シカゴのあれは、メインターゲットが爺婆だと思ったら
プロポーズしただの告られた私とか、結構わげすたーずが聴いてんだなや。
で、宮城県沖地震(1978年)の話しもたくさんあったが
なんか、あの時代にパソコンなんたらかんたらって
その時代にはインターネットそのものがなかったよ。
んで、七ヶ浜町菖蒲田の沼にいる北帰行ができなかった
白鳥は仙台港フェリーターミナル(雷神岸壁)付近を飛んでるよ。
で、近くの蒲生の白鳥団地は別ものだからね!!。
あぁ、今週もおもしぇがった。
このおもしろさも、46年〜47年前のAMO東北ヒットパレード以来だわ。
聴いてる世代も、おらみたいな年金受給世代も多いんだろうな。
今週もおもしろかった。
ナベさんが安田さんのこと話してた。
番組降りてからどうしてたか心配してましたよ。
勝手にサタデ・イン・ザ・パーク
午前中に、郷里の神社に初詣に行ってきました。
駐車場から神社に向かう道路には、溶けずに残った雪がアイスバーン状態で
残っていて歩くには大変危険な状態でした。
そこへ、なにやら上空にはジェット旅客機のエンジン音が聞こえてきましたので、
上空を眺めてると、その正体が雲間から姿を現しました。
そうです、ここは七ヶ浜半島最突端の花渕浜の鼻節神社です。
そのジェット機は塗装から判断すると(尾翼は見えませんでした)
JAL系の飛行機でE170型と思われる機体でした。
となりで空を見ていたおばちゃんが、あぁ、ジャンボジェットすかや(笑)とか言っていました。
いやいや、違いますよ。【おばちゃん】あのジェット機は70人位しか乗れないんですよ・・と説明しました。
この七ヶ浜半島上空は千歳空港方面からの機体が仙台空港に向けて位置を修正(南東から西へ)
するところなのです。以前にOX仙台放送に牡鹿半島上空に未確認飛行物体がキラキラ光りながら
飛んでますとか言っていたONAIRがありました。マジで放送していて自衛隊松島基地へも取材していましたが
結果としてわからずしまいの番組でしたが、それはこの状態(機体姿勢変更による太陽光の反射)が正解なんです。
ここの神社の森は、小鳥が囀る静かなところなのでその鳴き声には癒されます。
↑以上、この書き込みは2022年1月1日に
約50年振りにTBCラジオにリクエストして
不採用になった七爺が担当しました。
リクエスト曲は 【ここに幸あり】でしたが
修正があります。
この曲は1975年に流行ったらしく、約50年振りっうのは
嘘で47年振りでした!!。
国鉄東北本線塩釜貨物線に蒸気機関車が走っていた時代と、
都市銀行の総合二次オンラインがスタートした時期が被る。
この頃の事務センター側のセンターマシン(現在の所謂メインフレーム)は
IBMシステム360(370)などで、証券会社のセンターマシンはスペリーランド社ユニバック1108or1110で
あったが一部は都市銀行のメインフレームでもあった!!。(たぶん)
1978年の宮城県沖地震の時には、爺は東京で働いたんだが
その日は、そろそろ仕事が終わり帰り支度をしていたら
東京でも可なり揺れて、会社の目の前(芝浦運河)のボーリング場屋上の
ピンがガタガタ揺れたのを覚えているわ。
勿論、すぐさま会社の自営交換機経由で宮城の実家に電話をしたが
無通状態だったよ。翌日に高崎かどっかに日帰り出張した際に公衆電話から
実家に電話したらやっと繋がって母親の声を聴くことができました。
僕が、仕事で頻繁に行っていた東京中目黒事務センターが昨年から解体工事に着手してる
みたいですが、それが終わったら新ビルを建設するようです。
厚生棟にあった行員食堂も懐かしい話しで、ど田舎から東京に行った僕は
その食堂(田舎者には一流のレストランに見えた)で食べた青椒肉絲が
人生で初めて食べた中華料理でした(笑)!!。
その数年前に、受かりもしないと思った某会社に面接に行った時に間違って
その銀行の2Fに行ってしまい、Fの付く女性行員の方に(現在のみずほ銀行)
6Fの面接する会社まで案内されたのを思いだす。
先生たちには、やめておいたほうがいいんでないかとは言われましたが・・・
47年前の話しですが、その頃には斜め前には七の付く
銀行の本店はまだなかった時代です。
面接をパスして、仙台勤務だと思っていたらハガキ1枚が来て
3月31日まで浦和市の独身寮に入寮しなさいみたいな連絡が来て
ド田舎の兄ちゃんは、大都会の東京で勤務することになりました。