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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックは1-24巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
次スレは>>970が宣言して建てること、無理なら代行を指名すること
※前スレ
【ネタばれ禁止】センゴク 宮下英樹 225番槍
http://2chb.net/r/comic/1633164659/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured >>992
病気になった場合助かる確率が下がるだけで、老衰の年齢は変わらんよ
昔は早く老けるわけじゃない、年取って大病患ったら助からんだけ 999名無しんぼ@お腹いっぱい (ワッチョイ ab7b-ZO17)2021/10/20(水) 00:18:06.62ID:d3Rxs3Vm0
>>997
そんなことより入植を指示した史料を提示してよ
明が半島を放棄したらという仮定の話への突っ込みに、
なんで秀吉の命令書があるんですかねえ。
少しは首の上にあるもの使えよ、お前馬鹿だろ お前の書いてることは妄想だという皮肉だと分かれよ、本当に馬鹿だな
論理的に破綻したのを指摘されると
これは皮肉だったw
仮定の話に、仮定で返したら、
史実で命令書が出したはずとかいいだしてこれかよw
あんまりしつこく召喚するからほんとにキチガイが前スレ埋めちまったじゃねえか
キチガイに史実なんて関係ないんだからいじろうとすんなよ
前スレの994に対してレスする
994 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい (ワッチョイ cfbf-4HJo)[sage] 投稿日:2021/10/20(水) 00:08:55.02 ID:qiqXO8Sv0 [1/3]
文禄と慶長の間に渡海した武将に渡した書状が残っている
南部に拠点を作り食料弾薬を備蓄し、鴨緑江まで何度か押し寄せて明軍叩けと
朝鮮半島を戦場として明軍を消耗させる目的でやっているわけ。
明が半島から引けば別だが、引かないならそのまま何度も半島にいる明軍を叩くように計画が練られている。
↑以上引用
その書状は文禄の役で漢城に籠もった諸大名が「食料がもう一ヶ月分しかない」と窮状を訴えたことに
対する秀吉のアンサーだぞ。文の切り取りで戦略計画みたいな印象操作はよくない。
これは漢城を放棄して撤退してもいいというのがその朱印状の主意
撤退するというのは格好がつかないので、「一旦下がるけど年に二回は明の国境まで攻めるぞ」と
空文で景気づけしてるだけ。それを受け取った大名はできるなんて信じてないし、言った秀吉もできる
なんて思ってないだろう
史実において秀吉が死ぬまで、いや死んでからも退却するまで半島では日本軍が連戦連勝しているのが史実ですけどね。
想定外の出来事は第一次蔚山城くらいじゃないか?
加藤が敵軍突破して入城したら城内に食料備蓄されてなくて大変だったくらい
まあ援軍が来て明軍は返り討ちにあいましたけどね、遺棄死体だけで万をこえるという大敗を喫する。
>>9
この人言ってること色々おかしいな
蔚山城は清正が縄張りして築城した城だぞ。分捕って入城したというのはなんの話? 300年後の明治・中国の政策を戦国の常識とか
200年後の総力戦時の焦土作戦をだして論理的に反論とかww
後、戦争に勝利すれば南朝鮮には日本に帰順した朝鮮民しかいないとか
「僕の考えた唐入り戦略!」すぎて失笑しかない
>>8
赤国白国令成敗 海手ニ付て取続 御仕置之城々相拵 御人数兵糧鉄砲玉薬 丈夫ニ入置 年中ニ二度計宛 梁東川切ニ押詰
慶長の役はここに書かれている通りに半島南部を成敗して、海手で仕置きの城をつくって交代で入るようにしてますが?
秀吉は書いてあることをきちんと実行してますよ。
第三次征伐の予定もあり、石田や福島はそのために慶長の役では軍役はなかったのですからね。
朱印状の趣旨は文字通り、明を成敗するための作戦以外の何物でもない 秀吉は老いて呆けたが、ヒデキチはもとより呆けているから始末に負えない
というかこいつの中では戦争に勝った方は消耗しないことになってるんだろうか?
明の消耗をさせる作戦?連戦連勝?その間日本もそれ相応に消耗してんだけど
だからこそ秀吉死んだらほとんど反対もなくさっさと引き上げたわけで
>>14
さすがにレス古事記だと信じたい
ガチなら完全にヤバイやつやん >>11
いつ俺が蔚山城を分捕って入城なんて書いたんだよ
俺が書いたのは敵軍突入して入城
前スレにも書いてあるが、>>926
加藤がどっか行ってる間に明軍に包囲された、加藤は包囲を抜けて入城した一緒に籠城した
そのあと援軍と一緒に明軍を撃破したんだよ 昭和中期以前の老化が早かったのはガチ。
これは昭和30〜40年くらいの映画にでてくる俳優の年齢をみると驚く。見た目より相当老けてるから。
これは戦前生まれの手塚からみた青年期から老年期の境
45歳でロマンスグレーとか言ってるからな。食べ物の違いと思うが、昔の人間は老化が早かった >>16
お前は基地外なのか?レス乞食なのか?
基地外でレス乞食なんだろうなとは思うがね。 普通は論理的で史実から想定されるなら
同意者や共に論戦してくれる人が一人ぐらいはいるはずなのに
誰も居ないのをどう思ってるんだろうな
時空も認識もずれてるんだよなぁ
>>13
その朱印状の書き出しをみてみ。なにに対して返答か書いてるでしょ
当然毎年二回の明国境まで攻め上がるなんて慶長の役でもしていない >>3
>病気になった場合助かる確率が下がるだけで、老衰の年齢は変わらんよ
>昔は早く老けるわけじゃない、年取って大病患ったら助からんだけ
栄養状態とストレス、普段の生活様式でいくらでも老化の速度が変わるぞ
人間は生まれた時から補充が効かない消耗品、手入れをこまめにすればその分長持ちするだけ
長年の蓄積によって確立された現代の医学知識や健康に対する常識を持たない16世紀の人間が
現代人と同じペースで消耗(老化)することなんてあり得ない
無知なのに適当な反論しても恥の上塗りにしかならないぞ >>12
中国でもやっている政策をなぜ日本がしないといえるのかね?
まあそもそも屯田である必要もないのだがね。
日本においては年貢の減免や無理やり集めたりして人を送るのは当たり前だった。
焦土作戦も戦国時代じゃ別に珍しくもない
武田や上杉や島津が攻めてきたら、焼き払われて人は拉致される
信長が越前攻めなんて村は焼き人はなで斬りにしてる。降伏も許さず徹底的にやってる
辺り一面死体だらけだヒャッハーと感想述べてる。
これが戦国時代、なんで攻めとるところを荒らすわけない、そんなの総力戦の時代だありえないw
信長や信玄や謙信や島津兄弟などが全員未来人じゃなかったら、それが戦国時代の常識だったんじゃないかなあw >>21
朱印状見てみたが、結論は変わらんが?ただの作戦指示にすぎん
そしてその作戦通り進んでいる。
南部の掃討は終わった、仕置きの城作りも終わった、交代で帰国するのも行われていた。
明国境まで攻めあがるのは第三次だろ?それも石田と福島が総大将として渡海するとほかの書状にある。 >>22
細胞は常に分裂して入れ替わってるんだよ
人体なんて骨脳心臓など一部の臓器を除けば数か月で作り直されるわけ
けど細胞分裂の回数には限界があるし、ある程度分裂すると分裂速度が低下していく、
これが老化、臓器の機能も低下していく。
多数の臓器の機能がマヒして死ぬのが老衰
テロメアの分裂回数なんてここ数百年で変わるわけないんだから一緒だよ
昔は年取って病気なったら助からんだけ、
栄養状態などで見た目に多少の違いが出ることはあるが、老衰で死ぬ時期はさしてかわらん。
病気にも癌にもならなければ昔の人でも100歳くらいまでは生きる とかく現実は、次週、掲載。(10月24日発売) 第26巻第10話収録分。
とかく現実は、連載はあと11〜12話。
とかくガイジとヒデキチのスレ埋めでお送りしております
>>24
その朱印状は書き出しをみればわかるように大名の要請を受けての漢城撤退と
撤退後の晋州城攻略が主意。
君の言ってる慶長の役の作戦は慶長の役の朱印状で判断すべきだよ。
慶長二年二月の開戦指示の朱印状と実際の戦線とでは当初の作戦からは相当後退していることがわかる。
忠清道まで攻め入ったのに、忠清道と全羅道には拠点を作らず結局ほぼ慶尚道まで退却している。
秀吉が忠清道付近までの築城を指示したのに大名らが朝鮮南岸まで下がったのは、文禄の反省を踏まえて
こんなに長い戦線は一時的には可能でも維持は不可能だと判断したから
秀吉が朱印状で指示した戦線
実際の戦線
とかく現実は、醍醐の花見まで、 あと〇か月。
とかく現実は、太閤秀吉死去まで、あと〇か月。
これはアメリカの医学誌に載ったトラック運転手。
30年以上顔の左側に日光(紫外線)浴び続けた結果。
紫外線は老化を促すことが一発でわかる。
これだけでも、日が昇ると太陽のもと野外でほとんどの人が仕事をしていた昔の人達の老化が早かったことがわかる。
病気になりやすく寿命が短いというのもあるが、加えて昔の人間は老化が早い。 >>25
無知の典型
細胞が分裂してるけど分裂するのに材料が必要
生体のバランスを維持するのに各種栄養素が必要
成長期の急速な成長を維持するために大量の材料と栄養素が必要だから
栄養状態が悪いと体の出来が歪になる
そして一旦成長した後の体が固定化されて後から栄養素を良くしても歪になった体ウイルス対策健康にすることが出来ないし
歪になった体の耐用年数は栄養状態が良くしっかり成長した体より少ない
さらに成人後体の健康を維持するのにメンテも必要
長期間ストレスに晒されると体が常にストレスに反応しっぱなしになって消耗してしまうし
飲食睡眠が不適切な行えない状態が長続きすると体の消耗がひどくなる
テロメアとか無知がキーワードを出したがるけど、細胞がストレスに晒されると
テロメア損傷したりゲノムに修復できない損傷が出来る
栄養状態が悪く年中無休で働く昔の人間と週休2日リフレッシュ定期検診栄養運動ばっかりの現代人と同じだ!
なんてこと言ったら現代医学を全否定するカルトかただの馬鹿
無知なのに適当なキーワード並べて反論するのは恥の上塗りしかならないのにヒデキチだから理解出来ないんだ 自分の意見に賛意を示す人間が皆無で孤独な争いなのに
「俺の意見は論理的で正しい、相手は馬鹿」って主張できるのは
本当に自己客観視できないんだろうな
>>28
秀吉の威信が効かなく成りだしてるんだよな
あるいはそこまでやっても処罰出来ないという状況になっていたのか ヒデキチくん、正論書いてるつもりだろうけど
「また馬鹿が暴れてる」くらいにしか思われてないよ?
高野山で一人で双六やってたやつみたいなのばっかだな
つーても10万くらいの死体で大阪城を囲めば兵糧攻めかつ疫病攻めで勝てるじゃろ?(サイコパス感)
勝てる勝てないじゃなくてそれくらいの大戦が相応しいってことじゃね
大谷さんの秀吉の評価「100万の兵を指揮させてみたい」にかけてるんでしょ
軍才ないから殿下殺るには自分ならこれぐらいいるかなあって生真面目に思ったのかもしれんがw
明智は要塞化してあるとはいえ小さい寺を自分の兵力だけで奇襲という形で徒花としたけど自分なら諸大名の軍勢をかき集めて大阪城を真っ向から攻めて派手な徒花にしたいって事か…
>>50
秀吉を殺るだけなら今すぐやれるけど、なんつうか稀代の英雄豊臣秀吉とその政権をまるごと消滅させてまっさらにするには、それくらい兵力が欲しいって事かなと。
秀吉を滅ぼす = 日本を滅ぼす だしな。現状は。
関ヶ原も政権を簒奪しようとする徳川を殺る忠臣というより、俺が豊臣をぶっ壊すにあたって、一番手っ取り早く兵力を集める大計画になるのかな。 そりゃ13,4万の兵力があれば大阪城を陥とせる、とか具体的に言ったらガチ感出ちゃうからな
そういう謀反心じゃなく戦国の雄にふさわしい最期を遂げさせてあげたい、っていう文意なんだから華々しく大仰な例えも出てくるよ
花好きの故人の葬式に100万の花を用意して盛大に送ってあげたいみたいなそんな感覚
とかくとヒデキチのクロスオーバーなんてみとうなかった
100万といういまだかつて無い位の大軍で囲んでやっと倒したとかそういう風に見える状況を作っとけば
後世でも秀吉の名誉は落ちずに英雄のままだとかそんな感じかなと思った
史実の秀吉は50代後半頃からは失禁したこともあったと記録されているのに、
一般的には老衰してると判断されるだろう
秀吉の晩年の症状から脚気だったんじゃないか説が数年前に出て
ちょっと話題になってたけどあれ今どういう扱いなんかね
とかく現実は、連載はあと11〜12話。外伝はありやなしや。
63の指定スレ見たら全部あぼーんで変な笑いが出た。。
>>45
多分逸話の秀吉が大谷に100万の兵を率いさせてみたいな話のオマージュでは?とおもた 100万なんてお前も率いたことないだろーがw
世界史ならいるのかな
>>59
諌めたら自分のクビが飛ぶかよくて遠ざけられるだけだからな のみやな っていうセンゴク飲み屋あるのか?吉祥寺か?
戦国大名としてしなせるなら三成の考えも分かるわ
1番死に際哀れでダサいもんなあ、ひでよし
>>73
そうかもしれんが今回の胃とは違うぞ
光秀が信長を英雄たらしめたって言ってるだろ
戦国の英雄のまま英雄に相応しい死わ与えたいって発想だよ 山田風太郎先生が信長の最期をあそこで未完成のまま死んだからこそ完成したと折に触れて絶賛していたな
>>28
趣旨は今後の作戦活動の説明だろ?
実際秀吉の指示通りに進んでいる。
あと秀吉が朱印状で指示した戦線の根拠はなんだ?
慶長二年の朱印状を根拠にしているんだろうが、あれには朝鮮の都から5,6日は大軍で罷出することとあり、
おびき出して迎え撃つように指示がなされている。忠清道では指示に背くことになるが?
5,6日もあそこじゃかからんだろ。 >>32
そのことが書かれていた記事は以前見たことがあるし知っているが、
それと老衰になんの関係があるんだ?
紫外線にあたって皮膚が老化する、肌が弱い人は皮膚がんになったりもするだろう
それはその通りだが、老衰とはなんら関係ない
君はまさか紫外線が体内の臓器を老化させると思っているのか?
それは間違いだぞ、紫外線にそんな力はない、赤外線と紫外線の違いくらい知ってるだろ?
紫外線じゃ体内臓器は無理だ >>33
栄養学は知らんが、成長期に栄養の偏りがあると
成人してから栄養をバランスよくとっても健康になる事はないと言ってるのか?
ついでにいうと最近は栄養は少々足りなくて粗食のほうが寿命は延びる(酸化しないから)
坊さんがわりと長生きする理由だなこれ
過度は問題外だがストレスもある程度あったほうが健康にはいいといわれいたような気がするが、
そういうのは全否定か、
まだ健康気にする年齢じゃないが、その栄養学のソース教えてくれ、
ある程度年取ったら、栄養学意味ねーじゃん >>37
秀吉の指示に背くなどありえんな
この後13将が連名でいくつかの城の放棄を秀吉に進言するが、
秀吉はそれを却下し、提案したものは叱責されている。
そして放棄案に反対したものは称賛されている。
無断撤退などしようものなら大友のように改易される >>64
それはありえる、眼病を患っていたという記録があるし、
茶々への手紙でも栄養付ける為に白米をたくさん食べて、乳を出せとか書いてたな。
晩年は歯もなくなっていた(当時は虫歯になったら抜くから歯がない人は珍しくないが)
固いものは食べれなくなるから、粥などになるだろうしね。
朝鮮征伐などで戦闘以外で亡くなったものもこれじゃないかなと
日露戦争でも戦死者と同じくらい脚気で死んでる。 >>79
まさにその五六日が根拠
漢城から撤退時に漢城から蔚山の北の慶州城まで一番早い加藤軍でも10日かかっている
日本が倭城を建設してる一帯には6日では届かない
別の史料で都から開城まで三日路とある。
開城とソウルは距離60km。
六日路は大体100km〜150kmといったところだろうが、忠清道の南あたりがまさにそこにあたる。
件の朱印状は成敗して引き返せなんて書いてない。成敗して海沿いに城を建てろと書いてある。
秀吉の言ってる通り全羅道から慶尚道制圧して海沿いに戦線張ってたら文禄の二の舞だから
大名らの判断で撤退は正解。 >>82
文禄慶長の役になかで秀吉の命令を無視したり命令と違うことをしたりしても処罰されなかった例は
確認できるだけでも3回はある
大友のように単独で撤退したりすると処罰されるが、大名が連名で違反したら処罰されない場合が多い。
絶対というわけではないが。 >>86
ほんまや
まったくこのスレはどうなってんだか・・
なんでこんなのが二匹もいるんだ? >>82
秀吉の指示に大名らが背いた例
八道国割(大名らが現地会議で明に攻め込まず朝鮮各地への派兵と分担を決定)の決定を受けて
秀吉は朝鮮は後続の大名にまかせて、四国、中国大名先鋒に明に攻め入れと命令するが大名ら無視
結局大名が動かないので秀吉が八道国割を認める
1592年2月漢城に籠城中の諸大名に対して
開城(漢城の北の都市)を再奪取せよ。開城に進出して漢城と挟撃して明を潰せという命令を無視。
慶長の役で忠清道から全羅道北あたりまでに城をつくって迎撃しろと命令するが
諸大名で会議を開いて朝鮮南端まで下がる。
あと細かいことを言うと文禄の役の撤退も、秀吉の許可を受け取る前に、現地大名で交渉して撤退している >>85
つまりお前の妄想で根拠はないということじゃないか
忠清道の海岸部では100キロ程度しかない。数日でつくし、
海路ならもっと早くつく。
五日も六日もかけて明軍をおびき寄せるのが目的なのになんで朝鮮の都近くでは作戦の趣旨とあってないだろうが。
そのあとのところに渡海して即討ち果たし候とある、忠清道では渡海してすぐに討つ位置ではない。
渡海して一週間は移動にかかる。
あと慶長二年八月21日に出された朱印状を把握しているのか?
そこには城の位置を指示しているとあり、予定通りの行動であることがわかる
則被成御朱印候最前御意之所ヨリ取出候而とあるように、指示されている場所よりももっと前に出るのはよいとあるが、
後ろでよいなんて指示は出ていない ※スレの無駄遣いなのでヒデキチにエサを与えないでください
>>81
医学に関して完全に無知だなおまえ
なのに平気で間違った妄想を垂れ流すとかピュータンと同じタイプだな
現代医学が間違ってると思うならお前が身をもって実践しろ
粗食なら酸化しないとかそもそも理科すら勉強したことない文系馬鹿だろう >>89
@ 予想外に早く陥落させたことで秀吉の追加の指示が出る前に現地軍が行動しただけ
平壌まで占領したところで襲ってきた明軍を撃破したら明から交渉の使者が送られてきたので方針がかわっただけなんだが
そして好戦的な方面での命令違反は結果が出ればさして咎められんよ。
権兵衛が助かった理由の一つ。似たようなことして酷い目にあったのは臆病と判断されたから
A 明が降伏してきたからだけど?
B 上で書いたように君の誤読 >>92
別に栄養士でも医者でもないからな
別に知らなくても恥ずかしいものでもない
そしてお前のソースをさっさと教えてくれ
成長期の栄養不足はその後の栄養状態を改善しても治らず、数十年早く老衰する研究結果なりがあるんだろ? >>90
全羅道を成敗してできるなら忠清道とあるので
全羅道北端から忠清道南が秀吉が予想してた戦陣の先端
五、六日路で当時の行軍距離20〜25kmというのも一致するし。少なくとも日本が築城してた城一帯は
六日路ではないのは確か。その倍はかかっている。 >>95
主張したければ勉強しろ
レスしたものは全て基本中の基本で簡単に検索すればいくらでも論文出てくる
医学に関する知識ゼロなのに妄想を堂々と垂れ流しては医学を全否定する珍論に固執するとか無知すぎて話にならない >>90
慶長二年八月二十一日の朱印状が各大名が拠点にしろと命じられたという主張なの?
例えば島津が扶安(全羅道北東)とか。
この朱印状が拠点目標だとするとやはり全羅道北端までひろがっているな
そして君の言う通り後ろに下がれなどと指示は出ていない
でも大名同士で話し合って支持されてる場所を放棄して朝鮮の南まで下がっている >>96
倍かかるのは問題ない、作戦の趣旨は明軍を引き付けてから叩くというものだから
ついでにいうと戦闘がない場合は半島にいた日本軍の移動速度だと、
早いものは釜山から4,5日で漢城まで移動してるぞ、一日20キロは
当時の日本軍からするとかなり遅いペースだ、おお返し(80キロ)しろとは言わんが過小評価がすぎる
秀吉は築城の場所は細かく指示している。それに違反したというのなら叱責が飛ぶし、
場合によっては改易されるがそんな話は聞いたことがない >>52
いまの本能寺を考えてる?
当時は大伽藍だぞ >>97
だから引用ないしリンクはってくれ、存在するならできるだろ。 >>98
侵攻目標と仕置きの城は別の任務だけど?
敵軍を殲滅した後に海沿いに築城をする、どこにも占領地に築城するなんて書かれていない
それどころか日本軍が占領した城は破却して使えないようにしている。
このことからも侵攻先と築城は別任務なのがわかると思うけど?
指示されている場所を放棄しているわけじゃなくて、指示はなんてある?
赤国不残悉一篇ニ成敗申付青国其外之儀者可成程可相動事
成敗しろと書いてあるけど、どこにも占領地の維持なんて指示されていない。
敵の殲滅が命令内容 >>94
5月下旬に大名らが八道国割を決定までなら、君が言うように「好戦的命令違反」ということもわかる
しかし秀吉は6/3に明国への進撃を指示。
その後現地で八道国割して朝鮮内の制圧に動いたときき、6/13に再命令。
6/13の朱印状の内容は八道国割はやめて6/3の朱印状どおり明に攻め入れという命令。
これに対して大名のとった行動は、誰も動かず
7/15に大名の八道国割を追認。明への攻撃命令撤回
まず大名は6/3の朱印状で動いてないし、念押しとなる6/13の朱印状でも動かないんだから明らかな命令違反。
文禄慶長の朱印状のやりとり履歴をみればわかるが、一ヶ月あれば朝鮮のどこでも到着する。
仮にいくつかの大名に未達があったとしても、すべての大名が動いていないので命令違反明らか。
でも全員で命令違反すれば秀吉は処罰できないという前例となった。
>明軍を撃破したら明から交渉の使者が送られてきたので方針がかわった
ちなみに明が攻めてきたのは7/12なので、小西以外の大名と秀吉に明の襲来は影響を与えていない。
秀吉が撤回したのは7/15だから明の襲来を知らない >>99
加藤清正が漢城から慶州城まで10日かかっている
加藤の軍は日本軍の先頭なので相当急いでたはずがそれでも慶尚道北端まで10日かかる
釜山まではさらに2〜3日かかるだろう
漢城から釜山まで4日で踏破したというのはどこの大名の軍なの? >>104
漢城陥落を秀吉が知ったのは実際陥落した半月後、つまり漢城から名護屋の秀吉まで半月かかる
往復なら一月
そしてもうすでに敵と戦闘になっているのにすぐに転進できるわけないだろ、
占領地も拡大しているし慶長みたいな敵軍の殲滅を目標とせず、文禄は統治を目的としているから、
占領して現地の人間などを雇って行政しているんだから放棄して逃げるわけにはいかない
そして秀吉が和睦を知って方針転換したんじゃなくて現地軍がだよ
小西が明の先陣破って明が和睦を提案してきた。現地軍としては動けないわな。 とかくガイジとヒデキチガイジが衝突したらやべえなと思ってたけどあまりにも予想通りの展開で笑いもひっこんだわ
>>107
宇喜多軍は釜山に上陸してから漢城まで五日で到着している。
直線距離で300キロほど、当時の道はよくわからないから400キロだとして
おお返し並みの速度だな。
美濃大返しは一時間10キロペースという基地外じみた移動速度からさすがにあれよりは遅いが >>109
君、行軍距離が漢城から釜山まで5日も可能って行ってたけど、それがいかに難しいことかわかっただろ
伝令でも10日から20日かかるんだから
秀吉は6/13に明入りの朱印状だして漢城以南の大名は6月中にそれを受け取ってるが誰も動いた形跡がない
6月に統治のため現地を離れられなかったというのなら
例えば6月に長宗我部や毛利が行政を開始していたとう史料提出してみて >>106
一つだけ言っとくと、その論文は人由来の癌系細胞用いた研究だからな
引用すりゃ正義だと思ってんのかもしれんがせめて動物実験ぐらいまでした論文引用しろ間抜け
この論文は正しいけど、引用の仕方が学生以下なんだよ、マジで消えてくれ なんであの実験結果見て寿命の話になんのかね
頭に糞でも湧いてんじゃんねえの
書いてて思ったが、さすがに全軍の移動ではないのかね
大返しでも脱落者が多数いたというから、宇喜多などの司令官が到着したのが五日という意味なんだろう
直線距離で計算しても一日50キロ以上の移動となる。
(夜間に五時間でそれ以上移動してそのまま戦闘始めた美濃大返しは例外)
一日で50キロは全軍の移動となると流石に速すぎる。
>>113
ググってもお前の主張するものは一切でてこん。
俺の主張を肯定するものは出てくるのにな
すまないがお前の主張の正しさを証明するものを早く引用してくれ
俺はもう寝るので明日の夜まででいいぞ とかく現実は、第25巻11月、第26巻2月、第27巻5月 発売。
>>114
俺の英語力では不安だったので何個か翻訳サイトかましてみたが、
栄養を抑えることで細胞の酸化を抑えて老化を遅らせると書いてあるぞ
一番上で要約されているところだけでも嫁、読めないなら翻訳サイトでも使え
外国の論文なんだ読めなくても恥じゃない >>117
この豚二匹って実は愛し合ってるだろ
どっちが雌だよw とかく現実は、おちこんだりもしたけれど、今日も元気です。
とかく現実は、関ケ原合戦当日。(旧暦慶長5年10月21日)
>>106
論文の内容読めてないぞお前w
好き放題食べるマウスから取った血清と、12ヶ月間その40%の食事を与えて飼育したマウスから取った血清で
Hela細胞とプライマリーのhepato細胞を培養してみて細胞の影響と変化を調べた論文だから
むしろ運動不足と過食が健康に悪いという証拠だぞw
飼育の条件は25度の空調でケージの中で毎日餌を投入し続けるものだから
人間だと40年間ワンルームに閉じ込めて常に余るほどの食事を食べさせる状態だから 作者が秀吉老衰の描写をしたら発狂して秀吉は老衰してないキレッキレで唐入り大勝利を喚くヒデキチ
当時の平均寿命と栄養、医学からして不養生の50代なら老衰してもおかしくないと指摘しても
文献の中身を無視して都合の良い一文だけ切り出して秀吉最強を主張
こいつは文系理系関わらず文献をまともによく気はない
自分の妄想に使える箇所を適当に切り取って使うだけの基地外
あぼーんしてるとは言えガイ達が宴を催していると思うと気持ち悪くなってきたな
耄碌して喚き散らす猿を早く死なねえかなあって遠巻きに見てる諸大名みたいな感じ
昔ながらの秀吉の最後らへんのイメージみたいだなw
地元小諸だけど漫画に出てきたゴンベエ坂ってやつこんなんあったかな?って思って調べたら学生の時の通学路だったわ
>>132
地元の人たちはどんな認識だった?
「ああ、センゴクさんね」みたいな感じなのか
「仙石…秀久…?」みたいななのか
我が地元では縁の大名と言えば「ああ元就ね」みたいな感じ
「浅野…?浅野忠信?」みたいな反応 >>135
広島仲間だ
自分は安芸武田氏本拠地の近所に住んでる >>135
いやそれがよりにもよって隣が上田なもんだから信州=真田みたいな感じで
地元の歴史ツアーみたいな奴も幸村関連が多いよ
ツアーに懐古園(小諸城)も含まれてるんだけどね
野沢北じゃなくて芦原中学ってとこだよ
ゴンベエ坂から車で3分くらい
自分語りばっかして悪いんだが今住んでる家からいちばん近いコンビニの裏手が秀久のお墓だったよ
これは小諸じゃなくて佐久市ってとこにある
商店街の中にあるから結構人通りある場所
長文すまん >>137
芦中乙。俺は東中だは
我が母校の野北は隣の市で中学じゃなくて高校だな 地元の人間は地元の史跡に興味無いからな
でも遠くの史跡には興味ある
センゴクでも描かれてた通り一番凄い武将は元就だと思うね
>>108
取り巻き共々どっか行ってそこで気が済むまでやればいいのにな 佐吉くん秀吉が心情吐露したとき「お気持ちはわかりますが…」言うてたけどわかるわけないよな
>>145
秀吉秀長の時代から続く御城之口餅があるであろーが 地元かあ…一番近かったのは北条綱高か柴田勝重くらいだな
>>145
戦国屈指の爆弾魔は奈良県でなかったっけ? 今住んでるところは有岡城あったから微妙にからんでるな
半兵衛を大河でやったときにミニドキュメントにJR駅裏の崖がうつって土牢はこのへんだったとか考証してたわ
地元には石神井城跡地があった、太田道灌に滅ぼされた豊島氏の拠点
母校が、太田道灌が豊島氏攻めの拠点にした愛宕山砦の跡地だったと最近知った
高校生の頃は太田道灌が活躍した戦国初期とかにあまり興味が無かったからノーチェックだった、もったいないことをした
>>149
やったことは大仏に火付けしたぐらいやし
その後の筒井順慶とかもMr日和見
戦国時代の入り口だと、呉座先生が応仁の乱で延々紙数ついやすぐらいgdgdやってるんだけどそのへんも世間的には認知されてはいないね
あの信長に
津田信澄「おじちゃん僕に大和ちょうだ〜い」
信長「あそこは神国だからダメ」
と言わせるぐらいには厄介な魔境ではあった うちのすぐそばにある峠の松並木もゴンさんが整備してるのに、地元人はまず知らないと思う
>>145
そういや奈良県って戦国大名って居たっけ・・・? うちの地元は戦国時代は微妙すぎて武将の話とかになると応仁の乱までさかのぼるな
仙石家の転封先の近く
仙石は出石でも影薄いと思うけど出石の人間は「仙石氏が信濃から本場のそば製法をもってきた」ってドヤってるから
悪くは思われてないんじゃないかな と思う兵庫県他市住民
俺の地元は特徴的な畝堀がまんま描かれてあってワロタ
佐吉と家康って、この作品の中でいちばんキャラがブレまくってるツートップだよね
家康は抑え込んでるだけで激情家ギャンブラーなのは全く変わってなくね?
家康も佐吉も別にブレとらんだろ
年々成長する家康と悪い方面に成長した佐吉ってだけだな
成長したことのないやつには成長が理解できないという悲しい事実
ブレるというか勝頼の豹変ぶりはすき
諏訪勝頼「響け怒号!叩け押し太鼓!」
武田勝頼「逆さ魚鱗なり」
>>164
本人的には小牧・長久手でもうギャンブラーは卒業して強かになるんだって感じだけど、秀吉泣き落としたりここぞと言うときはやっぱり賭けてるイメージ >>109はよく考えると、「大名らが秀吉の指示に従わなかった例がいくつかある」というこちらの主張に
対立するものではなくて、こちらの主張をむしろ補強するものだな。
朝鮮制圧を優先するという現地大名らの取り決めと、それよりも明突入を優先しろという秀吉の命令が
衝突したとき、どの大名も前者を優先させて、その言い訳が>>109ということだろ。
明に入るなんて無謀な命令より朝鮮の残敵を相手にするほうが楽だもん。
あとまとまって退却すれば秀吉に怒られない例として、明が平壌を占領したとき勝手に独断で退却した
大友は改易されたけど、黒田・小早川はそれぞれ任された城を放棄して漢城で迎撃するという他大名
の合意のもと退却したので、秀吉の許可がなく城を捨てても罰されることはなかった。 >>124
適切な栄養を与えて隔離したラットとその半分の栄養与えて隔離したラットだぞ
どちらもワンルームに閉じ込めて隔離しているのは変わらん。違うのは接取カロリーだけ
人為的に双方の運動量を替えたら比較実験にならんだろうに >>127
お前はさっさと成長期の栄養不足により、晩年でいくら栄養とっても60で老衰死するというソースをもってくるんだ
もしくは根拠なくて適当なこといってしまいましたごめんなさいと謝る
そのどちらかしかない >>171
そりゃ韓信じゃあるまいし、敵が降伏しているのに攻め込むなんてことしないからな
最低でも秀吉にもう一度お伺いを立てる。
そして任された城とは?秀吉の指示で任された城を放棄したのかね?
それに小早川は移動しても全軍ではなく、部隊を残しており奪回にきた朝鮮軍を返り討ちにしていたと記憶しているが? >>174
>敵が降伏しているのに攻め込むなんてことしないからな
>最低でも秀吉にもう一度お伺いを立てる。
大名らの取り決めである八道国割と秀吉の6/3の朱印状で取るべき行動が正反対でどちらかを取捨しな
くてはいけないとき、大名らは秀吉に伺いをたてることもなく
秀吉の命令が無茶なので、大名同士の取り決めのほうを優先して明に攻めなかったという話だぞ。降伏ってなに? >>159
三大そばってなんだっけ
信濃そば(戸隠そば)
出石そば
あと一つは? 陸中盛岡のこんばんわんこそば?(花巻だったけ) >>177
そこか 桃鉄で松江が目的地の時に買い占めるあれか・・ >>174
黒田が在番していたのは白川城とか鳳仙城。
黒田は小西と帯同して漢城まで退却。平安道の城々はこの時放棄。
黒田の南方を防衛していた小早川は開城に在番。碧蹄館に出撃して勝利後、すぐに開城を放棄。漢城に退却
いずれも秀吉の許可なんて待ってられないので、許可なく城を放棄している。
秀吉は翌月の2月にいたっても開城はまだ日本の領土で小早川が守っていると思い込んでいる。 >>111
成敗しろと占領しろは同義だと思うぞ。小田原合戦のときにも北条成敗とある。
あえて文を素直に読み取ると占領しろとも退却しろとも書いてないので、五、六日路の場所で
漢城からくる明軍を迎撃しろということが、秀吉の指示。
宇喜多の場合は1日80〜100km以上の行軍速度になるので>>115で認めている通り、供回り
だけもしくは誤認の可能性が高い。
加藤清正の漢城から慶州まで10日。平壌を脱出した小西が漢城に到達するまでが8日。
やはり日足20km台ほどが戦国時代の行軍距離。慶長の役の戦線を朝鮮南岸と最初から
構想してたとしたら、10日以上はかかるが秀吉はそう書いてない。
秀吉が書いた五、六日路は忠清道南から全羅道北あたりなので、秀吉の成敗という命令と一致する。 出石去年秋に行ったらお城の紅葉綺麗だった
蕎麦も美味しかったけど観光地としては少し弱い感じはしたな
城崎温泉のついでって感じなのかな
>>172
ど素人が適当に言うじゃない
F344だからマウス、F344の理由は寿命がちょっと長く(25ヶ月以上)と
肝臓に病変(腫瘍化)はほぼないから12ヶ月飼育した後肝細胞を取って初代培養しても問題ない
ALだから毎日餌やりして減った量を補充、CRの方の餌補充量はALの4割
一般的なケージの大きさはA4一枚以下の広さに5匹飼育だから共食いしなければケージ交換以外運動量ゼロ
他の要素が影響しないように温度湿度一定で感染リスクゼロの環境下で飼育する
栄養状態が個体健康と寿命に対する影響をこう言った限定条件下にある細胞状態の基礎研究でやるのはまずない
対象は複雑な要素が絡む個体だから人工的に維持された試験管内の細胞見ても仕方ない
無知なら平気で妄想を垂れ流す前にちゃんと勉強しろ
この話題に答えるのはこれが最後 三成もあんな真面目に対応せんでも「あーいいっすねー」みたいに適当に受け流しとけばいいのに
>>185
そして真面目に聞けぃって言われて昔話が始まりそう それなー
勉強熱心なら同意の文化をJKから学ぶべきだったな
昔話のが楽しいしな
最近無印読み返してるけど楽しいぞー、数百騎を追いかけて狭い坂下ったら3万の武田軍!
読みながら足震えるわ
>>165
自分が天下を獲れるか獲れないかの差じゃないかね。
後天的に身につけた理念にせよ、江戸幕府を実現させる才を持った家康と、
理念を持ちながら、それを自分で実現させる才を持たなかった三成。
センゴク三成に才があれば、光秀の本能寺の如く、大阪城ごと秀吉を葬り去っただろうに。 昔のクソガキ感ある三成くんみると笑ってしまう
性格悪いコンビもまだ健在だったしな…
若者的な全能感の下で自分の力で理想を作るんやしてた佐吉は輝いてたよ
あれ、もしかしたら殿下の能力に全て任せればいいんか、と間違った悟り開いて以降の三成はしょーもないし、介護の形で報いが来たけど
全部自分でひっかかえて決断して、部下には指示出すだけだと育ちようがないよね。人材育成の難しさ。
秀吉は発出した文書の多さみてもマイクロマネジメントの典型だし
>>184
秀吉自身も実は内心なんで三成は儂を止めてくれんのじゃと考えてそうなのが何とも言えない なまじ自分で全部こなしてのし上がってきたから指示も細かくなったんだろうな
>>194
それはない
老人の誇大妄想なんだから適当に流すか、
「こうなったら明まで行っちゃいましょうよ」と一緒に付き合ってやればいいんだよ
そういう機転が利かないからこいつは人望ないんだろうな 昔それをやってしまった企業があってな。ダイエーというんだが…
>>186
「いいっすねぇー(鼻ほじ)」
「じゃろじゃろ?信長公の頃のワシなんかな・・・そうだ!おめぇなんかと話してる場合じゃねぇ!」
「・・・大変そうすね、天下人って。」
「ふぅ・・・おめぇちょっと座れ。特別に話してやる。あのな・・・」
「ほーん、いいっすねぇー(鼻ほじ)」
もしかしてゴンベが前田玄以の提案を断らなければ、秀吉は壊れなかったのでは。 戦国合戦ヤンキー漫画としてスタートしたはずがいつの間にか戦国大企業サラリーマン漫画に
ある意味正しい進化をしたと言えるのだろうか
賤ヶ岳の戦いの時は若手に任せようとしていたけど小牧・長久手の戦いでヤッスに負けたくなくてスーパーワンマンパワー発動してしまったのが秀吉の運の尽きだったな
>>198
脳が活性化されて、無益な慶長の役を切り上げる方に行ったりしてなw
まあネタにせよ適度な刺激があった方が認知症の進行を遅らせるから、ゴンベが側仕えした方が藤吉郎さんにとっても幸せかもね。 秀吉「実はこれがこうで、あれはあれで…」
ゴンベ「ほーん、なるほど。すごいっすね」
三成「いやそれは(マジレス)」
ただ話すだけならゴンベの方が楽しいかもな
>>203
ヤンキーもの→サラリーマンもの→歴史物とジャンルを変えた漫画を描いていった遂げた本宮と違って
同一作品の中で並行して違うジャンルが混ざった展開になったあたりがややこしい >>199
主人公がチョイ役で豊臣政権末期をメインにしているなんて凄い事になったよ とかく現実は、太閤秀吉死去まで、あと〇か月。
とかく現実は、太閤秀吉と権兵衛、 面会なし。
とかく現実は、次週、掲載。(10月24日発売) 第26巻第10話収録分。
>>208
中書さぁ・・・もう神降ぱやめてくいやんせ・・・ >>185
そういう役割を頼まれたけど断ったんだろ?
やらかしても復帰させてもらえたのにほんと恩知らずだよこいつは >>211
頼んだのは秀吉じゃないけどな。
まぁゴンべからしたら恩人は秀吉一人じゃないからな。一番は自分の失態に連座させてしまい、その後復帰まで支えてくれた嫁や部下達だろう。
それらに危険が及ぶのを避けたんだから、恩知らずとは違うんじゃね? 秀吉本人からの依頼ならともかく
奉行衆の弾除けだけを目的に依頼されて
その直前に秀次を謀反人扱いにして
秀次一族を処断されたの目の当たりにして
無理だろ
>>212
いやあれは家臣達自身からも指摘されてるように恩知らずであるんだよ、本人も否定はしないし(ただし不忠ではない)
ただそれだけゴンさんと秀吉との心が開いてしまった証であり、改易を経てからの成長であり、歳を取って家のことを考えるようになった結果でもあるってだけなんや 最後に一回ぐらい会う機会があるだろうけど
「昔の藤吉郎様じゃった」とかでほっこり終わるのか
「彼は誰ぞ・・・」って後味悪く終わるのかどっちだろうな?
考えたら小田原の時点で既にあいつだけが俺をあの頃に戻してくれるんだと昔に郷愁を感じる秀吉ともう昔ほどガムシャラに戦えない自分を自覚するゴンベで微妙にズレはあるんだよな
天下人すら良縁は難しいって
ゴンベエは寧々を知ってて言うんだから
完全に秀吉は突き放してるよな
恩がどうのって話も古今東西の色々な案件と比較しないとな
実はやりがい搾取かもしれんし
秀吉でほっこりはもう無いだろうな
ゴンとの場面もしんみりになるだろうよ
こうも主人公クラスのキャラの老醜をキッチリ描いた漫画って珍しいだろうな
同じ成り上がりの天才の頂点からの没落までを描いてるナポレオンは近いかな
あっちはナポレオン単体の老醜というより周りの将帥も衰えてるが
成り上がるのが目的だった奴らが成り上がっちゃったらもう下り坂になるしかないよねってなるのがつらい
ナポレオンは6日間戦役あたりでも本人の軍事能力衰えてないのは分かるけど明らかに判断ミスが増えたな
それも9歳の頃の自分の声を聞き続けたという変化のない事が招いた結果だけど
昔ならこだわらなかったとこでこだわって貴重な時間消費したりしてんだよな
それでも当人が戦える範囲内では勝っちゃうからかえって泥沼にはまっていく
ナポレオンの元帥はほぼみんなナポレオンの指示待ち人間になっちゃったからね
第六次対仏大同盟だとそれを逆手に取られて徹底的にナポレオンがいない部隊を叩き続けてナポレオンがやってきたら撤退するを連合軍に戦略としてやられて負けた
己の限界がわからず最後まで突っ走っちゃったところが共通点かね
どこかで妥協してれば王朝が存続するチャンスもあった
>>192
賤ケ岳の時は若手に丸投げ作戦してたのにね ナポレオン1世死後結局ドイツイタリアで自由を渇望されて、倒される運命にありそう
まあ今のベルギー南部辺りは領有して、北部はオランダとかがとるのかな
その場合フーシェとタレーランが後始末できるか怪しいのでフランスの末路が史実よりひどくなりそうではある
>>228
あの時の主要な若手ほとんどいないんじゃないの 妄想ならいざしらず現実は勝利の限界点が存在するからなあ
この先もうつまらんな
家康の横綱相撲
主人公ゴンベエはその太鼓持ち
盛り上がらん
>>233
徳川が幕府を開いて太平の世を築いた
だがこの通説には疑問が残る 賤ヶ岳で若手に投げたのに結局自分の辣腕で柴田に勝ってしまったのが狂い出した始まり
春が 決める!
謎の覚醒が衝撃だったが直ぐに死んでしまって残念
手取川編は全て面白い
クロカン好きだったがもう出てこないのかのう
はっきり退場するでもなく出てこなくなっちゃったと思っているがなにか見落としてる?
関ヶ原戦記までやってくれるんならワンチャンありかな。九州勢の動きをどこまでやってくれるかだが
それでも出番なさそうな大友橘加藤
>>179
黒田とともに守備をしていたのは大友、実際放棄して改易にされた
改易の理由は九州征伐の時の怠慢とあわせ技一本のほうな内容であるが、許可なく撤退が重罪であったことがわかる。
第三軍の司令官は大友だったか、大友の判断で撤退が決められたと判断されたんだろうな。
そして小早川は全羅道の方面担当で、そっちの占領地は維持したままだ、放棄などしていないのだが。 大阪城にドヤ顔で乗り込み「バゴアバゴア〜さ、騒ぐな〜凡人ども〜オレは恐怖の西国の将毛利輝元だ〜ゲギョゲギョ」と叫ぶTERUが観たいです
>>180
成敗は敵軍の討伐ですよ。占領統治をするなら城の破却をする必要がない
文禄の時は占領統治を目的としていたので、住民の呼び戻しをおこなっていたし、
略奪なども禁止にする禁制が秀吉の名前で発布されていたが、慶長の時には出されていない
作戦目標が異なっている。
赤国不残悉一篇ニ成敗申付青国其外之儀者可成程可相動事は文字通り悉く成敗となる。
北条成敗も北条親子は成敗されただろ?息子は助けられたがね。
また加藤への書状でもあるように仕置きの城は海沿いであるように、占領を目的にしてそこに築城するなら、
内陸部に侵攻する必要はない。
また五日での移動は軍の移動としては早いが無理なレベルではないし、なにより小規模な集団としてなら十分可能な移動距離
300キロちょいを五日か六日だからな、一時間五キロで移動して半日で60キロ、
現代人の俺らでもやれなくはない、実際一日50キロまでは俺も経験あるし
参勤交代で大阪から江戸までの移動は600キロちょいだが、二週間で平均移動してる。
そして重要なことだが、五日路、六日路とある場合、軍の進軍速度ではなくて、個人の移動速度だろうこと
この道は五日かかると書かれている場合は普通そうだろ?
実際宇喜多や奉行衆は五日で到着しているしな。秀吉にもそう報告しただろうし 話変わるけど5ちゃんのレスの語尾に「ね」をつけるやつはヤバいやつっていう自分統計があるわ
>>183
俺のいった172と何が違うんだよ、カロリーだけ減らしたものにすぎん
対象実験なんだから当たり前だ。
そして減らしたほうが長生きしたってだけの話。
栄養が減ったことで代謝が落ち、それが延命になったのではないかということ
で、お前の珍説のソースはいまだに出てこないぞ。探してもない、お前も出せない
結局出鱈目述べただけじゃねーか、次何かレスするなら、
まずソースだしてからにしろ。 >>228
でも大返しの案って別に若手から出たわけでも無いよな
一番ヤバいところは丹羽さんが救援してくれたし
あの時の若手って結局砦の守備隊でしかなかった 秀吉って何らかの遺伝子疾患が疑われる
1.多指症(片側の場合は遺伝性ではない事が多いが)
2.低身長・.容貌醜悪
4.体毛が薄い
5.男性不妊
6.50代から機能不全(無意識の失禁等)
一つ一つなら疑う所見じゃないが、
秀吉は同年代の他武将と比して多すぎる
パラメータを天下人にほぼ全振りしちゃったんだろうな
というか秀吉と小一郎さんだけ単なる農民のセガレにしてはステータスがおかしいからあの兄弟だけバグかなんかとしか思えない
>>94
理由など御都合主義でいくらでも後付け出来る
大友を処罰出来たのはスケープゴードの条件が揃っていたから 少なくともこの作品では統治に支障の無い奴って言ってるからな
要するに秀吉も諸将も互いの足元を見ながら共存していたわけで
>>240
>小早川は全羅道方面担当。そっちの方面は維持したままだ。
小早川と立花は全羅道方面から前年の9月には撤収してるよ。全羅道からの撤退もよく考えたら
秀吉の認可なき軍事行動だね。1593年に小早川が全羅道に駐留してたのなら史料だして。
小早川は漢城の合議で漢城と平壌の間にある開城の配置になり、秀吉は後からこれを追認。
秀吉の決済待ってたら、現場の変化についていけないから、こういうことはしょっちゅうおこる。
それから>>179にも間違いがあって、小早川は碧蹄館の勝利後に開城を放棄したのではなくて、
明が来る前に開城をすでに放棄して漢城に戻ってるわ。漢城に戻って合議してからの碧蹄館の戦い。
大友と黒田小早川の違いは、現地大名らの合意があるか否か。
最初から言ってるように、大名らの合意があれば秀吉の命令がどうであれ退却しても、担当していた
地域から逃げても処罰されない場合がある。 >>242
慶長は統治が目的ではなくて、都市は占領して住めなくなるまで殺して壊すのが目的。防衛のための城は自作する。
大名行列は行軍で必要な時間的コストなる設営と食事の準備がカットできるので通常の軍事行軍とは比較できない。
三日路四日路が行軍速度ではないというが、文禄慶長関連の史料にある日路に関しては行軍速度だけと言ってもいい。
例を抜き出す
・大唐へ之海道筋、都よりニ日路之所に船渡之川(臨津江)御座候に付きて(加藤清正書状)漢城→臨津江 40km 20km/d
・安辺郡より都迄十日路程御座候(加藤清正書状)漢城→安辺 250km 25km/d
・都より三日路先、かせんほ(開城)と申所に戸田民部殿(梨羽紹幽物語)漢城→開城 60km 20km/d
小西が馬を乗り継いで4日で踏破したことや、君の経験がどうとか意味がない。
史料に書いてあることだけで判断すると、秀吉の言うソウルから五日路六日路は100〜180km、つまり忠清道南から全羅道北あたりを想定している。
あと1592年6月に明に進撃せよという秀吉の命令を大名らが誰も守らなかったことを認めたということでいいんだね。 >>255
将外にあらば君命を聞かざらんことありだからな
文句あるならそれこそ渡海して来いって >>257
そりゃ当たり前だよね
現地にいないボスの指示を現地にいる責任者の合議で引っくり返すなんて当たり前にあること
独断でやったらヤバイだろうけど >>255
小早川は全羅道攻略の為に錦山(ここは全羅道ではないが)に駐留して作戦活動をおこなっている。
放棄されたという話は聞いたことないが?
小早川が移動した時点で放棄したと判断したのかね?
現地大名の同意があっても秀吉の指示に反したらアウトだが?
総司令官が秀吉で、現地の司令官が宇喜多でその幕僚と監軍をしているのが奉行
その下に加藤や小西らの軍がいて、彼らの与力としてさらに宋やら松浦やらがいる
現地の司令官である宇喜多からの指示も当然あるし従う必要があるが、それはあくまで本国の秀吉の指示に反しない限りだ
秀吉の指示に反する場合は宇喜多や奉行が秀吉に上申をして、新たな指示を仰ぐ形になる。
また本国までは時差があるので、状況が変化して本国から新たな指示を受けるまでは現地の司令官である宇喜多の指示に従う。
これが当時の命令系統、秀吉の指示に異議がある場合は上申を行う、
実際秀吉の渡海の来年への延期や、城の放棄を提案したことがある。前者は認められ、後者は却下された。 >>255
宇喜多の指示による防衛命令であるなら、宇喜多の指示に従って放棄しようとそれは構わない
何故なら命令者は宇喜多だからだ、もしくは勝手にやったとしても後で宇喜多に謝罪すれば
宇喜多がそれを判断するだろう。行動が目に余るなら奉行から素行が問題として
だが秀吉から朱印状なりで命令されたことを、現場の一司令官が勝手に判断するのは許されない。
命令通りすべて進めるわけじゃないし、失敗も当然あるがね。
だが勝手に持ち場を離れれば処罰対象。黒田も死を覚悟していたほど
会議に参加せず囲碁やっててもいいが、勝手に持ち場離れたらアウト >>256
その通り慶長の時の目的は焦土化だからね。
防衛の城は加藤への手紙にあったように海手に作る、現地を焦土化しているのに現地に防衛拠点を作る意味がない
本国からの輸送が容易な海岸線に作るのは当然。
それらの書状は実際に軍が移動にかかった時間なんだから当たり前
そして宇喜多らが実際漢城までいくのにかかった時間も五日であるから五日路ってこと
史料にあるとおり、半島南部に築城して明軍を迎え撃つ計画で動いている。
忠清道で戦う計画など最初からない。文禄の時からそのように動いている。
そして上でもいったように明が平壌で敗退して和睦の使者送っているんだから、
その指示が実行できなくなっただけ、朝鮮側は小西からの使者も拒絶しているのでそのまま攻略対象となった >>258
それをしようとして城の放棄を秀吉に上申したが却下されている。
蔚山城の戦いで勝利して、軍の半分が帰国することになったときに
主に帰国組13人から戦線縮小案が上申されたが拒否された。
さらに黒田蜂須賀は蔚山城の戦いでろくに追撃しなかったという事で処罰まで受けた。
やる気がないと判断されたんだろうね。
秀吉本人は渡海する気満々、実際慶長の時も明の大軍がきたら渡海する旨を伝えている。
その為に国内に早馬による連絡手段を講じたことを伝えている。 >>259
小早川が漢城での会議のために移動したのは7月。軍全体が放棄したのが9月。
小早川と同行していた立花宗茂は現地で駐留する。9月に大友黒田の後詰の開城を守るために移動
この時小早川の軍も立花の軍も現地を完全に引き払い開城に入城。
翌年の1月まで開城に駐留して、小西が敗退後漢城でまとまるために、黒田と小早川は城を放棄して撤退。 >>257
>>258
「公羊伝」にも国外では独断専行も許されるって記述もあるし古来からのテンプレやな 命令違反でも許される命令違反と許されない命令違反がある
武功を求めて打って出るなどの形の命令違反は失敗してもわりと許される
脇坂などは国内でもアレだったが、朝鮮征伐においても何度も失敗をしている。
朝鮮水軍の活動で初期何度も輸送部隊などが襲われ海戦?で負けてる。
秀吉は被害の拡大の対策の為に、小勢で戦う事を禁止し、場合によっては船をすてて陸に逃げてよいとした。
戦う場合もみなと連携をして単独で打って出ることを禁止していたが、脇坂は武功求めて単独で売ってでて負けている。
けど別に処罰されることはなかった。その後の活躍で少しだが加増もされている。
だが寄り親に従って戦えというのに単独で動いたり、無断撤退したりしたケースでは厳罰となり改易にすらありうる。
軍令拒否や敵前逃亡と判断されたケースだろう。
>263
錦山や占領地を放棄したソースは?
そしてそこは秀吉の指示で在番が決められた城なのかということ
>>260
今更宇喜多と奉行衆は秀吉の命令を上書きできると言い出すのか?
この場合は八道国割を7月の朱印状で認めたわけだから、厳密に言うと奉行衆と宇喜多が秀吉の朱印状
に違反してるんだよ。宇喜多と石田や大谷らも内輪で勝手に決めてるわけじゃなくて、現地の大名と合議
して決めている。だから小早川らを漢城に呼んだんだし。 とかく現実は、太閤秀吉死去まで、あと3か月。
とかく現実は、醍醐の花見 開催。
とかく現実は、連載はあと単行本 あと1巻分。
>>266
この経緯は梨羽紹幽物語に書かれてる。物語といっても軍記物ではない一次史料。
そんな特殊な説だったのか不安になってwikiみたらちゃんと書いてるじゃん。自分の言ってることは定説以上のものではない
そちらの把握不足。違うならもう一度言うけど1593年に小早川かその軍勢が全羅道のどこかに駐留してた史料をだして >>267
誰もそんなこと言ってないが?
もしそんなことすれば宇喜多や奉行衆が処断されるだけ
秀吉の指示に反しない範囲で宇喜多らが現地の司令官に命令することはある
八道分割がこれ、秀吉が漢城攻略を命じたが、予想より早く攻略に成功して、
現地軍は半島の領地切り取り放題を行った。
秀吉から新たな指示が出たときには現地の司令官は各地に転進してすでに戦闘状態に入っていた。
秀吉は朝鮮王と王子をとらえて従わせる方針だったので、これらの計画が駄目になった。
もう各地で占領地拡大していると聞き、その方針を認めることになった。
現地軍は命令違反をしているわけじゃない。
軍が分散した結果、偽りの和睦でしかなかった明に反撃の猶予を与えてしまったのはミスだろうけどな。
その後明軍は返り討ちにはしてるんだが、北京侵攻が頓挫することになった。 とかく現実は、連載はあと、単行本1巻分(10話)。
>>269
梨羽って、小早川家臣の梨子羽か、信ぴょう性と確認が難しい史料だされてもな。
そして錦山や占領地が放棄されていない以上、小早川らが移っただけだろう。 >>270
秀吉が明に攻め込むように命令したのは6/3。6/13には諸大名が明に攻め込む気がないことを知って改めて命令。
大名は最初の命令6月中、7月までにはほとんどの大名は2通目も受け取ってるけど、一切動いてないことについては?
朝鮮での戦争にかまけて秀吉の命令を無視したというのならそれが証拠でしょ。
7/18に奉行衆が直接毛利輝元に朱印状の履行を指示されるが、毛利は全く動いてない。
>>275
さっきからどういう自信があって言ってるんだ?
1592年9月以降だぞ。史料だせないならそれが書いてる本でもいいよ >>270
漢城攻略後に秀吉が6/3に出した明攻略軍の陣立朱印状
先手 宗義智 5千、小西 7千、松浦 3千、有馬 2千、大村 千、五島 7百 計1.87万
先手 加藤 1万、鍋島 1.2万、相良 8百 計2.28万
先手 黒田 5千、大友 6千、毛利 2千、島津 1万、高橋秋月伊東 2千 計2.5万
(次鋒の編成が続くが略)
都合十三万人 右先懸之義、三組之者一日替に被仰付候間・・・
先手の三軍団が一日交代で仕掛けろなど命令してるが、この朱印状より前に大名
は朝鮮各地を制圧すると合議で決めたため、秀吉のこの命令は無視される。その後
秀吉は大名の合議を知らされて再度朱印状発行して念押しに奉行衆が派遣されて、
毛利は石田から直で平安道(北朝鮮の国境)へ行けといわれるがスルー。
この件で秀吉への伺いをたてた史料もなし。結局7/15に秀吉が折れて、大名らの朝鮮
制圧(八道国割)を追認。
秀吉の命令を現地の大名らが総意で無視したり違反したりしても処罰されないという前例ね。 >>261
「日路」という表現は行軍に使うことがわかったよね。
宇喜多のような少人数の強行軍にな「○日路」というのは使ってない。
史料には沿岸に城を築くとあるが、南岸とは書いないよ。君がそう思ってるだけ
五日路、六日路の沿岸ね。全羅道境周辺
慶長の役は最初に全州を落とした時に大名らが会議を開いており、その時大名らは冬が来る前に
釜山浦に引き払うと評議したと吉川家文書にある。
撤退を決めたのは秀吉ではなく全州での会議。 連載が終わると人居なくって自分の知識をひけらかす場が無くなるからか長文連レスが凄いな
秀吉の耄碌ぶりが凄いので打ち消そうと関係ないこと連投してるだけやろ
ヒデキチも大概だがそれの相手を延々と一人でやってる新たなガイジが発生したからな
親豊臣が明白の小早川を潰して損するのは明らかに秀吉だからな
だからあの時点での実質的な現地の総大将は小早川だったと言っても過言ではない
家康はまだまだ子作りするくらい元気なのに秀吉はもう女を抱く気力もない感じだな
>>294
実質的な生前葬なんだよな
死んだ後は出来なかったし 最後は憐れでダサい老人みたいな感じに頼むやでー
もう既にダサいけど
ひどいw
さらっと織田家って書いてあるけど
三成って織田家所属だったか?
最終回でゴンベがボケた秀吉と対面して昔語りしたら
号泣して立ち読みしてるヤンマガを濡らす自信あるわ
かなり古い信長の野望のハンドブック辺りだろうから本能寺以後のシナリオが無かったりするとどうしても織田家所属になるだろうな
本能寺起こさずに進めればシステム的には織田家所属になるだろうし…
覇王伝の武将ファイルかな?
覇王伝辞典の方にあれは酷いと書かれたやつ
覇王伝辞典は結構客観的に書いてたから評判が高かった
その時のだから今は通説も変わってるけどな
>>292
健康に気を配り方が違うっていう以前にそもそも齢が違うからな
あの時代の6歳違いって大きいよ >>298
当時これ見てどんだけ嫌いなんやって思ったこと覚えてるわw
>秀吉のために正しいことをやっているなら他の者は無条件で従うべきだ
なかなか正確にセンゴク三成で草 結局家康との対決は野望だったのか義理だったのかよくわからんので中途半端な野望71にしといたろ感
覇王伝事典か懐かしい
覚えているのは
謙信:不浄の世間は大嫌いだが不浄の究極である戦争は大好きなので生き方は矛盾に満ち難しくなる。
信玄:戦国至上の名将だが、同時にそれがこの男の限界である。時代の変化は彼の領土拡張より早かった。
能登:腐れ武将の産地。おっと暴言を吐いてしまった。
気合:無能なコーチや監督が使う唯一の指導用語
三成は反家康派No.1でも西軍決起の首謀者でもないのに
なんか悪者として過剰評価されているのかわいそう
三成は力(石高)も高くなくて知名度も嫌われっぷりも抜群だからスケープゴートに丁度いいから仕方ない
毛利を潰せば敵作り過ぎるから三成に全部おっ被せたんだろうね
西軍が勝てば戦国時代に逆戻りさせた張本人として家康が悪く書かれてと思う
>>300
秀吉が織田家上回るまでは織田家の陪臣やろ >>298
この頃の光栄の武将ファイルや武将辞典はこう言う筆者独自の主観をそのまま載せたりしてて楽しかったな 極論だからこそ今でも話題になる
でも今なら炎上して描き直しかな
>>312
まあ三成が本当に悪い奴なら空気読んでさっさと家康につくだろうしね 覇王伝事典と三國志V事典はわりと史実と講談を分けてた
三國志V事典は何故か正史ベースで書いてあって
蜀のファンは人生失敗者、失恋者などが多いとか、ファンに喧嘩売るような事を書いてた
コーエー同人上がりからヒットメーカーに成り上がった荒川弘とか言う超人
>>317
逆だろ
悪い奴だから家康に付かなかったんだろ 悪いヤツだから秀吉に忠臣と思わせておいて、秀吉が死んだら即徳川に鞍替えだな
そもそも家康自体が正規の豊臣だからその認識間違っとるがな
いい奴なら豊臣に対して謀叛起こさないで素直に家康に従っとるだろ
秀吉の死で終わりそうだから一番の見所だろう秀吉死後の身共さんの動きは読めないかもしれないのが残念ではある
まあすっかり老害に成り果てた秀吉とその介護もまともに出来ない豊臣家の有様見て単に愛想尽かしてる可能性はあるが
そもそも佐和山失脚後の佐吉は実は親徳川やぞ。
前田征伐の時も兵出そうとしたし人質に出した嫡男もヤッスから可愛がられてた
決起せずにいてもある程度は権力を回復できた可能性がある
>>323
史実ベースだと今の身共さんは「豊臣公儀の利益=徳川家の利益」って考え方で日本国のためにも自らの利益のためにも豊臣公儀(豊臣家ではない)はしっかりと支えようって考え方だったとは思うけどそのあたり漫画的にどう描写するかね。
これが小説なら「家康にはすでに秀吉への忠誠も尊敬の念は一欠片もなかった。しかし秀吉が作り上げた豊臣公儀への忠誠心は僅かながら残っていた」と書けば済むけど 関ヶ原はダイジェストだろうけど一旦間をおいて関ヶ原戦記描いてほしいね
とかく現実は、連載はあと、単行本1巻分。外伝はありやなしや。
細川屋敷炎上に家康暗殺未遂、九州でのクロカンの働きは見てみたいな
>>317
付きたくても今までの行き掛かりから付けなかったというのもあるだろう
反三成の連中はとっくに家康に付いてたわけだし 柿の件でなにかとバカにされる石田はちょっと不憫
柿は健康に悪いから(いままで喰わないようにしてたし今さらあらためて喰いたいと思わん)
くらいな気持ちだったかも知れんし
奉行はみんな西軍なんだろうけど増田と前田げんいは東軍にも内通してたんだよな?
前田に至っては所領安堵されてやがるし
>>333
てか柿のシーンって馬鹿にされてるのか
大名たるもの最後の最後まで何があるか分からないから諦めない意思の強さを語ってるからええ事やないのか >>276
六月三日には同時に朝鮮における代官の派遣や税の取り立てや法度の施行なども同時に指示されている。
占領地の拡大は別に命令違反といえるものではないし、
明うんぬんも檄文に近く、〇〇はどこそこに進めというものではないからだろ。
渡海した場合の秀吉の御座所作れとされた大名はきちんと指示に従ってるし
毛利があの方面に進撃したのもそれが理由と判断できる、秀吉の御座所を作れと指示を受けているから
指示通りその地域を攻略して御座所の確保と周辺の掃討任務だ
また小早川の陣払い=日本軍の撤退ではない。
実際梨子羽が移動したと書いた後も立花がいたりしたからな。 五奉行と言えないかもしれないけど浅野だけはちゃんと幕末まで家を絶やさなかった
>>278
実際小西らは北上して明とぶつかっている
そして明が破れて使者を送ってきたという流れをなぜ無視する
朱印状通り行動して、明が和睦の使者送ってきたので明侵攻を中断して半島での切り取りになっただけだ
命令違反などしていないし。しているなら秀吉は激怒してその大名を叱責しているよ >>336
陣立までしてる朱印状が檄文なら慶長の役のそれだって檄文だよ。秀吉は本気で攻めろと言っていて
其の証拠に八道国割を知らされた秀吉は6/13に改めて念押し
大明国へ先懸け同備への事、備前の宰相、都に相残るの儀、迷惑の由、
たつて申し越し候条、輝元、隆景より先四国衆次に相ひ働くべき旨、仰せ出だされ候間、其の意を得候。
秀吉
これも無視ね。毛利は直接石田から上のことを言われて平安道まで兵を進めろと言われても動かしてない >>279
その通り、そして釜山漢城の間は五日で移動可能なので五日路六日路になるね。
また在番の城は文禄の時にすでにどの城をだれが在番にするか決められており、
これは朱印状で発布されている、彼らは命令通りの築城をしただけであり、
勝手に撤退などしていないことがわかる。
築城を予定の場所よりもより前進して作る事は認められているが、後退して作る事は許可されていない
命令を聞かなかった奴がいないとは言わないが、勝手に持ち場離れた人間は処罰されている。
大友や黒田などがその代表例 >>337
いいタイミングで距離をおけたのがよかったのかな
狂った秀吉の唐入りなんて愚行を実行するはめになった奉行衆とか憐れすぎるよね
まあ秀次について秀吉を引退させるくらいの胆力がなきゃどのみち同じか これって本当に二人いるのかな
こんなのが二人いるとは思いたくないからできれば自演であってほしい
>>341
唐入りを狂った?国内を統一して外征をするのは当然のこと
していないほうが狂った政権といっていいくらいだ
国内に膨大な兵士と生産設備があるというのにそれを無駄にするなどアホのすること >>336
だから何度同じことを書かせるんだ?
小早川は7月に漢城の会議に出て、9月に立花も全羅道を撤退して開城に入ったんだよ
まず全羅道を秀吉に申し入れせずにひいてるし、
開城でも秀吉の同意なしに明軍が来る前に退却してる。
もちろん大友のような独断ではなくて、現地大名の合議の上の要請だから罰せられることはない >>342
自分自身と議論してるとか怖すぎるだろw
両方NGで見なかったことにするのが一番 このタイミング・・・
自演でなきゃキチガイの書き込みがあるか見張ってるってことか?
こいつも立派なキチガイだな
>>333
柿の話って陳勝・呉広の「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」のアレンジじゃね >>340
秀吉は漢城から釜山一帯の行軍速度を知っているから特例を出したりしないぞ
文禄の退却の時10日から15日かかってるから
主語は明軍だから当然行軍速度で六日路。宇喜多のは行軍速度ではない。伝令速度と同じだからな。
大体君はwikiに載ってる情報でも、小早川の場合はソースがないとか言って信じてないんだから、
宇喜多の場合もそちらが史料提出するまで未確認にしなさいよ。フェアにいこう。 >>339
実際小西らは侵攻して国境線の直前までいって明軍とぶつかっているからな。
輝元と隆景にあてられた朱印状でも(内容一緒)
朝鮮国成敗之事、遣前駆可若箒鏖塗者、於日域帝都預察焉、イ乃差遣で宋小西らの名前があり
彼らを先陣にしてとあり、毛利らは後詰ですよ >>344
合議の上もなにも現地軍(宇喜多)の指示で全羅道攻略になり、軍議の呼ばれて隆景がちょいちょい外していただけ
なんでこれで秀吉の命令に背いたになるんだ?
立花も移動しているが、なぜそれで占領地を放棄したになるのかね?
朝鮮側が奪回した記録がないのならそのまま日本が占有していると判断するのが妥当
開城にしても明軍を漢城に引き付けて撃破するという作戦であるし、そして作戦通り撃破している
懲罰を受けるようなことを隆景はしていない >>340
小早川が開城にいた史料
11月に秀吉が開城を守る小早川に送った朱印状
来春必ず御渡海なされ、一揆ばら撫切りに仰付けられ平に属させらるべく候。其間の儀、居城は申すに及ばずかかえの城々までも念を入れられ、兵粮を蓄え要害等丈夫に覚悟もっともに候事
明が来る前に漢城大名らの要請で開城を破棄した史料
大谷刑部自ら来たりて達て勧めけるゆえ、隆景公、広家公ともに都(漢城)に帰りたまう
吉川家譜
二十一日 都へ残さず引取候、一番手天野元政、二番に隆景様、三番に秀包、四番に筑紫、五番に広家様、六番柳川侍従兄弟(立花宗茂、高橋直次)、七番大友殿、八番に黒田殿、九番に元康様、
吉見元頼朝鮮日記
みてのとおり小早川の家臣も立花もみんな開城にいる。まだ史料がいるか? >>348
特例でも何でもないよ。それまでの五日六日で移動したので文字通り直前の移動時間にすぎない。
それに軍を引き付けて叩事が作戦のかなめなのに、なんで十分に引き付けない地域で戦うのか意味が分からない。
守るべき土地があるというのならわかるが、現地は焦土済みであり、おまけに日本から遠い
これでは明を引き付けて撃破するという作戦内容と矛盾する。
文章がつながらんよ。お前の私的な解釈にすぎん。 これ自演だろう
いくら何でもレスを返すのが早すぎる
>>351
340は慶長の時の在番の城の話だが?
そしてそのどこに秀吉が隆景に開城の死守を命じたことを書かれているんだ? >>350
そのとおり。隆景は懲罰を受けることなんてしてない。秀吉の命令のほうが無茶なんだから、現地大名
の判断が正しい。
「居城はもうすにおよばず要害丈夫に覚悟」と命令されても
開城は守りづらいので漢城でまとまったほうがいいから撤退するのは当然の判断。
秀吉の命令に逆らって城を捨てても罰せられないってずっと言ってるでしょ >>353
パソコン(笑)に張り付いてF5連打してそうだな ついでにいうと梨羽紹幽物語は一次史料ではないね。
隆景の家臣によって江戸時代に入ってからの回顧録が近いな、
内容そのものは別に否定はしないが、これをもって日本軍が撤退したと解釈するのは無理があるだろう。
隆景が移動したというだけの話。実際隆景はちょくちょく移動しているが、
そのあとも何度も隆景が陣地をおいたところが襲撃を受けている
>>355
だからそもそも秀吉からそんな命令でてませんが? >>352
全羅道北端でもひきつけて戦ってるといえるよ。このへんは主観だからきりがないけど
五日路、六日路だけは客観的な数字だからな。
主語が明軍だから行軍速度をだすとき、馬だけで乗り継いでの日数なんておかしすぎる。
それから宇喜多の史料が出るまで5日で漢城まで到達というのは確定しないってことでいいね。
君が小早川でやってる遅滞と同じだからな >>357
だから上の史料みた?
開城に小早川も立花もその家臣もいるよね?だったら誰が全羅道のどこにいたの?
そちらが史料だしてみて。君は今ありもしないことを強弁してる >>360
だから秀吉からどこで開城の守備命令が出ているのかと問うている
どこにもそんな命令はない。
あるのはいつも現地司令官による配置転換のみ >>349
小西は秀吉の命令ではなくて大名の取り決めで分担地域まで移動しただけ
7/15には島津は遅れて漢城にやってきたが、その後命令された明国境には向かわずに、
大名らで決めた八道国割の島津の分担地域である江原道に向かっている
敵と戦ってもいない島津でも、秀吉の命令と大名の取り決めがあった場合、後者を選んでる 福島殿すっかり態度がデカくなられて…でもやっぱり仲は良いなw
>>361
其間の儀、居城は申すに及ばずかかえの城々までも念を入れられ、兵粮を蓄え要害等丈夫に覚悟もっともに候事
この時秀吉は当然小早川が開城を守備していると知っているよ。
居城や支城を年を入れて覚悟を持って守れと命令されている しかし悲しいな 酔った振りって保険は掛けたとはいえわりと命賭けて諫言したのに一ミリも届かんとは
あれ、2週間前に出してたヨボヨボ秀吉は使わなかったのかな
「欲も腹八分にせにゃこのままんじゃロクな死に方できやせんぜ」
「ったくどーしょーもないの…」
ゴンと秀吉の最期の会話湿っぽくなくていいな
>>362
秀吉の命令どおり小西は先陣をしている。毛利は後詰しつつ指示された御座所の整備をすすめている。
何の問題が?競進可大明成敗とも書かれているから別ルートでの明への侵攻は認められているんだろうが、
当時軍を抜かしたりする普通に争いになるからな。
島津はそもそも遅刻してるだろ。 >>368
そりゃ返した形になるんじゃね?これ以上出来る事は無いからな… >>364
どこにも開城の守備命令など書かれてませんが? とかく現実は、次週、掲載。(11月1日発売)第27巻第231話収録分。
とかく現実は、連載はあと、単行本1巻分(10話)。
まだ口喧嘩してるのかこのお爺さん…
自演にしろ頭おかしくなっちゃったのかね
>>372
これは宛名は小早川で秀吉の朱印状だからだよ。
この「居城」が開城ではないって主張してるの?
秀吉は小西の敗退の第一報を受けて
開城にある小早川のところに兵粮を繰り入れて、漢城の兵とで明軍を挟み撃ちにしろ
と命令してる。小早川が開城に9月からいるのだから秀吉は小早川の居城くらい承知してるよ。 >>370
在番で街道の整備は加藤と鍋島の役目だな
毛利は「次之備」で明侵攻軍として陣立にある。
これは6/15の書状でさらに念押しされてる 秀吉に子飼いのお主達達は家族だから頼むよと言われても
結局ゴンと正則は裏切るんだねえ
とかく現実は、太閤秀吉死去まで、あと3か月。
とかく現実は、太閤秀吉赤痢を患う。
>>377
もちろん居城が開城なんてどこにも書かれてないしな。
むしろ南部の錦山から全羅道攻略にかけての地域でしょうよ。 >>378
いや御座所の整備は毛利に何度も送られているよ
しっかりしたものができないなら屋根があればよいとか、簡素なものでもよいとか
場所も減らしてよい(泊まる場所を減らす)とかね。 三成は外から見たら老いて呆けた秀吉を利用して好き勝手してるようにしか見えないからね
しかも利休と関白関係者の処刑に関わってるから憎まれる理由にはことかかない
>>383
6/3に朝鮮の街道整備や統治を命ぜられたのは加藤と鍋島
その朱印状の宛先は加藤と鍋島になってるでしょ
>>349の
朝鮮国成敗之事、遣前駆可若箒鏖塗者、於日域帝都預察焉、
これは別書に記す軍で攻め入れと書いているが。それが陣立。
この書で秀吉は民を撫せよと言ってるが、「競進可攻伐大明」のあとに書いてあるので、明の民の順化を言ってるんだよ。
朝鮮は加藤と鍋島に任されてる とかく現実は、宮下先生、関ケ原を訪問する。
とかく現実は、宮下先生、関ケ原編を要望される。
>>385
末期の秀吉政権はあまりにむちゃくちゃ過ぎて、秀吉が狂ったかボケた秀吉を利用して側近がやらかしたじゃないと説明がつかんもんなあ >>381
はんかい(黄海道)の府中(海州)に御座候、また朝鮮人数千人指折り(中略)
はんせん(白川)と申城、隆景御請取の古都がせんほう(開城)と申処へ御座候処を、御替被成
黒田長政記(作者は長政の重臣黒田一成)
黒田の海州の戦いがおこったのは9月、隆景が9月に開城に城替したと明言してるね。 よっしゃ、言うだけ言った
義理は果たした
さ、徳川につこ
秀吉が大名にしてあげた子飼いにことごとく離反されるのに
信長公は死して万民が安心する英雄じゃったは皮肉すぎる
まあ拾の未来を他ならぬ秀吉が投げ捨てたわけだしそれで他人に裏切るなは虫が良すぎる気もする
秀吉も信長から受けた恩があるのに織田家切り捨てたし因果は回る。
秀吉個人から豊臣家への忠誠先を変えるのに失敗してるんだよな
まあ秀吉自身も織田家というより信長への忠誠だったっぽいしな。
信忠生きてたら織田家安泰で織田家への忠誠になってたかな?
羽柴藤吉郎ならこいつら治部には従わんやろなぁと見越した上で話できたんだろなきっと
時系列的には前回より今回の方が前なんだろうな
治部〜って言うようになった時は本当にぼけちまってる感じだし
>>398
秀次事件に慶長の役
マジで秀吉いなくなって安心してる大名多そう 酔ったフリして、ゴンなりに戒告して忠誠心を示したのか。最後のご奉公なんかね
酔いつぶれたふりのゴンにいい夢見せてやるからなと語りかける秀吉は藤吉郎様時代と変わらないんだけど
もう戦国の夢を追っているのは秀吉だけでゴンはそこから覚めてるのが決定的に変わってしまっていて悲しい
久しぶりに市松出たけど気を置かずに話せそうな関係性ではあったな
まあすっかり見下されてる感じではあるが
登城したゴンさんが元服した虎之助市松と再会するエピソードがあったけど、その時点でやや見下し気味だったよ
>>398
信忠本人にくわえて信長の側近がまとめて死んだのも痛い。
今風に言うと総理や大統領と官邸スタッフがまとめて全滅したようなもの >>347
治部なら暗記するほど読んでてもおかしくはない 全盛期の秀吉なら
ゴンが酔ったフリして本音を言ったのは察しただろうな・・・・
今回の花見の一枚絵から見るに次次刊表紙予定のヨボヨボ秀吉は橋に並ぶ女人達の視点から見た秀吉か
もし福島どんが酩酊してたらどうなってんだろ
石佐の罵詈雑言を吐いて秀吉ブチ切れさせてたのかな
秀長も淀に家臣や家族の事考えたら諫言する自信ないとか言ってたしゴンは頑張ったほうか
ゴン・福島の前での秀吉の顔は通常だったが
花見のシーンは、すっかりおじいちゃん顔だったなあ
やっぱり政権を長続きさせるにはある程度の血統が不可欠だよな
織田家はそんな状態でも血筋についてきてくれる人がいたから家自体はしっかりと生き残れたし
立場の関係もあるけど福島確かに態度でかくなったな。昔はゴンさんを慕ってたのに。蹴りで部屋から追い出したのは笑ったw
権兵衛が淡路から戻ってきた時にすでに若干見下してた
冒頭の母里太兵衛の話、ルビが「ぼり」だったけど当時はぼりとも呼ばれてたのかね?
>>419
蹴り出した事でお互いに罰を食らわなくて済む処置だろ >>421
ぼったくり→ぼり
っていうジョークかと思った 三成はやく秀吉死んでくれという雰囲気露骨すぎやろw
>>413
それな。察する能力こそが秀吉の真価なのにそれを失ったらもう……
あと最後の介護士さんの顔が死んどる >>425
介護でヘトヘトになった人間なら当たり前だぞ。
秀吉の最後は実は介護に絶望した佐吉が殺してたってオチでも驚かん 無印の頃から秀吉おっかけてる身としてはいやーキツいっす
竹中半兵衛が亡くなってボロ泣きしてたあの頃の藤吉郎さんはもう帰って来ないんだ
仙石と福島正則ってかつては兄弟みたいだったのに
なんで同僚みたいになってるの?
>>415
福島の酒乱はゴンベが言うようにシャレにならないし笑えない奴だからさすがにつまみ出されて終わるんじゃないかな
有能だが酒癖が最悪なのは後年の黒田清隆に似てる 藤吉郎さんが死んでしまう悲しい。
初期から準主役って感じで誌面で活躍してたからこんな姿見たくなかった。
>>433
酒乱って言うのは酒の席で皇帝をぶん殴るとか、面白半分に囚人を鋸挽きで殺すとかそれを諌めたオカンを「ババア嫁に出すぞ」と罵るとか兄嫁を公開レイプするとか殺した寵姫の骨で琵琶を作って演奏するとかではないだろうか 三成こそ秀吉の息子なら全て丸く収まってたんだろうなぁ
秀吉、捨より三成のことのほうが寵愛してるだろ
これでゴンベと秀吉の関係を描くのもラストか
前回のエピソードよりは印象弱いなー
隣に市松居たからかね
三成はなんでもワガママ聞いてくれるってだけだしダメでしょ
自分に意見できない体制作って都合の悪い人間遠ざけた結果残ってるだけだよ
なるほど、泥酔した振りして諫言した訳か
エモいわあ
昔なら本陣に無理やり乗り込んで「藤吉郎さま!おかしいですぜ!」「わかったわかった落ち着け」みたいな直球談判だったのに
今や酔ったフリしても危険な賭けになるというのは時の流れを感じて辛いな
…致し方なきこと
誰のせいでもなくただ時を経てかつて頭は人の機微を見抜き心は人を魅了したかの木綿藤吉は老いたのです
>>437
受け答えでゴンベがマジかって汗流してたのに福島は真顔無言だったしやるだろうね 石高では抜いたとはいえ、歳上でガキの頃から兄貴分で戦歴も上だった権兵衛に対して、福島の態度は不快だな
七光りのくせに
現代のサラリーマンでも見かける光景だけどさ・・・
>>333
へうげものたと石田のおふざけみたいな扱いでいいシーンだったわ 秀吉も本気で三成と武断派を仲良くさせたいなら、和解の一席でも設けてやれよ
昔は地獄の作法とかやって部隊の団結を強めてたのに
ああ、ツッコミまちな感じか。
なるほど、柿は健康に悪いですもんね〜、長生きしたいですよねー。っておまえ、いまから俺に首切られるやないか〜い。
韓非子の言葉によると管仲は有能だが主君に考えさせることなく案だけ授け
結局は桓公が悲惨な末路を辿ったわけだから忠臣ではないと
三成も主君の言うことを聞いてるだけで忠臣とは言えないってことかな
奸臣というわけではないが
>>451
駄目になった先輩が後輩からコケにされるとか体育会系やヤンキーの世界あるあるやん
文化系の方が年功序列とかの拘り強くね ゴンですらモノ申すに酔っ払ったフリをしないと身の危険を感じるとか寂しいなぁ
>>456
死ぬことと見つけたり
主君に諫言を続けて死を賜るのが忠臣 子飼いのお前らだけが頼りやで
🥺
治部たちの言うことちゃんと聞くんやで
🤨
>>459
あれ隆慶作品じゃ珍しくいくさ人が迷惑行為を繰り返すだけの存在として書かれてるのが草 舞台が島原の乱終わり頃からの幕藩体制が固まりだした時期だから
いつでも死ねる戦闘要員としてしか生きられないいくさ人は平時では無駄飯食らいのロクデナシだとも描かれてるんだよな
正則どんのアレはむしろゴンベを気遣ってのことでしょ
斬りますかは秀吉には衝動的に斬らせないってことだし、蹴り出さなきゃそれこそ命が危なかった
>>451
石高では上だが一応豊臣一門と期待の若手としての分込みだし戦歴という点では天下一統がなった以上上回れないんで石高マウントとるしかないんや >>451
末路がね…そりゃそうよとしか思わんよね市松 >>465
歴戦の勇者の古強者にマウントとられたのが堪えたんかもな ただ市松あっちが軽口言ったから同じ調子で返してただけで
とんでもないこと言ったら先にめちゃくちゃ怒ってフォローしてるぞ
福島が同じ調子で酒乱したらゴンベだと立場が差があって庇えないけど、ゴンベが酒乱して福島が5万石の木っ端が品がなくてサーセンするのは笑い話になるからな
お別れが唐突で雑
ゴンさんが何を諫言したかったのか読者にすらわからないじゃん
何の心の葛藤もなく「届かん…」いわれても
今回より、今までのが分からんよ
北条攻めの功労くらいまではそれなりに秀吉との関係あったのに急に疎遠になった
しいていえば、神子田・尾藤あたりからかな?
尾藤の時は直接問いただしてゴンベも納得してたでしょ 身共さんが汗ダラダラだったけど
決定的なのは秀次事件だよ あそこでお藤さんもああなるかもと塚の前で思って
そこから距離置くようになった
文禄の役は近習もやってるし五右衛門捕まえたりしてた頃はまだ繋がりあった
能力的に使い所がないから疎遠というか呼ばれなくなったというかじゃない?
内政は出来ないし大軍任せられないし身辺警護とか馬廻りにしか使いようがない
個人的には信頼してるんだろうけど自分が先頭に立つことがなくなったら雑用させるぐらいしかないし
秀吉の世話係断った所も
なんか遠くなった感すごかった
尾藤さんの泣き芸で、あれ?
秀次さんの笑い芸で、あれ?あれ?で
殿下のお側仕えお断りになるんだろうけど
今回の話に至るゴンベエの心理は、もう少し丁寧に描いて欲しかった
本当にお互いが衝突したら処断されるだろうけど
どうせ創作なんだから、もっとキッチリとした別れが見たかったよ
そうだよ
秀吉が呼ばなくなっただけだけど何故か権兵衛から離れようとしてると思ってる人がいるだけ
これ以上は権兵衛の立場ではどうしようもない
権兵衛は強い武将と戦うために生きていたけど
丸くなって近縁者の為に生きていく事にしたからね
今更秀吉や乱世に未練はないでしょ
豊臣氏をずっと存続させたいな、みんなに惜しまれる英雄として死にたいな
こういう欲の為に人の苦労を顧みない秀吉は異常者
>>482
世のため人のために自分はこれだけ努力したんだから、これくらいは許されるって思いがあるのかもな
人からしたら、お前が好きでやった努力だろうって事だがw >>477
積み重ねで徐々に心が離れていくさまを
何巻にも渡って描いてるんだが
衝撃的なイベント一つで全部ひっくり返るみたいな
単純明快なストーリー求めてるなら
暴れん坊将軍でも見てれば? ワーカホリックの老人の末路として見たらリアルではある
問題は余波で日本自体が巻き添え食らうことだが
佐吉て温いお茶→熱いお茶みたいな気遣いとおもてなしの神童みたいなエピソードあるのにどうしてこうなった
>>490
>>298によると神童のおもてなしでなくひね媚びた器の小さい小物の小細工にございましてございまする >>477
書いてたけど年をまたがって忘れた頃にちょこちょこ描写があるから
ぼーっと読んでると心に残らんのかもね
自分の見立ては474と同じ
やっぱり秀次事件が引き返し不能点 >>482
いや前半はこの時代ほとんどの高位者にありえるでしょ
企業や法人っていう概念がなくて寺社と家しか組織の形態がないんだからさ
問題はそのために普通は個人の欲求とは妥協するのに個人の欲求も全開にしたとこかと >>490
>>491
お茶の温度はひょうげてる方でも三成のクソ真面目さ&茶の湯はそういうのちゃうねんを理解できない堅物エピソードで採用されてたね >>432
兄弟ならいいやん
政権内の立場なら親族である福島のほうがずっともっと上だし >>492
身内の秀次でもあれほど苛烈な粛正をやる秀吉に誰も文句言えなくなったんだろうね
秀吉にとって秀次より自分の方が大事だと言い切れる人間が居ないから
尾藤の件で覚悟を決めて諫言した権兵衛も流石に引いた >>494
まあお茶三杯は後世作ったエピなんだろうけど
茶会だって酒→白湯→濃茶→薄茶(おかわり自由)と進むから
形式だけみたら似てなくもないんだよね
茶の湯の心なしで形式だけみたらね >>496
センゴクでは描いてないけど聚楽第破却して実姉を嵯峨に追放したからな
殺してこそいないけど
あれをみたら諫言は族滅覚悟じゃないとできない >>496
そんな事やってっから関ヶ原で身内の小早川秀秋に豊臣家見捨てられたんだろうな。 この漫画の三成は言うほど堅物で偏屈感はないけど
じゃあこの人に(自分の何かを賭けて)ついていこうかと言われるとちょっとね…
信長様やかつての藤吉郎さんにはそれがあったわけで
>>501
この漫画の三成は自分で考えることをやめて秀吉の私心を全力で実現する だから
そりゃついていきたい人物として最初から造形されてないよね
どちらかというと自分というものを持たない、思考停止して危うい人 だいたい三成はどの作品でも人望ないだろ、司馬遼太郎でも空気は読めないやつだった気がした。
葵徳川三代の江守三成は付いてってもいいかなって思える人物
あと、見てないけどいま再放送中の黄金の日々の三成も結構評判良かったような
>>506
あの小者で気弱な感じがいいのよ。なんか可哀想だし助けてやりたくなる 好意的に三成を描いてるのですらこれウザくねとか知り合いに欲しくないなって思うから凄いわ
見てないが味方は美化される系の花の慶次はどんなか気になるが
三成が人望ないは同時代史料でいわれてるからそこから離れた造形は難しい
せいぜい本人は善意だけど空回りくらいの描き方になる
大河だと天地人は三成の描き方がけっこう好意的だったが
そこですら上から目線で同輩からは疎まれてる描き方だった
逸話的にも部下にするのも主君にするのもいいけど同僚や同輩にするのは難ありって感じだよな
理解ある刑部くんが必要なんですよ三成さんは
まあ人に好かれるような人間ではなかったのは容易に想像できるな、家康だって実際は碌な人間ではなかっただろうが、強固な家臣団となんか周りに信頼されてた。
>三成が人望ないは同時代史料でいわれてるからそこから離れた造形は難しい
異世界転生的なあれで朗らかな人格が憑依してくる話つくればいいのか
何度転生しても関ケ原で負けるんですけど!?をやるのか?
センゴク三成は何度目で秀次を庇える様になるかな
佐吉はなんか最近発見された手紙も正しいけど一言多いしカチンとくるんだよという内容だったから史実でもあんなだったんだろうとしか思えない
役職上どうあがいても嫌われると思うぞ
増田も七将襲撃の時のターゲットにされてるしどうしても嫌われるお役目
センゴクの三成はかなり好意的に描いてるでしょ
上から目線とか全然ないじゃん
秀吉に可愛がられてたから他の勢力から妬まれてたんだよ説でしょ
まぁ三成の能力性格的に出世した事自体が間違いなんよな
正しい立ち位置で使ってれば本人も勘違いする事なく幸せな人生送れただろうに豊臣の人材不足が悪いよ
家康に仕えてたら幸せな生涯送れてたかな
三河武士と合わなすぎて無理か
>>517
かなり行為的には描いては有るけど家康利家にすら上から目線だし下手したら秀吉すら見下しとるぞ 人に好かれる云々は勿論性質もあるけど結局のところ文官が秀吉の威を借りて偉そうにしやがって
という大名たちの考えを覆すに至るような武威が何もなかったのが大きいわ
かつて三成が生意気な口を聞いて、周りの恨みを買いそうになった時にゴンベが横からぶん殴って収めた(?)話があったよな
あれに近いところも今回の一件はあるな
上長が処断しなきゃならない状況になる前に。
同僚からの怒りが爆発する前に。
あえて目の前で乱暴にすることで結果的に大事にならない着地点に至らせてくれたということ
役職や立ち位置的に好かれないのに上から目線で空気が読めず人に嫌われる要素を踏み抜いていくねらーの鑑みたいなやつ
>>519
三河武士からは疎まれるけどなんやかんや家康にとっては欠かせない官僚みたいになるかもな
家康は三成を買ってたわけだし
本多正信の行政官ポジションあたりか? ゴンベが順調だったら七将達の兄貴分で関ヶ原の後50万石の大大名になったのだろうか
奉行や参謀は代替わりするとき大抵悲惨な目に遭うしな
秀吉死んだ時点で隠居するくらいしかなかったんじゃない
隆慶作品の三成は大体KYだな
見知らぬ海へでも一夢庵風流記でも
???「神子田と尾藤のご両人が生きてさえおられたならば・・・」
w
もうセンゴクとしては山場の小田原征伐もやったしあとは関ヶ原の戦いと+αで大阪夏の陣まで書くんだろうか?
野心を腑に一粒だけ残してメシを食いながら今もなお耐え忍ぶ家康の姿をここまで描いてきているからな
その野心のタネが発芽して花が咲くまでの過程は描いてくれるんじゃないかと思うけどな
秀吉亡くなってお終い、じゃその視点から見るとせっかく張って残ってる伏線がそのまま残りっぱなしだし
>>525
仙石が生き残れたのってあの時点で関東圏に近い領地持ちで徳川家と誼が深くなり
なおかつ五万石程度の大きさだったのが案外良かったと思ってる
九州での失脚なかったら四国か西国で順調に領地増えていったろうから福島加藤コースじゃないかなぁ >>532
ゴンが黒田親子のように綱渡りレベルで根回し芸できますかね… >>531
関ヶ原で活躍して加増とかになってたらお取りつぶしもあり得たかもな
ほんと綱渡り上手いわ 蜂須賀で17万・黒田で12万(実高17万)・一柳(2万)だからな
50万は無理じゃないか
九州征伐で失敗しなければ下手すりゃ肥後か豊前当たりをあてがわれて
一揆とか起こって責任取らされてた可能性もあるところが恐ろしい
>>530
秀吉が死ぬ間際に才能発揮して野心見抜く熱い展開希望 >>410
数少ない信長側近の生き残りの堀久が秀吉のところにいたのが幸運だったのもこうなってみると尚更理解できる
内部事情を知ってて織田家内外に顔が利く
治部殿と違って人当たりも良い 市松があんなに生意気になっているとは、、、、
無印の「家族なんで」から、今回の「家族」が伏線だったら凄いなあ
辛いけど
>>527
影武者家康では左近と手話でツーカーだったり、正純にアドバイスしたりで、中々深い一面見せてたけどな >>537
寧ろそんな陳腐な事されたらクソ寒いしつまらなすぎて萎えるわ >>535
蜂須賀は家政に移行してたからどうだろう?
正勝が生きていたからそれなりに貰えたけど先代亡くなったところはだいぶ悲惨だしな >>538
信長側近で生き残れたのは
堀久、長谷川秀一(竹)武井夕庵、松井友閑くらいだもんな。
村井貞勝(吏僚)・福富秀勝(馬廻り)・野々村正成(馬廻り鉄砲隊)・猪子高就(検地役近衆)・菅屋長頼(堀と並ぶ信長側近で北陸本線の内政も担当)・下石頼重(馬廻、菅屋の補佐役も)・森成利(言うまでもなくお蘭)・高橋虎松(小姓)
内政担当してた側近が死んでるのがキツい。そら機能不全起こして権力が空白になりますわ >>534
碁友達の 浅野には・・負ける
伊達島津上杉とかはキチガイ大大名として >>525
四国高松の次は九州博多辺りだろうなあ 得るとしたら >>538
もしかしたら、堀久がさっさと逝ったのが分岐点だったのかもしれないとか思った今夜
結果的には関ヶ原の遠因だし ゴンが疑問が残るって言ったの、その通説には疑問が残るのセルフパロだろうな
丁寧に書きすぎて記憶に残らないのかな。。
心が離れる要素満載なのに。
さすがに今の秀吉はおかしいし行き過ぎてるってゴンべでもわかってるが
秀次事件で下手なこと言ったら族滅食らう危険性あるの目の当たりにしてるから
>>413で言われてるように秀吉なら察するだろう形で酔態に見せて諫言したんだが
耄碌した秀吉にはまるで通じなくてもう本当にどうしようもないと悟ったんだよな >>546
家康より10歳若いからね
秀吉の後継を支えてくれるのを期待してただろう >>548
ゴンベ目線が読者目線と同じなら、ね
ゴンベ目線端折り過ぎてて唐突感があるのよ、先週もだけど >>526
竹中 黒田 石田 本多(正) ・・(他思い付かない
石田も秀吉死んだ時点で隠居し(38歳) 佐和山からも退去し、
大坂の陣みたいなのが始まった時点で、家康を手引きすれば
ワンちゃんあったかもな
裏を返せば三成の逆転人生ってそれくらいしかないんだよなあ
大坂の陣の時点で55歳くらいだろ?
徳川250万石達に歯向かう時点で詰んでる さながら今のアルキメデスみたいにな >>535
讃岐のまま信雄改易後に尾張に入るという線もあったかもしれない
家康との縁は薄いままだしこの漫画のキャッチフレーズは戦国史上最も悩み、失敗した男になるかもだけど >>553
一々豊臣政権の政策レビューをゴンにさせるのか?
ちゃんと節目節目にゴン目線は描いてたじゃん キャッチフレーズと言えば天正記14巻の「石田佐吉三成史上最も才穎にして最も果敢なる男」が今となっては哀しいな
戸次川無しのIFゴンべは3中老の未来と全く同じになるんじゃない?
3中老は
生駒(讃岐17万石):生駒騒動で大名じゃなくなる。
堀尾(出雲24万石):子が続かなくて大名じゃなくなる。
中村(伯耆17万5千石):息子が急死で断絶。
基本このポジションは関ヶ原後も生き残る。ただし、みんな子孫のせいで改易される。
>>550
要するに無理矢理称賛させるジャイアンリサイタル 七本槍で生き残ったのが大名としてはゴンべと大差ない規模の脇坂だったり
我が子のおしめのほうが天下より大事!といった信雄も最終的には五万石くらいで落ち着いて生き残ったし
それこそ八分目で満足するのが生き残る最大の秘訣かもしれない
>>560
中村は後継が家康お気に入りの家老を讒言で誅殺してかなりマイナス評価入ったからな 最近の資料だと、福島は
家康はともかく、その粗暴で雑な性格が秀忠に嫌われ改易を喰らった感はあるし
結果的にはゴンは大勝利だったな
豊臣恩顧で取潰された大身大名ってだいたい子孫が結構やらかしてて少なくとも理由的には順当に取り潰しみたいなのも多いからな
取り潰しが多過ぎて逆に幕末まで生き残った大名数えた方が早い気がする
池田 浅野 黒田 山内 脇坂
池田とか信長のときも優遇されてたよな
>>565
むしろ本多(正)に取り潰されてなかったけ 報連相不足で 文化資本がないと大変なんだよ
ゴンベだって長男盲目だし家が続いたのはかなり綱渡り
徳川の初期は功臣であっても養子手続きのタイミング悪いと改易だし
>>568
福島はあれ勝手に直したのも駄目だけど、破却しろって手打ちを飲んだはずなのに申し訳程度にちょっと壊すとかやらかし重ねてるから処分されて当然だし
よりによって政争に破れかけてた正純に頼っちゃったのも時勢が見えてない >>567
でも初期の改易は外様集めてちゃんと説明会やるし、改易理由もきっちり残してたり、処分も家名は残すとか外部からオブザーバー大名入れるとか結構幕府は公正さを心がけてるんよ
両加藤や福島、前田等々改易理由見てみるとお遊びで謀反状偽造やら、お家騒動やら、重臣殺害やらなんやら大なり小なり処分されそうな理由のオンパレードだし、譜代もやらかしたら普通に取り潰しだからあんまり立場変わらん のぶおと秀家はなんというか武将的な面じゃダメだけど
総合的には勝ったと言える人生だと思う
信雄は取り次ぎとしては有能って描かれてたし
割りと創作系ならこの漫画の信雄は好意的な感じだよ
セニョーレスさん?知りませんねぇ…
氏真とか有楽斎みたいのが生きててちょうどいい感じだろ
結構ストレスなく色々楽しんで暮らしたんじゃないのかな秀家
親父さんのやらかした割にはなかなか性格も歪んで無いし
てかなんでアレから秀家が生まれたんだろう
すきっ歯の藤兵衛と一緒に腹8分目を長生きの秘訣として教わったエピソードというのはこの辺の展開で効いてくるように仕込んでいたってことなんだろうな
>>576
別に秀家はお家騒動起こしとるし性格いい訳では無いだろ
親父の性格が悪い意味で似なかったって感じだろ >>503
采配のゆくえっていうDSのゲームくらいかな人望あるの お人好しだからこそ起きるお家騒動というのもあるぞ。非情になれないし
>>436
誰そいつ?ヤバすぎだろ・・・
酒乱といえば黒田清隆が真っ先に思い浮かぶ
>>482
リアルだと後者の望みはかなったけどな >>553
基本コンベの出番なんてないのに出しすぎる方がおかしいやろ。 父親の所為で無駄に秀家の性格いいと思い込んどる奴おるけど
実績とか見る限り父親の方が性格がまだ良いまであると思うぞ
清正と権兵衛の絡みもみたかった
どっちかと言うと清正の方が昔はゴンさんゴンさん言ってて慕ってたし
清正も上から目線になってたら悲しいな
仙石家もお家騒動起こしてるから小大名で正解だったかもしれん
>>571
前田?なんかやらかしたっけ?
利常のこと? 福島の上から目線という意見が多いけど、オレにはお互い年齢と地位の差を意識しない家族的な付き合いに見える
>>585
この時期って小西ドンと三成とぶつかって謹慎中かな? >>546
なるほど分岐点ですか
確かに堀久と蒲生が健在だったら関ケ原でどう動いたか興味がある
センゴク世界の堀久が西軍加担するなら無理やりゴンも引き込んでそうw 作中の秀吉は記憶力とか会話、計算力とか知能的に呆けたわけではなく、精神的にボケてる感じだな
なまじ頭は働くから悪い方向に働いてる
多分朝鮮の国割案とか大名の前線配置なんかは凄い的確なのを出してきてて余計治部さんがイライラしてる
>>581
宇喜多騒動の原因は本人の浪費や朝鮮の役による財政悪化を重税による解決を計ろうとして反発、新旧家臣の対立、旧家臣に信奉者が多かった日蓮宗への弾圧とキリスト教優遇が絡み合った物だから割と秀家もやらかしてる… 関ヶ原に参戦した西軍の大名家でなんの問題も抱えてなかったのは島津くらいなもんなのか。そんな貴重な島津家を怒らせたりしなければねぇ
島津は関が原前に豊臣派の家老ぶった切ったりして内乱が起きてただろ
>>599
>関ヶ原に参戦した西軍の大名家でなんの問題も抱えてなかったのは島津くらいなもんなのか。
義久「オレは聞いてないぞ?」 >>600-601
その辺あまりよく知らないんだが島津も内部抗争があって、決定権のない義弘は関ヶ原に少数しか連れていけなかったんだね 反徳川で家中がまとまってた大大名って上杉かな?肝心の戦で最上にすら負けてたけど
雪の峠でも佐竹家の新旧内部構想をネタにしてたな
負けたら殺されるとかやな世界だw
>>590
謹慎はそもそも史実ではない可能性がある >>608
眼の前の板だか箱だかで調べろよ
大河が盛りすぎててあれはフィクションといってもさすがに害悪
番組中ずっとフィクションですってテロップだしてようやく許されるレベルで史実無視しまくってた >>599
あれは後世の創作
こんなの信じてるとはさすが漫画板 >>589
言われた通り酒はほどほどにして泥酔ゴンさん介抱してたしな
なんとも思ってない相手なら自分が真っ先に酒かっくらってるだろうし >>608
しんだ遺族に会わせろと懇願する領民の首をはねて「良かったな地獄で会えるぞ」と言ったり(ただし領民がごねたのもある)
伊達政宗に一々嫌味言ったり
中々性格悪いエピソードが多い >>589
親しき仲にもじゃないが昔は多少の敬意を持って接してたと思うんだが
そういう細かな心遣いが出来ないあたりに戦国大名ではなく所詮七光り大名だなぁと思う
治部とかもそうだけど叩き上げとの軋轢を生むでしょああいうの
糞漏らしさんはその辺の器が大きいなと改めて感じたなぁ
まぁあくまで作中描写だが 俺は歴史詳しくないからネット見てたら動画でもブログでも関ヶ原前の島津の置かれてる状況が色んな視点で考察されてて目通すと面白い
島津は内乱と検地や領国経営で揉めてるのを家康や三成に介入されて両陣営に恩できちゃってんだね
てか西軍参加した大国って三成に検地で助けてもらった大名も多いんだな毛利佐竹上杉とか。知らんかった
>>528
秀吉死んだら神子田と尾藤は真っ先に家康の元に走るだろ 豊臣政権内で家康を豊臣の敵扱いする間違った認識しとる人おるけど
秀吉死後の豊臣政権のトップが家康なんだから家康の元に行く事自体は至極真っ当な事だろ
>>615
なるほど。もしかして義弘が関ヶ原に大した数の兵を動員出来なかったのって、義久と家康が懇意だったからとか? >>620
あの時点で家康が天下を横取りすることを見抜けなかった福島加藤は阿呆 福島→仙石の態度だけど別にそれほど嫌な感じでもないけどな
そもそもどうしようもない野蛮人や粗略者の評判なのは今も昔も変わらず皆の共通常識なわけだし
相変わらずですな、くらい感覚でしょ
逆に立場や身分を無視した仙石→福島の身内感丸出しの態度に合わせてるんだから十分すぎるくらい
よく見ればガチ貶しモードに入ってるのは秀吉が戻ってきてから。
酔い潰れて切腹ものの粗相をすぐ隣で雲上人相手にやらかしてるんだから、自分が謝って制裁かまして何とか場を納めにゃならない状況
しかし史実の権兵衛さん、
信長に顔気に入られ、秀吉の子飼いで活躍し、徳川親子とは懇意で秀忠から息子に「忠」の文字もらえるって漫画より漫画な人生だよなぁ
>>626
福島正則自身が雲上人なんだよ
侍従だからね
天下人っていいたかったのかな 信長に顔気に入られ、とかこの漫画のメインソースの改選仙石家譜は子孫が適当に盛ってるだけだからほぼ嘘だよ
>>627
佐官としては優秀で上司のおぼえもよかったんだろうね
将官には向いてなかったんだろうけど
実績あってごますりも上手いとかそりゃ重用されますわ >>592
堀久が生きてたら上杉討伐が起こってないかもしれないしね
関ヶ原もなかったかも 身共さんの野心の萌芽が楽しみ過ぎるなー
いつ頃にするのやろ
ほぼ同時期に始まって、同じマイナー主人公同士のキングダムも、そのうち政が不老不死だの匈奴征伐だの言い出して、信や蒙恬を困惑させるのかな・・・
あれは中華統一してめでたしめでたしで逃げて終わると思う
>>634
光だ!
とか言って読者を困惑させてたな 原センセは信の惨敗を描けるかどうか
センゴクでもゴンベの敗走はマイルド
に描かれたしな
>>603
当時の薩摩は庄内の乱で国力ボロボロだったもんね。息子の悪久に手紙で「頼むから援軍送ってくれ」と泣きつくも無視されたり当時の義弘どんはかなりキツい立場 キングダムはまだ統一しとらんのか、こりゃ死ぬ前にキングダム終わらんだろ。
>>634
>>637
それより王翦があの面でおねだり大作戦やる方が気になるわ。
史記の記述通りならこれから、美田を買って!美田を買って!
邸宅をちょーだい!邸宅をちょーだい!
翦はこれから政くんの股肱の臣になるんだ!とか言い出すんやぞ >>637
原先生なんて史実では圧勝だろうが常に味方不利からの逆転だから余裕そうではある >>642
そもそも国力的には政くんが秦王就任の時点で本能寺直前の織田家(秦)とそれ以外(六国)くらいの国力差があるから >>589
見下してる感は無かったよな
脳筋同士のざっくばらんな付き合いって感じで そもそも福島も加藤もこの漫画で全然取り上げてないから個々人のパーソナリティが分からん
お行儀いい坊ちゃんだったりエリート官僚風だったり
賤が岳の時活躍してる絵を数枚入れればもうちょっと猛将感出たのにな
秀吉もゴンは家族扱いではあるんだよな
ゴン以外が酔っ払ってあんな醜態さらしたらしゃあねえやつだなで許さなそう
醍醐の花見での竜子姐さんと茶々のマウント合戦はスルーされたの?
マウントを取られそうな時はまず落ち着く事や。そんで相手の腕を捕まえてバランス崩してからマウント返しや
ゴンは失敗して野に降った経緯があるとはいえ
秀吉家臣の大名第一号だぜ
そこらへんって名誉や自慢にゃならんのかな?
自分から誇るのは名誉だし自慢にもなるがじゃあ何で失脚したもセットになるのがな
他人にあの人ああ見えて昔は凄かったんだぜ的な感じなら思われてるかもな
>>652
でもアンタ一度改易されとりゃあせんか?
元約20万石現五万石の仙石殿 ゴン達が合ったのが8月でそれから醍醐の花見ってかなり時が飛んだな
もうこの頃には長曽我部さんも発狂モードに入ったのかな
>>647
趙倒す以前に李牧無双で秦滅亡の危機すらまだ描かれてないから… >>657
今回カンキ首10万やったから
新展開は李牧ターンで趙逆襲じゃね 対マラドーナ戦直後の、勘弁してくださいな!!あたりから読み返すと、ゴンの秀吉に
対する気持ちの変化を結構丁寧に描写してるんだなーって思った(コナミカン)
今回で最後の対面、、、でビターエンドかなとも思うが、、、
ところがどっこいもうヒトヤマありました!ってならないかしら
太閤様が逝きみんな安堵する中、安堵の気持ち以上に涙が溢れるゴンとかはあるかも
最近話の展開早くてもう醍醐の花見行ったんか
権兵衛最後の対面はその前にあったのか
主人公なんで「ドクン ドクン」なやりとりにはならなかったか
有馬の湯くらいの緊張感あってもよかったが・・・秀吉のほうがもう老いちゃって修羅場すら作れなくなった感じかな
>>612
実は介抱してる市がゴンべの頭撫でてたよなw >>641
腸の中の糞に一粒だけ野心を隠すのかw
結局発芽せず、息子と孫は忠臣として働き、孫は項羽相手に戦死するけど お互いにもう立場も見るものこれから守りたいものも違いすぎて言葉が届かないってのは修羅場よりきつい気もする
ぶつかることすら出来ないくらい届かない存在になってしまったってことだから
ヒストリエもほぼ同期なんだからちょっとくらい連載長引いても誤差誤差
福島年下のくせに生意気ではあるけどまあまあ優しいやつだな…
正則はドラマのような荒々しさないけど馴れ馴れしい厚かましいふてぶてしい感じは垣間見える
しかしこいつが小山評定でいの一番に家康に賛同する奴かと言われると・・・まだ足りない要素ある
福島は酒が入ってなければ有能だし話も分かる人なんだ
ただ酒が入るとゴンべが言うようにシャレにならないくらい性格が悪いほうに代わるんだ
>>671
こんだけ年月かけてまだアレキサンダー大王の東征が始まってすらないので
岩明先生が人魚の肉食うか荒木先生の同類にでもならないとおそらく不可能 オリジナルエピソードでいいから高虎との再会は見てえなぁ
治部に従えと言われるだけで元からの子飼いも逃げていく
>>676
今から公式の後継者を育てておくというのはアリかもしれない
この先の流れも共有して >>584
ちょっと無駄遣いが多くて家臣の好き嫌いが激しいだけじゃん
愛妻家だし トラキチも加藤福島と一緒に治部襲撃に参加してんだよな
もう落ち着いてもええ年じゃろが
主人失って落ち着こうと思ったら引っ張り出されて向こうで苦労させられたんだし多少はね
日本号って何のことかと調べたら酒のせいで家宝を呑み取られてしまったのか…
とかく現実は、太閤秀吉死去まで、 あと3か月。
とかく現実は、太閤秀吉と権兵衛の面会は最後か。
>>688
よっぽど嫌いじゃったんだろ、特に朝鮮出兵に出陣した武将達目線だと異国の地で朝鮮軍や明軍相手に死ぬ思いで戦ったのに帰ってきてみれば後方でぬくぬくしてた石田三成が偉そうな顔で上から目線で政治を取り仕切ってるめっちゃイラッとしたと思うぞ。清正なんか満州まで行き良いよく進撃したんだぞ、他のみんなが朝鮮半島の平定に必死になってるなか何故か清正だけ女真族と戦ってたけど。 ブラタモリで言ってたな
秀吉は伏見を首都にするつもりでいたとか。その伏見の福島屋敷で槍を取られたとか
湖埋め立てたとか平地を作ったとか色々やってたんだな。大阪城のイメージが強いけど
関白の座と大坂城を貰って天下人になっても本当にただのお飾りだった秀次
尾藤処断の時は、クビと大名の地位をかけて真正面から諫言して秀吉に本心を言わせたが、
酔っ払いの戯言の体で諫言した今回は、秀吉にまともに受け取られなかった。
正面から諫言していたとしても「たぁーけ、おめぇが口出しするこっちゃねえ」で片付けられそう。
政の是非なんて政権の中枢から外れたゴンでは、戯言ですら口出しできる事ではないんだろう。
秀吉の対応も言いたいこと即座に察して正面から言わせたらまずいから昔話に反らして最後に本心吐露してくれたのと言われても単なる酔態と捉えてしゃーない奴だとため息つくのと変わってるのがな
もうゴンベ自身が言うように出来ることはないから義理は尽くしてる
あれが精一杯の諫言でそれを察しもしないところが両者の限界なんだろうな
どっちも老いたんだなあと
今の秀吉に諫言しても聞き入れてもらえないだろう
一番信頼してる佐吉の諫言すら跳ね除けてわがままを押し通した
無理に諫言して勘気蒙ったらゴンベだけでなく一族みんな粛清される可能性もあるしな
秀次事件でもう無理だと悟っただろう
それでも恩があるから出来る限り諫言しようとしたのが今回結局藤吉郎様には
届かなかった
質問なんやけど
24巻の鶉どんなる男の水死体が上がったのって茶々絡みなんかな?
独裁者の謎の俺はいい奴だからな
どっこいどっこいが精一杯とか
秀次事件を見る限り信長より酷いよな
ありゃ種とって処理したんでしょ
その後拾(秀頼)懐妊とそれに塩対応した秀吉の記述が出てちゃんと始末つけたか秀吉が確認していたじゃん
巷説のイケメン大野治長説は取らなかったな
そういやあいつ関ヶ原で東軍、それも家康軍本隊にに参加してたんやな
>>705
だよねぇ
鶉どん(`;ω;´)ブワッ 関ヶ原こそ最近やらない「通説には疑問が残る」ばかりだけどやるかな
三成襲撃→強訴
石田は反徳川→親徳川
関ヶ原の首謀者は石田→宇喜田と毛利
岐阜城陥落は前哨戦→西軍戦線崩壊
午前は西軍優勢→東軍の圧勝で数時間で終了
小早川の土壇場での寝返り→数日前から東軍
問鉄砲→虚構
今回、粗相をしたゴンを斬ろうとしたのは福島だったが、尾藤の時は身共だったんだよな。
冷や汗タラタラで心の中でウダウダ悩んで、お家芸のドクンドクンしていた。
ドクンドクンさせる相手も大納言から七本槍になって、何というか終わった感が悲しいな。
日本号と言えば後世の逸話だが
母里は日本号を朝鮮に持ち込んでおり
母里が窮地に陥ったときに
後藤又兵衛が日本号を借りて戦い母里を救ったとか
又兵衛はクロカンが幽閉されてた時期に権兵衛の家臣してた人物
小早川が初めっから東軍なら、家康が問鉄砲替わりに撃ち込んだとされる大砲の弾は西軍が撃ったってことになるのか
小早川の鉄砲はその時の状況含めて物語としては面白い
けど実際やるかとなるといやいやとしか思えなかったな
>>711
問鉄砲自体が創作か単なる合図程度の可能性が >>708
「通説には疑問が残る」って最近どころか最後にやったの相当昔じゃない?
もう作者の立場が違うからやらんと思うな
かつて無印の頃歴史研究家との対談で
研究家「仙石家譜なんて大した信憑性もないんだからあなたの好きなように描きなさいよ」
ヤング宮下先生「はい!そのつもりです!」
って言ってたけど今や仙石家譜を忠実になぞってるしあえて冒険はしないと思う >>694
後世へ語り継がれるほど有名だったのね
人の手に渡ったりしていたとはいえ子孫代々が大事に手入れしていたのがよくわかる
大正7年に安川男爵が1万円で買い取ったとあるけど今の貨幣価値だと約4000万円相当だとか その通説には疑問が残るは昔はこの漫画の代名詞だったが使わんくなったよな
代わりにドクン…ドクンは多様してる
まあざわ…ざわ…みたいなもんだが
流れが通説と大して変わらんから出番が減ってるんだろ
何でも通説に逆らえばいいってもんじゃないし
今の秀吉は見るに堪えないなって思うけど家康も豊臣滅ぼしたのは死ぬ前に最後の大戦をやりたくなったってだけなのかもしれんし戦国時代を生き抜いてトップになった人は誰でもこうなのかもしれんなとも思ったりする
今のセンゴクは通説に逆らうよりそのまんま乗っかって紙芝居展開しつつ
要所要所で作者のやりたい人情話やってるって感じだな
>>720
戦国武将の性としてはっきり分かる形で天下人として認めさせたいのかもね。
法度では諸大名は抑えられない、力を誇示して諸大名を抑える。 五右衛門のキャラ背景はオリジナリティあって良かったと思うけどあっさりしすぎではあったかな
>>704
信長はケジメで皆殺しするけど、秀吉は打算で出来ちゃう怖さはある。
殺した数や刑の残忍さで酷い云々はどちらも変わんねーよ。 >>718
戦場で俯瞰からのゴゴゴゴも多かった記憶 >>724
刑の残忍さが基準ならゴンベだってゴエモンを釜茹でしてるから
ゴンベもそこを論点つうか真心にはしないだろ
あえてDD論で精一杯つってんだから
その先の真心を問いかけんじゃないの? むしろこの時期の国内情勢は異論を挟む余地がないくらい通説が固まってるだけなんじゃね
>>719
この時期通説に逆らってもそんな面白くなりそうじゃないしな >>696
昨日再放送したのを寝ながらみてたのか?
秀吉がやったのは巨椋池の東端に堤を気づいたまでで池の埋めたては昭和の事業だぞ 秀次は自殺でそれを糊塗するために切腹仰せ付けたことにするが
最近最大の通説否定じゃないか
十分だろ
>>724
信長って秀吉も指摘してたけどどっか甘いところがある
徹底的に皆殺しとかは秀吉の路線 史実では一番最初に敗走したゴンベを
漫画では一番最後に残すために相当中身をいじくった戸次川でも
その通説には疑問が残るを使わなかったしあれはもう封印でしょう
>>732
秀吉はサダムフセインとかカダフィ大佐達現代的な独裁者と変わらんイメージだわ。 元々センゴクって「リアルっぽく見える」だけでそんなに史実とか最新の考証とか追求した漫画じゃないぞ
>>734
秀次粛清後は制度的な権限が集中してるのもヤベー感じに拍車かけてるんだと思う。
秀次生きてた時は公家のトップが秀次で武家のトップが秀吉。
国内向けは秀次で軍事と外交は秀吉と棲み分けしてバランス採ってたけど >>735
あくまで歴史漫画だしな、最新の学説を読む為の論文だとかじゃなくて物語だし。学術的な資料は参考にしつつも面白い方に描いてくれればわしは満足。どんな歴史小説や漫画やドラマとフィクションのない作品はないしな。よく有名な歴史小説家の作品でも事実と違うみたいな批判する人いるけどありゃ小説だしな、そら面白かったり、自分の考えを表現するのが作品や。 >>735
ヤンマガ版キングダムと思って観た方が楽だわな 今回、主人公の口から「疑問が残りまさぁ」って言わせたのはセルフオマージュだな
>>736
やっぱどう考えても豊臣政権は秀次を粛正して詰んじまったんだよな。あれじゃ秀吉が死んだ後政権が弱体化するのは必須で五大老のうち誰かが立ち回り次第で天下をとるのは時間の問題だった。 >>733
作中でも九州から真っ先に撤退して史実通りだったろ
歴史書とはいえ戦場の中まで正確に残してるわけ無いし 王欣太の濃いすぎる味付けも漫画ならではだよな
逆にかわいい絵柄の信長の忍でも史実要素多いし
>>740
学者さんの間でも豊臣政権は秀次粛清が致命傷になり文禄・慶長の役でトドメを刺したってのが通説だね。 秀次事件起こさずに朝鮮出兵せず、五大老の国力をどうにかして削っとけば安定政権になったじゃろ。もしくはワンチャンねらって大陸侵攻を本格化して明を落としてれば変わってたかもな。
>>713
松尾山登ってみれば一番よくわかるな
あそこに麓から撃ちかけてもまず届かないし
麓の兵士なんか米粒以下の大きさだから撃ちかけられても気付けそうにない まず明は成立時に前王朝である元朝への配慮として元の太祖であるフビライを中華の偉大な指導者として認めてるっていう歴史的な背景があって
そのフビライですら達成出来ず永楽帝くらいしか成功できなかった冊封を受け入れさせたってのは
貿易の利益もあるが明側の面目考えても十分に立つ落としどころだったんよ
この漫画だとそれを面白くねえ!で蹴ってるわけだから秀次が言う勉強しとけって言葉は割と真実ではある
秀次と朝鮮が無けりゃ「豊臣家」が見限られることもなかったな
利休の排除もまあまあ…仕方ないかくらいに収まるだろうし
問題は石高が多い大名が多いんだよね
江戸時代の大大名が40から60万石くらいだったけど
豊臣政権下だと100万ごえが4家もあるし
もう少し細かく封建すべきだったかもな
>>749
そう考えると家康は幕府開いてから相当うまくやったんだな、関ヶ原のあとも不穏分子になりそうな勢力は個別に取り潰していって、家臣団を重用してそれぞれ大名していく、最後には政権の仇になりそうな豊臣家を潰しておく。秀吉も朝鮮出兵より徳川なり、毛利なり100万石超えて将来敵になりそうな勢力を潰すしかなかったんじゃないか 冊封後に余生を内政に当ててたら自分が言うように惜しまれて死ねただろうな
本来人殺しは嫌いで筆をなめなめ金を回すのが好きだったはずなのに
無駄な戦仕掛けて成果も出せずに死んだらそりゃみんなホッとするわ
>>750
江戸幕府の礎を築いたのは上杉と三成(毛利)だな 正直関白トップの政権という時点で安定的に長続きはしなさそうって感じる
今週さりげなく秀吉が「こやつも昨年末に正妻を…」って言ってたけど
もう側室もらってるほのめかしかね
もうすぐゴンベの物語が完結ならわざわざ新しい嫁さん描く必要もないしね
>>740
毛利がバカすぎた西軍が負けたら東軍の恩賞はどこから出るのか少し考えたら分かるはず宇喜多は頑張ったほう >>732
やっぱり貴族と農民出身の違いかな
なんだかんだ同じ階層に甘いが下には厳しい信長
おのれの立場を揺るがすものは族滅の秀吉 関ヶ原の頃から家康は旗本が戦うのを出し渋ってたから上杉が下野に進出してたら東軍諸将が再び上杉征伐に戻った可能性あった
幕末に旗本が使い物にならかった要因は家康にあり
最上の飛び地の攻略すら苦労したのに関東進出なんて出来るわけが無い
家康が対上杉に実戦経験のある結城秀康を残してるし伊達も居るから
そもそも天下分け目の戦いなのに最上攻める必要ない直江に北は任せて3万の軍勢で南下しないと
>>763
そうすると秀忠が反転して秀康と伊達と一緒に上杉を撃つだけ 関ヶ原みたいに半日で戦いが終わるのは稀で東西でぐちゃぐちゃになるだけ
>>764
少なくとも家康の足も止まって西軍の準備時間が増えたかな
田辺城攻略した軍も呼び戻せたかも >>740
親秀次の有力大名がこぞって東軍ついたからな
ついでにこいつらも粛正しておけば >>766
家康が江戸からなかなか出ないのは上杉の動向を見極めるためでもあるから 家康は信玄の三河進行のトラウマなのか領国に攻められるの極端に嫌っていたので上杉が下野に進行する素振りでも見せたら小山はおろか宇都宮まで行って動けなかったろうな
>>771
今は、車がかりは西欧の三兵戦術に近かったのではって言われてるんだっけ? >>770
ヤンマガは読んでたけどこれ読み始めたの桶狭間戦記あたりからなんだわ >>622
なんかほっこりした
ありがとう!
清正とゴンのやり取りも見たいな >>770
キングダムリスペクトしてたら未だに長篠あたりでわちゃわちゃしてたろうな たしかに石田は周りから見たら天下人にゴマ擦りしてる奴にしかみえんわな
そんな奴の言う事聞け言われたらみんなムカつくわ
>>733
ていうか、ゴンべが真っ先に壊走は長宗我部の記録な。
フロイスは土佐勢(先陣の信親)が一瞬で潰されたと書いてる。
長宗我部の記録は当然だけどゴンべへの憎しみに満ちてるからなぁ。陣形的にもゴンべが突出して真っ先に叩かれるとかありえんと思うし。
漫画で引用してた資料でも、大勢が決まった後で仙石や元親も頑張ろうとしたけど無駄だったとかあったじゃん。
あと、ゴンべが一番に河渡って退却もある意味当然だとは思う。ゴンべと元親が退却しなきゃゴンべに蓋されてみんな退却出来ないし。
讃岐ご帰宅はもちろん救いないと思うよ。 >778
島津側の史料では本庄主税隊の一撃で仙石隊が一番に潰されて敗走し
後方にいた大友隊と混ざり混乱したところを家久がまとめて殲滅したとあるよ
あと合戦時地元の農民が山に避難して観戦し合戦詳細を後に豊後に入部した稲葉氏に報告してる
その記録でも仙石氏がまず崩れてそれに続いて諸隊も退いたが
信親ともう一人の大将(恐らく石谷頼辰)が率いる部隊が戻って来て戦い討死したとある
漫画は主人公に花持たせなきゃならんか配置その他をいじるのは当然
神降りのましらジャンプ斬りはキングダムに通じるものがある
キングダム世界では相手の本陣に武神を派遣すれば戦が終わるからな
知力が高いとワープも使えるし
>>723
千鳥の香炉の扱いは、座布団10枚あげたい程上手かった。 って言うかこのマンガの戸次川はセニョールは途中で猿空間に消えるし家久はグルグル回り出すし
予備知識なかったらとんでもないカオスだよね
あそこだけ雰囲気変だわ
キングダムなら戦のたびに敵武将と一騎打ちして権兵衛の活躍で勝利を重ねるが引田や戸次川は元親や家久に一騎打ちで負けたかワープされたのが敗因で負ける
あやつか
サイキックソルジャー家久はヤバイよ
勝てねーよ
戸次川でヤバイ島津描いたんだから関ヶ原のヤバイ島津も期待したい
とかく現実は、連載はあと、単行本1巻分。外伝はありやなしや。
>>784
キングダムなら家久が我武神なりと言って槍を振り回して上方兵を豆腐のように斬りまくった >>786
センゴクでも島津って仲良し4兄弟だけど叔父甥兄弟息子で内輪もめしてる仁義なき戦いin九州みたいなのが島津 でも結局人数比がだいぶあったからね
家久3000しかなくて仙石長宗我部十河に勝てたか?っていうと微妙じゃね
>>789
センゴクの島津は中央(三英傑とその周辺)からみた島津だから内情はいいのです とかく現実は、とかく、最も彼らしい姿がこれなのだ。
他家から見れば関ヶ原の島津もあたおかレベルでヤバい集団だもんな
あの時代にホワイトな職場なんて無かっただろうけど島津家で働くのは嫌すぎる
もし働くなら石田家とか明智家とか秀長さん家がいいなぁ
>>394
福島があそこで無言の間挟んでから同意してるのがあんたもそうなんだよと内心で感じているように見えた 自己の権力優先で生前の体制化を阻んでおいて死後に実現させようという図々しさ
>>779
作中では仙石本人は最後の方までいたけど部隊はバラバラで後で合流したんじゃなかったっけ
猪武者の如く釣り部隊を追ってた気がする >>795
あまり争いに関わらず滅亡しない家が職場最強…と思ったがそんな家無かった >>797
ゴンベがノブもアンタもどっこいどっこいだと諫言して市松さん慌ててるけど、まあ内心は同じだわな。これも関ヶ原の伏線になるんだろうか。 神降りじゃあとかやってたのに後続の秀長隊に普通に潰されてたのは草
>>804
作中の秀長視点の評価だと元親の方が上だよね >>804
根白坂の戦いちゃんとやれば紀州征伐三人組のそれぞれの明暗出せてマンガ的にもすごく美味しいのに
作者も戸次川でやられたのかなんかやり投げ感漂うまとめ方だったな >>796
山下乙
まあ下手な戦国大名よりおいしい生活であることは認める
息子は私婚の咎で改易されちゃったけど 尾藤「俺はセンゴクのように誘われははせんぞ!現状維持だ」
キングダムはFE世界みたいなもんだから、ワープの杖を使えたり1ターンで2回馬で移動できるんでしょ
ゴンベも讃岐に一気にワープしてたしキングダムには負けないぞい!
秀吉あっての奉行衆でしかないから
戦国大名をやってきた連中からすれば
独裁者が死去して、体制空白時に
そもそも従う理由がない
半兵衛様は知略だけでなく武力も誰より優れているのだ!
ドドン!
>>815
要するに毛沢東にとっての四人組みたいな物だから 槍働きでのし上がった者からすれば戦の弱い奴には従いたくないってのはあるんじゃないかなー?
奉行衆の事情ある程度は理解してるゴンベでさえ依頼断わったくらいだしましてや唐入りで地獄見てる連中からしたら従う理由まったくないだろ
三成のピークは秀吉の中国攻めの頃だったな。奇しくも秀吉が戦国武将として最も輝いていた時。
ゴンやクロカンに突っ込まれながら、頭ガリガリして鳥取城の飯炊きの煙の高さを測っていた時が
最も才気溢れていた。
家康が会津に行ったら即挙兵して敗北だしな
自業自得といえば自業自得
>>820
個人的に大返しの計画の時に兵站を三日、いえ一日でやりますって言った時が頼もしくて好き 一統記の秀吉軍団ホントにみんなカッコよかったよな
なぜこうなった
調停工作の時も堺の商人説得する時もよくやってたしな
どっちも現場からは見えない部分だけど
そら天正記〜一統記の秀吉軍団って徹底的に漂白されたヒーローとその仲間やし
真田丸の秀長のセリフで豊臣家についてみんな心が地位に追いつかなくて苦労してるみたいなセリフがあったが
この漫画でも似合うなあと今になってしみじみ思う
そして生き残ってるゴンベや身共は立場は違えど自分の居場所と心の折り合いをなんとかつけられてるんだよな
>>821
でもあのタイミングでしか挙兵の機会がないんだよな
傍観して上杉潰されたり屈服しちゃったらもう関東に行く用事がなくなるし
仮にその後なにかの理由で毛利征伐になったたとしても東国連中がが味方になるか当てにならないし
最悪戦で勝てなくても徳川勢力を全部上方から追っ払って関東に押し込めるにはあの時しかないと思う とかく現実は、次週、掲載。(11月1日発売) 第231話 真心の芽。第27巻第1話収録分。
>>831
失敗したのは単純に絶好のタイミングでも勝てる実力が三成には無かった
ただそれだけの話だな 第2次上田合戦で人質になるゴンベ
秀忠と仲良くするゴンベ
まだまだ見たいよ
佐吉はTERUに「さあ治部!ボクと契約して家康を倒そうよ!」って煽られて負けそうになったら「お別れだね。ボクはまたボクとのけど契約を探している大名を探しに行かないと。短い間だったけど楽しかったよ。さようなら治部」って扱いをされた被害者やぞ。
非難されるべきは愛されマスコットをぎ装しながら外道行為を繰り返すTERU
(その後も大坂の陣に配下を潜り込ませて都合が悪くなると一家皆殺し)
三成の葛藤やら絶望やらをここまで丁寧に描いたんだから
その溜め込んだ物を爆発させる関ケ原は外伝でもいいのでしっかり描いて欲しい
>>834 大賛成
主人公ゴンの描き方が魅力的だったのも、センゴクシリーズ大ヒットした一因
彼の生涯を最後まで完走させて欲しい
今更外伝で他の主人公になるよりも、全てゴン視点でやればいいじゃないか >>835
むしろ信用9割でしょ
他人の兵を預けてもらわないと成立しない軍略
秀吉の幕僚として命令してたときと立場が違う 国力は関係ない
佐吉に大将としての実績はもちろん武将としての実績もないから誰も信用しない
>>836
でも輝元の野望もだいぶ知られるようになったんじゃない ?
昭和の頃には三成に担ぎ出された世間知らずのボンボン
みたいな扱いだったけど、今は関ヶ原の裏で西国で領土
拡張に乗り出していたってのも知られるようになったし >>842
そもそも最近の研究じゃ濃尾方面の指揮を担当してただけで総大将みたいな地位ではなかった結果として専任者だから総大将的なポジションにスライド 謀略と生き残り保険かける二刀流は祖父元就からの毛利御家芸みたいなもんだ
祖父やら叔父達と違うのは輝元の場合やることなすこと粗が目立ちすぎ
野心はイッチョマエで活動的なくせ思慮も胆力も足りないし工作具合が粗雑ですぐバレる。無能な働き者とは彼のことだろう
>>845
佐吉のポジは大将というか軍監じゃないかな
だから関ヶ原があんな形になった 小早川のオジキがもうちょい長生きしてれば変わってたかもな
無理矢理東軍が悪役扱いされつつ三成がスケープゴートになってるのは長州閥の思惑が結構あるんだろうな
どの武将も馬と人力しか無い時代によくあんなに移動出来たよな
中沢部長と並んで理想の上司だった藤吉郎さまがすっかり変わってしまって哀しいなぁ・・・
関ヶ原の総大将は浮田だろ
国力(兵力)、一門衆、大老と、佐吉とは比較にならない
佐吉君は単なる責任逃れに使われただけ
他の奉行衆と違い隠居させられてたのに出張ってきてる状態だから主犯の一人であることは疑いの余地なくね?
>>853
訂正
関ヶ原の総大将は→関ヶ原方面の総大将は
全体としては毛利と宇喜多だろう >>850
光成准治先生も指摘してたなぁ
「アホボン扱いの輝元公の名誉回復や!」→「やらかすだけやらかしてあとは投げっぱなし……これならアボン扱いでエエわ。それでも都合悪ければ石田と安国寺のせいにすりゃええ!」
資料調べたら結局この結論に 西軍勢力を形成して全体を手繰ってたのは普通に三成だろ
テルの手先として動いてたってのは語弊がある
三成がそれだけ重要な役割を担ってたら関ヶ原の西軍がああなってない
天下分け目の合戦といいつつ最初から勝負は決まっていた関ヶ原は茶番
やっぱり勝負の行方がわからない応仁の乱よ
毛利が奉行衆が組んで徳川を追い落とすって形じゃないかな
その割にはノリノリで家康そっちのけで四国とか攻めまくって領土拡大狙ってたのは上杉同様アホとしか言いようがないが
戦後の削られ具合から見ても毛利主犯と見てたのは間違いないだろ
東軍にしても西軍にしても西軍が超糞雑魚だとは思って無くて長期戦になると思ってたんだろうね
信長包囲網みたいなもので総大将なんかいないから各個撃破で終わり
旧政権の重要人物でヘイト買いまくってたから生贄にちょうど良かったんだよ
>>725
長篠の戦いの時の背景のパーン連打はなんか笑ってしまった >>859
最初からってことはないでしょ
池田たちが逆切れして起こした岐阜城攻めの成功
上杉南下の可能性がなくなり家康フリーに
と言う好条件重ならなかったらどーなるかわからな
かったんじゃないかなぁ >>859
家康からしたら譜代主力を全部秀忠に預けた挙句遅延されたから結構焦ってたと思うぞ
関ヶ原に出た譜代大名格は井伊と松平忠吉だけ
このせいで結果として豊臣系大名の石高を増やすことになったわけだから 恩賞関係なしに加増転封したと思うぞ。秀吉が家康への置き石として関東から京につながる東海中部の要所に恩顧大名並べたから、穏便に立ち退いてもらう必要があったし
>>866
家康は外様大名を疲弊させ旗本の主力を温存していた
それが幕末での旗本の不甲斐なさにつながる 家康は焦ったんだろう
秀忠が出発した直後に岐阜城陥落した知らせが届いて前田利長も南下を再開したから
下手すると徳川家抜きで西軍の主力に勝ってしまう可能性もあるから慌てて自分の到着を待てという指示を出した
とにかく西軍の崩壊っぷりが敵味方の誰にとっても想定外で
黒田如水としてはあと1か月は続いてほしかった天下分け目の戦。関ヶ原の戦いだけで戦が終わるとは思ってなかった人も少なくないんじゃ、長期化すれば西軍も流石に毛利が本腰を入れるだろうし、そうすりゃもっと長期化する。
このスレってやたらと関ヶ原の話したがるけど漫画板だけあってレベルが低すぎる
>>860
え?毛利って何もしてないようで四国に攻め込んでたの? いうて開戦前から吉川小早川抱き込んでたんならそこまで想定外かな
西軍からはその事情はみえないが
>>877
四国どころか九州にも攻め込んでるぞ
阿波では徳島城を占拠して蜂須賀勢を関ヶ原へ参戦させようと図った(行軍中に戦闘終結)
まじで広家がいなかったら改易切腹もんだわ >>878
無理矢理西軍に組み込まれた奴等も戦局がある程度良化しないと豊臣方に復帰出来ないし
西軍の脆さは常識で想定出来るレベルを遥かに超えてたんだろうよ >>881
…何たる…何たる卑怯者…
玄以さん本能寺の変でも生き残ってるし関ヶ原でも徳川弾劾状まで連名してるくせ世渡り上手よね(´・ω・`) >>878
開戦前に両川と本家(TERU)も家康に降伏してたんやぞ >>883
西軍についた奴等は西軍の卑怯な作戦で状況的に仕方なく付いた奴等が多数だし
本気で西軍に付いて無い限りはまぁ卑怯とは言えないでしょ 人質とるのはともかくその取り方がおそまつだからなあ
>>886
状況的にっていうその状況作ったのが増田や玄以なんじゃ… つーか家康は関ヶ原の兵力どう賄うんだろ?
関東統治したばかりで銭をごっそり用意できんのじゃね?
完全な敵味方じゃなくて政権内部の抗争という感覚でいたなら
お家を裏切る云々ではなくどちらを支持するか、という意識が強くて
鞍替えに対する罪悪感的なものが薄かったというのはあるのでは
>>881
増田はなぜ内通したくせに普通に改易されてるのか 本能寺生き残ったのは世渡りとはまた別な気がするが
有楽斎みたいに当時ですらドン引きされる逃げ方したわけでもなし
>>891
玄以は出陣もしなかったようだからその差かな?
増田は本人か少なくとも手勢は伏見攻めたみたいだし >>889
豊臣蔵入地があるじゃろ、それを戦後処理でチョロまかせばへーきへーき >>889
秀次事件に巻き込まれた大名に金貸してたから金欠はとっくに解決したんだろう >>889
家康が引っ張って行ったのは事前に大阪城に申し入れて認められた豊臣の正規軍やぞ。家康が代理で総大将やってるだけ。だから戦費は基本的に豊臣持ち >>896
知らんかった・・・
経済視点だと案外見落とし多いもんだな >>896
上杉討伐の時点では家康は官軍の立場だかね。遠征費用を豊臣公儀が負担するのは当然。 豊臣の金で豊臣潰しにつなげる戦いをするわけだからヤスは知恵者やね
豊臣の金で軍を編成したところを攻める奴がそもそも間抜けなんだよ
>>820
今は目が死んでるもんなあ
思考停止状態やもん
頭ガリガリしながら必死に考えてるときの方が輝いてたね >>826
俺にとって大河での秀長さんは「秀吉」のイメージなんだけど、「真田丸」では氏政で身共勘助さんとほっぺたぺちぺちしていてややこしい。 戦は戦場で決まると思ってた三成の負けで、戦を政治で制した家康の勝ちやなあ。秀吉に小牧・長久手の戦いで戦場では勝ったのに戦略的に負けた経験が生きたのかな?家康の人生振り返ると政治で苦汁をなめさせられた経験は少なくないから一概には言えないが。そもそも雑軍で大した石高もない三成が他の奴らに言う事きかす事ができると三成自身本当に思ってたんだろうか。
関ヶ原の勝敗は今迄の積み重ねの結果よな
良い意味での積み重ねをして来た家康と悪い意味での積み重ねをして来た三成達に差が出るのは当たり前で
家康は関ヶ原では何も特別な事はしてなく逆に三成達が一発逆転狙ったけど現実はそんなに甘く無かったって話よな
たかだか19万石の奉行如きが大大名に挑むとか浪漫やん?
>>896
上杉討伐だけ戦費が豊臣負担なんてありえるのか?
小田原でも朝鮮でも軍役や兵粮や輸送やそれに関わる費用は全て参加大名の自己負担なのに >>912
出陣する時に秀頼から黄金2万両と米2万石の軍資金を貰ったから間違いなく豊臣の負担 むしろミッツは徳川をうまく焚き付けて、毛利・島津征伐をすればよかった
難癖つければいくらでも見つかるだろ
で、西国の領地を保有した時点で徳川と全面戦争すべきだった
それくらいしか徳川に勝つ方法ないだろ
てっとり早いのは自ら隠居して改易を求めるかな
関ヶ原が長く続いたら徳川の方が先に息切れしてた可能性ってあるのかな?
軍資金のない西軍が先に息切れしたんだろう
関ヶ原本戦直後に落とされた佐和山城はすっからかんだったし
西軍で金があるのは毛利くらいだけど積極的に軍資金を提供した話はないし
>>914
たらればなら淀(秀頼)を味方に付けるのがベストだろう 安定を求める重役サラリーマン佐吉と
意欲モリモリの一次下請け経営者の二郎三郎君
考え方が現代に通じるもんがあるな
ヤッスも関東転封で漸く君主権力を確立できたとこもあるから豊臣家への感謝の念はあったと思うぞ
庄内の乱あたりから「これはもうオレが全面に出て仕切らないと収まらんぞ」って思いが強くなって来たけど
史実はともかく、秀吉介護で屋敷にも戻れない今の三成
見てると、秀吉死んだら燃え尽きちゃいそう
とてもじゃないが朝鮮からの撤兵計画や武将たちの慰労
接待するような余力なさそう
連載でも、ちょっと前までは殿下は伊達に甘すぎる、
我々の苦労が…とボヤいていたのになぁ
>>917
そいつらに実力は無いし人望も無いから義の無い西軍が味方にした所で何の有利にもならんよ とかく現実は、次週、掲載。(11月1日発売) 第231話 第27巻第1話収録分。
>>907
自分の創った秀吉の幻像がいつまでも有効だと思いこんでたんだろ
末期に恐怖政治にシフトしてぶち壊したことに気づいてない とかく現実は、連載はあと、単行本1巻分。関ケ原戦記はありやなしや。
外伝関ケ原への布石かもしれないが、
センゴク三成は、晩年の秀吉に最も信頼され右腕の地位にあったが故に、
秀吉の負の遺産をすべて引き継いだ悲劇の武将だよ。
とかく現実は、連載はあと、単行本1巻分。宮下先生、関ケ原戦記を要望される。
負けると分かってても挑んでた説
三成もまた戦国大名なんよ
関ヶ原は久々にその通説には疑問が残るのとんでも説頼む
ヒゲ黒とかとうでもいいから亀子が古田家に嫁ぐのはやってもらいたい
とかく現実は、センゴクとへうげものの対面はありやなしや。
関ヶ原も新説出てからそこそこ時間経ってるけど現在の通説はどうなってんだろ
問鉄砲だって否定されてきてはいるものの、とりあえずは従来の説のままなんだろうか?
関ヶ原後
三成「私を此度の戦の首謀者ということにして、罪人として処断していただきたいのです」
家康「友よ」
的な流れ来るかな?
関ヶ原は盛り上がる方向でやってくれればいいと思うけど介護疲れの三成だとどうしもなさそうだな
>>935
吉政に捕まるまで隠れててからその物言いは凄いな >>913
へうげた漫画でも秀頼から家康に資金と兵糧が下賜される描写あったよね >>913
あれはむしろ公的な御墨付としてのニュアンスの方が強い >>934
現在はまだ撤退追撃戦説じゃないかな
そして早々に小早川参戦 >>909
だから三成としても秀吉の遺令が生きてる内に勝負を急がねばならなかった >>942
逆でしょ三成は秀吉死後真っ先に遺命破りしとるし
秀吉の作った政権を一度ぶち壊した上での戦での逆転を狙ってたんでしょ >>940
北条征伐の時に秀吉が米雑穀20万石と黄金10万両を用意したから
家康が総大将で動員兵数も10万程度の上杉征伐に米2万石と金2万両は手当として悪くない
どっちにしろ豊臣政権の正規軍であることは間違いない 関ケ原って戦国物としては一番売れる題材だし、編集部的には関ケ原編やらせたいだろうな
先生が拒否してる可能性もあるけど
三成は秀吉遺命の毛利秀元に大領相続させて実質当主にを輝元と組んで反故にしようとしてる
襲撃されて隠居で徳川に遺命通りにされて涙目だが
>>937
なんというかセンゴク三成だと、殿下のいない世界に
興味はないって出家してもおかしくない感があるからな
どうせなら輝元の野望で進めてほしい >>937
センゴク三成は悪役には描かれていないが、
それが故に徳川、毛利、上杉等の大大名に
いいように翻弄される姿しか想像できない。 >>948
そういえば上杉最後にでてきたのいつだっけ?
信長存命時か本能寺後かの北陸でわちゃわちゃやってたときが最後? 小田原攻め直前くらいだったか、直江と一緒に上洛してるよ
名護屋城に集まる大名たち、そこでセンゴクが小競り合いに
巻き込まれそうになった時に景勝出てなかったっけ
名護屋か小田原で長曾我部との絡みあるかと思ったが無かったな
史実かどうかは知らないが大坂までクジラを運んだエピソードは見たかった
そら秀吉も大喜びじゃろう
関ヶ原考えたら、これから淀も大変だろうなw
徳川に上杉征伐行かせたと思ったら、いきなり石田が挙兵
徳川強そうだが、周りは石田が包囲・・・
大阪城抜け出して秀頼と一緒に清正の陣営にでも逃げ込めばよかったんだろうか?
石田に肩入れして徳川を潰す方に賭ければよかったんだろうか?
石田説得して挙兵止めさせればよかったんだろうか?
そういや、ねねは西軍派って説もあるみたいね
センゴクにも出てきた侍女筆頭の孝蔵主が三成の縁戚
ということもあって西軍派だったから
関ヶ原・茶々vs北政所説は割と手垢付きすぎてる使い古したネタという印象
とかく現実は、太閤秀吉の遺涙、お頼み申し候。
とかく現実は、治部三成の遺涙。お慕い申し候。
食が細くなって体調が悪く運動量が減ったから体重が激減してああなったのかな秀吉
>>970
猪木が一番危ない時期の動画見るとちっちゃく薄くなってるな 福田定一無関係に北政所西軍説は自説に都合のいい情報だけ取り上げてでっち上げる昨今流行の逆張りだろ
戦後秀秋を難詰する高台院書状でもあるんすか?
とかく現実は、連載はあと、単行本1巻分(10話)。
あと4ヶ月で完結だとどこまでやるんだ?
と言うか秀吉死ぬまでにまだなんかイベントあった?
まあ現実はおねも茶々も動くに動けんわな。政権内部で勝手にドンパチ始めた訳だし、片方は大名の妻子を人質にしようとして自害される失態を犯すし。
>>972
猪木はまたそっから若干持ち直してるのがすげえな >>945
センセはやるでしょ、やるから関ヶ原に取材に行ったのでは(イベント参加兼取材と思っている、いつぞやの小諸の時と同じ) 外伝やるつもりで残りは権兵衛絡み以外は端折って権兵衛死ぬまで描ききってセンゴク○○は終わらすのかね
センゴク秀吉の末期と甘利幹事長がカブる
甘利は武田軍だけど
政治
<能力>
【全国版】 登場せず
【戦国群雄伝】 登場せず
【武将風雲録】 政治73 戦闘68 野望69 義理04 教養59 魅力72
【覇王伝】 政治51 戦闘78 采配65 智謀20 野望67 義理08
【天翔記】 政才056 戦才142 智才034 野望76 義理07 魅力55
【将星録】 登場せず
【烈風伝】 政治31 戦闘60 采配24 智謀26 義理55
【嵐世記】 政治14 采配31 智謀17 野望66 義理45
【蒼天録】 政治12 統率40 知略27 野心69 義理19
【天下創世】 政治15 統率36 知略24 義理19 教養22
【革新】 政治16 武勇71 統率33 知略20 義理19
【天道】 政治16 武勇71 統率43 知略20 義理19
lud20221009170336ca
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