<金口木舌>生業を返せ
広辞苑によると「生業(なりわい)」には「五穀が生(な)るように務めるわざ」「世わたりの仕事」の意味がある。「生活を立てるための手段」の意味で用いられる場面も多い
▼東京電力福島第1原発事故から9年半。原告約3600人が「生業を返せ、地域を返せ」と訴えた集団訴訟で、仙台高裁は9月30日、国と東電の責任を認め計10億円余の支払いを命じた。一審よりも賠償額を増やし、救済対象区域の範囲も広がった
▼沖縄に暮らす避難者も約60人が原告。娘と避難した伊藤路子さん(72)は「国と原発が生んだ分断を乗り越えての勝訴だ」と判決を歓迎した。福島県白河市でカフェを経営していた。家族は離散し四重生活。孫に会えず母と死別した
▼沖縄支部長の久保田美奈穂さん(41)は茨城県水戸市から子ども2人と避難した。「大きく前進した。世の中が良い方向に変わってくれたら」と喜ぶ一方、二審判決で水戸市は救済の対象外となった
▼帰郷か、避難先にとどまるか。原発事故に対する健康面への考え方や対応は避難者間でも分かれ、時には家族の絆に亀裂をもたらした。避難者は苦悩している
▼沖縄の企業などでつくる支援組織も2年前に解散した。ことし9月時点で沖縄県内の避難者は218人。来年3月で事故から10年となる中、原発を推進してきた国は上告するのか。避難者の生業はいまだ戻らないままである。
https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1201920.html 一人は、茨城県水戸市から沖縄県に母子避難した久保田美奈穂さん。夫の尿からセシウムが検出されたことから、被ばくによる子どもの健康への影響を心配し、夫を残して原発のない沖縄への移住に踏み切った。
放射線被ばくを気にしすぎだという夫と考えが合わず離婚に至る。
生業訴訟への支援を訴えて歩く中で、米軍基地反対運動をする人たちと出会う。沖縄の自然を大事に思い、子や孫に残したいと闘い続ける普通の人たちだった。
イデオロギー先行の運動家だろうという先入観が消えた。
普天間飛行場移設へ国の埋め立て工事が進む名護市辺野古で、座り込みに加わった。集団自決の生き残りの高齢女性から「大変な思いをしてこっちに来たのに巻き込んでごめんね」と言われ、逆に沖縄のことを何も知らなかった自分の心が痛かった。
座り込み中に機動隊員から抱きかかえられ強制排除される。「日本はよい国」という理解が揺らぐ。生業訴訟や補償交渉の場で、被害者の声を聞かず、見もしない国や東京電力側の人たちのありようが残念でならない。
「なんでこんななのかな」。素直な感性はさまざまな分断のかたちを浮かび上がらせ、問いかける。
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