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次スレを立てる方は↑を2行以上重ねて書いてください
戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックは1-19巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
次スレは>>970が宣言して立てる。無理ならば代行を頼むこと
※前スレ
センゴク 宮下英樹 196番槍
http://2chb.net/r/comic/1591781105/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured 部下を持つようになると秀吉の気持ちがわかるわ、ええいワシが全部やるわ!と言いたくなるのと配下の成長を待たなければならんのかと思ったりこの裁決でよかったのかと呟きたくなったりとか
>>6
てか、セリフでも「賭した」とかいって次郎三郎時代戻ってるんだから
あの場面では身共とかいわずに昔っぽいセリフにすればよかったのに >>7
ここは曲げて今回のセリフで納得して頂けまいか
後生ぞ スレ立ては>>1の如くあれ。我が女郎蜘蛛の計にて、敵方先陣昇天に候。 >>7
全く一緒だと成長していないように見えるから変えたんじゃないの
あるいは単に今のヤスのキャラ付けかもしれない >>12
今の時点では「小僧!」だけど家康とつきあってくにつれ秀吉みたいになって最後には
三方原みたいにフランクになるのかな 5chはご多忙故
直接保守能うのは六十レスの間のみ
という事だ
>>12
ノブオ改易のときも「賽は投げられたのだ」とか言ってたし、
表面は幽玄の智を装いつつも、中身は賭博師の本質を変えられないってことじゃなかろうか? 家康の人生最後の賽は豊臣を滅ぼすときに投げることになるのか
そこまでは描かないだろうけど
短いようで長い人生、ここからダラダラの後期な戦国時代が始まりますよ
奥州仕置き以後の、朝鮮の役とかの、老ヒデちゃんのグダグダ海外戦記とか
>>21
関ヶ原でしょ。あとは粛々と消化試合を進めるだけ >>21
テルーに大阪城乗っ取られて賊軍認定されたあたりが博打打ちの本領発揮なんじゃ >>13
フランク家康(小僧!汝が如きのためにワシももらしたぞ……借りは必ず返せ…良いな…必ず返せ……) 関ヶ原の役や大阪冬の陣・夏の陣に到るまでの家康の周到な根回しや調略・謀略を見ると、
生粋の賭博士と言うより慎重極まり無い策士としか思えない。
輝元が大坂城に入って奉行連署の弾劾状を出したあたりの家康は今週と同じ状態だろう
いつの間に賊軍扱いされてビビって江戸に引きこもっちゃったし
キレるたびに家臣団に引っ叩かれてたから性格変わっちゃったんでしょう
調教されたというか
賭博士というなら絶妙のタイミングで加賀宰相もいなくなったことであるかのぉ
関ヶ原だって家康は周到に準備をして勝利確定状況で開戦はしたかっただろうけど、やっぱり最後には賭けの部分はあったんでねーの?
秀忠ちゃんが間に合わなかったっていう最大の誤算もあったわけだし
そもそも味方になるかならんか分からん面子を率いてやるんやから、
そりゃ博打よ
ヤッスは一ヶ月江戸城に引き篭もってたから賊軍認定された時はマジで震え上がったんだと思うわ。
岐阜城の早期陥落で腹を据えざるをえなくなったのが
実態だと思う。
こっから徐々に昔の家康に戻って冷静さが少しなくなるのかな。関ヶ原の霧で見えない戦況や動かない小早川に苛立ったりとか
大敗走してからのセンゴクはめちゃくちゃ面白えな
讃岐寄越せっての資料あるの知らなかったわ。確かにこの流れの中で本当に言ったのなら噂になるくらいすげぇ発言だわ。
田村ってなんだっけ?
すっぽり記憶から抜けてるのか?
>>41
田宮の名前、史料に名があったのはビックリしたね。 山崎新平並に本当に実在したのかどうか謎なレベルじゃないの?
>>35
開幕裏切りは義風堂々も採用してるしそんなに難しくはないわ 「通説には疑問が残る」で
宇喜多vs小早川
毛利vs徳川
二つの戦場が存在していたのではないか
みたいな展開希望
>>1
折り目正しきスレ立て乙
>>37
最初はお蝶絡みで九州でやらかすのかと予想してたな ふと思ったけど日本の歴史て○○条約って幕末までないな
日本国内では対等勢力が長い間並びたつことも少なかったし、対外戦争も距離があるからか攻め手があきらめる自然消滅が多かったからかね
攻め込まれたのは元寇抜きにすると刀伊の入寇や新羅の入寇みたいな海賊とか飢えた漂流民集団とかだからな。
>>33
幕末の学問行き渡った時代に後世の汚名となる
朝敵認定されるってんならともかく
元亀天正を生き抜いた戦国大名の家康が
豊臣家の玉を確保されただけで震え上がるとか
さらさらないわ >>50
朝敵=豊臣政権の敵だから震え上がるぞ
あの時の家康が豊臣政権に真っ向から対抗できる力を持ってないし
上杉討伐についてきたのがほとんど豊臣系の大名 お蝶は正直うっとおしかったけど、名前を伏せて再登場してゴンベの活躍に涙した場面は良かった
田宮・・・田村?
「我々はか弱い、あまり虐めるな」
関ヶ原は追い詰められた家康が江戸で必死こいて次善策練ってる間に福島ら先発組を軍監が抑えられなくなって暴発、なし崩し的に出陣ってのが本当のとこなんじゃない?
岐阜城の早期陥落が両陣営に取って予想外過ぎただけで
ならば秀忠を責めるのは酷だな
実際処分されてないし
>>51
上杉征伐そのものが三成挙兵を誘う罠だっての
忘れてるだろ、道中会った大名や牛歩戦術など
誘う気満々やぞ センゴク戸次川は某の存在ありきの筋立てだと思う
小坊主崩れの地侍の四男坊が2年足らずでイケメンになって羽柴家屈指の家臣の婿になって
四国の雄長宗我部家の御曹司と誼を通じて…とかとんでもないシンデレラストーリー
しかしその通説に疑問が残る
誘う割に江戸に1ヶ月以上も篭って出て来なかったり、福島らに引きずられて関ヶ原に到着して乗り気ゼロだった家康
>>58
おいおいおい、家康が伏見城発ってから
三成の挙兵が1ヶ月やぞ、
それが当時の様子見の感覚や、
電気通信もねえ時代は慎重にもなる >>51
豊臣政権の実態が「あの農民上がりの猿なんて怖かないが、バックに朝廷がいるからなあ…」という構造ならそういうこともあったかも知れないな
もっともそうであればその後の内部闘争も関ヶ原も起きなかったのではとも思うが ちょっと話題に出すくらいならともかく、議論したいなら戦国板に行くかセンゴク関ヶ原外伝が始まるまで大人しくしてろや
秀次は家康と一緒にしとくのはマズイっていうのは将来的に処分する事になる布石なのかなと思った
秀吉の取次をこなしてく間に締め上げるしかないだろってのはゴンが指摘した通り
「頭の中で考えたプラン」
でしかなく脆くも崩れ去るんだよなぁ
承久の乱で、朝敵認定を屁とも思わず十八騎で駆け出した鎌倉武士とかなんかカッコいいよなー
後世の人間は勝ったって知ってるから気楽だけど
当時は西日本は上皇に抑えられてるかもしれないし
院宣に従う東国のものいるだろうから数で負ける蓋然性高いだろうに
>>66
あれも上皇自ら出てきたらやばかったんじゃないかなぁ「承久記」って軍記物の注釈に当時の公家や武将の日記や手紙載ってるけど上皇がいきなりビビり入って引き籠もったのに憤激してる。上皇の出陣前提で戦略組み立ててたのがパーになってあとは散り散り >>68
日本史上最強最大の権力と兵力と竿力を持ってたのにね、後鳥羽さん >>68
上皇が親征してきたら武器を捨てて降伏しろと幕府側が御家人達にそう言ってたな 実際、承久の乱に際して後鳥羽院が打った手は事前準備も含めて当時では必勝だったとか。
北条義時以下は満足な反攻の準備も気構えも出来ていなくて、当初は鎌倉を北条氏だけで固めて御家人達は所領に戻して準備させる気だったとも。
それをやっていたら、北条氏は族滅確定。北条政子と大江広元が軍勢が調っていなくても、即座に鎌倉から軍を発して御家人達が正確に現状認識する前に、北条氏の追討から幕府と御家人の問題に論点をすり替えて、雪だるまが転がるように勢いで押し切らないとツミだった。
実際、東海道を下る軍勢は兵糧の支度も満足になく、街道筋の民衆も逃げ散ってしまい、増水する宇治川で大量の溺死者を出しながら官軍の倉庫を占領するまで飢えに悩まされたとか。
北条義時自身も、館の落雷で下人が死んだ事で「天罰だ」と寝具かぶって震えて大江広元に励まされていたし。
>>69
なお神器なしで即位したのを最後までネタにされた模様 政子「頼朝さまのご恩は山より高く海より深い、今そのご恩に報いる時です」
鎌倉武士「うおおおお」
ここを外さなきゃあとはなんでもいいや
>>74
むしろ今ならこれじゃね
政子「院は坂東武士を舐めておる。だから殺す」
武士団「ヒャッハー!都は消毒だ〜!」
>>75
バンデットの鎌倉武士は良かったんだよなー
太平記をもっと忠実にあのノリでやって欲しかったな
あの宇都宮公綱みたいなのが十八騎で駆け出したかと思うと
恐ろしくなる ここまで怒りと野心を抑えまくってきたのに、馬鹿センゴクの一言で全て無に帰りかけたんじゃあキレるのは分かるw
俺も遊泳禁止の場所で遊んでるDQNに向かって
危ないぞ、沖に流されたらどうするんだ!って注意したら
DQN「おきに流されるって、後鳥羽上皇かよwww」
DQN女「マジ受けるんだけど、超承久の乱〜」
とか言って聞き入れなかったわ
承久の乱は
西国の守護はほぼ後鳥羽に従ったけど
在地の武士はほぼ従わなかったからな
>>76
バンデッドは主人公オリキャラにしないで素直に正成か高師直あたりにしてれば打ち切り食らわなかったかも。 >>82
オリキャラは狂言回しとしてあくまで一足軽、一悪党の立場でやって描いていけばねー
無理にトップの足利と絡めようとしなくても >>82
編集部イチオシの長編歴史物始まる予定だったからどっちにしても無理。かわぐち御大のまで切られたろ。 >>80
そんな素敵DQNなら好きなだけ泳がせてやるわwジコセキニンデ。 義経チンギスハンそんなに推すほどかなーと思いつつかわぐちカイジのややマンネリ感のある源平よりはいいのか。
太平記ものはまたぜひあの蛮族感バリバリでやり直して欲しいな
土岐兄さんと光厳院の狩りごっこは蛮族通り越して
フレンズやから
>>72
孝明天皇もそうだったっけ?後醍醐から偽物貰ったとかなんとかで >>76
早川口の虎口なら公綱1体で陥落しそうだな 後醍醐・後白河・後鳥羽・後村上
この辺り昔っから本当にごっちゃになるわ
>>92
わかりやすい覚え方が
後醍醐→電波
後村上→電波の息子
後白河→ラッパー
後鳥羽→刀鍛冶 >>90
鎮西八郎くらいじゃないと流石に単機では無理じゃね? >>47
不戦の約定とかになるんでね?
解かれもうしてー 信雄が勝手に志摩国を分割して伊勢と紀伊で山分けしたのとかちょっとロシアっぽい
>>94
為朝があと十人いたらアメリカは太平洋戦争で負けていたと言われてるからな んじゃふるが豊臣家内の政争だけではなく
惣無事=いきなり殴り合わずにまずお上にお裁き頼めという時代への移り変わりの面を掘り下げるのかは気にはなる
もっとも鎌倉や室町の挨拶代わりに殺す修羅どもからその感覚が根付くに至るまでは戦国どころか江戸中期くらいまでかかるけど
狂言というより今様じゃない?ベストアルバムをリリースしたからな
大河ドラマ観て後白河のイメージは松田翔太で固定された
>>84
鎌倉ジパングとバンデッドと池田勇人打ち切って
ハーン始めるモーニングの見る目のなさよ 疾風の勇人は昭和の妖怪出した途端に露骨に打ち切られたな。今ならじゃんじゃん描かせただろうに。今度は秋田書店でほぼ同時代の角栄やってる
ハーンも悪くはなかったけど
前作のショート黒松のほうが面白かった
作画の問題か演出の問題かハーンは盛り上がりに欠けてたな
義経関係は雷にビビらない以外生かされてないし
ジンギスカンにしなければ無限の可能性あったのにね
義経が大陸で大暴れしましたみたいなのでよかったのでは?
鎌倉武士といえば赤マフラー
あの世で尾藤神子田と再会した半兵衛は何を話すのだろうか
なんで半兵衛はあんなプライド高いだけのやつら気に入ってたんやろ
梁塵秘抄口伝集とか言うリミックスアルバム
アーティスト名が行真aka雅仁
尾藤は引きこもり仲間では?引きこもって碁を打ってたところとか
頭の中で戦場を構築できる半兵衛の廉価版っぽさがある
尾藤はこの漫画では秀吉に口上叩き込まれて池田勝入を口説き落とす役割与えられるくらいには有能だしな
史実知ってるから考えなかったけど三成ってもしかして今頃処断されるかもってビクついてる?
>>124
じっさい失敗=切腹もありえるわけだからいかに重臣といえども
生きた心地はせんだろうよ、しかしなんでこいつが西軍仕切ったんか
ねえ?ふつうに加藤清正あたりなら絶対にあんな負け方はないわな
関ヶ原は上田城の攻防にはどんだけページ割けるかな、家康・秀忠・ゴンベの
重要シーンだけど本戦も捨てがまり等面白そうだから超楽しみ センゴク三成は叱られる処罰されるより「できないことは無理するな」と労られる方がグサリとくる若さを残してるタイプじゃないかしら
>>125
捨てがまりは島津勢が何言ってんのか全くわからない筆文字を叫びながら
万歳チェスト仕掛けてくる描写が楽しみでしょうがないわ >>125
センゴクでは三成佞臣論より不器用なタイプとして書かれてきているので西軍は史実通り
総大将 毛利輝元
副将 宇喜多秀家
としてくれたらいいな
石田、小西、安国寺恵瓊は濡れ衣着せられて処刑されたと伝聞えられて嘆く権兵衛とかの方がらしい 秀吉死後は後ろ盾なくなって誰も言うこときかなくなって
「何一つうまくいかない!」て頭ガリガリしまくってハゲ姿で関ヶ原してほしい
島津の退き口は、一説にあるように義弘は諦めて死を覚悟してたけど
そこを諫めて励ましブチ切れた豊久のDNAが目覚めスサノヲ化
紙降り300名の狂乱の波に乗せられ導かれるかのように義弘だけは無事離脱的な流れだと熱い
謙信が成田長泰をひっぱたいたんだっけ?
ガクトはその嫁を奪おうとしてたな
九州編の島津は家久が神降りしだしてからなんか
おかしくなっちゃったからなあ、龍造寺戦は
面白かったのに、次はクレイジー鬼島津の本領発揮
といきたいね
凄い変わりようだな三成
弱そうな刑部に小西どんに恵瓊、キラキラ宇喜多も化けるんだろうか
三成は絶対勝頼みたいになるよね
死ぬ寸前に秀吉が出てきて謝る展開にもなるだろうし
三成の豊臣家への忠臣イメージって
小説やらの影響が大きすぎて
本当に史実でもそうなの?
って疑問なんで、それこそ
「だがこの通説には疑問が残る」して欲しいわ
センゴクの三成って不合理には怒りそうだけど
理不尽には反応しないよね
家康が豊臣家乗っ取り始めたら、普通に従っちゃいそうだよ
そんな事はないと思うが
東軍と西軍を無理に分けるとすれば
明らかに西軍は主流派で東軍は反主流派(家康除く)程度
しかしトップが反主流派を抱き込み始めるとか胡散臭い話に
よく福島やら加藤やら黒田は乗ったよなあ
しかも暴走するだけ暴走して事態の急展開に返って危なくなる始末
家康からすれば政権トップなんだからあそこまで危ない橋を渡る理由なんか全く無いのに
猪の暴走に巻き込まれて.一か八かで天下分け目の大戦
ってのが今週のセンゴクを見ての感想
家康さん全然学べてねえw
センゴクの2大坊っちゃんズ秀忠秀家なら普通に仲良くなれそう
>>145
>明らかに西軍は主流派で東軍は反主流派(家康除く)程度
思いっきり逆だけど 家康も結構年いってたし悠長に豊臣方の力削いでく
時間はなかったでしょ?やっぱりこういうのって機
というものがあって危険はあってもそこをモノにしないと
ほんとのTOPはとれないんじゃないかな
>>148
関ヶ原から大坂の陣まで15年もあるんだけど... このスレのせいで暫く佐々成正のこと調べてたけど、没落に評判落とすデマが何度も広められてるんやな
前田家が佐々の祟りを恐れていたとかいう話を見ると噂流してたのは前田家かね?佐々がとっくに死んだ後になんで評判下げる必要あったんやろ?
>>151
当時の寿命考えたら関ヶ原当時にあと15年も五体満足で長生きするなんて家康も周りの人間も思ってないでしょ
だから徳川家での将軍世襲を急いだ訳だし そのあたりの流れは「葵三代」の大河ドラマが分かりやすかった
関ヶ原から始まって家康から家忠に実権が移ってく過程がかかれてる
武家諸法度、公家諸法度を交付して完全に実権を抑えるまでは家康さんバリバリ現役
>>152
まだまだ人が人を治める時代だったってことじゃない?
前の領主の人望は次の領主の統治の障害になるという寸法 >>152
前田利家はかなり加賀で苛烈(森忠政的な逆らう奴は皆殺すマン)な統治してたから、そういう不満を逸らすとかあったかもしれん。もちろん一向衆の反勢力叩かにゃならん事情はあったろうが。
ちなみに佐々の悪評とか加賀の話かどうかしらんけど。
しかし戦国末期の統治って何でゴンベだけごちゃごちゃ言われるんだろな?
正直、そんな楽な統治してた奴いるの?と思うこともしばしば。
まぁここはセンゴクスレだからゴンベが言われるのは当たり前と言えば当たり前か。 >>151
関ヶ原当時は家康57歳、当時の戦は必ず大将は戦場に行くから
体力的にもあと3年くらいが勝負と思うのが普通じゃないの?
冷暖房完備、ボタンポチればの時代じゃないよ >>151
そうなんだよね
あそこから豊臣滅ぼすまで15年もかけてる
関ケ原はどう考えても不測の事態としか思えんわ
関ケ原以後の真綿で首を絞めるような嫌らしいやり口を考えれば
いくらでも安全確実に天下簒奪出来たんじゃないかと
関ケ原って冷静に考えると無謀なんだよ
西軍は機内抑えてるんだから
第一次、二次の信長包囲網と比べても遥かに分が悪い
相手が野戦に来なかったら、例え尾張まで抑えてもその後どうするつもりだったのかと
そこから西は秀吉が作り上げた城塞群がひしめいててどうにもならない
小田原の城塞群とは下手したら桁が一つ違うんだよ
100万の軍勢があっても攻略は怪しい 人生50年言われてる時代で、悠長に待てないでしょ。
むしろ散々待って秀吉が死ぬのを待ってた。
これ以上待てば、より若い連中が有利なだけ。
家康自身なら天下を二分する戦いに勝つ自信はあるが、秀忠にそんな大戦をさせても、勝つ可能性はぐっと下がる。
権力を簒奪しようというのがイレギュラーだったのかも
>>159
かけたじゃなくてかかったが正解でしょ?豊臣は莫大な資産
持ってたしシンパも少なくなかった、淀君じゃなく秀頼に
ちゃんとした参謀がついてりゃおそらく徳川幕府は無かったか
まだ遅れてたと思うけどね たびたび出てくる本物の家康は関ヶ原で討たれてた説
ちなみに秀忠はヒ素で毒殺され、家光は柳生十兵衛によってマミられてる
輝元秀家三成が本当に、狡猾な戦略家なら持久戦に出るかも知れないが、彼らはイニシャティブも曖昧な低脳と若輩と官僚でしかない。
大軍が向かってくるならより大軍で迎え撃てば良いくらいのアイデアしかない。陣立てだけなら実際西軍のが優位だったし。
そもそも関ヶ原の前に会津征伐があるでしょ
アレでビビった毛利と復権目指す三成が結託したと考えるのが自然で豊臣家うんぬんは1600年時点では全く関係ない
>>157
毛利元就「57歳ならバリバリの現役だろう」 心理的に普通の人間は平均寿命まで後何年だから
それまでに人生でやらなきゃならんことを全部片付けようなんて思わん
隠居してるような人間ならともかく国のトップクラスで働いてる人間よ
長寿過ぎて実は同名が2人いるんじゃないかと疑われる人もいるな
>>156
なんというかそれで「オチがつく」からじゃない?>佐久逃散
ダメなひとはやっぱりここでもダメでした、みたいな
戸次川の失敗を人間的な資質に求める人にはほらやっぱりと納得しやすいんじゃなかろか 池田大作だって死んでるか生きてるかわからないしな
創価学会の。
昔はもっとありそう
秀忠...
秀吉死後に五大老筆頭になった家康さんやる事がいっぱいある
・朝鮮戦役の論功行賞含めた戦後処理
・諸外国(特にスペイン)への外交対応
・秀次失脚後空位となっている関白職を五接家へ返還
ここまでは言わば秀吉氏後の残務処理
本来秀頼がやるべきだけど年齢の問題もあって家康の責務となってる
1605年に将軍職を世襲してからがようやく大御所として落ち着いた感じ
朝鮮出兵の論功行賞って秀頼が成人した後でってことになってなかったっけ? それなら少し余裕がある
>>182
手痛いダメージ受けて留守組と不穏な空気になってる外征組に数年から下手したら10年近く待てと? 確かそんな話だったと思ったよ。それを秀吉の死後に家康が勝手に話を進めたと
俺はそれ映画の関ヶ原で知った
史実かどうかは知らんが
家康って大名としてはともかく、幽玄おじさんになってからキャラとして魅力なくなったよね
五奉行っていつ頃から大名になったのだろう
奉行と大名って役職違うよね
>>143
なんで関ヶ原に担ぎ出されたんやろか
佐和山でじっとしてれば… >>187
そういやあ徳川幕府では奉行は旗本ランクだよね
寺社奉行を除いて >>187
五大老五奉行が出来たのは秀次を誰かが殺してから急にだから
秀吉秀次の時は
五大老はいなかったからね
奉行が中枢だった >>187
そもそも「大名」は役職ではない
大名主、大名席からきた形容詞
沢山部下を抱えてる武家の主位の意味だな
現代語でもあの人はお大名様だから
みたいな言い回しがあるけど、アレと用法は変わらんw
よく一万石以上だと大名とか言うけど、それも江戸時代以降の大雑把のくくり なる。大名って役職ではなかったのか
しかし殿、って言葉があるけど、例えば佐吉は奉行だが
家臣や領民からは「殿」と呼ばれ、要は大名と言うか領主的な人だよな。
江戸時代の奉行も領地がある人は「殿」と呼ばれてたらしく?、、、
あ、、、何だか自分で何言ってるか分からなくなってきたw
豊臣政権では幕僚のひとりだけど
自分の領地に戻ればお殿様ってことじゃね
>>192
室町時代の場合、役職は基本的には「守護」だわな
江戸時代には石高一万石以上の「藩主」を指すね
センゴクの時代に出てくる大名は、戦国大名だけと
これは歴史学的な用語だね
室町幕府とは関係なしにある程度の領域を独自に統一した人の事
最初の戦国大名は北条早雲と言われる(最後の戦国大名も北条家) >>184
いやいや、勝手にとか言ってるけど、論功行賞急いでやらないと豊臣政権自体が先に崩れるだろ。
海外出張命じられて、人的被害も戦費も持ち出し余儀なくされて会社から「その分の支払いは何年先になるかわからないからw」とか誰も従わなくなるから 「殿」は字からわかるとおり偉い人が住む館のこと
日本では古来から館の呼び名を貴人の尊称としてよく使う
「御所」とか「屋形」とか
戦国時代だと「主君」に対して使う言葉だな
大名クラスだと「お屋形様」って呼ばれるケースのほうが多かったんじゃないかねえ
主君の官位や立場や風習で色々あったろうけど
ただし武家の場合、「鎌倉殿」「室町殿」って特別な呼び名があるのでそれは別格
ちなみに大名や旗本に使う言葉として一般化したのは江戸時代
流れぶった斬って悪いが桃山時代の政治とかを書いた新書や歴史小説でオススメない?
これからのセンゴクを楽しむ上でも予備知識はつけておきたい
>>196
なお。足利尊氏さん、義詮さん、義満さん、義教さん
京都にいるのに「鎌倉殿」言われてた模様 司馬の国盗り物語・新史太閤記・家康三部作の三傑主人公の長編はは鉄板だが今読んでも面白いから通しで読むといい
俺は司馬遼太郎の段々腹黒い駆け引き覚えても鳥居に最後に会った後に一人泣いたり
晩年になり戦場すら知らない若い連中の使えなさに嘆いたりする人間臭さを捨て切れない家康がやっぱり好きだわ
御屋形様、御館様
守護大名の呼称。信玄とか義元とか
殿
下克上組。信長とか
大殿
殿が家督を譲って大殿。信長のイメージ
上様
将軍の呼び名。義昭とか秀忠とか
大御所
隠居した将軍。家康
殿下
皇族とか。日輪の子秀吉
>>35
つーか、実際問題関ヶ原って3時間くらいでささっと終わったんでしょ?
徳川氏が自分らの功績をでかくしたいがために
6〜7時間くらいかけたと
宰相のからべんとうもなかった説
「賤ヶ岳七本槍」の一角の脇坂が裏切った辺りでカタが、ついた、と
采配値
三成 30
家康 95
じゃ勝負にならないからね
仕方ないね やかた(屋形、館)の呼称って勝手に言っていいんじゃなくて免許制だったんだねー
知らんかった
>>156
黒百合伝説でググレ
因みに完全な創作で伝説にあるようなイベントは全くなかったらしい
でもこのせいで苛烈で血も涙も無い領主として語り継がれることになった
そして前田家の書物には佐々に祟られるという記述が何度も出てくるという
因みに前田家の加賀での苛烈な統治の話だけど、特に能登地方が酷くて取れ高の7割を税として徴収されていたらしい
3割を超えると継続的に農民は生活できなくなるとされているのに7割。能登は日本で一番酷い統治を受けていたようだ いっぽう甲州土民は信玄公以来の税制以外は受け入れなかった
>>207
官位を自称するのが横行するくらいなので割と適当
今年の大河でも斎藤道三は殿、御館様は土岐で区別はしてた気がする 昔は大河ドラマとかで「おやかたさヴぁー」とか言ってるの聞いて親方?相撲かよとか思ってた
沖縄は実際にそんなカンジの尊称みたいだけど
沖縄は御主加那志前
武将みたいなのは親方(うえーかた)
ソースは花の慶次
真面目な戦国時代の本読めば色々身につくぞとマジレス
平山なんたらの国衆の本読んでるけど取次と指南と奏者が同じって
これで知った
>>27
運以外のあらゆることを塗り潰すのは定石だ。そうして隙間を埋めていって、運だけが純粋に残った時最高の賭になるのさ。 昔の小説より最近の研究者本読んだほうがためになるな
そりゃ小説は面白いが事実でないことを事実とインプットしちゃうから
いつもサジは、ゴンを「殿(との)!」と呼んでるけど、
実は当時はそんな言葉はなくて(日常生活で使うって意味で)
江戸時代も書類上?のみ、なんと一般化したのは昭和になって小説とかからみたいだしね。
面白いすなあ、歴史の言葉って。
すわ叛乱って言っても今更あるかなあ
お藤さんも寿命近いなあ
>>222
1596年没
あと6年だから作中ではまだまだかもしれないが 後妻も気になるがゴンベって側室とかはいなかったの?
国人衆じゃなくて甲斐の牢人か
竹村新兵衛っていうらしいが調べても出てこないな
誰かの娘が秀吉や家康の養子になったあとゴンさんの所に来なかったんだろうか
>>218
呉座さんの本が難しすぎる俺には小説でいいや
てかなんであれ売れてんだよ 実際の仙石秀久が漫画のゴンさんと同じ性格だったら、「古くからの縁だし憎めないし有能」とか「大恩がある」「こいつやべえ...」とかで養女を貰ったかもねぇ
そういやこの時徳川四天王どうなってんやっけ
酒井とかまだいきてるのか
>>237
信康が生きてたらこんな苦労はしなくて良かったのにって
関ヶ原の時に酒井忠治にぐちってる記録が残ってたような
酒井も居心地悪かったろうな >>237
酒井が亡くなるのは関東移封後だからまだ生きてるでしょ。
息子の領地が他の四天王の面々より少なくて文句言いに行ったって逸話(後の創作っぽい)が残ってるくらいだから。 >>237
酒井忠次自身は関ヶ原までの間に隠居、入道とあって
京都で大往生
徳川四天王も関ヶ原で3人、大坂の陣では0人だもんね、
家康も自身の後継者選びと並んで手足となる譜代の
代替わりに神経すり減らしてたと思う 四天王全員家康より先にいってもうたんか
ある意味本望かもしれんが
史実のヤッスは三河者が死ぬたびに赤飯炊いてそうなイメージ
三河衆ってもともとは松平と同格の土豪連合だからな
関東移封で主従関係の再確認したことで支配権強化したんだったよな
本当に転んでもただでは起きない男だよ
>>243
そういうのはありそうやな
土豪連合から戦国大名へ脱皮したんやな
上杉謙信でも無理やったのになあ >>230
ゴン娘は高虎の異母弟に嫁ぐんだけど、後に高虎の直系に男子がいなくなっちゃって
ゴン娘と異母弟の血統が津藩主を継いで行くっていう、この作品の高虎はやや苦虫をかみつぶしていそうな顛末っていうw 豊臣家は奉行衆でなく、武断派が生き残り
徳川家では武断派が冷遇というか端に追いやられ奉行衆が台頭してるのが皮肉やね
まあ三河武士の脳筋共に政治なんかできんやろうけどw
豊臣で武断派を冷遇したから家康に付いたんだろうな
徳川も反抗勢力が出てきたら冷遇された武断派はそちらについたかもしれん
徳川も外様に250年ぶりの下克上をされてるわけだし
冷遇する時は徹底的に力を削がないといずれ足元を掬われる感じ
実戦経験してない坊ちゃん嬢ちゃんにはやっぱり武闘派は
怖いよねえ、結局表向きはソフトな奴らを重用、そいつらから
すりゃ脳筋は煙たいから遠ざけるという洋の東西問わず繰り返
される歴史ではあるがな
武断派いわれてる中で奉行仕事してないのって
細川ちゃんくらいだろ
しかも福島は佐吉とペアでいつも取次やら検地の仕事してたし
仲良しとはいわない
捕らえられ門の前に縛り置かれる江守徹にガハハと下衆な笑いを浮かべながら近づく蟹江敬三
もう半分これが史実だよ
>>251
そりゃ桶屋で修行中に、イラついたって理由で大人を殴り殺すようなガキ大将と文官じゃあ話があうはずがない >>227
一瞬甲斐の牢人竹村新兵衛がゴンベエの側室になるのかと思ってびびった 秀吉が衆道やらない変な奴だって記録に残るくらいだからやってたんじゃね
>>257
戦国ヤンデレ大名細川忠興も衆道が大嫌いで家臣にまで禁止にしてた
セレブな坊っちゃんだから主の寵が必要って感覚がなかったんだろうな 娯楽も少なくいつ死ぬかわかんねえんだし
気持ちよけりゃいいじゃんて感じなんかな?
ただヤリ過ぎると戦闘力が落ちそうなんだけどな
衆道なんて江戸時代だって普通にあったろ
今だって・・・ BL・・・
いやVIPの嗜み
やってないと記録に残るとか
そんな一般的じゃねーだろw
>>259
神聖隊「あ?文句あるならかかってこいや!」 w >>263
ヒストリエでは完全にスルーされてたなw >>264
森蘭丸さんのお尻が汚いとかありえないわ 伊達政宗 衆道は渋めのおっさんが良い
若い小姓は味わいが足りない
唯野作十郎とか年上でもやれるのが凄いな
衆道については平安の頃から皇室、公家、僧侶、庶民と各階層の生々しい記録が残ってるわな
坊主のお稚児さんのお作法指南とかすごいもんなー
坊主は今も昔もろくなもんじゃない
>>242
四男の松平忠吉が死んだ時、鷹狩りに出かける支度中に駿府に訃報が届いて、周囲が流石に中止だろうと思ったのに。
「あ、そう。……お前ら、何を突っ立っている? 鷹狩りに行くから、さっさと鶴の吸い物を持って来い!」
と言って、周囲を唖然とさせたと言う記録が。
当時なら、息子が死んだと聞けば即座に狩猟とか殺生は停止(ちょうじ)して、喪に服して贅沢な肉食とか断つのが常識だったので。その場にいた天海が
「御子が先立たれてさぞかしお嘆きかと案じておりましたが、元気に鷹狩りにお出かけと伺い安堵しました」
と厭味じみた諫言をしたそうです。
「あの病状(一説に梅毒。死去の直前、忠吉は最期の暇乞いに家康を尋ねたが、面会不要と追い返された。尚、秀忠は面会して泣いて別れを惜しんだ)なら助かる訳がない、早く死んだ方が楽になるのは明らかだろう」
と悪びれなかったそうですが。 >>272
逆に考えるんだ
脳筋のイメージにしたかったから蟹江敬三になったんだ 信長から勝家への手紙に衆道も鷹狩りもするなってやつがあるね
信長に足を向けるなとかめちゃくちゃなこと書いてあるw
歴史ドラマで福島正則が目立ったり大物俳優が当てられた事が蟹江敬三意外ないから、福島正則=蟹江敬三だわ
多分最もイメージ俳優が固定されてる戦国武将だと思う
>>273
ガチのサイコパスだからなあ
他にも嫡男が刃物で死んだ?武士恥ずかしいなとか言って気にせず狩りに行ったアレな奴もいたし、武士はマジいかれてるは 最近の大河だけ見てる人には今夜の国盗り特番は見てもらいたい
高橋英樹の信長、近藤正臣の光秀、宍戸錠の勝家
今回はあまり取り上げられないが
火野正平の秀吉、米倉斉加年の半兵衛、江守徹の官兵衛、寺尾聰の家康、
伊丹十三の義昭、杉良太郎の長政、伊吹吾郎の藤孝
いずれもその役が大河歴代最高クラス
特番気に入ったら総集編も是非見てほしい
>>279
このクラスが普通に見れた昭和は良い時代だったんだな‥ >>279
謀反人は
惟任日向守!
って言わないと締まらないなあ
明智光秀!
だとなんかな >>276
大河じゃないが丹波哲郎の福島正則という超大物キャスティングもあった
北政所の握り飯を美味そうに頬ばったり
関ヶ原の後晒し者になってる三成に「カーッペッ!」したりする強烈キャラだった 世界的には中世って400年代から1500年代くらいまでを指す言葉じゃん?(日本で言えば大和王権が誕生した頃から室町時代まで)
大河ドラマって近代(戦国時代から明治初期)の比率高過ぎると思うんだよね
日本の中世にも面白い人物沢山いるんだし、足利義満とか蜷川新右衛門とかで一休宗純とかで大河作らねーのかね?
太平記と応仁の乱はもっともっと大河でやるべきなのになー
室町将軍歴代をまとめて大河形式でも
応仁の乱は北条早雲に繋げて3年くらいかけてやればいい
>>284
いいっすねー
ちなみに蜷川新右衛門も室町時代から幕末まで一貫してスーパーエリートだったので歴代新右衛門を纏める大河も面白いと思う
(蜷川氏の当主は代々新右衛門と名乗っている)
歴代新右衛門を纏める大河なら足利義輝から戦国時代の大名、家康から歴代将軍までいろいろ登場させられるw
>>287
蛮族鎌倉武士を大河でやるべきなんだよな
「武士」が後世に後付けの「武士道」とかそんなのと全く違ってて、元寇もお互い野蛮同士で
神風なんて関係なく撃退したとかも大河でやりゃ
誤解も払拭できんのに >>291
逆にNHKじゃないと出来んわな、そのへん 元寇が無かったら室町幕府を起点にした江戸時代みたいなのになって全然歴史変わってたかもね
>>291
そりゃあ鎌倉武士っていえば、ぶっちゃけ地域の豪族(武装勢力)を率いた頭目やからなあ
地域の豪族連合を従わせて、流石親分って言われないとアカンし
舐められると、回りの豪族達から水とか道の利権をくすめ取られるから
そりゃ荒っぽくもなるわけで 鎌倉武士ってみんな島津みたいな奴らばかりだったんでしょ
叡山あたりの僧兵暴れ回らせて強訴、強訴とかやれば
今の奴らはどう思うかね?まあ今も昔もでかい寺社なんて
ろくなもんじゃねえが
ほんの些細な、くだらない事でも一族郎党、縁戚、友好勢力かき集めての大喧嘩を
平気で起こすのが鎌倉武士
>>295
>>298
そんだけ世の中が荒れてて、自衛しないと身を守れなかったんやろなあ
総無事令なんかも、中央に力が無いと誰も守らないからなあ。 >>283
日本の歴史区分って世界の歴史区分を無理やり当てはめてるからな
そもそも西洋史の中世はルネサンス以前のことを指すんだけど
日本にはルネサンスなんか来てないしw >>284
この間、新九郎、奔るを一気読みしたら
面白かったわ、応仁の乱
やっぱり映像化するとわかりやすい
ゆうきまさみが上手いんだろうけど >>295
なんか、殺し合う事が友情
みたいな漫画みたいな価値観があったり
殺しすぎなんだよ
でそれが前提で色んな風習とかがある感じて
今の価値観では理解し難い >>297
鎌倉武士から300年400年経ってたら当たり前だろ。秀吉だって400年後の自衛隊には虐殺される 昔の人は、シャンプーないのによく長髪するよな気持ち悪そう。
空気乾燥してたりしたのかな
動物性タンパク質はめったに取らないから
そんなに臭わなかったと思うよ
土埃が酷かったからまめに水で洗うくらいはしたろうし
>>305
月代という珍妙なものが流行って定着したのは、そういう実用的な理由だったと言われてるな ヘタに実在の人物をモデルにしてるから逆に実写化した時のキャスティングが難しくなってる
特に権兵衛に入ってからは
>>304
秀吉側から手を出さなきゃ負けることはないよ
蟹江敬三が抜け駆けしそうだけどな >>281
80年代くらいまでは割と名指しが普通だったような。最近は時代考証で煩いから… >>299
だから調停機関として幕府が生まれたわけで
まあ頼朝生存時でも喧嘩は絶えなかったが >>188
むしろ家康政権下の方が本領発揮できた?
伊奈さんとかと並んで名奉行リストに連なってたかも >>315
薩摩仕置きとか見ると、間違いなく奉行としては一流やと思う >>314
梶原氏 族滅
比企氏 族滅
畠山氏 族滅
和田氏 族滅
城氏 族滅
三浦氏 族滅
安達氏 族滅
有力御家人だけでもこんだけ族滅するのが鎌倉よ
足利よく生き残れたわな >>317
もうちょっとだけ続くんじゃよ
名胡桃の件何気に真田のせいだとおもわれててワロエナイ、諸説あるんだろうけどこの作品ではクロカンの情報工作が要因じゃなかったっけ
しかし沼田には重臣の娘を嫡男の嫁としておし込んで上田方面は息のかかった人間をクッションに据えるとかどんだけ真田が目障りだったんだろう センゴク家の女子は美人揃いじゃのう
先生の描く美人顔が一パターンしかないのはもう仕方がないと思うことにした
最終回だなあ
こっから本当の最終回にどう持っていくのか
真田めんどくさいのを強調するってことは関ヶ原上田攻防戦確定だな
サジとゴンの会話、「てことは」、「じゃの」の意味が分からんかった
今後もゴンは、端っぽからでも秀吉個人だけには忠誠心を向けるが
その日が終わった時には徳川様に・・・、という意味深な意味なのかね
これはセンゴクのおかげで秀吉の疑いをかわせる感じになるのか
>>328
サジとそんな話したことないし小諸受け入れるよってことだろ
というかゴンが秀吉の死後を事前に考えるとかないと思う この時点の真田は上杉と一緒に小田原征伐参戦してきてたから上杉の与力扱いなのかな
上野から信州への通り道に居座ってるから邪魔なのはよくわかる
>>328
・尾藤の件は、ひとまず納得いく回答が得られた
・讃岐の件は、徳川のとりなしで決着がついた
・なにより、首をはねられずにすんだ
↓
小諸に決定
だろ >>297
重装弓騎兵の密集突撃で本陣につっこまれそう この後は小諸じゃなくて京都で過ごすゴンが描かれるみたいだな
へうげものと茶会に興じるゴンの扉絵が公開されてるから利休事件も扱いそうだな
今週久しぶりに登場した古渓和尚にも関わることだしな
>>323
新右衛門さんとか俺らの世代には超有名だけど、今の子達に分かるんだろうか?w 京都にある一休禅師縁の寺とか行ったことあるけど
アニメのセルがあちこち貼ってあって萎えたw
上方に安全に行くのに仙石領を通る必要があるし、通ったあと真田の逆襲を防ぐのに仙石家が必要
だから仙石家に対する秀忠が格別な扱いをしたのか
東海道と中山道
当時はどっちがより安全だったんだろね
大納言卿は関東移封後上方と江戸なん往復くらいしててその際どこ通ったんでしょ
真田の嫌われっぷり笑ってしまうよね
後世に残ってる逸話も大部分が誇張捏造だろうし碌な連中じゃない
それはそれとして古渓和尚いつの間に仕込みを…
前回ゴンベに対して、「あー…コイツは触っちゃ駄目な奴だった」と思い出していたが
真田家に対してはずっとそう思ってるんだろう
古渓和尚の弟子の断りかたが
まるで落語家に弟子入り志願した奴への断りかたみたいだわ
>>353
全員残留だったんじゃなかったっけ。
例の出石の史料に載ってたんでしょ。 豊臣家と言っても関ヶ原の直前だと権兵衛にとって豊臣家の人間と言えるのは金吾くらいじゃないかな
秀頼は怪しいし
>>353−354
じゃないと小諸治めるのに人が足らないんじゃ
ちょっとググったらもうちょい後の時代だと色々含んで5万石だと1000人位は必要っぽいのね。
現地雇用だったり武士身分じゃない人達もいるんだろうけど。 >>319
・商人は戦がはじまった時にすぐ物資調達しないと秀吉に真心がないと言われる
・商人は先に物資調達してんのに北条との戦いがなくなったら売り先がなくなってしまう
・商人の皆さんたちによる真心の賜物 小諸って家康にとっては要地も要地だったと
なるほど
今回の話で、地図やら領地とか久しぶりに調べて思ったことは、よく家康、秀忠の時代に領地替え受けなかったなという感想が出た。
要衝すぎてびっくり。
そういえばご先祖様があの辺だったよ
地元の豪族みたいなもんで全然有名じゃないし武田についたり北条についたり上杉についたり
似たような出身なのに真田はうまいことやったな
>>355
個人だって見限られることが多い時代に家に忠節なんて概念が一般的にあったのだろうか?
利益の供給者な内は付いてきてくれるだけじゃないか 第二次上田城合戦フラグ立ててきたな
とりあえず本編は権兵衛の死去で終わらせても
桶狭間戦記みたいに大阪の陣戦記書きそうな予感
>>345
ロクデナシだからこそ夏の陣以降も家名を守れたとも言える
織田秀信や宇喜多秀家見ても解るように戦国時代は正直者が馬鹿を見る時代だからね… そういやお藤さんはそろそろなんだっけか?…と思ったらあと5,6年は存命だった
これ以上ない底から這い上がった所を見届けられただけでも幸せだったと思いたいね
前回の仲裁は「お、なんか揉めてるやんけ。ちょっと仲裁して人脈広げたろ!」なふわふわしたやつじゃなくて
領地運営に不可欠な布石だったんか
>>366
藤子ちゃん死んだらさっさと再婚するゴンベはやはりロクデナシだなあ
ゲヒの息子に娘嫁がせるけど本人は出てくるのかな >>367
けどこれ秀吉がぬるいよな
秀吉としては徳川と真田が争った方が得だし >>368
wikiだと後妻は側室って書いてあるけどどうだったんかな この当時の秀吉にとっては、関東混乱は政権運営を揺るがせることにつながるから避けたい。東日本については自治でうまくやれというのが本音で、そのための要としての家康配置でもあるからそこを安定させるサポートを置いてやる。
徳川と対立関係になったとしても、また不穏な動きがないか探るためにも最前線に気心がしれた優秀なゴンベがいることはメリットになる。秀吉にとっても望ましい配置、というか史実は秀吉主導だったはず。家康が特に望んだというのは、後世の仙石家の処世術とセンセの想像力の賜物
策士家よりは武骨者のほうが扱いやすいだろうし、真田よりは十ううううううう分に恩義感じてくれるだろうし
なんてったって陣借りと小諸拝領(讃岐云々の説得)の取り成ししてしかも身共のクビまで賭けてやったんだから
まさか仇で返すことはすまい…?
byヤス
>>353
> 虎口攻めの牢人衆、このまま仙石家に居残るん?
仕掛人梅安の標的に「仙石家の本間佐渡」がいるそうだ >>353
浪人衆いいキャラしてたよな
キチンと士分として復活果たせたんだ
よかったわ >>368
まぁしゃねぇよ
誰だって独りぼっちの老後は寂しいし >>375
幼少の鶴松や秀頼がいる以上、近親の勢力や権限を削っていくという秀吉の方針は変わらないはず。秀長は男の実子がいないとはいえ、秀次と似たような運命を辿った可能性もある。
家康に関しては他にもっていきようがないので関東転封せざるを得ない。家康旧領に秀長を充てる手はあるね。 やっかいな小勢力にはやっかいな小勢力をぶつけとけば良いと
NHKでやってたかな、後世ではもう江戸で当然すぎる感覚だけど、関東移封後も小田原でやるか鎌倉でやるかとか選択あったんですわな。
ツイッター、権兵衛が織部焼の茶碗持っとるw
茶碗を交えた織部との絡みがマジ愉しみ
織部の焼き物、なんでも鑑定団で100万円付いてるのに、、
>>374
こいつらが奉行してたから小諸大変なことになったんじゃないか? >>375
ソフトランディングでなんとか豊家は残ったと思うわ
3代目くらいに改易されると思うけど それにしても今回は正信とのツーカーが良かった
具体的になんも言わんでもお互い分かってる感が凄く良かった
ゴンベと真田の対比にもなってんのかね
北条滅亡のきっかけになり、後に関ヶ原でも大阪の陣でも厄介ごと引き起こす真田
北条討伐の先駆けになり、関ヶ原でのちの体制に必要な秀忠をとりなした
真田が悪いわけじゃないが、神の視点だと確かにゴンベは大事なものが見えている気がする
>>373
本間さん(息子かも?)は仙石家最強お猿ツートップの一角を担うらしいぞ。
「センゴク」ではたぶん描かれないだろうからネタバレではないぞ。 地図のところ見て思ったけど、
徳川と真田は領土が接しているのが上田で
仙石と真田が接しているのが沼田?
逆、上田のすぐ南が小諸で沼田は上田の東北東くらいにある
いまだらっと地図見てたら上田の沼田のあいだへんに草津があるんだな
昔も温泉地でにぎわってたんだろうか
砥石って見ると武田信玄が村上義清に2回負けた場所ってイメージが強い
真田にしても隣に秀吉子飼いかつ徳川家肝煎の古強者が来るのは嫌な気分だろうなー
>>374
搦手門から斉射喰らった前衛隊に向かって
「下がり給う!今度は我が隊が行く!」からの「否!共に行こうず!」は地味に燃えた
みんないいキャラしてたし縁が繋がっていく流れと畳みかける展開とテンポの良さと分かりやすさと
早川口攻め編はかなり傑作エピになったと個人的には思う 長篠の時に真田との伏線引いてあるから上田合戦前から隣同士で因縁付け合う展開あるんかね
家康ほどなく関東移封されるでしょ
とするとやっぱりパワーバランス変わってくるよねえ
>>396
一番燃えたのは本間どんの演説だな
虎口落としに参加した牢人衆の気持ちを代弁したと思う >>396
そういう点ではやはりゴンベは人を惹き付ける何か持ってたんだろうね >>403
バカ(単に頭が悪いと言う意味ではない)を糾合する才能か。
ごくたまに賢い人にも好かれる。穏健派には死ぬほど嫌われる。 >>363
当然あるよ、儒教は武士の教養だったから
でもその辺は江戸時代に物凄く強くなる概念だから
今考えるようなもんではないだろうな
安土桃山時代って、それまでの日本史上にないくらいの
超好景気時代なんだけど
江戸時代にはそれがものすごく縮小する
江戸幕府は社会を統制するのに儒教を使ったから
結果、お家への忠節最優先が普通になるわけ
繁栄とかより優先される お前らがいい最終回って煽ってたからもっと凄い大団円かと思ってたけど
何てことない
ただのお祝い騒ぎじゃん
もっと乱痴気騒ぎ起きてたとばかり
和尚の予言は当たったけどそんなイヤかゴンベ弟子にすんのは
照れ隠しでもあるのはわかっちゅう
ゴンの息子もそろそろ本格的に出始める頃だよな
流石に幕末まで存続させる家を作るだけあって息子はそれなりに優秀だったりするのかな
>>408
見苦しい秀吉を見たくないからと、早く終わらせたい奴が約1名いる。もうゴンベですら秀吉の怯えという破綻への予兆に気付いているという >>409
基本的には嫌われ者と描かれてると思うけどね
ゴンベは
「わかる」人には好かれるけど
そのわかる人が他人にゴンベを正確に伝えられないから
ああ言うふうに言うのが良くあるパターン お藤さんあと6年の命なのに全然若いな
適齢期の娘とそう見た目変わらん
本当に戸次川なけりゃすげー高い地位についてただろうしなぁゴンベ
まあ下手に大身だと関ヶ原以降どうなるか分からんのだけども
まぁ上げ下げ激しかったけど家も残せたし本人も漫画の主人公として活躍してるし人生トータルで見れば上出来の部類なんだろうな
あの時代武士が生き延びて家を残せただけで相当なもんなんだろうし
戸次川なくて豊後防衛つつがなく終わってたら九州で12〜15万石だったかもね
あるいは讃岐+伊予の一部で
戸次川成功させてても山内一豊と同じ程度じゃないかな
家康から見たら外様なんでどうあがいても「すげー高い地位」というのはないのではないかしら……
秀吉子飼いとしても悪くないんじゃないとは思うし
そう考えると山内一豊が例外にうまくやったと言う事かしら
>>408
姉川の合戦手前の浅井軍の謎の祭りから青姦みたいなやつか
山崎新平とやりたがっていた女がたくさんいたな 大失敗して部下も同僚も大量に死なせて自分も死にかけて悪評散々で、そこからまた生き死にかけてひと勝負して復帰したら上手いこと次の天下人の重宝する位置に
人生先を考えすぎても無駄なのかねー
ゴンベ同様叩き上げにしては二十四万石は破格の出世なのに嫁のおまけ扱いだったり高知では不人気だったりな山内さん
山崎の合戦不参加
賤ヶ岳の戦い不参加
この辺りが秀吉子飼いとしては異質な感じ
七本槍なんて武勇水増し組に比べたら経験もあるし重宝されそうな気はする
一豊というか嫁ががんばったというか、笠の緒の手紙とかあれ創作じゃないんならそれこそ異世界転生レベルの機転なんだろうし
なるほど
ゴンベを使い勝手の良いパイプ役として利用するのはいい考えやな
リスクもあるがw
>>419
山内は掛川5万石だったような
戸次川直前の権兵衛は小田原後のナカナカ並み要衝の国主だから、無事九州小田原の任務を勤め上げたら
ナカナカ達より上に加増されて四国取次として政権の重役になってたかも >>409
あれはハリウッドスターがいっても違和感ないかっこよさ プロ野球の投手で例えたら
ゴンベエは毎シーズン60試合以上投げてる中継ぎって感じ
>>415
実際どんな最期だったかなんて分からないけど、
漫画的には、急病にかかって末期の床でゴンとこれまでの人生振り返って別れを交わす…
あたりが落としどころなのでは >>371
俺も秀吉側が徳川の抑えに子飼いかつ徳川とも縁のある仙石をここに置いたと理解してたな
だが後世の徳川との蜜月っぷりを考えると宮下センセの描き方も自然に感じてしまうしな 家康と正信の語りと言ったら津川雅彦(家康)と長門裕之(正信)のイメージしかないなw
>>391
この時期だと昌幸が上田で信幸が沼田に居たのか?
信繁は人質として大坂に。 亀ちゃんは出ても忠政はけして出さないという強い意志を感じる
もう元服してんだろうに
仙石家の女たちは陽気でいいね
特に葛ちゃんなんかゴンベと血がつながってないのになんかお馬鹿っぽい感じが似てる
まあ上の者ならある程度相手見て喧嘩できるが
下っ端は武田だろうがなんだろうが命令されたら
やれだもんなあ家康も信長すら避けまくった相手と
戦りあうはめになるんだし勝ち負け云々じゃなく
生き残った奴はとにかくスゲエんだよ
>>427
今回の接ぎ木って、それを暗示してるのかな 今週号のグラビアの奥山さんエロすぎだろ
けしからん
>>407
江戸時代より平安時代から安土桃山時代の方が裕福な人の比率高かったみたいね
豪族も農民の代表みたいなのが多くて、農民自体も豊かな生活送ってたらしいし >>431
防御率四点代だけど馬車馬のごとく投げてくれるんで
なんだかんだ重宝しそう 今気付いたけど
ソバカス、いつの間にかいなくなってたな
>>428
ふむふむ
摂津尼崎20万石とか 伊勢 安濃津 20万石 くらいには抜擢 されてたかもなあ
で!(笑)、跡継に困って やっさんに目をつけられて
信濃 川中島 5万石くらいに削られる、と(笑)(某北陸の小松宰相みたいな運命) >>439
クズちゃんって名前悪いよなあ
某私立T女を思い出す 大名復帰で堪忍料は打ち止めになり、また物申すために藤吉郎さまに突撃するゴンベエ
そういや小諸もわりと世紀末感あふれる地域みたいだけど大名復帰にあたり支度金みたいなのは出るのかな
手ぶらで言ってまちや田んぼの再開発とかさすがにきつすぎる
火山で荒れたとか言ってたし
中央から手当てがないと復興できんでしょ
しかし九州で失敗してなかったら関ヶ原で東軍に参加したかもわからんよね
参加したとしても秀忠付になんてなってたかどうかわからんし
そう思うと何が良かったか何て本当に分からんもんだ
さすが権兵衛 転んでも 只では起きないな
秀吉公の金目当て(今で言う補助金や地方交付税のこと)で小諸に領したか
>>456
権兵衛脳筋だから奉行方の奴らとは敵対しそう >>457
浅間山は天正10年の後も天正18年、19年に噴火してるよ >>445
日ハム時代の下柳がそうだな。
流石に防御率は3点台前半だったが。 >>459
でも最古参に近い部類だろうから、プチ前田利家みたいになれた可能性・・・?
徳川と親しくなっていくのはともかくそれ以前の仙石の羽柴豊臣グループ内での
政治的立ち位置みたいなのってどんな感じだったんだろうな。美濃閥とかあったんだろうか それはさすがにない
利家は秀吉と同格以上だった織田家臣時代から大名までになってるから格が違う
秀吉の家臣団での立ち位置で狙えるとすれば蜂須賀正勝とか小寺官兵衛あたりかと
改めまして復帰おめでとう、挽回おめでとうゴンベ
サブタイもついに回収したわけで
もうちょっとだけ続くんじゃよ
正味あと何年くらいでセンゴク権兵衛のシリーズは終わるかな
>>452
最初はお蝶がいなくて寂しい!お藤とかいう年増はいらん!お蝶返せ!!
こう考えていた時期が僕にもありました
16巻の表紙とか見たらもう、お藤さんしか正室は考えられん >>324
横山光輝先生も歴史物を描くようになって以降はそうだったかな。 >>460
10年もたたないうちに大変だな
そういえば伏見やらの地震などの後に東南海地震もあるんだっけ >>406
「よし、虎口攻めるぞ!」
「むくちゃ」
「お前は後ろで待ってろ」
「もぐちゃ」 >>446
またいくさになったら出てくんじゃない
伝説のスナイパーとして 大名復帰の報に沸く仙石家臣団の小汚さが実にいい
それとお藤さんのやれやれとちょっと呆れながらも嬉しそうな雰囲気も
捨て扶持あったとはいえ、忠誠高い戦闘員こんだけ集めれるのはやっぱ普通じゃないね。
小諸を権兵衛の前に治めてたのがあの依田だからそれなりの武将じゃないと受け入れ側も反発するだろうな
真田は表裏一体で乗り切ったけど、依田は武力一本で天正壬午の乱生き延びてる
>>475
戦場でどんなバカやっても死なないって評判だけでそれなりに集まりそう
(尚配下はよく死ぬ) >>476
依田さんは真田とも武田繋がりで仲良かったみたいだから、小諸の住民も何かとゴンベの悪口を真田に注進するだろうね
まあゴンベも武功だけならば依田に引けは取らないんだけどね 小諸民からすれば七人の侍の野武士軍団が合法的に乗り込んできたようなもん
現代小諸民だが、仙石さんのことはこの漫画読むまでしらんかった
学校で教わる偉人は島崎藤村ばかり
懐古園も城跡という知識はあっても縁とかはさっぱり
ゴンベが仮にやらかさず讃岐のままだったら確実に朝鮮行きだっただろうから何が幸いするか分からん
>>477
大将が生きてればやり直せます
大将が生きてれば… >>480
面白いな
現地民にとってはいまだに余所者扱いなわけね 大気圏突入で攻撃を仕掛ける猪武者か
ザク四機もコムサイに収容できんのにどうするつもりだったんだ?
仮に撃破しても燃え尽きて機密情報とれんやん
>>481
やらかさなかったらそのうち加増転封じゃね
九州が本命な気がするけど蒲生の代わりに奥州というのもあるかも ソバカスは高野山に寄るって言ってたっけ
右馬っちと遭遇したりするのかな
そもそもソバカスと右馬っち一緒にいた時期あったかな
>>454
年貢の半分は持っていって半分は次の領主に引き渡すのが慣例みたいなの見たことある
愛がそれやらず全部持って行っちゃって堀久ジュニアと揉めてたような >>483
他所から来てわずかな期間治めた小大名なんてそんなもんだろう そもそも自分が住んでるところの昔の殿様が誰かなんてよっぽどの有名人じゃないと知らなくて当然だと思う
尾張民ワイは逆にオールスターズ過ぎて
人生哲学的には徳川宗春公をその訓示から
結構尊敬してる
>>488
愛はもっとえげつなくてなあ・・・・
困った堀家が米借りた証文買い取って(越後に残しておいた家臣ルートで)散々返済ごねたって話がある
愛ってなんだろう 愛は 弱者の言い訳だ
俺は(豊臣の)暴力が怖くて 眠れねえ
>>234
いや、あれは普通に難しい。
著者本人も「分かりやすくは書いてない。一冊の本に収まる範囲で、難しい出来事を難しいまま書いた」って言ってたからな。
思うに応仁の乱って題材の本自体が珍しかったからのヒットじゃないかな?
自分は当時たまたま時間あったから、Excelで独自の年表や勢力図、索引など作りながら読んでようやく最後まで読めたよ。 >>493
愛染明王の面相ってモヒカンヒャッハーに対する怒りの面相なんやけどなぁ……… >>480
この漫画以外では超マイナーな武将だし、その後すぐ出石に転封になるから知らなくて当然 前髪ぱっつんお藤さんの安心した顔がかわい買ったです、今夜は久しぶりに抱いてやるんかの
>>218
でも研究費用のために、仕事してる感をだして今までの歴史を逆張りしたり適当な事いってる研究者もいるからな >>502
あれ、そうだったっけか
馬っちがいなくなったあとでソバカスらがやってきたと思ってた というか戸次川戦死者達の菩提寺を回ると言ってたけど高野山とは言ってなかった記憶が
最近センゴクといっしょにいる奴が誰なのかわからん
数週前くらいから久しぶりにまた読み出したから……新キャラ?
センゴク権兵衛シリーズ初期でゴンベエに飲ませた水に砂が混じってて
そのドジが元でイサジが砂治(サジ)と呼ばれるようになったとかいうやつか
馬廻り(護衛)だな>サジ
仙石家の馬廻りの歴史
ソバカス→サジとカク→サジと鞍馬山五人衆
サジも付き合い長いからな
戸次川でいきなり全部放り出して逃げ出す時に
敵に向かって突進するのを見てれば、もう何にでも付き合えるわな
この漫画は武将クラスも良いんだけど同じく有名無名に限らず
武将の側近ポジのキャラが良い味出してる事多いよな
遊び心が出しやすい所でもあるんだろうけど
最近の名無し系だと家久のフォロー役だった吊り細目の人とか伊勢宗瑞の悪党舎弟とか
俺出石の高校に通っててバス集会所から高校までの道程に出石城城下町広場通るんだけど仙石のせの字も知らんかったぜ
>>505
そうだっけ
なんか高野山がどうのって記述あったように記憶してたが勘違いかもしれん
サジはセンゴク権兵衛の前半の巻には登場しまくるよな
根来焼き討ちとかびぃばぁとの熊野山中戦
それから戸次川 センゴク権兵衛になって急に家臣が増えて古参面してたんで困惑した記憶が
>>481
明軍を破竹の勢いで撃破して中国大陸が日本になっていたかもしれないぞ! >>517
藩の歴史とか学校では習わんよ。ウチの実家は本多さんが長かったのかな。
有名なのは将軍に本多さんの悪政を直訴して死んだ伝説の百姓だけどな!
先祖は赤松か小寺の勢力圏かな。そう麺の地域だ。あそこは赤松なのかな? >>522
明に定着して漢族化してたんじゃねw
中国に攻め込んだ騎馬民族の定番パターンで、爺さんの代はモヒカンヒャッハーやってたのに孫の代になると礼かどうのだの言い出すw >>515
堀秀政の家老の堀(奥田)直政
池田輝政の家老の伊木忠次
家康のところ本多正信
全部大名クラスのやべえやつらだよね
ドクン ドクン ウチは甲斐だからそれこそ信玄お屋形様オンリーですよ
ただ授業で特別に教わるって事もなかったな
>>529
> 地元が天領の田舎者はどうしたら…
うちの田舎の近所は「遠山の金さんの領地」でアピールしてたな うちも殿様についての授業なんて受けた覚えないな
そういう授業あるのって現在の県レベルの領地だった大藩じゃなく
市町村レベルの元小藩だった土地じゃないの?
俺は地元が上杉謙信の所だが、武田はさすがに習っただろ。授業ちゃんと聞いてたか?間違いなく習ったよ。
なお、今後授業で上杉武田は削除される模様
センゴクで仙石を知ったりするのも、また歴史を習うという事なんですな
>>533
わざわざ習う地域なんて
三傑、武田、上杉、伊達、真田、島津辺りに関係したとこじゃねぇの?
俺の実家は
小中学生で原、高城て言われてもピンとこねぇだろ?
官兵衛ならまだしも赤松、浦上なんてもうね。 まだまだ続き読みたいし今週話がハッピーエンドでもう最終回で良いとは思わんけど、ちょっと複雑だな
やらかしからの挽回と大名復帰、秀吉との対話、家康との伏線の回収と明るい話題を先んじて聴き尽くしてしまったような状況だし
この先に残ってるのは暗くて辛い話ばっかりだ
あんまり長く続くとそれはそれで大名復帰のカタルシスが忘れ去られるしどのくらいの濃度で続くんだろな
「戦国やら三国志は、好きなやつがチート級の点数とれちゃうからやらない」とか言われたことあるけど
それって学ぶ楽しさ教えるの自体放棄してるよな
そこそこ有名な武将がいるけど学校では習わないな
城も残ってないし
関ケ原で秀忠めっちゃ庇って信頼されるようになる下り書いてもらわなきゃ困る
予想
関ヶ原で脱糞する秀忠→秀忠「センゴク君言わないでね、誰にも言わないでね(´;ω;`)」センゴク「はい(ニチャア)」
>>537
もったいないよな
とっつきやすい戦国時代を通して、室町幕府の立ち位置や衰えから徳川が権力握った経緯とかまでを分かりやすく興味もたせつつ伝えられれば、
鎌倉時代〜江戸中期くらいまでの歴史はかなり理解しやすくなると思うんだよなぁ
なんだかんだ繋がってる社会システムでありストーリーだし いや、郷土の歴史、みたいな感じで習わねーの??
信じらんねー
それこそ100万年前ここらは海の底でした、から古墳時代だのなんだの
一通り舐めたけどなぁ
神戸は戦国時代というより経が島や大輪田の泊などの平清盛だったわ
あと神戸港
うちの地元なんて細川と加藤清正だな。あと甲斐宗運くらいか
東の岡城にも行ったな
あんなところ、よく攻める気になったもんだ
>>544
そういう郷土学習が学習指導要領に入り出したのは、早くても今の三十代半ば以下じゃないかな >>535
伊達県民だがマー君の生涯について学ぶとかそういう授業は一切なかった
御膝元の仙台市内でなら、もしかしたらあったかもね 日本史に一番影響与えてない無駄な都道府県ってどこなんだろ
北海道と沖縄は別として
いちおう徳島は三好輩出してるからな
>>551
後醍醐天皇がオキから上陸したあたりで伯耆がっつり絡んでなかった? 浜松人だけどそれこそ家康以降幕末まで特にない感じ
繊維産業を移植した井上の殿様(祖母が仙石家からきたらしい)くらい教えてもバチ当たらないと思うんだが
>>548
オサーンだが
まあ地元は毛利家縁の地だけどね >>549
むしろ山形県と福島県の一部のほうが伊達氏発祥について真剣に教えるかも 俺の地元の戦国武将は関宿城よ
北条の侵攻を幾度となく食い止めた名将よ
>>552
後醍醐天皇に関する地域はクソ田舎だし、後醍醐天皇は右翼も左翼も五月蝿そうだし教えないと思う
鳥取市出身だが吉川経家は小学校で習ったな
あと先生が鳥取は秀吉に侵略されたから同じ侵略された韓国と同志だって笑いながら言ってたなw >>544
地理的な話はある
数千年前の地形からいつ頃から人が住み始めたなど
あとは街の歴史
どういう経緯で発展してきたのか
誰が治めていたとかましてや戦国時代の領主なんて歴史的に見ればヤクザの縄張り争い程度の話でしか無いので取り上げる事はあまりないかと 山形県米沢市は政宗の本拠だったが今じゃ完全に上杉の街だもんな
城址に政宗生誕の地と書かれた小さい碑が立ってるだけで伊達を偲ばせるものはほとんどない
駅前は上杉だ直江だの宣伝してるけど米沢城まで行ったら伊達の資料ばっかりだったよ
ん?ちょっと待て
おきたまこめざわというか
伊達市の本拠は福島県福島市 杉の目あたりやら?
まあ 政宗生誕はこめざわだが
>>544
関東ローム層とかは習ったよ
地層見に行った
戦国時代の話はなかったなー >>560
まあまあ(笑)
仙台だって大崎まつってないでしょう
それと同じ 住んでる所から遠いが、吉田郡山城登ったなあ。
山頂には崩れた石垣の廃墟しかないが。
少年元就が飛ばされた城はさらにちょい奥の砦みたい感じだったのかな。面倒見てくれた義母の生家の跡地かなんかの看板もあったな。
沖田畷古戦場まで車で20分のとこ生まれだけどセンゴク読むまでその存在を知らんかった
まあ旧藩や城下町のイメージは
・縁の武将が戦国時代どれだけ活躍したか
・治水、殖産等で現在も語り継がれるような功績を現地に残したか
・長年統治して明治維新迎えたか
これらの点で決まると思う
山形といえば
庄内藩よな
なんせ江戸時代で唯一国替転封がポシャった藩な上に幕末最強だし
明治維新まで残ると殿様の一族が残って名士になったり、財団で美術館運営してたりするからね。
>>515
側近とは言え実際かなりメジャー級の人物達だしな
歴史に詳しくない自分でも普通に分かる人たちだわ 地元の戦国武将は佐竹だけど話題にすら上らん
大体光圀公のせいでな
具体的に言うと坂東太郎って屋号のうどん屋があるんだけど坂東太郎って誰ってレベルだからなあ・・・・・
ご丁寧に戦国武将っぽいキャラがシンボルマークなのにさ
>>533
いや、だから授業として武田信玄は習ったけど特別扱いで武田信玄特集的な事はやらなかったって話しだよ 俺の地元は能登だから加賀藩の領内だけど前田家を地元の殿様って感じたことないなあ
加賀藩は広すぎ
センゴク作者七尾の人だから能登畠山家題材で短編でもいいから描いてほしいもんだ
地域差あるんだな
おらが町のお殿様教えるぐらい普通かと思ってたわ
>>529
うちんところは金が出る山しか話題がないんだよな
掘れば色々出てくるのかも知れないけど 本籍永吉島津家のお膝元だが家久豊久漫画で知ったわw
佐賀城にカノン砲見に行ったなぁ
戦国時代に佐賀は何してたんですかね
最後までキレキレの秀吉でいくのか、痴呆化するのか、あるいはその中間か、
センセがどう描くか楽しみ
できたら朝鮮の役も秀次事件も、いたしかない・・みたいな善ヒデで描いて欲しいわ。
暗黒面に墜ちて欲しくはないが・・・
今のとこほぼ意図的にカットされてる
ゴンベエの息子の話はあるかねえ
今回地図で徳川にとっても仙石家が重要なのが
描かれてたが、秀忠からの信頼とか真田攻め以前にないと
初期本陣小諸にも置かないよなと思った
因縁のある真田との緩衝地帯でいざという時の西進ルート入り口という重要拠点を任せたものの
ゴンベの統治はアレな訳で……
「やはり奴に関わるべきではなかった……」
他の大名が封じられてたらどうなってたか知らんけど
治績は一定以上の評価はされてるんでしょ
逃散を殊更取り上げられるにしても、別に小諸だけのレアケースでもないし
まあ起こさなかったに越した事は無いけど
むしろ農民側が駆け引きとしてそういう対抗手段をとれたり
権兵衛自身も反省譲歩して施策を改めたりしてるあたり
ガチの苛酷陰惨に締め上げ粛正し抑え付けるようなものとはちょっと違うのかな?と
戦歴と同じで名将名君とかではないしポカもするけどベースは割と有能な面も多しって感じ
>>584
奉行側につく理由は無いと思ったけど、ほぼ京都に入り浸りだった事を考えると、奉行らともよく顔を合わしてたろうし関わりが無かったとも言い難いよな。
織部と縁戚になるのも京都務めが多かったのと関わりないとも言えなくないし。
まあでも前回の「小僧!」をゴンは本能で感じ取ってたから、家康につかないとどえらい事になると始めからわかっていたかも。
秀範が逆らって勘当したときも、本心は家を遺す保険と思ってたかもな。 成功って表現はちょっと違うか。真田も真田で存続してるし
>>585
京都に居て顔見知りだから奉行側に付くというのならほとんどの大名がそうだろう
権兵衛は改易前から奉行衆と折り合いが悪いし、奉行衆の方から猪武者を嫌って距離を置いてるし
大名復帰で世話になった訳でもないから、毎日顔合わせても挙兵に合流するほどのコネはできない おらが町のルーツ的なものって小学校高学年でクラス班分けして時代別に発表したな
縄文弥生班だった記憶
>>568
たしかに小諸とか御代田の中世史とか見ても浅間山の噴火がメインであとは国人衆の砦の場所とかだった >>580
書くとしたらキレキレとボケボケの入り交じった秀吉かね。見たくないような見たいような。 >>558
昔はともかく今のウヨは後醍醐に関心あるとは思えん。サヨだとむかし網野御大がイカれたキャラ気に入って一冊書いちゃった位かな。ちょっと前にモーニングで連載しとバンデッドはモロに異形だったし。 >>575
能登畠山家は本編でもそれなりに扱った方じゃないか?
あれだけ長一族や畠山春王丸が出てくる漫画他にないだろw 奉行衆の中だけでもゴンベとの付き合いがおそらく最も古い浅野が既に徳川派な訳だし佐吉につく理由は無いわな
バンデッドの後醍醐帝と楠正成の対面は名シーンだった
あの漫画はオリジナル主人公じゃなく正成を主人公にすればよかったのにと今でも思う
皇国史観に沿ったお上品で忠義に厚い一般的な正成像よりはるかに魅力があった
>>583
領民には過酷ではあったようだが城や城下町の整備は評価されてるからな
漫画だとお藤さんが亡くなって止める人もいなくなったからゴンが城を大改築し始めたみたいな流れに持っていくのかな
安宅船買おうとして止められた時みたいにゴンが暴走するパターン 城を大改築
これ家康があの笑顔で「やれ小僧!」って迫ったんじゃない?
肥前名古屋城の築城で加増されたとあるけど
肥前名古屋城でぐぐっても仙石の名は出てこないんだよな
単なる土木屋に徹してたのか
>>599
可能性はあるよね、
隣に煮え湯を飲まされかつ
秀吉をして北条討伐せしめた真田がおるんじゃ
小諸なんか重要拠点だし
現状では東海道方面や佐竹方面よりやべえだろう 藤堂の所に嫁いくの、葛しかいないなこの漫画だと。
イケメンからゴリラか。不憫な子
処罰されるとなったら反逆軍起こす相談してたって家来が言ってるし、
秀吉のあいつら簡単には処刑されんじゃろ、
だったらまとめて召し抱えた方がええって予想は大当たりなんだな
フロイスと司馬遼のせいで完全に嫌な奴評価だけど正味なところどんなひとだったとか新資料出たりしないもんかね
いまだに三英傑の手紙とかちょくちょく出てきたりするけど、権兵衛さんくらい小物だとみんなありがたみもなくて残りにくいのかな
>>604
1570年前後生まれの葛が15ぐらい年下の高清に嫁ぐのは当時の常識的にはおそらく無いな
側室の子供がポコポコ生まれるんでそっちだろう
ちなみに高虎の直系は江戸時代で絶えて高清の直系が後を継ぐのでゴンベは藤堂家当主のご先祖ということになる >>476
依田信蕃って今回のセンゴクで初めて知って、かなり豪傑なエピソードだらけで家康にも惚れ込まれてるのに
なんでじゃろって調べたら、俺の歴史の興味の入り口である信長の野望でめっちゃ弱かったわ >>608
夏草の賦
長宗我部元親の話なので仙石秀久はすげー悪役で登場する >>607
葛、そんな年上なのか。確かにそれなら有り得ないな・・ >>609
依田の戦歴
武田が長篠の大敗後に単独で家康を撃退
甲州征伐でも孤軍奮闘し落城させず(この時も家康が攻め手)
天正壬午の乱では山岳地のゲリラ戦で北条の補給線を寸断するなど大いに苦しませる
北条方についた真田を調略する
家康の評価はすげー高くて家督を継いだ子供には松平姓を名乗らせる
なぜコイツがノブヤボで低評価なのか 今川義元「家康はわしが育てた」
織田信長「家康はわしが育てた」
武田信玄「家康はわしが育てた」
依田信蕃「家康はわしが育てた」
真田幸隆「家康はわしが育てた」
いじめられて強くなる生き方もあるんやな
>>600
なんかここから先はものづくりのエピソードばかり残ってるんだよね
築城だの小諸そばだの
今週出てた接ぎ木の話といい、そのへんにフォーカス当てるのかもね >>610
司馬遼太郎に悪役認定されるとそれだけでひどい評価になるからなあ
ただの小説なのにw 権兵衛自身も数回前の話で、合戦の時代は終わりだからこれからは作事で食っていくんじゃって
左官仕事やってたしね。牢人衆は東西津々浦々の出身で色んな知恵を持っとるから役に立つはずとも
築城と言えばあとは桐紋金箔瓦かね
秀吉組の代紋金バッヂみたいなもんだな
>>433
小諸城は桐紋金箔瓦=徳川への牽制、とオレも理解してる 夏草の賦や功名が辻読むと司馬遼先生は宮仕えそのものや
上司の覚えが良くて組織内で出世していく奴に何か恨みでもあるのかとすら思いたくなるくらいキツい言い方でこき下ろしてるのが一周回ってもう笑えるわ
司馬先生は軍隊も経験してるから
官僚組織的人間は全時代通して憎悪の対象なんすよ、
逆に言うと司馬先生にすらやや評価されてると
あっこれもっと再評価せなあかん人やと思う次第
>>620
まあ司馬センセは戦車兵で酷い目にあったクチだから、机上の空論を振り回す小役人が嫌いなのは分からんでもないけど、ゴンなんて現場オヤジの最たるもんじゃないかねえ。 >>598
松倉氏も同じことやっただけなのにおかしい >>621
鬼軍曹タイプだから嫌われてんだろう司馬さんに >>622
仙石さんは妊婦水責めにしたり年貢納められなかった領民に蓑着せて火つけたり
そういう外道なことはしなかったから… >>606
一昨年くらいかね?逃散があって、「やり過ぎたごめんね、もうしないから帰ってきて。」つった資料は出てきた。
蕎麦のエピソードと合わせて、決して根っからの暴君ではなく、やりたいことに真っ直ぐで自分が苦労してやったことは他人にも出来る的なワタミ思考な純粋タイプのブラック野郎ってのはわかる。
徳川に媚びる為に石高高め申請して実質超重税とか、
労役を嫌がった労働者を切り殺して首を槍で突き立てて「こうなりたくなかったら働け」とか、
一揆には絶対に妥協せずに即粉砕とか、
年貢嫌がった領民を拷問とか、
年貢嫌がった領民の嫁(妊婦)を水責めして母子ともに殺すとか、
そんな大名ゴロゴロいるしな。ゴンベは優しくないけど会話できないタイプではない。 >>619
軍隊のち産経という最悪な職歴だからな… >>626
まあ同じ信州に入る鬼武蔵の弟とか天草に入る奉行衆の寺沢とかなあ…
蓑虫踊りは爆弾正だっけ >>628
産経は思想以前に給料安いからなあ。朝日や東京には産経からの転職組だけで野球ができる位いるという話だし。 へうげものの寺沢広高は直接的な言及こそしなかったけど、
目が血走ってて暗にやばいやつであることを描写してたな
>>608
「余話として」 のほうが更にひどい扱い
鈴ならしてただけで大名になった基地って感じで書かれてる
司馬さんは本当にゴンベ嫌いなんだなってのは伝わってくる 鈴鳴らすだけで五万石なんてあるわけないだろって言いたいわ。
絶頂の豊臣政権がそんな訳の分からない采配するわけない。飯をシェアするとは訳が違うのにな。本当に嫌いなんだな。
戸次川がなければ土佐はもしかしたら長宗我部のままだったかも
そうなると幕末土佐藩は無かった
坂本竜馬書けないじゃん!
司馬さん激怒で権兵衛悪役地獄の戸次川の陣編 開帳
>>629
鬼武蔵の弟が川中島着任後真っ先にしたことは前領主の高坂一族の探索と皆殺しだっけ
もう私怨まみれや 能登の長一族もそんなことやってたな
ちゃっかり加賀藩の家老に収まりやがった
>>632
ひでぇな
仙石家から恨まれたんじゃね? >>633
>>634
ゴンベのやらかしが長宗我部家の滅亡(信親と若手家臣団全滅→元親発狂→後継者不明のまま関ヶ原突入→戦後処理でやらかし改易)に繋がってるからしゃーない >>633
その辺昭和の安直さみたいなのがあるよなー 今と違って一般人が妥当性を検証することが難しいからね
みんな素直に小説の描写を信じてた
徳川秀忠の嫌われっぷりが酷過ぎる
そこと繋がりが深い権兵衛って事で嫌われたってのもありそう
>>641
今だと司馬史観って言葉があるくらい
司馬遼太郎の小説と史実は別物になってるけど昔はなぁ・・・ 元親の件も今では発狂してない説の方が有力みたいだけど、物語的には良くも悪くも発狂したことにした方が
上手くピースがハマっちゃうから困ったもので
>>643
なんでや!秀忠は隆慶センセイによって愛されヒールにチェンジしたやろ!
肉のサタン様の先駆けみたいなもんや >>636
まあ長さんも一族かなり殺されてるから、復讐に走るのも分からんでもない。 >>643
長丸さんは昔から人気ないから、センゴクで再評価してくれるのを期待してる。 相当既出だろうけど秀吉の待機命令を聞いていられればよかったにせよ
・大友の内情はガタガタ、府内はザル防衛な上に
鶴賀城を抜かれると義弘軍の脅威にも曝されながら
喉元に刃を突き付けられた形で宗麟とも分断される
・仙石の独断暴走のように言われているが大友側の意向も?
・鶴賀城主の死亡や義弘が岡城側から侵攻してくるタイミングは知る由もない
・讃岐に遁走したのは大友内の造反勢力や或いは長曾我部に襲撃される事を怖れた?
で、結果無茶は無茶だし責任は責任だから肯定の擁護まではしないまでも
そこまで訳分からんクソ扱いで感情的に評価されるほどの悪事かって言うのと
寝返った国衆の鎮圧に行っただけで余計な事はするな
何もしないで府内で専守防衛だけしろって言われてもどうだったんだろう・・・って思わなくもないのは贔屓目かなぁ
権兵衛の描写は悪役としてキャラ立ってたな
それと信親討ち死にのシーンの長宗我部兵の格好よさはやっぱり司馬すげえって感じ
「この河原を死所ときめた」
といったとき、弥三郎をかたく守ってた七百の土佐兵が、
「御供」
「御供」
「御供」
と、どよめいた。このどよめきの声の異様さが、目と鼻のとこまで
迫って攻撃しかねている薩軍の耳にまできこえ、のちのちまで話のたねになった。
この二十二歳の弥三郎信親には、七百の家来に死を決せさせるわかわかしい魅力があったのであろう。
秀忠が幕府の絶対権力を確立させるまでにやった事を考えれば
もっと嫌われてもいいくらい何だけど
功績と一緒に憎悪も親父が持っていってくれてる感がある
>>650
司馬さんは好きなキャラにはとことん甘いし
嫌いなキャラには本当に厳しいw
国盗り物語でも信長より光秀さん好きすぎて作中で入れ込み過ぎたのを謝ったりしてるw 昔は勧善懲悪に描くのが当たり前だしねぇ
仕方ないっちゃ仕方ない
>>650
「身共」
「身共」
「身共」
に見えて 幽玄おじさんUZEEE!!とか思った >>652
藤堂高虎が嫌いな理由は主君をころころ変えてるから、だっけか
自分の好き嫌いで贔屓しちゃ駄目だな >>655
一番嫌いなのは帝国陸軍なんだろうな
なんでかよくわからないまま戦車に乗せられてたし 統帥権とか嫌いすぎてちゃんと書けてないw >>656
司馬遼太郎は歴史作家だから全部創作と言っても過言ではない >>650
長宗我部カワイソス ガイジセンゴクゴンベは森鴎外の
叙事詩でも描かれてるからしゃーない
190近い藤堂高虎が司馬作品だと小男とか描かれていてどんな巨人の国だよと
>>655
いや好き嫌いは作家性やから………
陳舜臣センセイも脳筋ヘイターでどんなに人気者でも脳筋ならガイジ扱い(関羽張飛など)で文化人(曹一族)や文化人を保護した人間(石勒など)は徹底的に持ち上げて描写されるから >>658
司馬遼太郎自身も結局、大嫌いな帝国陸軍と同じような
非理性的、非科学的な視点と行動(作家なので描写)してるんだよなー
方向が違うだけで
まあ、作家だからそれでいいんだろうけど
忌み嫌う旧軍と同じ匂いがすると評されても
甘んじて受け入れて欲しいね。
他人をこき下ろすなら。 割とその頃は中国の文化大革命の影響もあるかもね
曹操が悪から善に再評価されたのはその頃からだし
ゴンベ尾藤高虎の組合せ好きだったけど尾藤さんだけ残念な末路に
家康好きなら山岡荘八でも読んでろよ
(俺は大好きだけど)
熊野の戦いは斉藤さんがいなかったら負けてたな
戸次川も斉藤さんが家久とは戦うなと忠告したのにw
>>666
藤堂も仙石も豊臣恩顧の外様なのに徳川にやたら気に入られたのに
尾藤さんは秀吉にやたら嫌われて・・・ そういや斉藤さんどうしたんだっけ
また店に戻ったんか
家康と池田輝政の仲の良さは異常な感じはするんだよな。親殺されてるのに
おいおい話に出てくるかしら
司馬遼太郎は上がりすぎた評価が落ち着いただけな気がす
>>646
二郎三郎「黙れゴミ屑」
まあそれはさておき漫画版の方で愛される小悪党にチェンジ出来た感じするよね
小説だとあの怒りの表情を手で隠し顔上げた瞬間に満面の笑みって面白さは出せないし 漫画版でも同じ作者の花の慶次での秀康のエピソード同様にはっきり家康の親としてダメな面が描かれてるのは芸が細かいなと
>>672
恒興を討ち取った永井直勝の禄が低いと聞いて
父と兄の首の価値はこんなもんなのか?と家康に談判したという話 >>674
原作小説の方も影武者陣営が強すぎて(成功率100%の金縛りの使い手の六郎や二人で裏柳生数十人斬り殺せる兵庫介&九郎兵衛コンビなど)始祖にボコボコにされるサタン様に通じる愛されヒール感が……
秀忠「ま、またしても二郎三郎とその手下どもめ……だが私は決して諦めぬ!何があっても諦めぬ訳にはいかんのだ〜!」
原作は毎回こんな感じで秀忠が捨て台詞吐いて終わるのがデフォ
>>677
小説も読んでたはずだけどそこまでサタン様だったっけ?
まあ二郎三郎達が強過ぎたから秀忠が成長したとか最後の方で言われてたから忘れてるだけでサタン様だったのか
てかスレチだが最初の画像が完全に主人公でいつも笑うw >>676
永井は子孫がすごいよな。
三島由紀夫とか 横山光輝徳川家康は横光作品の原作あり屈指のおもしろさだと思う(個人の感想です)
>>678
〈今に見ていろ!〉 秀忠は腹の中で絶叫していた。 〈わしが征夷大将軍になった時が、貴様の最期だと思え! この書類もとり返し、必ずなぶり殺しにしてくれるぞ!〉 それは二郎三郎への呪詛であると同時に、弥八郎正信に対する呪詛でもあった。
原作もこんな感じで秀忠が影武者から「あの男もあの男なりに成長したのだ」と認められるのは大久保忠隣の失脚あたりから。忠隣失脚以降から秀忠が影武者を出し抜く場面が増えてくる(とは言っても戦闘力だけなら六郎復帰でアップしてるのが影武者陣営) そこで触れられたように歪んだ形だが父と子の物語でもあるんだよな
二郎三郎との抗争を経ることで秀忠は成長していくから結果的に越えるべき父親としての役目を果たしている皮肉な話になってるのがミソ
隆慶先生は若い頃は父親との折り合いが悪くて相当苦労したみたいでそれが作品に反映されてるんだろうね。
なお娘の羽生真名女史のエッセイ「歌う舟人 隆慶一郎のこと」によるとまんま子供みたいな親父で、とても息子が不具になって息子の嫁をNTRして子供を産ませる(跛行の剣)とか息子と上司のホモセックスの現場に出くわす(柳枝の剣)を書くような人には見えんw
もう官兵衛との掛け合いは無いの?
悪口言いながらもお互いを知ってる関係を見たいよ
なんだかんだ黒田のゴンベへの評価は悪くないよな
関ヶ原の時は九州で色々やってたらしいけどそれ以前はおとなしくしてたイメージしかないな
2回とも総大将の軍監として行くけど秀吉の方針に反対して三成たち奉行方と揉める
いうこときかない清正や小西たちともうまくいかない
こんな感じだったかと
>>677
心の一法はやりすぎだと思うの
まあ、死ぬことと、で破られてるけど キリスト教の扱い云々で豊臣政権と疎遠にと作者が言及してたが作中じゃ描かれてないか
今は豊臣家を憂慮してる官兵衛も完全に秀吉から心が離れるのは朝鮮出兵が節目なんだろうな
>>671
そのまま九州で商売してるなら肥前名護屋の普請で再登場するんでない? 美濃攻めの木下隊時代からの最古参のゴンにとって官兵衛は新参にて候。
ゴンベの復帰って賤ケ岳の七本槍みたいな出来レースだったって可能性はないんかね。
九州で大失態を犯して改易に処してみたものの、これまでの働きもあるし、
個人的にも気に入っているから、秀吉としては何とかしてやりたい。
それで堪忍料払ってやったり、折を見て復帰させるために、こっそり家康に
陣借りさせてくれるよう頼んでおいて、仙石にも小田原攻めでチャンスやるから
郎党連れて来いとこっそり伝えておいたとか。
その後の華麗なる復帰と優遇っぷりを見ると、最初から話ができていたとしてもおかしくないと思うんだよなぁ。
>>697
戸次川の一件は本来なら改易にあたらずせいぜい減封程度の失態なのに
改易したから後から埋め合わせる機会を作ることになったと考えるべきだな >>699
いや供廻りだけ連れて国に逃げ帰ってるのが致命的やんけ >>700
生還に成功したら殿を勤めあげたとして武名が上がるよね >>702
さすがに軍監でそれはアカンだろ
三国一の臆病者と罵られたし 止まれる状態じゃなかったら本拠地に引き上げるのも仕方ないし
そこまで酷いことなら後から堪忍料貰ったり陣借り許されたりはしない
目立った格好で自ら先陣を切って牢人衆だけで小田原城の虎口落としたのも
臆病でも弱くもない証拠だから、戸次川の一件には裏事情があったと考えるべきだろう
実際大名復帰出来た他の人にもそれなりの理由があるし
仙石の失敗ぐらいで改易に値しないというなら、尾藤なんかもっとそうじゃね
>>705
敗戦してもラインを下げて耐えるべきだろう
なんで自国に供廻りだけで逃げ帰るんだよ 尾藤も表向きとは別の理由で改易されたのでは?
そのあとの扱いを見ると秀吉に逆心有りと疑われて機会を見て処分したとしか
>>707
自領じゃないのにどこに下げる?
今で言うとPKO部隊が現地の武装勢力と衝突して大損害出して敗退したら
防御ラインを下げて立て直したりする?
一旦撤収でしょ普通 秀吉の気分次第というを忘れているだろ改易とその後の堪忍料に関係なんてない子供が生まれて機嫌が良かっただけだ
>>710
子供産まれて機嫌が良かったはずなのに謀反だと言われて焼き討ち食らった尾藤 焼き討ちしろといった際の機嫌が悪かったんじゃないの常に機嫌いいわけでもないだろうし
ゴンの様子をいいタイミングで伝えた利休に感謝だな
>>709
自領じゃなけりゃ防衛ラインを維持できないとかおかしいだろw
撤退するなら全軍の撤退を指揮しろよ
なんで自分だけスタコラと逃げるんだよ
自身がトップの信長とは違うんだぞ 拠点としていた豊後の府内は島津家久に侵攻され大友軍は逃げ出す
長宗我部元親の軍勢は早々に伊予まで逃走
仙石秀久のみ北九州まで引き上げる
四国勢といっても壊滅してるので退却したんだろうな
毛利、小早川と合流して秀吉を待つという選択肢もあったとは思うけど
四国統一した長宗我部元親が
一本化された指揮系統で全軍あげて島津攻めしたら
信親死なすようないくさはしてないだろうなあ
かなしいなあ
>>679
ちょっと調べたけどこの人すげえ出世してるんだなぁ
大名までなってるんだ >>715
そういう自信で島津と戦ったんだろうと思うぞ龍造寺ベアも全盛期大友も >>715
でもその原因は対羽柴路線の間違いがあった訳で
山崎の時から親羽柴路線なら毛利みたいにおいしい感じで動けただろうしな
一戦もせずでは頭を下げられないんだろうけど 具体的にどこを防衛線としてレスしてんだ?
それすら想定できないなら空想がすぎてるだろう
浮足立ってボロボロの豊後に踏み止まって大友に代わって島津を食い止めろ、と言いたいじゃない?
肝心な大友すら制御不能なのに
防衛は無理
クロカンとこに陣借りして参加さしてもらうがギリギリの選択だったと思う
>>722
なんでやねん
命令違反で軍を指揮して攻め込んでるんだから
敗走しても全軍指揮の責任はあるだろ 軍監はあくまで目付役であって総大将じゃないよ
秀吉の指令を諸侯が実行しているか観察して報告するのが主な責務
その軍監が命令違反で攻撃を主導したんだから収拾の責任もあると言ってる
>>724
バラバラに敗走したら指揮もなんもないし、仙石は総大将じゃなく軍監
>>723の言う通りクロカンと合流するのがギリギリだったが
敗残兵を纏めて北上してクロカンに合流できるかというと難しいだろう
途中襲われて全滅するのがオチ 残存勢力まとめて勝手に防衛ライン決めて防衛戦始めたらそれこそ命令違反の戦闘行為の追加だし、
長宗我部にしても総大将でもない仙石のそんな命令に従う義務はない
大友に至っては同盟国なのでそもそも仙石があれこれ指示できる立場ですらない
つまり仙石が残存勢力まとめて防衛戦をやるなんて不可能だよ
>>731
いやいや
命令違反で勝手に攻め込んで勝手に負けて
事態の収拾すら放棄して逃げ出すとか無茶苦茶だろ
だから改易されたわけで
切腹免れただけラッキーなぐらい まあ外野からみてアレな結果も当人視点でみれぱ割と理解できる事象の積み重ね、ということはないでもない
守れと言われてるのに攻め込んでる時点でそれはないだろう
>>734
仙石の責任はその一点のみだろう
秀吉の命令を守らず、成果挙げるところか全軍の崩壊を招いて戦線後退させたこと
軍監じゃない人間に指揮の責任は問えない ただの目付(ゴンベ)が徹底抗戦主張しても元親(総大将)も秀吉(直属の上司)も戦うなって言ってるんだし
なんかおかしいよな
>>736
全軍を指揮して攻め込んでおいて
指揮の責任がないとは論理破綻してるw 戸次川まで来ている事自体は大友の救援だから秀吉の命令違反では無いよ
島津家久も城攻めの囲いを解いて一旦対岸の先に本陣を置いてるので救援自体は成功してる
ここから渡河して戦闘して敗北しちゃったのが主な叱責理由
仙石隊が真っ先に奇襲されて敗走しちゃったので、残った十河、長宗我部信親が戦死しちゃったのは運が悪かった
ちなみに仙石が全軍の指揮なんてしてない
あくまで渡河して交戦するという方針を示してそこから先は各々バラバラ
仙石が全軍の指揮をしているなら後方に布陣してるはずで真っ先に敗走する訳が無い
全軍指揮権が曖昧であったにせよ
攻撃を主張して主導したのはゴンベやん
そして負けたのもゴンベ
軍監任務も放棄
言い訳できんなぁ
書状でどう叱責されたか記録残ってないのかね
後続の増援が到着するまで持久戦で持ちこたえろという秀吉の指令に対して、攻勢に出て敗北して敗走したのが結果だから目付役の仙石が叱責されるのは当たり前
攻勢を主張して主導したなら敗戦の責任を取れと言うのはおかしい
(軍監・目付役だとしても)
攻勢にでるか専守防衛につとめるかはあくまで作戦立案の話
言い出しっぺが責任者ねなんてやってたら誰も作戦を主張できなくなる
秀吉は攻めるなって言ってる権兵衛だけが攻め主張しました
けど結局四国勢は揃って進軍してる、そして一番後方に陣取っていたのは元親
この捻じれは一体なんなんだっていうのはあるね
どういう情報があってどういう協議があったのか
あと持久戦するにも維持しなきゃいけないラインがないと・・・って判断だったんだなろうとは思うが
>>742
では敗戦は誰の責任なんだ?
誰の責任でもないとか
参加した全員が等しく責任を負うとか
ありえんだろが >>743
軍議では三好が仙石に賛同して四国勢が出撃する結論になったけど
乗り気じゃない長宗我部が後方に控えて言い出しっぺの仙石がリスクを取って前に出る
そんなにおかしくないと思うが 戸次川を挟んで対峙してるところまでは敦賀城(大友)の救援なので命令通り
持久戦するならその状態を維持して戦線を硬直させるか、家久を撤退させるしかない
現場の判断で後者を選択したんだと思う
ちなみに渡河して攻勢に出るのは権兵衛の独断ではないよ
仙石・十河が交戦主張
長宗我部親子が反対
敗戦の責任は仙石、十河、長宗我部親子、そして総大将である秀吉
目付役として命令違反の責任を取るのは仙石
十河、長宗我部信親は戦死
結果として権兵衛が改易となった
権兵衛に決定権がないのなら長宗我部隊は渡河せずに見てるだけで良かったのにね
弁当でも食ってればよかったんだよ
>>744
責任をとってどうこうする必要はないけど誰の責任かと言ったらそりゃ秀吉でしょ
現場が指示無視したと言ったところでなんでそんなやつ任命した?って話になる >>748
突然秀吉に責任をふるかw
まあ劇中でも猪武者に待てと言うのは酷だったと秀吉自身も反省して堪忍の理由にはしてるが
ゴンベに責任がないなんてあり得んわ 史実を見れば責任取ってるのは権兵衛なんだから
400年前に決着ついてる問題を議論するなよw
>>747
最悪そういう選択もあったと思うが(結果的に長宗我部元親はそうなった)
敦賀城の救援しないというのは明確に秀吉の命令違反になるので難しいところ
全軍の足並みを乱すのはそれはそれで問題行動でしょう >>751
権兵衛が敗戦の責任を取って全軍まとめて防衛戦すべきだ
っていうのは総大将でもない権兵衛にそんなの無理だったでしょって話かと >>752
センゴクの作中ではいちおう
長宗我部の戦線離脱も選択肢に入れるみたいな描写あるけどね >>745>>746
つまり仙石が指揮官の如く意のままに十河や長宗我部を使ってそのくせ放棄して逃げてではなく
やっぱりあくまで共同部隊での失敗と崩壊だったって事よねって事で
そこでの判断と決定プロセスが裏目ったのと四国勢を維持出来なくなった責任は目付役が取るのは仕方のない事 >>744
豊臣軍VS島津軍
敗戦の責任者を明確にしろって言ったら秀吉だと思う >>751
敗戦か命令無視か無断撤収のどの責任かは別物だし秀吉が当時責任追求される地位じゃないだけで現代目線で今話をする場合の責任は別問題じゃね? まあ今ここにいる誰もゴンベに責なしとは思ってないであろ
無理に攻めを提言して敗北した責任は重大、
その後四国まで逃げたのはヒドイ話だが当人の状況考えたらまあ無理からぬこと、
という話で
>>758
あとでわかった島津の兵力を考えると秀吉の救援命令自体無茶だったから堪忍料が出たんだろう
6000そこそこの四国勢が2万近くの島津勢相手にどう足掻いても無理な話
現地に居ない秀吉が情勢を読み違えたから招いた敗戦とも言える ゴンベは茶々からの印象も悪くないんだろ?
おね様も昔から知ってる人だしなろう系主人公じゃん
>>747
「おっと空弁当はうちの専売特許だから」 >>740
真っ先に潰れたのは先陣の信親、田宮でしょ。戸次川で出てきた資料色々あったけど、ゴンベなんてほぼ島津とぶつかってないんじゃない?
布陣:先陣は信親、仙石は川沿い後陣
フロイス:土佐の鉄砲隊があっちゅうまに壊滅した。
作中資料:両上使も心は猛ども云々。
先陣が壊滅して体勢が決した後に仙石・元親も多少はぶつかったけど、もうどにもならなかった。って流れがどう考えても自然。
仙石が真っ先に潰れてたらゴンベは退却出来てないと思うよ。
前半、家久に冷や汗かかせたのは信親。超頑張った。でも包囲食らって瞬殺。川沿い後方の両上使は先陣・側面の信親・田宮・十河が壊滅して殺到した島津に追われて退却でしょ。
仙石・元親は後方故に渡河地点に何とかたどり着けただけ。 徳川の臣従が終わってなかったからね
西に専念したら家康がどう動くかわからんし、徳川の臣従を待ってたら大友が滅ぼされて九州が統一されたかもだからね
権兵衛の役目は上方からの慰撫や島津への牽制だったんだろうけど半分も果たせなかったなという印象
命令違反にこだわるのがいるけど、状況が変化して報告と今後の対応について伺いをたてるための早馬(船)出してそれが戻ってくるのに何日かかると思ってんの?
一旦遠征責任者決めたら、現場での決定は委任しちゃうのが当然。秀吉だって織田家時代に勝手に和平交渉やらやってひっくり返されてるけど、命令違反の処罰対象にならない。
最終的には、そんな失敗しちゃうような奴を任命してさらに大友支援に必要な兵数を見誤った人間の責任が一番大きい。
現場における独断はその理由により肯定される面はある
と、同時に独断の責任もまた生じることになる
独断しながら責任はない、などという都合のよい解釈はありえない
総大将は居ないから仙石の責任はあくまでも軍監としてのものだし
島津に攻撃を仕掛けることは軍議で決めたもので仙石の一存ではない
独断で指揮を取った責任なんてそもそも存在しない
>>759
そのへんちょっと無処分だった三成の忍城攻めなんかにも通じる印象はするね
まあお気に入り度合い次第と言うのもあるのかもしれないが
豊前には黒官毛利両川寄越した結果、島津が豊後絶対に落とすマンにシフトしちゃったのも含めて
冷静に考えると結構な激辛ミッションのような気がっていう >>767
俺は(仮に独断だったとして)独断しながら責任はないとは全く言ってない。
責任が一番重いのは配置して、不利な状況を作り出した人間と言ってるだけ。 実際鶴賀が抜かれたら守りに適さない府内で防衛線張ってもジリ貧だったことは事実
動くべきだったか否かは別として城主死んだタイミングで動いたのは最悪だったんだろうな
>>770
秀吉の任命責任もある
が
命に反して独自に動いてる時点で責任割合は大きく変化してる
ゴンべの責任は重い 国東半島の反対側まで毛利クロカン勢が進出してるから兵力的には問題ない
4、5日ゴンベが府内で粘れば島津を挟撃出来た
秀吉本隊の到着前に良いところを見せようとして、しくじっただけでしょ
兵力差から逆に家久側から攻め込まれても結果は同じだったと思う
あくまで軍監ではあるけど、秀吉の信任厚い権兵衛の言うことに新参の長曽我部が逆らえるのかな
軍監という役職を改めてググっても
軍を監督する立場であり強い権限を有していたという解釈なんだな
それは近代の軍隊の定義
ググるならちゃんと時代背景も見ないと
豊臣政権下の軍監は一貫して目付役だよ
島津は鬼だから逃げるのも仕方ないよヤンマガ読者なら鬼の強さわかるよ
もし軍監の仙石が総大将のような指揮権を有してたと言うなら、失脚後に後を継いだ尾藤は軍監として黒田官兵衛や小早川隆景を指揮してたことになる
そんなわけないでしょ
>>772
だからその命令を待ってぼーっとしてられるような状況じゃないって言ってんだけど、読解力ないの?電話やメールで相談しろとでも言いたいの? >>783
根白坂でも尾藤は軍監だったよな
軍監は独断で指揮できるなら宮部は孤立無援のまま戦死してた 瀬戸内に鏡使った光通信網を整備すべきだったな
モールス信号的な何かを三成が考案すればいい
またたく間に伝達される秀吉の軍令
大坂城に居ながらにしてリモートで島津を征伐できる
>>784
なんでそこまで切迫した事態って解釈なの?
長曽我部は援軍到着を待とうと言ってるのに >>787
待ってる間に落城したら命令に従わなかった軍監の責任になるじゃん そういや、伝書鳩ってなんで日本にはなかったのかね。震旦じゃ唐代あたりから使ってた記述があるけど
>>789
鶴ヶ城は失陥してはならない大友の要衝か?
島津に対する全面攻撃ではなく牽制して援軍到着を待てなかったのか? 島津の株が上がるほど
相対的に株が上がる甲斐宗運というマイナー爺さん
結果と、後から分かった詳細な情勢を見て、したり顔でよかった悪かったとケチつける上司ほど無能な奴はいないな。
当時は味方がいつどれくらいの援軍送ってくるかもわからない。待ってたらさらに敵の数が膨れ上がって不利になる可能性だってある。そんな不確定要素が多い中で、今なら相手の主力を叩けると思って決断してる訳で。
負け戦だったんだからやらない方が良かった、というのはまさに結果論の典型
秀吉が行くまで固く守れという戦略無視していいなら、現場判断で島津と同盟組んで勝手に朝鮮攻めしてもいいことになる
いいのか?
それは全くの詭弁で島津を降伏させるという主目的と全く繋がってない
>>791
要衝だろ。臼杵も目鼻の先、府内も河渡ったら平地ですんなりっぽいが。 でも、戦った理由が
生きるという事は戦うということじゃ
は未だに納得行かない
そこはもうちょっとなんとかして欲しかった
当時の命令はどのくらいかかるのだろうかねぇ。
九州から大坂まで一週間
戻りに一週間とかかな
>>786
三成が全部悪いで結論出たな仙石殿も太閤殿下も無罪やわ
よっしゃ!今から三成んとこに殴り込みに行くわ徳川様もきっと賛同してくれるやろ >>791
府内まで攻め込まれたら防衛できないってのは仙石権兵衛劇中でも言及されてなかったっけ?
既に河を挟んで対峙してるのに隣国にいるクロカン達の増援が来るか不明
大友軍は当てにならない
本軍はいつ来るか分からない
「とりあえず一撃食らわせれば後続を恐れて退却してくれるかも」
この判断自体は完全に間違ってるとはいえないかな
島津にしてみたら四国勢破っても中国勢後ろにいるし、本軍まで想定したら普通は慎重になる 土佐物語では
「信親、明日は討死と定めたり。今日の軍評定で軍監・仙石秀久の一存によって、明日、川を越えて戦うと決まりたり。地形の利を考えるに、この方より川を渡る事、罠に臨む狐のごとし。全くの自滅と同じ」
と残されてるようだからゴンベの一存とまではいかなくても強権を発動してたようじゃん
少なくとも長宗我部陣営からは
いいと思うよ、あの戦う理由
大友の事も秀吉の命令も完全に無視してただ戦いたいだけってのが逆にスッキリした
ゴンベが大河になるならタイトルはどうなる?
天地人とか巧妙が辻みたいにスパッと数文字に表せられるか?
>>804
まあ長曽我部遺臣のポエムみたいなもんだから話半分ぐらいに思っておいた方がいい ああクソが
最後の最後で球児が打たれて負けたわ
球児が悪いというより使った監督矢野が悪いわ
ということで戸次川は権兵衛が悪いというより使った秀吉が悪いってことだな
大将を恐れて島津兵が修羅になって戦うのは良いが肝心の大将の怖いシーンが無いよな
死兵化する理由が軽すぎるわ、長島包囲戦とか手取川くらいの説得力が欲しい
>>728
陸路で九州内を敗走するより、海路で自領に戻って可能であれば再度遠征軍を編成して、クロカンと合流する、というのもあながち現実的だろうなあ。 門の者共不始末あらば連帯切腹!とか言ってて実際に遂行できるしそんな苛烈な制度を敷いて従わせる事が可能な主家の連中が怖くないとな…
九州編で官兵衛毛利サイドを描写しなかったのは何か理由があるんだろうか
似たような立場でも行動が対照的で良い対比になったと思うんだがな、ゴンベ敗走時のリアクションとか見たかった
>>803
周りが味方のふりした敵だらけだからな
そう考えるとゴンベも敗戦したら上方の支配権が及ぶところまで逃げないとどうにもならない
そういう面では一目散に上方の支配域まで逃げたのはある意味正解かもな
まとめながら逃げたらまとめて寝首を掻かれたかも知れん 九州の領土配分のとこで勘兵衛が兜被ってて誰だよってなったわ
今、戦国大名の経済学っての読んでるけど面白いな
今の金で換算すると
刀一式 9万円
具足30万円
兜15万円
槍3万円
鉄砲60万円
玉薬鉛玉100個プラス火薬で13万円
だとさ
センゴクの描写だと鉄砲もう少し高そうなカンジだったけどな
そのへんの鉄砲は60万だけど、最新型だと200万とかそれぐらいだったりしたのかな
ソバカスのために用意したのは通常より火力の高い(射程と威力の大きな)特注品
全身固めて刀と槍もっても鉄砲以下と考えると鉄砲たけーなー
>>819
伊勢長島編で権兵衛が間者として敵地に潜入した時に最新式の国友筒を村のみんなで金出しあって用意したみたいな作り話してたな
確かにそんくらいしそう 戦国初期の頃は、浪人でも鉄砲を所有してたら
それだけで即採用されるほど貴重な武器だった
ソバカス用は十匁筒(士筒)だから、雑兵が使う小筒より威力が大きく射程も長い
>>816
いつでも寝返る味方にかこまれているのならなおさら踏ん張ってとどまらないと
我先に戦場放棄したら苦労して得た勢力圏が全部消えかねない
九州はもちろん四国中国も 敵=寝返る
って単純過ぎるでしょ
普通に考えたら戦功の競い合いや戦闘中のドサクサで過去の遺恨晴らしてやろうとか、敵ってそういう事を意味してると分かる
>>818
うまく行けば1人100万超え
落ち武者狩りに精が出ますわ >>774
ほんとお?
なら仙石は島津に宣戦布告だけして、すたこらさっさと豊後捨てて、宗麟を見殺しにして、
豊前中津とか小倉辺りまで逃げればよかったのかな?
なんかこれ讃岐でみたぞ この展開
ある意味、釣り野伏 陸自の三十年振りに更新される新ライフル28万円くらいらしい。
アメリカではホームセンターで10万くらいで売ってるらしい。フルオート機能無し。弾丸が一発千円以下、マガジン何千円。
あ
たくさん作ってたくさん売れるほうが単価安くなるよね
実質陸自くらいしか買う客いないなら割高になるのは仕方ない
>>832
武器輸出を認めたら量産効果が
とはいえ日本以外に買ってくれるところあるかなぁ 小銃なら大抵の国が作れる
絶賛内戦中のアフリカの国でも地元仕様のカラニシコフを作る職人が居る
>>607
子作りしすぎて秀吉から遠ざかるのかなw
正妻はもうすぐ・・なのに
子供は今後めっちゃ増える、
それでなくとも長男盲目で後継除外
お家お取り潰し回避等でしっかり子孫残すためとはいえ、
前時代らしい厳しい現実だ。 アメリカのは当然AR15とか五十年前くらいの奴の民生品。
自衛隊のは専属メーカーの国産最新式。
アフリカではAKの孫か曽孫コピーかのデッドコピーで一万円以下で買えるらしい。
葛が権兵衛に嫁げばええやんけ
血が繋がってないんだから
>>837
豊和は狩猟用の散弾銃を輸出していたような
かつてはライフルも作っていたが事件に使われたので撤退したとか 銃はイメージで1000万円くらいの印象だったけど案外安いのな
信長あたりの時代では村から一挺出すのが大変だったらしいけど安くなってんのかね
山内一豊が10両で名馬買って近隣にSUGEEE言われて有名になったみたいだけど、
現代の価値に換算すると100万ぐらいらしいしショボくてワロス
現代でいうなら、年収500万の中小の係長が、重要なレセプションで突然スピーチすることになったので、その一瞬のために百万のスーツか時計か靴買うような感覚だろう。
家やクルマで考えるとたいした金額では無いが、ビジネスの小道具に身の丈以上のカネを出したら、後の飲み会のネタとしてしばらく噂される。
良い馬=現代の高級車くらいでいいんじゃないの?
半兵衛は乗り捨てても惜しくないように安い馬を買えって言ってたようだけど
>>843
そこら辺の金銭感覚は大河でよく説明された
当時の山内は2000石貰ってたから年商2億の中小企業社長に相当するけど
経費が多くて余裕がないから嫁がヘソクリの300万出して新車を買って社長用車にした感じ 喧嘩両成敗の誕生の著者である清水克行氏は辺境作家の高野秀行氏との対談で
馬は維持費含めて高い外車みたいな存在だと話していたな
よくわからんのだけど、銀行口座があるわけでもないあの時代に
高額なヘソクリやら貯金って可能なもんなの?
ヤングマガジンがコラボでもしたのか?
「センゴク」に奇妙な獣(スティッチ)が三回も登場するとは。
軍馬だから高級車というより戦闘者に近いよね
ただの農耕馬や駄馬ならもっと安いのかな
確かにハゲネズミや狸や越後の龍や甲斐の虎や肥前の熊が出てくる漫画ではあるが
なお、毛利元就が陸奥守叙任の贈答の時に
馬を贈る替わりにその代替の銭を献金してるが
3貫文、大体30万円
>>841
正直、上の価格換算はおかしいと思うけどな
その手の価格換算って何を基準にするかで全然数字が変わってくるから
例えば千石取りの侍大将年収どれくらいとか
一般的な農民、商人の年収とか
そういう数字もついてこないと判断できん >>852
米1石→1貫文
基準として一番分かりやすいのは米
米1キロ500円とすれば
銭1文60円〜70円
1貫文6万円〜7万円
と計算
まあこれが大体の学会の考え方
もちろん変動はあるけど基準としては妥当 >>853
功名の辻の時に50石=年商500万、400石=年商4000万という説明だったな
人件費や諸経費込みで考えると大変な気がする >>853
米1キロ500円換算ってのがイマイチ納得出来ない
当時も現代で500円払うくらいの感覚で米1キロ買えたのかなぁ・・・って 今日が「スティッチの誕生日」だから雑誌のコラボなら、単行本は修正されるのかな?
>>855
単位面積あたりの収穫量を考慮すべきだよなぁ
現代の1/4以下のはず >>853
そもそもとして、米1キロをいくらって換算してるのが
変な原因だな 米がベースなんじゃないの?
刀は米何キロに相当するから現代では○○万円とか
米が五百円って何だろね
>>843
王様の仕立て屋面白いけど現実はそう簡単じゃないってことなのか
まぁ多少背伸びしていい服かったとしても頑張って服に伴う中身になればいいんだろうけど
山内はなんやかんやで土佐一国の主になったからそれはそれでよしなんだろうな >>862
王様の仕立屋も背伸びは良くないってんで
男爵様もあまり高く無いスーツ作ってたし
そういや日本に帰国後の話から読んでないな >>860
キロ500円が全国平均だから
それで計算するとそうなる でも現代と当時では単位面積あたりの収穫量がぜんぜん違うから
米そのものの価値が違うんじゃね
>>510
長宗我部「諸君の愛してくれた息子、信親は死んだ!何故だ!?」 富樫とか、休載通り越してマジ仕事しねーな
幽白のとき、引き伸ばしに耐え切れず強引に最終回にもっていった経験あるのに
なんでそれを生かさないんだろうなぁ
江戸時代もだけど同じ量の米はどこ産でも同じ価値なのかしらん?
>>863
面白いと思うけど、いつ打ち切りなるかハラハラしてる >>870
前に秀吉が堺の商人集めて「東北の安い米買い叩いて西日本で一儲けじゃー」みたいな弁を振るってなかった? >>835
仙石の子女は皆、正室(お藤)との子供みたいよ
ほとんど子育てや子供と絡むシーンはないけれども
改易くらって讃岐→美濃生活編で、権兵衛の子女9人?のうち
1594年にこれから産まれる最後の末っ子七男1人を除いて男3女2の5人は確認できていて
多分失明する長男、西軍について勘当される次男、嫡男になる三男
織部の息子や高虎の弟に嫁ぐ娘2人ってことではないかと
四五六男は早逝してた線が濃厚、または何らかの理由で家から出したっぽい >>873
訂正自己レス、織部の息子の嫁になるのがお亀みたいだから
1985年生まれの高虎弟に嫁ぐには葛さまだと年齢差がおかしくなるから(ありえなくはないのか?)
これからお藤が亡くなるまでの間に七男以外に三女も生まれる可能性大ってことか >>874
ああまた訂正・・・1985じゃないや1585年 漫画じゃスルーされてるけど、小田原戦でも跡継ぎ息子が一緒に出陣してたはずだよね
>>877
小田原時点で忠政12才ってのが無理すぎるから、二代目に箔つかせるために後世で盛ったんじゃないかってのが作者の見解。 >>877
ちゃんとは登場してないけど、今週号の見開きの左にいる、馬に乗って旗掲げてる少年?が忠政では?
12歳くらいに見える 息子たちは再登場する時には急にモブイケメン顔若者になってるんだろうな
権兵衛は呑気だけど小西行長さんピンチだ
秀吉から直々に朝鮮出兵に行かされるんだろな
息子の顔が森村どんそっくりだったらドクンドクンしちゃう
>>868
神保はマサムネに撫で切りにされたけど、
椎名はまあまあ早いだろ(サンデー)
※分かる人にしかわからないネタ 小諸通る道が後の中山道と書いてあるけど
当時東山道だったよな
いろいろ認識が変わった時代だったんだな
上の価格基準で、鉄砲一丁60万
例えば日本人の平均年収が240万とすれば年収で4丁買えるわけだ
当時の平均的な日本人が飲まず食わずで一年働いて鉄砲4丁買える?
そんなアホな話があるかってw
価格の算出基準が基本的に間違ってるよ
戦国時代にビッグマックがあれば指数出しやすいんだけどなあ
概算してみようか、長篠の戦いで織田は3000丁の鉄砲を使ったって話があるが
当時の織田領の人口を400万と仮定する
で年貢やらなんやらでその内の3割を税収として得られるとして120万人分の年収が収益
戦国時代、戦費にどれだけ回せるかだけど仮に3割として40万人分の年収
その内、1/100を鉄砲代に回したとして4千人分
上の価格だと1万6000丁の鉄砲が買えちゃうなw
税収も戦費も鉄砲の割合もかなり抑えめに算出したんで、
最大だとこの10倍くらい使ってるかもしれん
そもそも知行の大半が部下のものだから大名が自由に使える財布はそんなにないよ
120万石の武田信玄が数千貫〜の戦費捻出に四苦八苦(臨時徴収)するくらい
上洛時の信長が赤字になった戦費補填のため堺衆からかき集めたのが二万貫
桶狭間戦記では濃尾平野で豊かな稲作をしようと義元が狙った事になってたが
織田領の収入は商業方面なのでは
武田信玄が上洛するのに必要としたのがおよそ七万貫とされている
(三万人が半年遠征するのに必要な資金)
一貫=10万円として鉄砲一丁調達するのに必要なのが六貫としたらだいたい無難なとこなんじゃないかな
上記にある1/100を鉄砲の調達に回すとしたら西上作戦の武田信玄が100丁〜120丁調達できる程度
>>885
壮年(働き盛り)で失明らしいから、当時で言うと20〜30くらいなのかねぇ?
長男て1575年頃だっけ?だとすると小田原で15〜16か。
ひょっとしたら長男が小田原行ってたのかもね。後世で忠政に変わってしまったとか。
つうか仙石家って最終的には長男の血筋が後を継いでたはずだから、長男参加なら長男参加で問題無さそうだけどな。 今日ヤンマガがでてるのはなんか理由があんの?
三連休でもないのに
>>898
たぶん配送業者との協議で、月曜日にお休みを作る月が年に二回くらいあったんだと思う
親戚がその業界にいてそんな事をいってたわ 当時の日本の殆どは、今で言う発展途上国みたいなモンで、人々の殆どは農業従事者で、今の日本みたいに様々な輸出品で外貨を稼いだりも出来ないし、地方が細かく分かれてて支配者が違い交易も流通もままならない、半分自給自足みたいなモンだったのでは?
庶民にとって年収240万とか、雲の上の生活で、いまのアフリカの貧乏国みたいに年収数万円とかが平均的だったのでは?
その中では織田家の支配地域は、ドンドン広がりながら経済的にも発展し、それまでの常識的なレベルを遥かに超えて豊かになっていった。
鉄砲それ自体もそうだが、常備軍の維持とか、根本的に変化していった。のでは?
しかしいつまで鉄砲の話してんだ
今日ヤンマガ発売なことをしらねえパテレンどもか?
>>900
既に寺社や商人が存在してるのに何を言ってるんだよ
織田が港を抑えたから有利に事を運べたのは普通の理屈だろ
一次産業が殆どならこれらは存続できないわ >>900
>>888
で平均年収を240万に設定してるから、それへの反論だったんだけど。
戦国中期くらいで国を跨いで商売出来る商人が、どれほど居たか?平均年収に大きな影響出る程は居ないだろ。
寺社が居たから何だよ?結局勢力ある本願寺とかでも旧世代の大名と変わらんだろ。
支配地域の住民が特別に豊かになってるとはとても思えない。 端から見ると仮定と推測を積み重ね過ぎてて不毛だなーとしか
どちら様もその辺にしとけば?
不毛なのはお前のアタマの表面と中身とレスだよ。
話題も出せないなら黙ってろ雑魚
>>892
織田領というか信秀の領土はそこまで大きくなかったけど
商業網を抑えて織田主家をしのいでたみたいな描写じゃなかったっけか
義元少年がお師さんと旅した時に
「食うものがある」のを肉眼で確認してる
お米もあるんだよね尾張
当時、伊勢湾方面へ干拓も進んでたみたいだし
反面、平地で大きな河川もあるから洪水で流れちゃうこともある
そういう豊かな穀倉地帯に伊勢湾や街道や大河川の商業網も発達してる美味しい土地
海道一の弓取りさまはもっと早くここをとるべきだったな
というか今川の那古野をノブパパが強奪したんだっけか 今川が西に集中できるようになったのは三国同盟以降だけど、あの時期に信秀が東三河の一部まで支配下置いた
さらに前の時期だと三河に松平清康がいたし、今川の西に強い勢力がなかったのは
信秀死後から信長が尾張を統一するまでの間だから何をやっても桶狭間のタイミングになるじゃない?
しれっと山中長俊が出て来てたけど、この人史実では秀吉の祐筆なのか。
真田太平記で豊臣側の忍びの元締めみたいな事をしてた記憶が(笑)
まあ甲賀出身だけど。
小西と森村の区別がつかなくなってきたw
まあ登場人物多い漫画だからな
>>911
信秀の健康状態が悪化した後だな
それでも今川が大高城と沓掛城を取れたのは信秀死後 >>908
信秀さん全盛期の勢力範囲は尾張南部〜大垣(西美濃)〜西三河まで
単純に数十万石は抑えてる 三成、コニドン、そして恵瓊和尚はこの先破滅に進んでくと考えると悲しいな
なんか頭使う展開になってきたなあ?昔はあくまで
戦闘に頭使ってたんだが今の権力闘争と変わらんく
なってきた、はよ関ヶ原いかんかな
>>916
全盛期の話はしてなくて
桶狭間戦記の話してるんだけど…
作中では尾張下四郡本領14万石だけど
津島使って40万石相当の蓄財があるよってセンセが書いてるって話 三成は最初の頃はサイコな感じで破滅しろしろ思ってたけど
最近の三成は官僚って感じで普通だな
>>914
付くでしょう
コニドンは岩崎弥太郎で森村は希代の美童だから 権兵衛って人間が出来てるよな
今回の小西みたいに俺は全盛期のお前以上に出世するんだぜ?辛いわ〜とか言われたら腹立てて嫌み言うわ
ロシアンマフィアとイタリアンマフィアにしたのは最高だったなw
復活劇も一段落で良かった、
自分は改めて思い出すに権兵衛が改易中に
幻覚見てたとことかあのどん底のシーンにこそ
感じるものがあったわ、
秀吉みたいなケースは稀で自分含む大半の凡人は
挫折を経験するもの
1543年
ポルトガル「これが鉄砲やぞ」
日本「ほーん」
1575年
日本「信長ってやつが3000丁持ってるらしいな」
欧州諸国「は?」
タイムリーにこんな感じのスレがあって草。
宣教師達が会議してた場所どこ?
めっちゃ日本家屋でツボりかけた
ゴンと同僚の絡みもっと見たい
普請や京勤めになったら増えるかな
>>931見てから読んだがパロディか何かかと思ってたら本物があまりにも堂々と出ていて噴いた
いいのかこれ >>936
とりあえず
「コホン、コホン」言ってた奴らがどう態度変えるか位は
描いてくれんとな そういやホーとか言うマスコット的な二人組の家臣今回出てる?
虎口から連れ帰ったのか?
虎口攻め後に孫が帰参した時に出て来ただろ。風俗費用貸してくれとか言って
家に帰ってきたかまでは知らんが
>>935
まあ日本だしなw肥前だっけな。
バリアーノ悪人面過ぎて笑ったwルイスフロイスももっさりしてるしw
オルガンチーノがたけしは間違い無さそうだけど、他もお笑い関係者か?全然わからん。
つうか初期から散々資料引用しておいて、ルイスフロイス初登場台詞無しだなw実際にゴンベと会ったこともありそうだけど。
川角(川角太閤記)さんはややキャラ持ってゴンベと絡みまくったのに。 書いてて思ったけど、日本武将が西洋人で宣教師がたけしっておかしくねぇかwww?
間違えた。パシオがたけしでオルガンチーノはダンカンだ。
・・・・・・・・宣教師軍団はたけし軍団!!!???
>>943
北条を攻める前に言ってた海外貿易だろう >>938
ひとりはその合戦で死んじゃったし、もうひとりは合戦になったら昔通りな対応になったから
もともとワダカマリないんじゃないの センゴクとこにどんの関係ええなあ
こにどんも関ヶ原後に処刑されちゃうんだもんなあ…
「露と落ち露と消えにしわが身かななにはのことも夢のまた夢」
と詠む心境が近づいて来ているのだろうか
秀吉痴呆説があるけど、史実だとしても辞世の句を詠んだくらいだからそこまで酷くはなかったのかな
ヴャリニャーノ 髭を生やしたガダルカナル・タカ
フロイス 石橋貴明(保毛田)
ありゃまだ元気な頃に詠んだ句を辞世に選んだ奴だよ
一代で底辺から位人臣と栄華を極めながら夢のまた夢と詠んだのはどんな心境だったのかね
露と落ち…
これって市に間際ではなくけっこう前に詠んだ歌じゃなかったっけ
嬉やと 再び醒めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空
こっちの方が好きだなあ
やりきった感がある
唐入りの構想あたりまではまともだったとは思う
朝鮮と揉め始めたあたりからはもう痴呆老人のそれになってた気がする
(短気な性格になり現状認識がおぼつかなくなる)
>>953
ガダルカナルタカ、石橋・・・うーん・・・どうかなぁ・・・
名無しに宣教師(オカッパ)に松村邦洋がいて、橋本真也?(三十貫)が再登場してるな。 今でも「秀吉の目の届く範囲では」正しい、って感じになって来てると思う
九州攻めの時点で自分の思惑通りに末端が動か(け?)ない事に苛立ってたりしはじめてたし
秀吉自身の影響力が本人の能力のキャパを越えるようになりそれで色々な食い違いが、って感じになるのかも
唐入りの最大の理由が銭不足解消って
戦国大名の経済学の作者がいっとった
明銭が蛇蝎のごとく嫌われてたから
ほなら銭の供給先押さえて大量に明銭を流通させたれって話になったんじゃなかろうか、と
戦国時代の流通してる銭の9割が北宋銭で
劣化で北宋銭まで悪銭化しちゃったからさらに銭不足に陥る悪循環だったそうな
信長の旗印の永楽通宝も嫌われてたって話で
なんで永楽通宝旗にしてたんだろ?
明銭が嫌われたって何の話?
日本で作られた劣悪な模造品(鐚)が嫌がられてたのでは?
>>961
いや
撰銭で排除されたのに
洪武・宣徳・永楽・恵明などの明銭は
永禄年間から排除されまくってる
鐚銭ってのは無文銭や割れ銭とかけ銭だけど
明銭は文字入ってても排除されてる 明銭が嫌われた最大の理由は
明が銭の鋳造やめたせいで明銭が供給されなくなってたのと
国際市場で偽造銭が蔓延して明銭自体の価値が暴落しちゃった
>>962
排除されたのではなく倭寇の取り締まりと日明貿易の途絶えで明銭が入らなくなっただけだろう
明銭排除は慶長年間の話 文明17年の大内氏の撰銭令ですでに明銭排除されてますけど?
天分19年の北条の撰銭令では遂に銭不足が深刻な関東ですら明銭が排除されました
永禄年間に発せられた撰銭令の多くは明銭排除が鮮明というか必須事項になってるよ
>>964
明銭が入らなくなったというより
明が銭を鋳造するのやめた
↓
東アジアの国際通貨だった銅銭の供給が止まる
↓
違法な私貿易である倭寇が明銭の模鋳銭をばらまく
↓
明銭嫌われる
だってさ >>965
撰銭令を明銭排除だと捉えた時点で間違ってるからいくら話しても合わないんだな >>967
撰銭令の中身で
洪武・永楽・宣徳・恵明での決済を禁止されてるのに? >>969
偽物の多いそれらの銅銭ではなく偽物の少なく良銭確保しやすい銅銭を徴収する目的だぞそれ
確実に明銭排除を目的とするのは自前の銅銭流通を図った慶長年間以降 この後はセンゴク主役難しそうだが、どう畳むんだろう
>>970
撰銭は段銭の決済からの明銭の排除だけど
商取引でも同様に信用価値がない明銭は取引不可になってる
天文9年に織田信秀支配下の津島社の神主が明銭ばっかりつかまされた上に支払い拒否されて逐電するなんて事件まで起きてる
明銭は蛇蝎のごとく嫌われてたのは自明の理 >>934
1549年
日本「これがジャパニーズロリショタだ」
ザビエル「ウェイクアップ ザ ロリショタコーン」
1587年
家臣「殿下、実は長崎が南蛮人に占領されてそこで人身売買が行われてまして…」
秀吉「あ?宣教師追放しろ」 >>973
だからそれは根本的な間違い
まず撰銭令を認識することからやり直さないといけないほどの間違いだぞ >>976
明銭嫌われてたのは事実だろ
決済機能ないんだから >>976
撰銭は段銭の決済のルール作りだろが
そこから明銭での決済は不可にされてる
つまり明銭は嫌われてたってことだろ 撰銭令って撰銭を禁止するって目的なのに明確に撰銭を指示しちゃうの?
>>980
やっぱり明銭嫌われてるだろ
偽造銭だらけで 今週号なんかへんなマスコットいたけど
何かのイベント?「雑誌に○体いる何々を探し出したらグッズプレゼント!」的な
銭の偽造を禁止できないってのが凄いわ。
中国の歴代王朝も塩の密売と銭の偽造はきつい取り締まりやってるのに
一番価値が高いとされてる永楽銭も明銭だと思うけど嫌われてる???
豊楽通宝つくるべきだったな
貨幣の原材料って銅だっけ?
永楽銭含めた明銭の日本での供給量は
渡来銭の5%程度
ほとんどは北宋銭なんだとさ
面白いのは銭不足がやばくなった北条さん
貫高制なのに銭不足で永楽銭を精銭に認めたら日本中の永楽銭が関東に流入
ところが
西国との決済に使えずにこの永楽銭を精銭にしたのが失敗で
米での年貢、棟別銭代納を認める羽目になり
なし崩し的に石高制に移行してしまった
>>990
スレ埋めるための暇潰しなんで許してくれ
次スレじゃこういうのやらんから でもあれだな
一万石で 侍30人ってゴンベかなり無理して小田原行ったんだな
小田原征伐は乱取り厳禁だから
兵糧完全に自弁だし
帰参できなきゃふつーに破綻してたんじゃねーか?
ははあ
成程・・・・
成程のう
ID:RI0/0F1ja
旧スレで「潔う死ぬ」所存か・・・・
たしかにID:RI0/0F1jaを失うたとて
センゴクスレの鼎は揺らぐまい
寧ろ 「糞レス野郎の死」として士気もあがるというもの
天晴 糞レス野郎ID:RI0/0F1ja
予が眼前で美しき死に様見せ給う
>>994
次スレ(立てるの)は、タダやっ!!!!!! lud20221112210737ca
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