語れる人がどんどん逝ってしまう昭和のホモ風俗
記憶がまだ確かなうちに
昭和のホモ旅館の思い出を記すスレ
屋内系
・砂川屋旅館(山谷)
・竹の家旅館(西成・大阪)
・二四旅館(浅草)
・大番(浅草)
・一條旅館(鶯谷)
・大泉旅館(上野)
・おかま長屋=竹の台会館(上野)
・千雅(渋谷)
野外系
・浅草公園(明治〜戦前のみ)
・上野公園(戦前〜)
・日比谷公園
・権田原
>>3
権田原って、信濃町外苑(明治神宮外苑)と明治記念館(都営の青山一丁目駅と都営の国立競技場駅)に挟まれたあたりよね?
43年前に当時仲良くしていたホモのおじさんグループに連れて行ってもらったことがあるわ
そこで見知らぬおじさんに掘られたの
無知だったから言われるままに応じたけれど、ゴムなしだったのよね
洗っていないケツマン子によくナマで入れたわねあのおじさん 上サウの一般はチンポがでかくていい男が多かったのよね
>>4
始めて権田原体験レス見たわw
姐さんおおきに
あたしは年代的に権田原は間に合わなかったから伝説的魅力を感じてるの。
だから実は場所もあまり具体的には知らなかったわ。
でも43年前なら1980年代まではあったのね、それに驚愕。
行っても当時小学生だったから意味分かんなかっただろうけど
一度で良いから行ってみたかったわw >>4
私なんか洗ってない
お尻の穴を舐め回されたわ ここ三橋順子先生とかが書き込んでいらっしゃるのかしら?
屋内系
山の下旅館(新潟)
旅館こま(新潟)
喜楽会館(新潟)
P×P(新潟)
映劇大要(新潟)
今や残ってるのはP×Pだけ
>>17
広い和室に布団が並べられててそこで男たちが愛を語りあう旅館よ 24会館で言うところの大部屋みたいな雑魚寝形式の事かしら?
伝統的な日本家屋ってことはシャワ浣的なのは無しかしら
>>16
名前の由来が謎だけどなんか落ち着く名前ね >>20
なかったわね
トイレにイチジク浣腸が
散乱してたわ 浣腸するだけましよ
何も処理しないで入れたら
チョコポッキーになったことあったわ
>>6
43年前、あたしが大学生だった時、当時は薔薇族の通信欄を使うしか出会いの方法がなくて、そこで知り合ったおじさんがいわゆるゲイコミュネティみたいなグループを作っていて、ホームパーティで酔った勢いでタクシー呼んで10人くらいで行ったのよ
あの頃あの辺りはビルの谷間の原っぱみたいな感じで、深夜0時は過ぎていたと思うんだけど、あたしが一番若かったせいか人が集まってきて、ギャラリーに囲まれてナマで洗っていないケツマン子を掘られたのよ
恥ずかしかったけれどそれまで味わったことのない快感も得られて、良い経験だったわ 意地悪な事言わない方がいいわよ?みんな歳をとってくんだから
しじみ会館は本州日本海側唯一の有料ハッテン場よね?
喜楽会館はグース会館も含めて
熊本、小倉、松山、広島は行ったわ
松山が確か、ここで話題になってるような、昔の木造旅館をそのまま転用した建造物だった記憶があるわ
いや、松山じゃなくて高松だったかしら?
もう記憶が曖昧でいやだわ笑
初めて発展場に行ってハマった時に全国にもあるのかなと思って調べまくって出てきたのが○○会館とかで一応田舎でもあることはあるんだと思った
行ったことないけど
喜楽会館wikiによると
全盛期には18店舗を展開していた。
札幌、仙台、新潟、金沢、静岡、浜松、岡山、福山、広島、高松、松山、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島の各店、及びグース会館として小倉、沖縄店。
出典:Badi1997年4月号の喜楽会館の広告
喜楽会館って今も広島、岡山、高松、鹿児島店は営業してるの?
広島本店はK/Gって名前変わってたからもう喜楽じゃないんでしょうけど。
変な公式HPも無くなってた。
>>27
姐さんおおきに〜
それは素晴らしい体験ね
昔の薔薇族の変態投稿小説のような光景だわw
他に面白い処に行った昭和エピソードがあったら
気が向いた時にでもまた宜しくお願いします。 そういえば隅田公園の池の周囲の日本庭園は今年が見納めになるみたいね
何でもかんでも土建屋利権で工事すれば良いってもんでもないと思うけど
40禁断の名無しさん2023/01/24(火) 05:17:58.60
あんたの加齢臭が一番キツいわー
ほんとよね
わざわざ昭和スレに来といて加齢臭煽りって煽りにもなってないわよ😂
>>32
高松の喜楽は昔火事で燃えちやったのよね
亡くなられた方もいて
確かに連れ込み宿みたいなとこだったわ 上野大番のできる前の
ホモ旅館も火事で身元不詳人の死人が複数出たのよね
>>48
昭和の話
家族もホモ旅館で焼け死んだなんて知ったらたまらないわね >>49
はじめてきいたわ。わたしが知ってる時から上野大番だったから、その前にも淫乱旅館があったのね。 人それぞれかもだけど今のハッテンの流れって乳首→フェラ→ケツほぐし→ケツ掘り→射精みたいな流れ多いじゃない?昭和の時代のハッテン場セックスって内容同じだったのかしら?
乳首→フェラ→ケツほぐし→ケツ掘り→射精みたいな流れは俺もよく経験する。
客達は、ライバル店であった「一条旅館」に流れたようだ。
「一条旅館」はその時、開店して1年ほどで、
「いつも盛況だから、あそこは面白い、
あそこはものすごいことをしている、と、
噂が尾ひれをつけて広がっていた」ほどの盛況ぶりであった。
夏の暑い土曜日でした。私が行ったのは午後九時頃でしたでしょうか、
あの一条旅館へ入る小路に行きますと、
何か目つきの鋭い男達が、二、三人ずつ屯しているのです。
(略)
夜0時半頃でしたでしょうか、
突然玄関の方でドヤドヤという音がしたかと思うと、「警察だ、全員そのまま動かない!」という声です。私は瞬間、
「あっ、取り締まりだ」と思い
(それが何を取り締まるのか、何が取り締まられることなのか、
など考えていませんでした。
当時にしても、そうした後ろめたさが、
私たちにはいつもついてまわっていました。
男同士の愛、ということすらも社会的規範と相容れないと思うところも
何かしら感じていました)、二階から物干し台につながる細い階段を飛び上がって屋根に出て、
となりの家の屋根づたいに裏の道路へ出、
停めてあったトラックの荷台の中で震えながら隠れていました。
玄関前の小道には装甲車が三台並べられ、
そのうちの一台には投光器が据えつけられて
玄関に向けてライトが照らされていました。
あとで聞いたのですが、中にいた人は一人ずつその光の中を
(ほとんど皆裸同然でした)連れ出されていったのだそうです。
この時、連行されたのは64人で、調書を取られ、
始末書を書かせられた。
素直に取り調べに応じればひと晩で帰されたそうだが、
否認し続けた人は1週間も拘留されたという。
その調書は、「『AはBにオカマを貸し、
さらにCの◯◯をくわえ、その両手でDとEの◯◯を握り…云々』
とまるでポルノ小説だった」そうだ(笑)。
それにしても、64人というのは、多い!
「一条旅館」の繁盛ぶりがうかがえる。
刑事達は事前に、
客として館内に潜入していたという。
「あとで皆気づいたのですが、そういえば、皆裸同然か浴衣一枚でいるのに、
その二人は浴衣姿なのに靴下をはいていたので
不審に思った」と書かれているのが、なんともリアルである。
また、後日談として、
こんな、ちょっといい話も紹介されている。
無事?逃れたのは四、五人だったそうです。
その中には、個室をとっていたお爺さんもいました。その人が二時間もくどき続けた中年の男が、
実は刑事で、あんまり必死に口説いたので情が移ったのか、
乱交に加わっていなかったからなのか、
警察の手入れの直前警察手帳を出して、
「私は刑事だ、これから取り締まりが行われるが、
あんたは見逃してやるから部屋にじっとしていなさい」といわれ、
がたがた震えながら部屋の中にいた、という笑うに笑えない話もありました。
大阪のスポメンはもともと何の建物だったのかしら?
旅館とも違うの???
アタシ地震の時、上野24会館にいたわw
金曜午後で結構人はいたし一発できた後で丁度良かったわ。
第一波の大揺れで、ミックスにいた皆ビビッて「何?!何!」とか
どよめきが起こって、すごい勢いでロッカーへ。
髭土方風兄貴やサボリーマンメガネガリ若もビルダー風も皆、
階段に殺到、駆け下りて。
風呂場からか?ずぶ濡れのままの身体で駆けつけるロン毛デヴもいたわ!
(長州小力風…何故かチンポ丸出し片乳首だけタオルで隠して)
「みんなここでは死にたくないのね…」と妙に納得よ。アタシもだしw
で、みんなパニくってるからロッカーの開け閉め音があちこちでバタバタすごいの。
テンパッてる爺さんなんか六尺適当にぐるぐるに巻きつけてるだけだし。
ぴちぴちビキニパンティの穴に両脚入れそうになって脚が突っかかって、
ロッカーに顔面セルフ強打してる髭土方坊主がいたりw
揺れが収まったと油断してゆっくり着替えて持ち物とかチェックしてたら
そこで第二波の大揺れが来て、あちこちからオネエ風の声でキャ〜とかどよめいたり。
喫煙コーナーの方から「こんなときに火使ってんなよ!」とか、
それもオネエ風イントネーションで聞こえてきたりしてw
窓口も(ていっても10人くらい)並んでるし、床にはお弁当用醤油入れ(赤い蓋の)に
入れたおそらくローションが5個くらい落し物風に散乱。
余震のたびに「キャ〜」なんてどよめいてなんか皆で連帯感が沸きつつも
ここでだけは死ねないと思い、とりあえず外に飛び出してタクシー捕まえて帰ったわw
これ書いてる今も余震でゆらゆら揺れてるわ…
>>55
記憶が曖昧だけど、元はサムソンに載った投稿じゃなかったかしら。
勘違いだったらごめんなさいね。 昔ビジネスインで月極めで個室とってたオジサンに気に入られて
行く度に部屋に呼ばれてやってたけど
途中でよく店主や飛び入りもやって来て3Pや4Pになってたわ
当時20代で良くわかってなかったからちょっと怖かったけど
基本的にはみんな優しい人たちだったわね
>>56
あんたそれ竹の家と勘違いしてるんじゃない?
スポメンは明らかただの民家よ 2008年頃かな、ちょうど三島由紀夫禁色の時代を生きた美輪さんみたいな大御姐様が、浅草公園や上野公園の話(トイレを事務所と呼ぶ時代)を流麗な語り口調で延々と書いておいでた。あれまた読みたいな〰
>>66
もう亡くなったのかな?
すべて淫靡だけど今よりワクワク感はあったんでしょうね。
SNSとかでオープンだとあからさま過ぎてトキメキは減るわね >>59
そんな旅館を一斉取り締まるなんて、一条潰れてもよかったはずだけど。それでも、数年前まで残ってたわよね >>63
ビジネスインの受付の
なよなよした親父は
ゲイではなかったはずよ >>69
店主は別の人だったわ
確か奥さんもお店やってたんじゃなかったかしら >>70
奥さんも朝とか受付手伝ってた時があった記憶があるわ >>67
吉野のママみたいな大先輩方にはご存命のうちにイロイロ書き残してほしいねぇ~ >>72
そうよね。戦後から80年代はじめあたりのもろもろを書き残して欲しいわ 若カマが吉野さんと東京巡って古いホモ話聞くyoutube見なさい!
AIDSがなかった頃の
ホモ旅館にタイムスリップしてやりまくりたいわ
初めてのホモ旅館が
新宿ビジネスインだったからいろんな思い入れあるのよ
>>9
伏見さんがその記録は違う!って赤ペンチェックした本持ってイチャモンつけてくるのよ… >>60
リアルだわw
でもスレ的にもっと昔の話しがモアベターね 84禁断の名無しさん2023/01/26(木) 00:11:05.74
>>84
結局、ただの水商売オカマになっちゃったの? 作家としてはとうに終わった人だもの。
結局話題になったのはたった一作品だけ。
アカデミア叩きや他の作品叩きしているのはただの嫉妬なのよ。
才能ないのに自分が今のゲイ文化の始祖みたいな自負があるからゲイが書いた作品が少しでも注目されるのが我慢ならないの。
あたしが作品出しころはこうだったのにお前たちときたら!ってすぐに起こり出す人よ。面倒くさいわ。
でも若い子には優しいのよ
特に持ち上げてくれる子にはw
>>86
違うわ。怒られるわよ。
2丁目の文壇バーなんだからね。 でも、文壇バーという設定で、やってることは水商売なんでしょ?
届け出も風俗業だろうし。
>>91
分からないわ。
お酒は出すけどほかのバーとは違った文化的発信、LGBTに関する書籍コレクション、伏見さんのコラム発表、朗読劇を開催しているし、 小倉さんは顔を出してるのかな?認知症になっちゃってお兄さんら家族がケアしてあげてるみたいだけど、反発したりもしてて、相変わらずだなぁと思ったりしたが。
>>95
マーガレットさん、ツイッター復活して又活動してるわ。イベントに出たりもしてるし。
ただ、店を勝手に閉めたことはかなりお怒りよ。 ↑ああ、Twitter見てなんとなく近況を俺も知ったけど、認知ってモザイク状に歪んじゃうらしいからむつかしいとこだね。小倉さん伏見さんあと西山さんだっけ、よくbadiで読んでたな。マツコと斎藤さんが現役で売れてるのはうれしい(>ω<)
マーガレットは認知症じゃなくて精神疾患として強制入院されたみたいよ?
本人はそのあたり詳しく言わないけど、入院中は積極的な治療はなくて放置状態だったみたいだし
ここにて出てくる麻原というパワハラゲイリブって 伏見のことだよな
https://jack4afric.exblog.jp/21682808/
ボクがネズミ男とのSEXを拒否したことは、ネズミ男から麻原にすぐに連絡がいったらしく、麻原から叱責のメールが来ました。
麻原は、ネズミ男はボクと交際したがっているので、彼の求愛を断るのはよくない。ネズミ男の気持ちを汲んで、彼と付き合うべきだというのです。 ゲイリブ界の重鎮かなんか知らないけれど、ボクが誰とSEXすべきか指図する権利なんて彼にはありません。
ネズミ男が魅力的な中年男であればともかく、彼は風采の上がらない小男である上に、今どき日本に出稼ぎに来る外国人でさえ住みたがらないようなボロアパートに住む超のつくビンボー人なのです。
あなたたち昭和平成のホモ旅館やサウナでどんな淫らなことをしたの?
ノンケ混合のところもあったのかしら。
詳しく記してくださいな。
そんな中年のオッサンをどうして好きにならなければならないのでしょうか。
ネズミ男だけでなく、ゲイリブ活動家を自称する中年男は生活困窮者が多く、文筆家とかジャーナリストとか名乗っているものの、実際はそれで食べていけず、
二丁目のゲイリブバーで店子のバイトをしたり、短期間の契約社員として働いたりして細々と生計を立てている人間が大半で、
若い子と会ったとしても、コーヒーや酒の一杯もおごることもできず、身なりといえば、何年も前に買ったようなよれよれの古びたシャツを着てたりする、
若いゲイの子からは鼻もひっけられないようなビンボー臭い、冴えないオッサンばかりなのです。
そのため、彼らはゲイリブ界のヒエラルキーの上下関係を利用することでしか、若いゲイの子と付き合うことができず、ボクのようなゲイリブの運動に関係している若いゲイを狙ってくるのです。
ボクは麻原にネズミ男とは絶対に交際できないと宣言し、新しい彼氏を作って暮らしていたのですが、そのことが麻原の逆鱗に触れたようで、ボクに対して様々な嫌がらせをするようになりました。
ボクが企画などの面で協力していたゲイ雑誌にもボクの悪評を流し、お蔭で、その雑誌からはまったく声がかからなくなりました。
困って、雑誌の企画を通して知り合った、麻原とも面識があるゲイリブ活動家のおじさんに相談したら、
「君もついに麻原先生の洗礼を受けたんだね。これはゲイリブとして、とても栄誉あることなんだよ。一人前のゲイリブとして認められたわけだから」
というので、呆れてモノも言えませんでした。
日頃、人権、人権とお題目のように唱えているくせして、ボクがセクハラを受けて人権侵害されたことについては、まったく関心を示さないのです。
ゲイリブ活動家は欧米コンプレックスが強く、プライドとかレインボーとかアメリカのゲイリブ用語をカタカナに置き換えた言葉を好んで使いますが、
その実態は、日本的な親分子分の関係に縛られた古臭い世界でしかないのです。
麻原からの嫌がらせは続いていましたが、ボクの所属する大学のゲイサークルは、麻原の影響下になかったので、ゲイリブの活動は2007年の尾辻選挙まで続けていました。
ボクは尾辻かな子の選対事務所でボランティアとして働いていたのですが、事務所には、利権の臭いを嗅ぎつけてやってきた自称ゲイリブ活動家や人権活動家、プロ市民などのうさん臭い連中が大勢、出入りしていました。
麻原は例によって傲慢に振る舞い、尾辻さんが自分のところに挨拶に来ないといって怒り、もし自分を無視するのであれば、尾辻さんの悪評を振りまいて選挙の邪魔をしてやると再三にわたって脅しをかけてきました。
それで、忙しい中、尾辻さんがじきじきに挨拶に行くと、その様子を写真に撮って自分のブログに掲載し、「民主党の参議院候補が自分のところに挨拶にきた」と自慢していました。
麻原は尾辻さんに自分が支持表明したら最低5万票は上乗せできると豪語したそうですが、ほかの自称ゲイリブ界の重鎮たちもみんな独自の票田を持っていると主張し、それらの票を全部足せば、尾辻さんは悠々当選できる筈でした。
ところが蓋をあけてみると、彼女は民主党候補の中でも最下位に近い3万8000票しか得票できず、落選してしまったのです。