。
後半よくあるダレたりしてないのなら読みたい
>>222
漫画版と、旧OVA〜劇場版1・2とTVシリーズ〜新OVAは
厳密には別の世界観、設定・ストーリーで動いているので
サンデー連載当時以来あらためて読み返す、と云うのならば
いっそのこと、時間とお金が許すならば
漫画版の1巻の頭から読んでみればどうか?
そのほうが混乱しなくて済むし
※ ゆうきまさみは、原作者集団の一員ではありますが、
漫画版は企画書から起こした一種のコミカライズのようなものであって
「漫画版はアニメ版の“原作”ではありません」 義忠は1473年に遠江に出陣して国人の巨海氏、狩野氏を討ったて書いてあるけど漫画じゃそんなこと起きてないよな
>>216
観応の擾乱が終わって鎌倉府体制が確立してから
新九郎奔るの時代になるまででも
今川氏は上杉禅秀の乱、永享の乱、結城合戦、享徳の乱と
関東の主要な戦いで幕府方の主力になってるし、
その後も関東に関わってくるけどなあ。
越後守護の上杉氏とかもそうだけど。 鎌倉は幕府が置かれただけあって鎌倉公方を設けたのに、それが原因で揉め事ばっかだったもんなあ室町時代
>>225
義忠も幼少期には親父の名代として関東に出兵してたって漫画でも言っている >>226
信長なんて尾張を統一するまででも戦いに次ぐ戦いなのに、
それをきちんと描いている作品って殆どないからな
無駄な飛ばせるところは飛ばしていい 起きたこと全部書いてたら徳川家康の子供の数が凄いことに
>>219
でも武家だからさ
本来中央は関東なんだよ、鎌倉は東にあるわけで
新九郎が関東に興味を持つのもそう言う所でしょ
地元でも頼朝公下し文に興味津々だったし
伊勢家みたいな官僚家系に生まれてもやっぱり武士だ鎌倉だってのが念頭にある
後の独立指向に繋がるのかはよくわからんが 武家の本拠地である幕府が京都にあるのに何言ってんだ?
義忠の遠江に対する想いが文明5年から始まった軍事行動に現れてるから書くかなーと思ったんだけどそんなもんか
伊豆はぶっちゃけ石高だとあんまり大きくないからな
何気に駿河も大国じゃないし
でも早雲時代は今川とほぼ一体みたいなところはあるから関東の勢力から見たら地理的に有利なんだよな
>>231
那須一族の話が初めて出てきたときに
在竹三郎が「あいつら鎌倉武士だから」と説明していた
「俺達は鎌倉武士とは違う」という認識を持っている感じだった >>216
北条と今川が背中合わせで東西それぞれを志向するという感じかな
それこそ後の徳川と織田みたいに 新九郎たちは関西のイントネーションで話してるんだよな本来は
コミックだから全国共通標準語が聞こえるけど
>>234
実際のところ
穀倉地帯の尾張・美濃・三河押さえている
織田徳川連合軍ってかなり豊かだしな
逆に略奪しないと生活出来ないレベルが
甲斐武田家 宝塚が今やってる「桜嵐記」は楠木正行が主人公だけど弟の正儀は河内弁喋っていて、兄弟で会話する時は正行も河内弁になってるらしいな
しかも南朝側の話だけど南朝のダメさや後醍醐天皇のアレさも描いているというガチな内容らしい
まあその公演の感想ツイートで尊氏disった湊川神社の公式垢に亀田先生が苦言呈したらブロックされるというなんだかなあということも起きてるけど
>>237
備中荏原育ちの家臣は
関西というより千鳥のイントネーションでは 播州弁は関西でも独特の方言で知られてるけど、
備中まで行くともう中四国の方言だから知らないなぁ
なんでもありの宝塚だから新九郎もありかなって思うけど、キリのいい八郎の死辺りまでだとヒロイン候補が姉ちゃんしかいないしちょっと難しいか
新九郎とゆかいな仲間たちの青春群像って感じにすればいけそうだけど
荏原編ならつるちゃんがいるがオチがなw
>>243
備後といえば義昭さんが追放されてから過ごしたところなんじゃぁ >>247
義昭さん強かに生き残ってるし
謀略家としては一流なんだよな
何かいつも馬鹿殿扱いされてるけど
一時は三国の覇者やってた孫の義元さんとか
やたら芸達者な曾孫の氏真さんとか
今は何か再評価される事が多いけど
義忠さんにも再評価される機会があるんかな 一流の謀略家はどこ発生か悟らせないから二流だと思うよ
義忠さんは再評価するほど評価低くないからな。
早死には再評価のしようがないのは毛利隆元と一緒。
ふと思ったことなんだけど、
小笠原家が秘かに金貸しをしている可能性。
>>251
扇谷上杉家も
前の話で死んだのと最後のが戦死してるぞ
>>250
あの人毛利家のATMとして
非常に有名な人物だろ
あの人が死んだら資金回りショートして
毛利家瓦解の危機になった位だし >>251
中川清秀、賤ヶ岳で戦死
息子、朝鮮で鷹狩りして遊んでて戦死
森可成、宇佐山城防衛で戦死
鬼武蔵、小牧長久手で戦死
一杯いそう 大名=大きな所領をもって家臣団を形成した有力武士。一万石以上
>>256
そりゃ江戸時代の概念だ
江戸時代に討ち死にした大名なんてw >>258
ごめん、一万石以上という部分が江戸時代のものと言いたかった >>253
定正は死ぬ直前にようやく新九郎と対面してるんだよな
それもまたドラマか >>248
ねー、義昭さんは信長包囲網を作り上げたこと自体凄い >>262
むしろ勝敗は運の差と言ってもいいくらいだった あんなの成功しても本願寺か武田か毛利かが新しい信長になるだけ
三好で懲りてないのがこれ以上ないくらいアホ
義昭公は(性的に)お気に入りの近親に所領や幕職バラ撒いて信長に怒られた人という印象が強すぎて
馬鹿殿返上はむつかしい
>>264
まあ信長になれるだけの力量と条件を持つ奴はいないからな 室町時代の大名(たいめい)と小名って何処で区別してたんだろ
>>263
武田や上杉、毛利、本願寺、各地の一向一揆、他
同時に立ってたら確実に倒せてただろうけど、当時の情報網じゃ無理な話だよな >253
隆元の評価は「惜しい人を亡くしてしまった」よりないよね。
>>271
これはお勧め
景春に新九郎に孝景まで触れてるし 最近半分定説みたくなってる室町将軍は朝廷と武家の調整役として動くことで
権威を確立したって説も近年ポッと出ていつの間にか定着したわけだし
あんまり長期連載やってると新学説とストーリーの整合性が取れなくなる。
そこはどうなるのかちょっと心配。
センゴクみたいに最新の学説トレンドを取り入れたらその説がどんどん下火に
なっちゃったりすることもあるしねw
>>270
一応内政能力、特に金回す才能は
皆が認めるレベルで高かったみたいだが
大体例え話で輝元ディスられるのがセットだが
一応毛利の最大版図...と思ったけど
天下征したそうせい候が居たな... 戦国時代後期は研究者も多くて史料の発掘も盛んで学説の推移のペースも早いから大変だろなー
誰かが根拠なく勝手に言ってるだけの説とかあるしな
特にネットでは
>>275
竹中直人主演の大河「秀吉」とか、
『武功夜話』とかの記事盛り込んでいろいろ新機軸打ち出そうとしてたらしいけど、
あれどうなったんだろ。 おそらく完結してから一気に読んだほうが
楽しめるんだろうなと思って俺は読み飛ばしてるわこれ。
どうせカムイ伝(1部)とかみたいにはならずに、
判明している史実の点を線で結んで
そのまわりに人間ドラマらしきをちりばめただけの、
活性炭で脱臭しきったようなオサレさはあるが
中途半端なものが出来上がると思ってはいるんだけど。
栄枯盛衰とは良くいうけど
この時代活躍してた家の殆どは
戦国後期にはどこかに吸収されるか
あるいは滅ぼされるかして
残っててもとるに足らない
弱小と化してるのはなんだか悲しいねえ
まあ東北界隈は
佐竹や伊達や安東(秋田)や南部みたいに
復権するところも多々あるけど
しまづ?知らねえ戦闘民族ですね
肥後細川は細川といっても聡明丸君の家とは違うものね
織田の名前は誰か(貞親?)の台詞の中でチラッと出てたような
斯波の被官の1つとして
斯波家家老の筆頭だった甲斐氏は真っ先に没落しちゃうし
>>281
分家だったのね
江戸時代も大名で続いたのは >>281
足利庶流の中でも唯一の江戸時代の大名かな?
喜連川家とか別にして
初期なら最上もいるけど >>285
肥後細川家は細川上守護家から三淵家に養子に行った父親(三淵晴員)が実家の要請で息子の一人を上守護家に養子に出したのが細川幽斎というめんどくさい系統
しかも幽斎が本当に細川氏の出なのかどうかにも最近異論が出ていてよくわからない
細川京兆家は政元で血統が切れて相続争いが起きた後、澄元(阿波守護家)と高国(野州家)の子孫で取ったり取られたりがあって、最終的に澄元の子孫が福島三春藩の秋田氏家老として幕末まで続いている 加藤「熊本を44年間ほど治めました」
細川「熊本を237年ほど治めました」
熊本県民「清正公万歳! 細…川…?」
細川の立場ってないよな
伊勢氏は姓名サイトで分布調べるとなぜか北海道と東北に多くいたりするが
宗家は色々あったけど江戸時代には礼法の専門家として旗本となって続いている
過去スレでも出てたが備中伊勢氏は盛頼の子孫が戦国時代まで国人領主として残ってたけど、最終的に荏原を失って毛利に仕えたが没落したらしくて江戸時代には残っていなかった模様
荏原で伊勢氏の被官だった平井氏には伊勢氏から養子が入ったという伝承があるけど、これは江戸時代に作られた虚構である可能性がある
在竹三郎とか荒木又次郎の兄の家はその後どうなったのだろう
岡山住人だが、備前守家被官のおっさんず笠原・平井・井上とか、
御由緒の荒木とかは、いまでも地元でよく見かける名字。
那須もたまに出会うかな。
在竹とかは少なくとも自分は会ったことない。
>>288
福井の友達も地元ですら「北ノ庄!勝家!お市様!朝倉…?」
って嘆いてたな >>293
そっちは近い方が有名だからまだマシかも >>293
自己レス。地元で見かけるのは荒木で間違いない。
(作中だと荒木は荏原出身ではないみたいだけど。)
荒川兄弟の荒川は、自分の周囲にはいないかな。
まあ、荒木も荒川もそこまで珍しい名字ではないが。
たぶん地元色の強い名字は、難波とか妹尾だと思う。 >>291自己レス
荒川又次郎だったね
荒木彦次郎と混じってたわ 在竹・荒木・荒川の三人は姓が紛らわしくて未だに混乱するw
>>293
静岡「徳川!徳川!徳川」
今川がかわいそうで 荒川・荒木はまぎらわしいね。史実だから仕方ないんだけど。
オリジナルで名字つけていいとなったら、ゆうき先生も絶対べつの名字つけてただろうな。
荒川・荒木・在竹・大道寺・山中(五十音順)。
ア行が多いのもちょっと。それにしても「大道寺」以外は庶民っぽいな・・
>>293
岐阜なんて信長公!信長公!信長公!
いやいや斎藤道三も良いよね(京都出身)
土岐?市ノ名前デスカ?
戸田?何ソレ美味しいの?
これよかマシだろ 鎌倉・室町期の守護家がいまでも地元の英雄とか、島津と武田くらい?
>>302
伊達にずっと苛められたけど
苛めっ子の政宗君がピンチの時庇って
上手いこと生き残った相馬さん
島津と大友に翻弄されながら
肥後の国一揆も上手いことかわした相良さん
北畠さんの子分として勢力拡大したけど
御家騒動+津軽独立+九戸反乱と
色々大変な目に遭った南部さん
は地生え大名 >>303
南部さんは何となくいまでも地元で人気がありそうだけど、
相馬さんと相良さんも実は人気なのか! >>302
守護ではなく羽州探題だけど、最上義光は地元の英雄みたいなもんじゃね? >>305
そういえば大河「独眼流政宗」で最上義光が悪役っぽく描かれて、
地元の人が苦情を言ったとか聞いたことがありますね。
新九郎も、小田原で一番人気なのかな。 >>306
人気ありそうだけど
氏康とかと拮抗しそう
不人気は北条五代記の頃から氏政確定だろうが >>292
荒木兵庫は荏原編でも親族が出てこないし、摂津か越前あたりが出自じゃないかって気もする
備中出身だとしても荏原荘在地被官ではないのかも >>306
敵役だから悪く見られたかもしれないけど、かなり魅力的な人物に描かれていたよ >>308
新九郎Wikiでは山城国生まれとあるがそんな描写はあったっけ
新参者と言われたのと平六と喧嘩してた記憶はあるが >>307
氏康は「名君」ってイメージだからやっぱり人気ありそう。
>>308
荒木は京都篇で「新参」とかあったし、設定的にまだ謎が多いですね。
>>309
義光は、秀次事件に連座して娘の駒姫が処刑されそうになってた時、
憔悴して政宗に頭を下げていたシーンが印象的。原田芳雄、いい役者だと思いました。
妹役の岩下志麻とのシーンもよかった記憶。 とは言え敵役・悪役ポジに地元の英雄が割り振られるのは
どれだけ作中で存在感のある良い役であっても素直に受け入れずらいだろなー
吉良上野介くらい定番中の定番になっちゃえば割り切れるようにもなるんだろうけど
わりと良い人っぽい小鹿兄弟を新九郎が殺してしまうとは
酷いネタバレを知ってしまった
>>312
なお吉良郡の連中は
テレビ愛知に抗議電話入れる程度は
むかついてる模様 吉良上野介って実は良い人みたいな氷菓する人がいるけど、
上杉鷹山が借金を返す話を見ていると、ゴミクズ以下の汚物だと分かる
そして同時に気付かされる上杉景勝・直江兼次無能説
なぜそこで「氷菓」と変換するのか
ミステリー好きなのか
駄菓子系アイスが好きなのか
単なる京アニ系アニメファンなのか
わたし、気になります!
>>288
子孫が県知事になるぐらいは認知されてるんだからいいんじゃね? >>317
単に暑くてガリガリ君が食べたかっただけじゃね?
忠臣蔵については実は内匠頭が相当な無能だったらしいとも
吉良も因業爺だったろうけどな
伊勢氏みたいに礼儀作法の指導がお仕事だったんだよね
毛利家は地元じゃ今でもすごいんだよね? >>319
指導は仕事なんだから授業料をケチればそりゃ教えないわな >>319
因業爺と地元にとっては名君は両立するかなあ
まあ吉良郷にしてみりゃ
うちの殿様一方的に惨殺されて
テロリストの方が英雄扱いされてりゃ
特に悪政敷いてなけりゃ
普通はむかつくわな >>320
それを賄賂を要求したなんて言われてもねえ 吉良さん、上杉家(実息子送り込み)でメチャメチャ悪政敷いてるのよ
鎌倉武士から続いていたヒャッハーなサムライスピリットが赤穂浪士で途絶えてしまった。精神的な歴史で見ると画期的な出来事だよ。
元禄以降の有名武士は官僚タイプばかりになる。
>>318
政元以来の天下を取ったしな
政元と違って神輿だったけど 高家は参勤交代無いから善政だったならそれはきっと代官の徳
>>325
佐竹知事は家老家らしい
民選殿様知事といえば熊本と愛媛 愛媛もそうだっけ、と思ったが、久松家か。
伊予にも北条っていう地名あるんだよね。伊予北条駅とか。
>>326
内匠頭の弟はかなり冷静だったんだよね
「吉良様には何の遺恨もありませんからー悪いのは兄貴ですからーお家存続させてー」って手紙を幕閣に送ってる
領地内の紙幣がちゃんと使用できるかどうかも気にしてるし 大河ドラマの元禄繚乱は傑作だったな
それこそ漫画化出来そうなくらいに
峠の群像は怖かった
当時まだ小学校にも入ってなかったから意味わかんなくて夜盗の類だと思ってた
しばらく一人で夜トイレ行けんかった
>>251
少弐氏なんか室町時代以降、一人を除いて全員、自刃、討ち死に、客死、暗殺とろくな死に方をしてない >>329
知事は秋田県角館町を領してた分家の佐竹北家の流れを組む人 >>192
読んだなーそれ
その時はここまで長い付き合いになるとは思わなんだが 戦国末
関東の覇者、下手打ったとはいえ
秀吉の天下平定のラスボス扱い
幕末
長州の子分のチンピラ集団天誅組に右往左往
どうしてこうなった...
「峠の群像」は2番目に見た大河ドラマ、
けっこう辛かった記憶、、
松の廊下や討ち入りとか全然覚えてないw
ちなみに、最初に見たのは
「おんな太閤記」
ただの「太閤記」ではないw
同時に関連か便乗か近所のデパートの催事で
「太閤・秀吉展」とかもやっていて、
小学生にもブームになっていた印象、、
>>339
あーイヌスキー・プーチンに秋田犬の仔犬贈って
お礼にサイベリアン・キャット貰ったネコスキー知事か >344
龍角散のCMの人、くらいにはならんかったのか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%AD%E3%83%B6%E5%B0%8F%E5%B3%B6
>>「蛭ヶ島公園」として整備されている場所は、江戸時代に学者の秋山富南が「頼朝が配流となった蛭ヶ島はこの付近にあった」と推定し、これを記念する碑が田野の中に1790年に建てられた。この石碑は韮山代官の江川家の家臣が建立したものとされている[2]。これが「蛭島碑記」で伊豆の国市指定有形文化財となっている[4]。
>>なお、この石碑とは別に、史跡の北側約600mの民家の敷地内にもほぼ同様の碑文の「蛭島碑記」の石碑がある[5]。
>>この周辺は地域住民から「兵衛」の地名で呼ばれており、頼朝配流時の官職名が「右兵衛権佐」だったことから、こちらが配流の地であるという可能性も指摘されている[2]。
蛭ヶ小島と思われる場所は2つあってどっちにも江戸時代に石碑が立ってるのか(現在片方は公園になってる)
作中で新九郎が感激してたのはどっちだろ 600mしか離れてないんだから「まとめてしまえばよくね?」ってのは
門外漢の意見で専門家や地元の人からすればその違いが重要なんだろなー
新田義貞さんの討死したところも以前兜が出たところを比定したけど後で検証したら戦国時代のものじゃね?
説が出て曖昧になった件を思い出した
600m範囲で一つにすると、
例えば池田屋も、長州藩邸も、竜馬の本拠地である酢屋も、竜馬が暗殺された時にいた近江屋も
全部一つになってしまうな
狭いってより、長州藩邸の近くをうろちょろしてただけだろ
>>251
あんたが歴史は戦国時代の一部だけと思ってるから今川だけなんて言ってるんだろ。
例えば相模守護・扇谷上杉家では上杉顕房が戦死、その子の上杉政真も戦死、
「新九郎」に出てくる政真の叔父・上杉定正は落馬死。
数代後の上杉朝定も川越合戦で戦死。
関東管領・山内上杉家だって上杉憲忠は古河公方足利成氏に誅殺され戦死のようなもの。
「新九郎」に出てくる上杉顕定は長尾景虎(上杉謙信)の父・長尾為景に敗れ戦死。
上杉憲政は上杉景勝と政虎が家督を争った御館の乱で戦死。
関東管領とその一門クラスでこのありさまよ。。 >>353
251は俺だけど、今川以外に何がいるかを聞きたかっただけで、今川以外にいないなんて一言も言ってないよ なるほど、上杉だけでこんなに……
ただまあ、曲がりなりにも関東管領たる上杉だからこれだけ戦死してても何とかなってたともいえる。
小さいところだと当主が戦死するような敗戦したらそれで終わりそうだし。
あと謀殺のことなんか聞いてない
謀殺入れたらキリない
>>357
そういえば「宇喜多」の史料上初見も、応仁の乱くらいらしいね。
出自は諸説あるらしいけど。
京と荏原を行き来する新九郎が、当時の宇喜多当主にバッタリ会っていても不思議ではない。
ちなみに現在の岡山では、浮田の名字はけっこう出会う。 八丈島の宇喜多秀家の子孫も、今の名字は浮田になってるとか聞いた
本当かどうかは知らん
元々地名(地形)の浮田が宇喜多に改名
→元に戻す じゃないのかな
>>357
新九郎も駒若使って謀殺するくらいしないとな そのCM、当時から見た事なかったがセブンイレブンのCMだったのか
そりゃすぐ風化するわ
風化したけどあ〜るのおかげで今でも覚えてるな。
もう四半世紀も経つというのに……。
他のコンビニのCMなんて覚えてないしなー
30年くらい前、大船撮影所に見学に行ったら
CM撮影用にローソンをオープンセットでそのまま建てていて
「へえ」とか思った記憶、、
まさにあれ読んだ当時、セブン未進出県に住んでたから
あのギャグの意味はわからなかったな
「わてホンマによういわんわ」もずっと後になってから元ネタ知ったっけ
単に関西弁でボケたんだと思ってたw
おかゆライスをまさか農林水産省が推奨する時代になるなんてな
しかもまあまあ美味しいとか
「カルメン故郷に帰る」なんとなくずっとマジな映画と思っていたが
映画秘宝か何かで記事を読んだら、コメディ映画だったときの衝撃!
元ネタがマニアックで一部の人にしか解らないパロディをメジャー誌で堂々とやった最初期の作品よね、あ〜る。
作者が、アニパロ作家がメジャー誌進出という当時のオタクにとっては驚天動地のサクセスストーリーの主ですおすし
>>384
来年もやると思うぞ
何しろ、建物自体をそのまま見せるのが最大の売りなんだから 月刊とはいえジャンプブランドを手に入れたみやすのんきの前例もあるし
「漫画界が甘くなってきている」空気は濃厚に漂っていたので意外性は
あったものの驚天動地ほどではなかったような気もする
ドラクエと桃太郎伝説がブレイクする前の堀井雄二とさくまあきらが
組んでコラムやってたのもOUTだったしな…
時代が移り変わりの時期だったのか
島本自身もそうだったように
「同世代の新しい人たちが出てきた」感があった
驚天動地だったかどうかはともかく
今回の細野の自伝漫画にあるように
「留美子と細野はキャラ絵が似ている!」とか思ったりw
いま思えば「何処がやねん!?」なんだがw
ゆうきセンセも「アニメぽい絵柄のひと」扱いされたりね
まあ、アニパロから始めたからさもありなんだがw
>>385
毎年やってるよね
次回のラリック展は絶対行く
あのドレスは確かにアールデコ風だった >>390
あれで「墜落」じゃ無い方が「堕落」って覚えたわ
♪西から上ったお日様が東にしずむ
で東西を覚えたのと同じ >>386
みやすのんきもだが、魔界都市新宿のコミカライズしてた細馬信一も直前までエロ漫画描いてたんだよな。
コ○ンの作者も当時描いていたと言う噂があるが。 >>386
他の転籍組は揃いも揃ってしょうもなかったけど、ゆうきまさみだけはちゃんと作品が面白かったじゃん
全盛期のサンデーでトップを張れるぐらいに
あれである種の可能性を拓いて、それゆえにある程度の年齢層のオタクにはゆうきまさみは永遠に特別な書き手の一人 しかし山本直樹は後年レッドで文化庁メディア芸術祭優秀賞を取るのであった
山本直樹は「田舎」が去年のこのマンで13位入賞だもんな
浪人生が田舎で小学生と毎日セックスする漫画なんだけどw
有害コミック運動で槍玉に挙げられたのは30年も前だったか
>>397
まあ「本物」はどんなジャンルだろうが最終的には認められるのよ 多分この田舎だと思うけどNHKでエロ漫画書いてるとこ密着取材されてたからなあ
もう文化人的な扱いなんだろう
>>398
ゴッホ「死後に認められても意味ないがな」 田舎はしょうじきなところあんましおもアワワワ
穢、炉利嫌いなんだよ
全員死人だったら面白かったのに(暴言
森山塔は文化祭で姫扱いしてくれないとめそめそ泣く先輩のがちょっと好き
一番面白かったのは僕らはみんないきているだったけどあれは一色信幸か
でも映画版は真田広之の演説しか見るもんなかったな(暴言
青木繁「死後に認められても意味ないがな(ゴッホゴッホ)」
漫勉に出て、純粋にゆうきセンセの執筆風景を見てみたいな
浦沢センセー、次の期で,ゆうきセンセはどうですかー?
柏木ハルコも出たし、スピリッツ枠と云うことで1つ
すっごい今更ながらの疑問なんだけど
あ〜るでさんごが脇毛見せるネタって
あれはひょっとして黒木香?
リアルタイム読書じゃないから良くわからんかった
黒木香が世に出てきたのって連載終了直後位じゃないか?
88年くらいだったと記憶している
「黒木でございま〜す」
♪おさかなくわえた…♪♪
>>404
腋毛を見せる・・・ではなく
さんごは腋毛を隠しているんだ
あ〜る のほうが先
考え過ぎ・・・と云うか
「(腋毛を)隠し毛」→「隠し芸」・・・と云う駄洒落だから説明するほどでもない・・・ 大学の新歓コンパで自己紹介がわりに一発芸しろと言われ
これ思い出して「隠し毛」やったらドン引きされたことあるよ
隠し芸なんてゴム手袋を頭にかぶって鼻息で割ればいい
>>405
ウィキ見たらビデオ発売が86年10月だと
87年にはもう本とか出してるから完全にブレイク状態 >>407
そういうのは可愛い女の子が恥ずかしながらやらないと、ただただ汚いだけ 学生コンパの一発芸はチン毛燃やしと屁燃やしが双璧
「隠し毛」なんて上品すぎてドン引きされたんだろ
>>412
きまぐれコンセプトで、それ広告代理店接待の定番!とか描いてたなー
大学デビュー臭強いと思ったんでホントかどうか知らんw >>414
ちんこ浸した風呂桶のお湯飲むのと
ラップ巻きフェラよりはマシだと思いました
電通怖い電通怖い((゚Д゚ll)) むかし鈴木みそが描いてたマンガで、広告代理店(だったと思う)のこういう宴会芸が紹介されてた。
・上司がポッキーを部下の肛門に突っ込んでチョコポッキーにして、「誰が食う?」
・後ろから女性に近づいて、おちんちんを女性の頭の上に載せて「ちょんまげ!」
屁燃やしは体育会どころかオーケストラでさえやってた。某マーチ。
今日伊勢佐木町歩いたんだけど
魁が棗と会った喫茶店はどのあたりにあったんだろう
うちのおかん(昭和22年生まれ)が自称・伊勢佐木町育ちだけど
>>412
MAN毛燃やしは『土手焼き』って芸名だったらしいな >>419
喫茶店「ぼなある」の「ボナール」の意味が、フランス語で「幸せ」だと知った。
あそこで2人が再会しなかったら、魁はともかく棗はずっと幸せだったろうに。
皮肉な店名だな。 >>423
ほんとにねえ…で、どこにあるんだろう
「じゃじゃ馬」で駿平が両親に「ついでに弟か妹種付けたりして」って失言したのに対して
お父さんが「下手な宗教にはまるよりよっぽどマシだ」とか言ってたのは
あのちょっと前にオウムの地下鉄サリン事件があったからなんだよな >>424
>で、どこにあるんだろう
「幸せ」は意外と身近なところにあるらしいよ。 幸せの青い鳥の寓話は、
幸せは身近な所にあるが、色々な経験をしてこないとそれに気付けないという意味で、
より大事なのは後者の方だと思う
あ〜るとか他まんがのネタのときと、
日本史ネタをしゃべってるときって
ホント、住人が入れ替わってるんじゃ
ないか?ってくらいノリが違うよね?w
でもね、SFとか特撮が好きな人間は、時代劇や落語も同じくらい好きなんだよ?
わるいオタクが早口でまくし立てるような勢いで日本史ネタ書いてく人は、ちょっと異質だと思う
義忠のポジティブ馬鹿ぶりがより極まってきたな
無駄に華と行動力があるだけに小鹿範満も大変だw
カタブツの割に人たらしな新九郎
天然がいいのかな?
>>437
裏表がないからだろうな
だからコイツなんとかしてやらないとって気にさせる 利用しやすい性格なんだけど
利用させてもらってるしちょっとくらい役に立ってあげるか
という気にさせられる
今川了俊の太平記って、曹操注釈の孫子みたいなもんか?
読んだ
お姉ちゃんともしばしお別れかー
これ読む為に隔号でスピ買ってるのに
室町〜応仁にウトいので、あまり書くことがない
あ〜るやパト、じゃじゃグル、バーディーなら
ノリノリで書き込むのにw
近所で唯一置いてたファミマが置かなくなってしまった
ヤンジャンアプリみたいに、読みたい作品のみ課金させてくれ
堀越公方は源政知と名乗らないんだ。
意外と器の大きい人物で良かったね。客人とはいえ初対面の身分の低いものから2回も諌められたら立腹しても不思議ないのに
>>438
新九郎面会で太刀持ちやってた子やろ
猫と戯れてても縁側に控えてるし >>448
室町初心者にはちょっと厳しいかもしれないと思った
読者逃げませんようにナモナモ 新九郎への和やかな態度は持って生まれた気質もあるのかもしれないけど
今の自分の境遇を考えれば威張ってみたところで格好なんぞつかないという諦観もありそう
>>450
ちゃんとしてるところが京を懐かしんで気に入ったのかもしれん
融通無碍の義政より義視に同情的だし
そもそも数少ない堀越府の味方の小鹿通して御手討ちはあるまいが >>450
正式には源朝臣足利左馬頭政知で、略すと足利左馬頭とか左馬頭政知なのでは? ああいう御目見えとかの姓と名字の使い分け方ってどうなってるんだろね?
義政が源を名乗った時は新九郎の元服の挨拶だったし公的な謁見という性格があったからなのかな?
今回の政知の場合はほぼ私的な謁見だろうし
>>446
あ〜るで、光画部部室に迷い込んできた子猫に茶々丸様って名前つけてなかったか、と
思ったらアレは「ねこ丸様」だったな >>454
確かに小鹿が同席してるからね。それと身分は高いけどある意味流刑みたいなもので都恋しいから京都の話聞けるだけでも機嫌良くなったみたいだし >>455-456
元服時の義政への御目通りと違うから気になったけど、確かに私的な御目通りだから、というのは理屈通るね
それにしても名乗りのルールはよくわからない 周りからみたら新九郎もこの時点でも相当中心に近い人物だからな〜
しかし将来直接成敗する方と親しくなっちゃってどうなるのやら
本当の救いのない悪党扱いされるのは政知の子の茶々丸くらいなんかね
足利義視のかつての法名・義尋(ぎじん)に
「よしひろ」とルビが付いている・・・
>>451
あの子供は子息の誰かだと思っていたけど
タダの小姓なのか 鎌倉公方足利持氏の起こした永享の乱〜結城合戦と息子の起こした成氏の享徳の乱は経緯がつながってるし、享徳の乱では鎌倉公方はいないけど古河公方(成氏)と堀越公方(政知)がいて敵対関係にあるというめんどくさいことになってるしね
両方に足利氏がいるし、上杉氏や大田氏は諱にそれぞれ一族の通字(憲と資)があるからよく読まないと誰が誰だかわからなくなる
結果的に見れば、なのだろうけど。
堀越公方は何のために関東に派遣されたのか?
本当に意味不明になっている。
古河公方に代わる新たな関東公方にするのなら、鎌倉に入れるのが当然なのに。
肝心の関東管領の山内上杉氏からも要らない、と言われるなんて。
何でこんなことになったのか?
私が政知でもひねくれてしまうな。
>>470
鎌倉に入れない。京都にも帰れない。大変な苦労人だよ。ひねくれたりくさったりもするよね >>469
山内上杉と扇谷上杉の並立もわかりにくさの原因かもね
後に長尾どうしも争うし >>472
後の近世上杉家も長尾だけど
それとは違う系統だし
景勝の実家もまた違う長尾だし
本当に分かりにくい 笑える回ではあったけどいろいろと気の毒になってしまった
堀越公方も小鹿さんも
姉ちゃん相変わらず薄い本読んでるのね
義忠の高笑いが不気味になってきたわ
新九郎紀行で新日本紀行のOPが聴こえた
韮山にはもう溶鉱炉があったりして
女金貸しの話がまた出た。多分次の新九郎の恋人は彼女だと思う
「変な女に引っかかてはなりませぬ」という須磨の言葉はフラグで、身を固めるまでは変な女ばかり相手にすると見た
そんなに顔と名前とが一致してない身としては
「よしただ」とかが吹き出しにでる時に似顔でも付けておいてくれれば
とはよく思う
>>461
時政さんのシーンはあれだ
単行本になる頃来年の大河ドラマが始まる前ぐらい 難太平記って太平記を非難する本なのね
同人誌の評論ジャンルか
新九郎は温泉で会った人が誰か聞きそびれたので数年後の再会で太田道灌だと知ることになるわけか
現状こんな落ちぶれていても
堀越公方の子は11代将軍になるんか
今の京都の主要メンバーが明応の政変で絡むのね
新九郎はその頃は伊勢で極悪人茶々丸討伐に精を出すので縁もあると
今んとこ100%の悪役って出てきてないよね
強いて言えば新九郎を誅殺しようとした盛頼の親父くらいか
新九郎と対立してる側にも何分かの理を持たせてる
茶々丸も単純な悪役、乱暴者いう存在としてだけには描かないような気がする
茶々丸はたぶん継母異母弟殺ししか活路がない哀れな妾腹の公子みたいな感じじゃね?
茶々丸だけはフォローしようがないくらい
資料的にロクでも無いことしかやってない感じだが
1人くらいは絶対悪みたいなのがいてもいいんじゃないの
伊都ねーちゃん次回登場時は落飾姿かなぁ。
あと範満は現状では後年新九郎に
討ち取られる姿が想像出来ない。
寧ろ自ら新九郎に御首を差し出す
最期になりそう。
葛山って後にその娘が新九郎の子、北条幻庵長綱産むのか、
後の伏線らしきのが続々出てきてるな
>>488
後に早雲が韮山を拠点にしたのは毎日富士山を見たいがためだったのか >>484
あれもまあ、新九朗の親父に自分が相続するはずだった領地を横取りされたと思えば、あの時代の基準なら殺意の一つも抱いて不思議じゃない気も 終わりの見えない関東に手を突っ込むくらいなら直接益のある遠江を狙うのはわかるけどな
小鹿も小鹿で自分が直接関東に関係があるから関東を優先するだけで立場の違いでしかない気がする
鎌倉公方が何で古河公方とよばれるようになったか今回でよくわかったが
勢力図見ると古河は敵方との最前線に位置してるんだな
神輿が本拠とするには危険な気がするけど…
古河公方は堀越公方と違って、神輿とは言えないくらいには実質的権力持ってたっぽい
>>496>>497
成氏は自分で兵を率いて戦う人で戦上手で通ってるんだよなあ
古河に拠点を置いたのも守りより攻めを考えた結果だろうね >>495
いまんところ新九郎と親しい感じで仲良くやってるから小鹿さんに肩入れした視点になりがちってだけだろね
姉ちゃんは関東に手出しなんて無益っていう夫と同じスタンスだし 今回、新九郎が政知に拝謁した時点で、茶々丸は産まれているの?
>>501
おそらく文明年間の生まれということしかわかってないけど、弟の清晃(義澄)が文明12年よりも前ということになり、伊豆編では全く言及されていないので今回の時点(文明6年正月)ではまだ生まれていないか乳幼児かというところ
政知死亡時に元服前だったとすれば文明5〜6年以降の生まれだが、あまり遅いと自ら脱獄して潤童子とその母を殺したという伝承と合わなくなる 訂正
>>弟の清晃(義澄)が生まれた文明12年よりも前ということになり、
そもそも生母が誰かもわからないし、公方を継げる嫡子だったのかどうか
スピリッツホントに出てるの?ってくらい見当たらないけど、今週何か売れる様なものあった?
江戸時代の喜連川騒動について読んでたら、一色とか二階堂とか高とか大草とか室町っぽい名字の人がたくさん出てくる。わずか5千石まで縮小しても、コップの中の争いを続けてたんだなあ・・・
新九郎、政知に気に入れられたみたいな描写だけど
実際黒田先生に拠れば新九郎、政知の奉公衆になって伊豆に領地貰ってたみたいだからな
まあ茶々丸に領地は没収されたみたいだけど
考えてみれば、その私怨もあって、新九郎は伊豆侵攻を決断したのかも
>>503
敗者の歴史は悪く書かれても真実とは限らないからなぁ
茶々丸のクーデターが成功してたら、後妻が亡くなった先妻の子供を疎外し悪く夫に伝え後継を自分の子にしようとしたのを止めた
に変わってただろうしな 茶々丸の諱不明の理由って分かるんけ?どう見ても成人しているっぽいけど
無節操に暴れたから元服の為の烏帽子親が見つからなかった=諱が無いって話は聞いたことがあるな
「新日本紀行」のあのOPって冨田勲の作曲なのか
名曲だけど「きょうのお料理」のOPが最高傑作だと思う
ここで茶々丸出さなかったのはしばらく寝かせておいて研究が深まるのを待つつもりなのかも
悪の美少年ぽく描くか、血筋のいい弟たちに劣等感を持つ哀れな男として描くのか、あるいは伊豆の国人たちに担ぎ出された傀儡として描くかなど茶々丸像はいろんな姿が考えられるし
>>512
あれは新日本紀行というより最近の大河ドラマの最後にある「〇〇紀行」という作中に出てくる場所の紹介コーナーだよ
フォーマットがそのままで女性アナのナレがつくところまで同じ
修善寺を出したのは多分来年の大河が頼朝の死から合議制を経て北条氏が権力を掌握するまでを描く「鎌倉殿の13人」だから >>516
そういわれてもあのOPが聴こえてきたので 伊達小次郎「諱が不明で大河で便宜上政道(まさみち)と名付けられましたが、劇中でそう呼ばれたことは一度もありませんでした」
茶々丸はミドルネームですらないしな、完全に幼名の類ですがな
小西アウグスティヌス行長「ミドルネームもいいものぞ」
>>489
ただ単に氏親の敵ではなくて何がしかの経緯があって新九郎に討たれるようになるんだろう。
それが1話の冒頭の明日からは俺の主は俺に繋がるのかも。 >>521
なんか千年前にローマ皇帝してそうな名前w 韮山城の西隣にある県立韮山高等学校がドローンで学校の校庭上空から撮影されたパノラマ写真がストリートビューで見られる(ビューアイコンをグラウンドの青い点にドロップ)
かなり高度はあるけどここから富士山がどう見えたかとか、堀越御所との位置関係などが実感できて面白い
堀越御所の周辺は今も田畑が広がっいてるが550年前はもっと田舎だっただろうし、そりゃ政知も腐るよな
突然還俗させられる武家貴族なんてろくな目に遭わない
どうせ還俗すればいいじゃん、てなると
跡継ぎ争いしないよう出家させる意味がなくなるような?
高貴な人の出家というのはそれだけじゃなくて、政治経済軍事で大きな影響力をもつ寺社をコントロールする手段だったり、子孫を断つことで家の財産の分散を防いだり、みたいな意味もあるっしょ。
でかい寺院の門主とか下手な大名より財力や権力あったりするからなぁ
そういう権門に食い込んでいる一族を還俗させる(=影響力を手放す)ってのはデメリットも大きい
だから還俗させて呼び戻すってのは相当に非常手段
黒い人「トミ子、トミ子、トミ子ー!!」
日野富子の耳 「ピクピク」
>>526
今週の「解説上手の若君」でちょうど採り上げているネタだね 小鹿さんが討たれた頃に新九郎が政知さんの家臣になったんだよね
何か功労があった、ありそうなのは貞宗さんとの繋ぎ役として働いて信頼を得たってやつかな?
大鹿さんが常識人でいい奴すぎて泣けてくる。全てはかわいい甥っ子のためということなのかな・・・
新日本紀行とごっちゃになっている人いるね・・・「下車徒歩15分」のくだりは大河ドラマの本編だよ・・・
たまに徒歩1時間半とかあると実況スレがどよめいたり。
足利宗家のお世継ぎは所々綱渡り的なところあったもんなあ
誰か義教メインの漫画も描いてくれないかな?
義満の息子達の作りでもいい
小泉とか池田とか田中とか描いてる人にもってけばおもしろいと思う
政知の性格は坊さんっぽいのかもしれないな。
武士とも公家とも違う感じだわ
>>536
庶子だから元から厭世感みたいなのはあったんじゃないかな 四兄弟で最も正統なのに無名でテストにも出てこない義勝
徳川も足利も7代目は幼年で早死
その後の8代目はとは影響力が大違いだな
身分の低い母親の子でもほかに跡継ぎがいないというケース
近代以前は稀によくある
黒田氏は今川義元が庶子説を出して今認められてる感じ?
(今川義元って研究者が黒田氏研究の新説を出したのかな・・・)
今回文字めっちゃ多かったけど面白かったな〜
むしろ享徳の乱をよくぞここまで圧縮したなと
>>541
徳川将軍ってほとんどがそれだよね
正室所生がわずかという >>544
あそこで名前だけ出てきた上杉憲実は永享の乱後に鎌倉公方持氏と義久親子の助命嘆願を何度も義教にしたけど拒否されて泣く泣く主君を自害に追い込むことになってその後すぐ出家
後にその意に反して関東管領になった息子の憲忠を義絶するけど、憲忠は憲実を憎悪していた持氏の息子の成氏に謀殺されることになって享徳の乱が始まるわけで、短くまとめた背景にはドロドロの怨念が渦巻いてるんだよな >>547
憲実の半生を大河ドラマにしたら陰々滅滅で視聴率取れないだろうな… 大河ドラマ平清盛で、平家は身内の争いが少ないと言ってたけど、武士としてはホント少ねえ方だよなあ
鎌倉北条は抗争はあったがそれでも東勝寺に一族総勢枕したわけで
それが如何に難しいかは武田勝頼の例を引くまでもなく
イマイチ高時無能論に乗っかるの躊躇するんだよな
>>551
闘犬マニアとか桀紂の暴虐の類としてはまあ可愛いほうやし
ただ北条氏、鎌倉幕府を支配していく過程で相応にエグいことしてるし、まあ求心力は落ちていたんだろうなと それにつけても某若君のドSっぷり
ニッコリ笑って出血多量
義政はなんで兄に「政知」という鎌倉公方代々の通字の「氏」の入ってない諱を与えたんだろう
同じ足利氏でもこっちは将軍家の出という違いを出したかったのかもしれないが、この辺にも堀越公方の存在の中途半端さがあるような
と思ったら家永氏が政知は晩年に古河公方政氏に対抗して氏満と改名し、今川龍王丸に偏諱を与えて「氏親」と名乗らせたって唱えてるらしいな
裏付け史料がないので黒田氏からは反論があるようだけど
>>549
源氏は農業、平氏は商業
土地を平等に分けるのは困難だが、銭は平等に分けられるから揉めにくい 交渉次第で堀越を引き払わせる想定だったからかもね
それはさておき
堀越府襲撃年に氏満由来の氏親を名乗るというのは魅力的な仮説だとは思う
あくまで悪御曹司退治であって堀越府への謀反ではありませんよ、という
でも偏諱の予約って有り得るのかね
あくまで政治的プロパガンダであって正規のものでは無いとしても
先例他例が見当たらないような
>>554
氏じゃなくて政を送り込むんだろ
今の氏が亡くなってるのなら後継に、と氏付けて送り込むのはありだろうけど生きてるし 確かに氏親の烏帽子親に相応しいのは政知だよね
そのタイミングで政知の健康状態が悪かった説はありかも
黒田先生のホントを読んでるんだけど、新九郎が太平記に執着してたのがわかったw
戦国時代の武士の教養の半分は太平記でできている
中国古典の引用とかしてても実は太平記の孫引きだったり
他に読むものもないだろうしな
せいぜいライトノベルな平家物語とか
公家なら伊勢物語や源氏物語が必須教養だったろうけど
平家って武士というより武装した公家って感じがする
大河ドラマみたいな泥臭さはなぜか感じないんだよな
家康は読書家だよね
駿府の人質時代に今川の下で勉強したのか?
秀吉は教養は無いんだけど何故か芸術分野のセンスは結構高い
>>565
家康さんはあんだけ教養人なのに
なんでネーミングセンス最悪なんでしょうか
後隣人トラブルの孕石さん嫌いだからって
皆助けるよ!(孕石除く)は
さすがに酷すぎる気がします 家康って駿府育ちのシティボーイのはずなのに、
センスから百姓・土人の匂いが消えないよな
新九郎も京育ちの割には草深い荏原や鄙びた関東にすぐに溶け込んでいたが、
新九郎が育った宇治って、まあ当時は田舎なんだろうな。
>>568
中央で国政に関わるより地方に土着の方が性に合ってたんだろうな
関係ないが、新九郎がよく来ているトンボ柄の服
八郎兄ちゃんも着てたんだな
おそろいか形見か >>549
将門の乱は親の代からの土地争いの果てだから
あれで懲りたんじゃね? >>568
宇治(18万人)じゃなくて宇治田原(9000人)だったりしてw >>568
今でも京都市内でさえ京都扱いされない所がある
京都市外ならもう、、、、 宇治行ったことあるけどはっきり言って田舎だったわ
でも段々畑が石垣造りだったのは歴史を感じて良かった
京都人から見たらパリやニューヨークも御所から見えないからチャーザー村と同じくらい田舎。
>>574
それはそれは、遠い田舎からようこそお越しやす >>565
秀吉は芸術だけじゃなくて全てに知恵のセンスが光ってるぞ
お勉強的知識はないから醍を大でいいやと言っちゃうだけで 京都人の接客は鏡
無礼な客には分からない様に無礼で返すが、
礼儀正しい客には礼儀正しく返す
普通の客に皮肉で返すような事はない
世界のどこでも人口の大部分を占めてきた素朴な農民にとっては、大都市住民の価値観や振る舞いは軽薄で不親切に思えたんだろうな。
ロシアには「モスクワは涙を信じない」ということわざがあって有名な映画のタイトルにもなったけど、これは「モスクワでは泣いてる人を誰も助けないよ(都会は生き馬の目を抜くところだよ)」という意味だそうだ。
逆に言えば、泣いてる人がいれば放っておかないというのは、前近代の農村では当然のことだったんだろう。
>>580
滋賀県ナンバーは本当に迷惑だからな
変な運転するのは大体滋賀、荒っぽいのは大体大阪 >>580
「滋賀を馬鹿にすると琵琶湖の水止めたるぞゴラ!」
「京都方面への水門の管理権は京都にあるんどすえ」
京阪に対する滋賀唯一の優位性は幻だった >>585
いろいろ出土しそうでロマンがあるよね
ついでにバイカル湖の水も抜いてほしい >>578
類まれなる知恵と優れたセンスを持つ秀吉でさえ晩年は朝鮮半島で西国大名を無駄にすり潰し秀次事件で数少ない親類と子飼いを更にぶっ殺す耄碌ぶりを晒したからなあ。今センゴクでちょうど秀次さんファミリーを殺っちゃう準備を始めてる。 秀吉の惣無事令は室町時代の価値観から見たら凄いよな
足利家の存在感が消えてしまったのも当然だ
その豊臣以上の力を持った徳川幕府。でも徳川家ですら江戸大阪京都を押さえるので手一杯って感じ
>>589
島津は確実に警戒してたと思うけど
毛利は完全に舐めてたと思うぞ
というか四境戦争とかいう
大阪の陣以上の無理ゲーに勝ち残るなんて
多分長州藩以外誰も思わんな
あの家臣の質で戦国時代やってたら
毛利の旗が瀬田にたなびいてただろうな >>581
田舎に夢見すぎ
つい数十年前まで水争いで血を見ていたんやぞ >>595
ポワロのアクロイド殺しもそんな感じだな
結局は田舎にも田舎の悪と地獄があるのを悟って都会に帰って行く >>595
それガチ死活問題で海外だと戦争起こるから当然 中国がチベットにこだわるのも水争い
上流をいじって東南アジアや南アジアに自由に水が行かないようにしてる
それで洪水起きてるから笑うけど
在竹三郎らが荏原の那須一族に「あいつら野蛮な鎌倉武士ですから」みたいなこと言ってたが、
いまのところ今川とか東国の武士連中もいたって普通かな。
まあ、今後の新九郎は東国武士の「野蛮」な側面に否応なく向き合っていくんだろうけど。
その蛮族が平和の時代を過ぎればこれ
音に聞こえた関東侍 どっちへ逃げたと問うたれば
城も気概も城も気概も 捨ててアズマへ逃げたげな
>>601
島津氏の亜種である佐土原島津氏は
宮崎の豊かで温和な気候に250年浸されたら
すっかり本家とは似ても似つかぬ腑抜けに
なったみたいに普通はそうなるんだけどな
何にも変わってないどころか寧ろ先鋭化した
薩人マシーンが頭おかしいだけ 薩摩隼人かあ。
今でも学校で錦江湾の遠泳あるんだってよ
>>603
それを題材にした映画で共演した入気茉里 >>604
変な所で書き込んでしまった…
>>603
それを題材にした映画で共演した入来茉里と柄本時生は結婚したなぁ(笑) >>602
江戸時代でも税率80%という修羅の国だしな、薩摩 西郷どんが流された奄美は黒糖地獄という薩摩の搾取に長年苦しんだそうで
平成天皇が奄美に行くことになったとき
その歴史を踏まえて自分は薩摩の血を引くが地元の人は不快に思わないだろうかと
某かにお尋ねになったという
教養は人柄を作ると言うか人柄が教養を活かすと言うか
>>607
いつも悪役扱いされる斉彬公の父上って
奄美に鬼のような搾取働く代わりに
鹿児島本土の悪夢みたいな税率軽減には
勤しんでたりするんだよな...
ちなみに
斉彬公の温情で鬼搾取は軽減にされたけど
代わりに本土では悪夢税率が復活したとか >>607
先の天皇を呼ぶなら上皇陛下、せめて上皇と呼べ なんで明治から元号と諡が同じになったのかね
以前と同じように分けたらいいのに
中国は明朝から一世一元だから、それを真似ただけでは?
元号が諡号になっているのは慣例に過ぎないから、いま平成天皇と言っても誰の事も指していない
あげつらったりマウントを取る必要は無いけど、まともな日本人なら平成天皇の発言は絶対にダメ!
じゃあ「どうせ平成天皇になるのがわかりきってるけど平成天皇と呼んではいけないやつ」で
なぜ上皇陛下と言えないのか
ところで小田原も大変みたいだな
五代ちゃん大丈夫かな
新九郎当時の板東とか、川の氾濫も今の比じゃないだろうし、
かなりの部分が湿地帯で病気も多発してただろうし、マジで悲惨だっただろうな
>>624
そこで勝元の形見の医療書を使って被災者を助けて人心収攬したわけだうん >>623
こういう連中でもコロナに感染しないかと心配なさるのが上皇陛下 >>623
ひらなりのきみ の何があかんのや(笑) >>623
ごめんね
おれ君主制支持者じゃないし、徳仁にも明仁にもなんのシンパシーも持ってないから、たぶん君の考える「まともな日本人」じゃないんだわ ていうか”平成天皇”がそんなに気に食わんのならアキヒトでええやろ
マンガワンでスピリッツ対応してくれた
これで遠くまで買いに行かなくて済む
>>636
割引キャンペーン終わっても360円って
他と比べて安いやんと思ったら
90日間限定レンタルか。
微妙だなあ。
つーか、新九郎以外読んでないんで
作品ごとに買えるようにして欲しい。 >>637
それやったら、あっという間に連載打ち切りに‥ twitter見たら、先生「東京都の中世城館」とか言う本買ったみたいだけど
作品にどう活かしてくるかな
江古田原・沼袋の戦いかも
道灌参加してるし石神井城攻めが関わって来るし
今ならマンガワンでスピリッツの3号前
つまりむっしゅうの入浴シーンが
タダで見放題だぞ!急げ!
小田原城で求人の募集があるらしい
タイムスリップして何者か役人に詰問されたら
「小田原城から来ました」って言えるチャンスだよ
時給千円くらいだった
さすが北条家だね
うちの近所で「○○(地元市名)城」って名前のラブホが昔あったよ
実家の近所に鵜沼城という
信長関連や小牧長久手合戦で
ちょっと位名前が出てくる城跡があるが
戦国時代とは何の関係もない理由で
心霊スポットと化してる
城跡に学校が建ってるとこ多くて
かんさい情報ネットの若一調査隊でやってたけど
明治政府に学校を作れと言われるも大きな建物を建てられる土地が無くて
元城主が城のあった土地を寄付したりしてたんだとか
そういうとこの学校の怪談って落武者が多いのかなとか歴オタ大歓喜だなとか思った
城みたいな場所にある高校を見かけたら、大体本物の城
校長に見えるけど実は城主
生徒に見えるけど実は足軽
ってことか
小田原城周辺にはいくつか高校があって
城南、城北と名前がついてなかったっけか
バイト募集には五代ちゃんも反応していたな
>>659
今も城北と城東がある 両方とも市の中心部から外れてる
昔は城内高校が市内中心部にあった 最初は小田原城のお堀の中にあった(後に500メートルほど城外に移転)
隣の小田原高校と合併したので、城内高校はなくなった。
城南は海中になるし、城西は箱根山中になるから、存在しないんだな 訂正
城東は他の高校と合併して小田原東高校になってた
つまらん
城南と言えば城南大学。
ゆうきまさみ的には城南工大だな。
>>655
福井県庁やな
石垣の上に県庁建ってるし
あと、印象に残る城跡の学校といえば日南の飫肥城かなあ 仙台城跡は一部が東北大学の一学部だったり市の博物館になってるな
あと岩手の一関城や新潟の長岡城のように城跡が丸っと駅になって名残の欠片もないケースもあるな
青葉城は天守閣が残っていないからね
城郭マニアは華麗にスルーするし、
内堀貫く福山駅
本丸に駅を置いちゃった三原駅
三原市がぱっとしないのはたぶんそのせい
小早川公の祟り
青葉城の本丸は瑞巌寺と伺いました
この質実剛健なニ層の天守
>>669
三原は俺も行ったけど平地がホント少なくてお城を通すしかなかったって
当時の土木技術では仕方ない >>673
高速で東京方面から沼田に入る際
天然の要害ぶりにビビった 個人的に東日本でここ凄い要害だなと思ったのは岩殿城
>>674
わかるー自分は福島方面から尾瀬を縦断して
沼田市街からバスで駅に行ったんだけど
度肝抜かれたわ 関係ないけど、NHKで曽我兄弟の敵討ちをやってて
伊東祐親って名前を見て日清戦争の伊東祐亨に名前が似てるな、一族かなと思って調べたら
伊豆と宮崎なのに普通に繋がってて驚いた
こういうのって歴史の醍醐味だよな
北条も意外なのが残ってそう
写真家の蜷川実花が新右衛門さんの遠い親戚だったりな
さいきん郡上八幡の城の入場券のもぎり(公務員?)を、
元城主の曾孫だかがやってると話題になってたな。
荒木や荒川はありふれてるけど、大道寺くらいになると「あの太郎の末裔かな・・」
くらいの妄想は楽しめそう。
工藤祐隆から始まる日向伊東氏ほど通字が「祐」でほぼ固定されてる一族も珍しいな
現在の34代伊東祐昭も含めて祐が入ってないのは17代義益くらいだな
次の祐兵から飫肥藩主
>>690
俺、板部 岡江雪斎(オカゴウセツサイ)
だと思ってたやたら長い号の坊さんだなあって 香港の行政長官の林鄭月娥(キャリー・ラム)みたいw
>>681
作中では後に北条名乗る理由になるんだろうね
そもそも新九郎が歴オタだし >>695
それは前田利家公やラインハルト陛下が
所持していたとされるかの名槍では? >>696
利家は数撃ちまくって当たったって感じだな
従姉妹の通ってた名門女子校に前田って名前の教師がいて
前田家に所縁がある家の末裔だったらしい
マッチョだったけど気品がある感じで名前に「利」がついてたとか >>696
新九郎はリードしてもらってたけど
ラインハルト陛下は2人とも初めてという偉業 >>698
あの連中こそまさに三角関係と呼ぶに相応しい >>704
当時の公家としては普通なんじゃね?
まあ「草燃える」がすごかったからなー石坂浩二上手かったよなーいやらしくて 都から来た源氏の御曹司とか田舎豪族の娘からしたら憧れすぎるよね
>>705
趣味と実益を兼ねてるって感じだったな
それに対し「平清盛」では自棄で虚無な感じに >>707
他にやることないもんね
和歌や漢詩詠んだり読書に没頭したりってタイプじゃなかったんだろうな そういや熱海の土石流が起きた逢初(あいぞめ)川は橋の上で頼朝と北条政子が初めて出逢ったという伝説があるそうで、新九郎がここまで脚を伸ばしていたら橋の上で感動してたかもしれない
>>709
川の名前はそこから来てるのか
感動するだろうね
残念なことになっちゃったけど >>708
頼朝さんその後の政治を見ると島流し生活でいっぱい本読んで勉強したと思うの >>706
ぎゃくに都会育ちの頼朝が、よくもまあ田舎豪族の粗野な娘に欲情したものだ。
新九郎は宇治の田舎育ちだから、荏原の鬼姫にも手を出したようだが。 つうか北条って
平家だとかなり名家だろ
下手すると本家面してた
伊勢平家よりも毛並みが良かった覚えが
というか、時政の北条氏(執権北条氏)は
例えば時政自身が親兄弟の中でどういう立ち位置なのかも不明瞭だった気が…
北条氏は平氏でも何でもない氏素性不明の一族だよ
後年北条時政が上洛して鎌倉シンパの公家に挨拶に行ったら「北条丸(北条の犬っころの意)」と非常に蔑まれた呼び方されてる
源平藤橘に有らずんば武士に有らずが当時の常識
北条政子「妹よ落ち着け、あの流人は私がいただく!」
ついでに言うと義時だか泰時だか忘れたが、甲斐武田氏や近江佐々木氏の内々のトラブルに口出そうとしたら
北条ごときが何様のつもりだ?と全く相手にされなかった
そんな北条が幕府の執権続けられたのは頼朝の姻戚という威光と、御家人の訴訟の対応なんて面倒臭いものを他の名門豪族がやる気なかったため
まあ、お先真っ暗の流人時代は地元で北条のお世話になったんだろうし、
頼朝もあの父娘に遠慮する所があったのかな。
よく言われるけど頼朝ってけっこう義理堅かった?
清盛に助命嘆願してくれた池禅尼の縁者や、身の回りの世話してくれた比企の縁者にも、
手厚く報いてるし。逆に裏切者には容赦ない(美濃、尾張)。
>>722
壱岐守さんはあれだけの事やらかして
何故許されると思ったんだろ >>722
義理堅かったら、あんなに世話になった弟二人を殺さんわ
義経だけならともかく、範頼を殺した件で評価は決まった >>725
血縁は義理とは違う
自分の競合者にも成りうるわけだし 義経は本人の落ち度も大きいし、途中からはもう「頼朝なんか俺が取って代わってやるわ」ってモードになってるでしょ。そうなったらもう殺すしかない。
頼朝も最初はそこまでする気じゃなかったと思うんだけどね。
創業者が情に溺れて肉親を重視するよりも
会社や部下を大切にするのは義理堅いと言えるのでは?
世襲や縁故が当たり前の当時で部下の能力で昇進させても
そのことが評価されなかったり、身内を侮っていると見做されたりね
常識から逆らうてのはそれだけ難しいってことよ
義経は自業自得な面が強いけど範頼はよく分からない
頼朝に甘え高をくくってた義経と違い、兄に叱責されると心底ビビり気ままな振舞いもなかったが単に邪魔者になったのか
範頼も義経も腹違いの弟だしなあと思った時点で
備前守一家を思い出したわけで
>>725
源氏だからな、で終わっちゃう話や
あれが源氏あれこそが源氏 それでも新羅三郎に較べたらマトモの範疇に入るのではないか
内ゲバは河内源氏の嗜みだからね
>>734
兄弟愛の代名詞だったのにねw >>727
実権を握るのは簒奪とは違う
実際に北条氏が将軍になったわけでもないし 頼朝みたいに
自分以外の有力な兄弟生かしといたら
どうなるかその反例が居るからなあ
足利尊氏・直義兄弟とか
足利義詮・基氏兄弟とか
足利義政・義視兄弟とか
散々辞退して兄から渋々受ける時
必ず保証してくださいと念押したのに
いとも容易く行われたえげつない契約不履行の
被害者義視さんはこの面子に加えるのは
可哀想だな
保元の乱も平氏源氏それぞれ骨肉の争いだったけど
平氏は清盛派以外が粛清されたようなもんで
源氏は一族分裂→衰退の憂き目になっちゃったんだよね
平氏にうまく利用されたようなもんだ
派手なしっぺ返しがあったけど
>>732
まあ母系制の影響の強い時代だと腹違いはそこまで身内じゃない感ある
むしろ乳兄弟のほうが身内 後北条末期が親族円満だったのって、
一人でメチャクチャ子供産みまくった母ちゃんがいたからなんだっけ
>>741
武田信玄の兄弟は腹違いでも仲良しだな
信龍が純金瓦城作ろうとして
お兄ちゃんにメッされて落ち込む話があるし >>742
あそこは親子関係が…
信虎ー晴信ー義信… >>740
頼朝の乳兄弟の小山(結城)朝光は頼朝に心服してたな
頼朝もまた彼を信頼してて歳が離れてるせいか頼朝の隠し子説が出たくらいの仲 >>736
徳川も譜代の老中に実権を奪われたようなもんだな
北条と違ってその老中内で権力争いが最後まで続いたけど >>736
源氏から天皇家に将軍すげ替えられてるのにw >>744
逆に、没落して無力になった義経を最後まで支援したのも乳兄弟や母系の縁者が多いしね。 >>737
足利さんは鎌倉時代と比べればまだ良い方じゃないの
兄弟を仏門に入れたり
年少の将軍が出ても守護大名が補佐したり 母親が同じ長姉含む兄弟皆仲悪いけど
腹違いとは何故か仲良し毛利家
まあATMが死んで
神輿兼サンドバッグの輝元が継いだら
地が固まったけど
あれだけ正室の三兄弟以外はotherだったのに輝元の養子は吉川ではなく穂井田からだったのは何でなんだろうな
>>746
そりゃあ頼朝の血を継ぐものが誰もいないんだからしょうがない
御三家立ててた徳川とは違う
頼経はそれでも頼朝の縁者
実朝死後よりも頼家の扱いのほうがよほど問題だろ 新九郎のところの北条五代は、そういう内ゲバやドロドロが比較的なかったっぽいのは、
偶然なのかそれとも何か理由があるんだろうか。
>>711
当時の伊勢の山奥に書籍がどれだけあったのかと >>745
老中もまた特定の者が長く権力を握り難いシステムだったからな 家康、秀忠、家光、綱吉、吉宗、家斉、慶喜とわりと頻繁に主導権発揮できた将軍がいるしね
摂家将軍、親王将軍とは比較にならんよ
>>752
一応ラスト近くで1人上杉に送り込んで見殺しにしたけど、基本は仲良いよな >>757
伊勢平氏は、一門の仲が河内源氏に比べてよい・・ってのは置いておいて、
新九郎の末っ子の、北条幻庵が一応最後まで生きてて睨み効かせてたんだろうか?
幻庵、伊勢宗瑞と徳川家康の両方に面識あるってすごい。 >>755
長く権力を握るものが出てくるといろいろ腐敗が起こってしまうのはいつの時代も一緒か・・・ 貞宗さんの家は江戸時代風に言えば京都町奉行みたいなポジションだな
違いは代々世襲で、石高は老中くらいと。
室町殿は直轄領は大きくないから相対的に言えば直臣のトップみたいな感じ
>>757
全然見殺しじゃねえだろ
兵を出して必死に助けようとしたよ
虎ちゃんが当主になればまるっと越後が自分ちのものになるようなもんだし
ただまあ謙信の関東征伐の逆も然りで、武田の協力が得られなければ有効な介入も難しかった
北條のやたらネチこい侵略性は、代を累ねて数の多い一族支族にそれなりの領土をあてがって潜在的な不満を抑えるためという意見もあるんで、
家内円満もまあ良し悪しという >>762
兵出さずに勝頼に丸投げしたぞ
ところで最近まるっとって使う奴増えたけどこれどこの方言
めちゃくちゃキモいんだが 「まるっとお見通しだ!」
15年以上前に「トリック」で仲間由紀恵が言ってたような。
常に関東で孤立していて分断すれば滅びるという危機感があったのが大きいとおもう
あと氏政さんあれでいて登用序列がそこそこフレキシブル
>>763
基本的な部分として天正6年3月時点では上杉北条間は臨戦体制にある
(有名な名字尽は諸将の陣容からみて関東進攻のためと見るのが妥当)
利根川以北上野は由良氏一族などを除いて上杉支配下にある
きた条一族も越後在国の高常一派が粛正されるまでは景勝体制下にあった
合戦は示威行動、戦後の外交・謀略で服従を誘う氏政期としては5ヶ月で上野接収は特別に早い
むしろ早すぎてしくじったと思う
河田重親を厚遇して上野家成に逃げられたとか
方や信濃からは上越にも飯山筋から魚沼郡にも進める
結局勝頼は長篠のリカバーのために新たな所領獲得の必要性があって
北条からかっぱらうのが一番手っ取り早いと判断したまでだろう
後に高天神城で岡部一族が飢えてる時に勝頼は東上野ボーナスステージうはうはしてたくらいですし 今週はサクサク進んで義忠戦死まで行ったな
義忠がもし死なずにこのまま突っ走ってれば今川家は幕府から逆賊扱いされて
足利成氏や西軍の畠山大内の脳筋ペアと通ずるようになったのだろうか?
そうなったら歴史は大きく変わっただろうな
>>771
小鹿が随分と気の毒な展開になりそう
そして資長が駿河に出向いてる間に景春決起か とにかく義忠の素行が息子の継承に不利に働いたのは言うまでもないって感じ
そして次の機会は更なる情勢の変化を待つしかなくなるわけで
読んだー
おお、我らが主人公殿が無精ひげを生やしていなさる!w
>>770
スーパーのとかは両面カラー刷りだけど、
ご町内のお知らせ的な地味めな奴はいまだ片側1色刷りだね
こうの史代に「実際にチラシの裏側に描いてみた漫画」というのがあって(以下略 新聞とってる家ってのは今どのくらいの割合なんだろうな
>>778
浮世絵の詰め物がヨーロッパの絵画に大影響 今は無駄に見える親父の社交も今後のロビー活動では重要になりそう
義忠横死まで一気に進んで話も大きく転がり始めたな
今更思い出したが序盤も序盤に義視と義尚の話で「例え約束があっても一旦渡したら戻ってこないぞ」って
貞親が言ってたけどアレってこの後の範満の氏親お話の前フリだったんだなー
義忠死亡が1476年
1巻冒頭の早雲伊豆討ち入りが1493年
まだまだ先は長い
一気に時が飛ぶかもしれないが
>>783
取り敢えずまずは今川の相続問題と景春の乱だろう >>772
あの小鹿が当主代理としていずれ今川家乗っ取りを企むような悪党になるんだろうか?
ちょっと想像しにくい >>787
というかそもそも義忠が問題行動を起こしてるわけだから小鹿に完全に行って当然なくらいなんだよな
なのに人が良いから逆に伊都に付け込む隙を与えそう
そして伊都もこれから戦国大女傑の北川殿に変わって行くとか まあ今川家臣の中にも遠江重視の義忠に反対の勢力もいただろうし
その派閥に担がれてと言う展開もあるのかな
>>787
悪党としては描かない
それがゆうき先生
せつないのう
それにしても慌ただしい回だった…面白かったけど
前ページまでの解説以外どっか読みました?
前備前守家のホームドラマが笑えた
義忠は討たれた時も笑ってそうな気がして怖い
今回一番心配だったのは貞宗の胃 当時の髪じゃなくて紙は今とは比べ物にならないくらい貴重品だったろうからなあ
一生触らない人もいたんじゃね?
それはそうと「カッ!」の景春はどっかで見たなーと思ったら
「じゃじゃ馬」のケンさんに似てる
隈取みたいだけど
小鹿さん自身は龍王丸に家督譲るべきかと思ってても山内扇谷両上杉家や一部家臣の突き上げで身動きとれなくなるのかな
一話で2年以上経過したが変わらず金に困ってるし義尚が将軍になっても新九郎は無位無官の地方領主のままなんだろうか
ここから今川の内紛、長尾景春の乱、応仁の乱のやっとの終結といった大状況以外にも、太田道灌との交渉や小鹿兄弟の討伐や堀越公方の被官になったりまた京に戻ったり借金で訴えられたり結婚したりと新九郎の人生に紆余曲折が続くわけで、まだ伊豆討ち入りまで描けることは山ほどあるな
義尚と両親の不和に巻き込まれたり政元に振り回されたりと苦労も続きそうだし
>>792
伊豆再下向の前に義尚の取次になってるので幕府の職にはつけてるし、小鹿範満を討った後堀越公方政知の奉公衆になって所領ももらい、政知死後にまた京に戻って取次衆から奉公衆になってるらしい
ただその間に庄元資の家臣から借金で訴訟起こされてるので相変わらず金には苦労してた 今週の話を読んで、改めて思ったのだが。
ネットでざっと調べた限りでも、やっぱり氏親が今川家の家督をすぐに継げなかったのは、父ちゃんの義忠のせいじゃないか。
それこそ貞宗が怒っているけど、完全に味方を攻撃して、幕府に謀反を起こしている、と言われても仕方ない。
小鹿範満が義忠の後継者になったのは、それこそ幕府の意向もあった気がする。
もっとも、小鹿範満も実際に今川家当主になったら、家臣統制に苦労して、幕府に見限られて、最終的には氏親が当主になるのかな
>>795
成氏と上杉の和睦交渉に危機を感じた政知が中央へのパイプを持つ北川殿に接近したのが転機となるらしい
また後ろ盾の両上杉が資長の死後に内戦状態になるのも孤立を深めた模様 なんつーかもうほんとに最後はいっちゃってるなって感じだけど
義忠は謀反人であっても伊勢氏の血を引く後継者を貞宗がほっとくはずはないわな
今川家臣からすれば範満が宗主になるのが最適だし
新九郎もそれが良いと思うんじゃないかな
>>797
取り敢えず今は姉一家の保証を取り付ける事だからな
そこで形だけでも将来の家督返還をどう盛り込むかって 新五郎と新九郎どちらも硬物なのに、かたやつまらん男と言われて敗死、かたや面白い男と言われて豆相2州の太守、どこで差がついた?
小鹿さん
従兄弟の遺児の為に懸命に働こうとするけど
周りの環境のせいで空回って
理解者が次々に死んだり反目されたりして
最期は不様に自刃させられる
不憫なキャラが確定してるだけに
今回の義忠の発破は見てて辛いな
>>802
ある意味で呪いを掛けられたような物だよな 江戸時代ならともかく戦国時代で負け戦の直後
周囲が跡を継いで欲しいと思うのはどう考えても幼児より成人だよな
氏親が跡を継いだのは奇跡的だと思うよ
>>795
とは言え幕府の義忠の遠州侵攻へのブレーキの掛け方も迂遠すぎる
「こう言う処置してるから言わなくてもわかるよね」みたいな
そんで腹芸が通じない怒り出すとか面倒くさい上司の典型じゃん >>805
いや、戦国時代の跡継ぎを見ている限り、
跡継ぎは年齢より血筋の正しさの方が相当重要視されるみたいだけどな
まあそうじゃないと敵と戦うどころか内輪もめが起こるんだから
当たり前と言えば当たり前だけど 稲の出来具合見てたりしてすっかりご領主様だなあ
7集通して家臣からはかなり見直されただろうね
久しぶりに1巻読み直したけど冒頭のシーンへと繋がる布石が着々と積み上がってるなと
>>806
個人的にはもっと直接的に新ちゃんが義忠討ちに行くところが見たかった
前もここで書いたか >>807
池田輝政みたく年齢で継いだ家もまだあるんじゃない?
このへんは家風の違いとしか言いようがない 第一話の後、新九郎は龍王丸の代理で遠江に侵攻してるんだよなぁw
十数年で情勢激変してるわ
>>803
この漫画の冒頭に登場した左近次が狐だとしたら
どっかでの新九郎の危地に登場して臣下(タメ口だったが)になるんだろうな 実は放浪民のネットワークみたいなのが背後にあって、忍びとして新九郎の手足となって働く展開だったり
>>818
狐がオキナガになっていたら、初代〜末代まで風魔小太郎は同一人物という。
相州乱波の不老長生の秘術とかでごまかせそう。 >>818
平山優の忍者研究本が出ちゃってるので
風魔を出すならあれを踏まえてかな
実際の風魔はゴロツキみたいなもので滞在している村から北条家にクレームが入ったと記録が残っている 伊勢宗瑞なのに北条早雲って言いだしたの誰なんだろうね
北条と言いだしたのは息子の氏綱
早雲と言いだしたのは本人
早雲てのは本人が言い出したというか
武田信玄を武田徳栄と呼ぶようなもんで
まあ早雲寺があるから信長を総見さまと呼ぶような要素もあるけど、
何でそれが生前の呼び名として定着したの?的な不思議さがある
通称で呼ばれる派 黒田官兵衛、竹中半兵衛
官名で呼ばれる派 大谷刑部、古田織部
姓で呼ばれる派 豊臣秀吉
寺社名で呼ばれる派 安国寺恵瓊、金地院崇伝
尊号で呼ばれる派 南光坊天海
黒田如水が似てるのかな?
あいつは官兵衛も孝高も同じくらい使われるけど
如水円清の後ろ側の円清では呼ばれるのは見たことない
そういえば謙信の不識庵はなんか聞いたことある
姓名 武田晴信
法号 徳栄軒信玄
通称 武田信玄
姓名 上杉輝虎
法号 不識庵謙信
通称 上杉謙信
姓名 伊勢盛時
法号 早雲庵宗瑞
通称 北条早雲
明らかにおかしいよな
淀君「それがどうした、わらわなんぞ城の名前じゃぞ」
>>628
結局口唇に馴染んだもん勝ちってことだろ
あんまこだわると弥次郎に説教喰らうぞ 前にも書いたけど北条早雲の初出はどこなんだろうな
江戸時代あたりまでならこの組み合わせの不自然さが目につくだろうから
案外近世になってからだったりして
この頃はまだゆうき先生の中で早雲は悪党キャラだったのか
どういう経緯を経て今のような真面目系に変化したのだろうな 早雲寺殿二十一箇条から
早雲寺殿って何?→ウチの家祖だよ→へー早雲様ね、みたいな感じで定着したのかな?
死後に早雲寺殿と呼ぶのならおかしくないし
確かリアルタイムだと豆州と呼ばれてたんだよね
第一話後の政治的ポジションは対茶々丸軍事作戦の現地司令官ってところか
>>827
>>833
死後の敬称として「早雲寺殿」と廟号で読んだと考えれば、類例も多いし筋は通るな。 >>838
将来的に悪党キャラに変化するところを描くつもりなのでは? >>842
それがなぜ生前の通称として定着したのか?という話をしてるんだけども
小説や講談で、武士を存命中からそう呼ばれてたかのように扱う例って他にどのくらいあるのかな
鹿苑院だとか大猷院だとか豊国神だとか東照権現だとかが生前の通称とされた例ってそうそうないんでは?
天皇なら諡号や院号で呼ばれたりするのも珍しくはないのはわかるけど >>838
昔の定説は野心に満ちた遅咲きの素浪人だったのが、近年の研究で幕府の申次衆にまでサラブレッド化が進んだのに対応しただけでは 斎藤道三と松永久秀が同じ村の生まれだという説があるとかないとか
もし本当ならば謀略の神が宿る村として称えるべき
氏綱が伊勢から北条に変更してなかったら
伊勢早雲と呼ばれることはなかっただろうな
北条盛時、北条宗瑞も実際に無かった呼び名だったからそれなら北条早雲でもいいんじゃね?という感じかな
>>847
学説自体は「箱根の坂」の頃には素浪人説は否定的になっていたんだけど、世情的にそれが受け容れられてきたのがつい最近てのはおもしろいもんだな。 一緒についてきたごろつきが
譜代の重臣に成るなんて
水野勝成とかじゃあるまいし
有り得ないわな
秀吉も初期からいたごろつき系武将は途中で粛清していったしね
>>856
昔見た歴史漫画では「天下を狙う七人の侍」ってやってたな 幸村はどっかで名乗ってた説はそれなりに魅力あるだろ
三谷が採用するくらいには
>>852
素浪人の姉か妹が大名に嫁いでる、とかありえないな
と子供の頃に思ったよ
まぁ現実にはどこの馬の骨か分からんようなのが手をつけられて男児を産むとかある話だったけど >>851
「普通に」ではないと思うが…
それに、それは「北条早雲」とは違うだろう
「上杉謙信」よりも人口に膾炙しているというのならわからんでもないが、さすがにそうは言わんよな?
庵って付けてるのもちょっと違うし >>856
御由緒六家は全員登場してる
多米さんはまだ顔見せだけで新九郎の家臣じゃないけど
(いまは新九郎の実母の横井家の家人 >>860
そこな
姉の身分が高いからこそなんだよなあ
薄い本読む程度には教養高いしw 北条早雲 かろうじて伊勢を名乗れる一族の末端。伊勢家伝来の鞍作りの名人
大道寺太郎 宇治田原郷国人衆の触頭の一人
荒木兵庫 宇治田原郷の有力国人
山中小次郎 宇治田原郷の貧乏国人
多目権平 焼津の商人、法栄の手代
在竹大蔵 伊勢国の浪人。立派な体格の持ち主
荒河又次 伊勢神宮信仰を布教する御師(おし)出身。祖父から衆道に誘われる程の美男子
伊都 早雲の義妹。小さい頃から早雲を慕い今川義忠に嫁ぐ直前や義忠戦死後に数回早雲と密通
箱根の坂ではこんなんだったなぁ
>>868
祖父と衆道の関係と言えば実は白河院と鳥羽院がそれだったんじゃないかって説もあったな そんな身分の高い人のは衆道とは言わんだろ
衆道=ホモではないぞ
大名どころか、京都の庶民から将軍の妻になり跡継ぎを産んだ奴もいるけどな
身分の高い妻の子がことごとく夭折したら仕方ないんやよ
義忠戦死で寂しくなるけど、これから伊都の出番が増えるんだろうな。それは楽しみではある
新九郎の初陣はいよいよこれからか
あのキャラがいなくなるのは寂しい限りだが
奴がいなくならないと主人公が主人公になれないからなあ
しかしあの若さで1国の守護家のお家騒動仲裁する羽目になるとは
第八集が9月10日に発売なんだね
駿河でマリッジってことは次回あたりで嫁もらうのか?
父ちゃんが金がないのに無理して連歌の会主催して新九郎に怒られてたけど
あれ嫁取りのための上流階級とのコネづくりの一環かもな
>>882
嫁取りは当然意識してるだろうね。その前に無位無冠を何とかしないといかんから連歌の会は開かないわけにはいかないよ 確かに父ちゃんは隠居して本人は無位無官だから公的行事で顔つなぎしての人脈づくりも出来ないわけで
状況を打開するには私的交流を疎かにするわけにいかないもんな
新九郎自身は本人の人徳(主人公補正)なのか人脈で苦労してないせいでピンときてなさそうだけど
うん、まあそれなりに成功する人は人脈に恵まれてるよね
無位無官が解消されたのっていつ?
申次衆や奉公衆になった話はあっても官位の話は出てこない
執事になる前の貞宗が兵庫助(正六位下)で奉公衆の伯父盛景が掃部助(従六位上)でこちらは息子の盛頼以降も世襲してるらしい
官位は持っていたとしても従六位上かその下で官職のない「散位(さんみ)」というところでは
これなら官職名が伝わっていない説明がつく
息子の氏綱は左京大夫(従五位下)になっているがこれは北条氏を名乗るようになってから執権北条氏に倣ってのもの
北条は無位無冠で平然としてたけど、
そのせいで秀吉に呼ばれて上洛した氏規が昇殿出来ずに酷い目にあってる
>>888
それは「さんに」と訓む
「さんみ」では三位になってしまう >>889
官位の政治利用を進めたのは秀吉なんだよな
本人も最後まで太政大臣のポストは手離さなかったし >>887
貞宗と新右衛門が先例にならって計算したら18歳で衣冠出来そうとなったけど
まだなってないな >>892
義政が政務を引かない限りなんだろうが
おそらくそれも絡んでこれから義尚との間がゴタゴタし始める 実権はずーっと手放さなかったらしいからね義政
隠居願望が強いんじゃなかったのか
>>894
口利き料も入るから簡単には手放せなかったらしい
今川の継承保証も結局は義政の名義で出されるし >>894
つまりあれか
夫婦で仲違いして晩年は別居したけど権力を持った義政さんと
資金調達係の富子さんて構図 >>894
昔は、政治やりたくなくて東山で現実逃避してたような人、だと思っていたよ >>898
現実逃避はしてたじゃん
決断一切しないから最悪な結果一直線たが スピリッツやっと読んだわ
次号「駿河動乱」
そうかー、いよいよかー。何が?
新九郎が今川家の内紛に関わることが後々京から関東に行くきっかけになってるわけだから、今川義忠の死はけっこう大きな影響を戦国の世に遺しているな
後北条氏がいなければ関東平野は越後上杉と甲斐武田の草刈場みたいになってただろうし
>>893-894
義政は大御所として権力を振いたいだけなんだろうな。色々制約のある将軍よりも気楽な大御所の方がいいんだろう 次から新九郎がどうなるのか
四行か五行くらいで教えて下さい
>>902
大御所政治が機能するのはあくまで将軍が従順な場合だからな 従順じゃなかったけどその中身は父親の愛人に横恋慕してましたとか
そんなこと思いもしなかった
ひろゆきのこと好きなんだな
>>889
氏規は美濃守を自称してたんだよな
センゴクで氏規が秀吉以下豊臣首脳陣と対面するシーンがあったが
豊臣側は衣冠束帯、氏規は直垂姿で恥ずかしそうにしてたっけ そもそも細川勝元でさえ従四位下で
右京大夫兼武蔵守なのに
豊臣秀吉の時代の官位インフレは異常だよなあ
信長が足利将軍より上であることを従二位右大臣で示して
秀吉は藤原氏で関白任官したから公卿の最上位になって
そこから家康なだめすかすのにどんどん昇叙させてったから…
こんどは家康抑えるのに別の武将を…ってなって
まあそれに懲りたから武家官位を制度化した
有名な永禄6年光源院殿御代當参衆並足軽以下衆覚では
外様衆大名在国衆 御相伴北條相模守氏康 北條左京大夫氏政 御相伴今川上總介氏實
そこから少し離れて
北條左馬助氏規氏康次男 松平蔵人元康三河
とあるんだけどこれは正規の官職ではないんだろうか
氏規元康は氏真舎弟扱いで載ったとかいわれてるやつ
ちなみに信玄は武田大膳大夫入道晴信、謙信は上杉弾正少弼輝虎、あと織田尾張守信長とか
印象ではこれ俺のかんがえた最強けらいリスト大名編、と言ったところで実態は無いっぽいなあ
義輝、、、寂しい子
もしかして第一集冒頭ではすでに出家してるのかな?
いやそれよりもあのシーンが結局ラストになるんじゃないかと思うと気が気じゃない
あの先だって見たいのに
討ち入りの後までやるとしたら深根城落城の時の皆殺しをどう扱うかだな
潤童子派遺臣が報復要求てのが名分つけやすいけど
あんまりおもしろくならんよね
新九郎自身が因縁ないと
>>902
大御所政治は継承者を生前に決めておく意味あいもあるよ
戦国大名は良くやってる。信長も生前信忠に織田家家督を譲った >>919
ゆうき先生は「死ぬまでの人の一生を描く、初めての自作品」、
みたいなことインタビューで述べてたから、最後までやりたいみたいだけど、どうなるかなあ。
「以後の新九郎は戦乱の世を、文字どおり奔り抜けたのであったーー(完)」
みたいなダイジェストで締めくくることもありうる。 >>922
それって同時に継承が不安定だという証拠でもあるんだよな >>924
そりゃそうだ
室町時代の争いなんてほぼ全部それが原因だからな もしうちが大名だったら、フリーターの俺より大企業社員の弟にお家を継がせるべき、という家臣がワラワラ湧いてくるのか。クソうぜーな。
さりとて直系男子が成人したいともっと揉めるんだぜ
家康みたいに御三家みたいな分家立てにゃ
>>926
フリーター=独立前の部屋住み
大企業社員=既に他家の家臣
良かったな、この設定ならお前が跡取りだ
家臣に下剋上される可能性は高いが >>898
銀閣寺で義政が私室として使ってた狭い部屋が日本初の四畳半の部屋とブラタモリでやってたな
狭い部屋で趣味や妄想や世の中への恨み辛みに耽る毎日……ニートやん >>925
南部・安東(秋田)・伊達・佐竹・島津位か?
分裂したけど再度統一して復権できたの
(次点で相良・相馬だが規模が小さいので割愛)
大友や宇都宮は
太閤殿下に目を付けられねばねえ... >>935
大好きな本拠地松本からは
出世する度に遠ざかったけどな 義政にしろ伊達綱宗にしろ旗本の家にでも生まれていれば
文化人として高名を馳せたろうになあと思うわ
その二人は暇で生活の心配ないから文化人として大成したような気が
>>939
「働いたら負けかと思っている」は英国貴族だけではないからね ルイ16世も一般人なら錠前のスペシャリストとして重宝がられていただろう
ブルジョワで文化的に成功した人って、あ、いたわ
顕微鏡を自作して色々発見したレーウェンフックさん
むしろ近代以降では貴族身分で学問的文化的に大きな業績をあげた人を探すほうが難しいような・・・
>946
上皇陛下は貴族のさらに上だから違うのか。
三笠宮彬子さんは皇族としては初めて課程博士を取得した人だけど、エッセーで「自分の研究は本当に学位に相当する価値があるのか、自分がプリンセスだから特別扱いで下駄を履かせられているだけなのではないか」という疑問に苛まれたと言ってたな。皇族にしては珍しく健全な良識の持ち主と感じた。
それ以外の皇族の論文博士なんて、学問的にはお話にもならないレベルだろう。
上皇陛下は研究者としては実績あるな
新種発見が研究として価値がないというならともかくとして
「皇族にしては珍しく健全な良識」とか言ってる時点でろくに知りもしないで先入観だけで話してるだろ
>>901
後北条いなかったら、長尾景虎が山内上杉家と関東管領を継承することもなかっただろうから、
越後勢が関東に出張ってくることはなかったんじゃないかねえ >>949
上皇陛下は30報くらい出して、分類方法にまで踏み込んでるから、博士号どころかアカポスに就けるくらいの業績はあるよ。
魚類の分類学なんて何の役に立つか微妙だけど、それは美術史の研究も同じだろう。 >>953
越後上杉はまさに第三のファクターなんだよな
顕定の実家として関東に関わり過ぎて長尾為景の台頭を許してしまったわけだし ものすごくどうでもいいことなんだが
貞宗が「5年くらい前の体重にもどっちゃった」って言ってたけど
当時、体重を測るってことはしたんだろうか