>>69 いや違う米軍基地に隣接して建てられただけで米軍基地施設内じゃない
小学校と南側グラウンドが同飛行場とフェンス越しに接している感じ
【普天間第二小学校建設の経緯】
すでに1962年時点で、普天間地区に住宅が密集していて
市街地の拡大と、普天間小学校の過密により、
分離開校が急務となり、第2小学校は1969年に開校したという歴史がある。
開校の時ですら土地はなく、運動場は、規定の半分しかなかった。
【普天間第二小学校移設計画の頓挫の理由】
安次富宜野湾市長さんらは同小から約200メートル離れた基地内で米軍ヘリが不時着、
炎上したのをきっかけに移転先を探しましたが確保できなかったため米軍と交渉する。
第2小学校が移設できる土地は、米軍住宅地の返還によるしかありませんでした。
(これは安次富市長のときに、ほかに適切な用地はないと結論が出ています)
所が、米軍は、それを見越したように、簡単には返還に応じてくれませんでした。
米軍は、返還条件として、「第二小学校跡地の米軍用地への編入」を要求してきたのです。
つまり、キャンプ瑞慶覧の一部を学校の移転用地として返還する代わりに、
いま第二小がある敷地を普天間飛行場に編入することという条件だった。
これが理由で交渉は頓挫し米軍との移設交渉は平行線に終わりました。