2019年4月からは、「DDT」のリングに月に一度のペースで上がっていた。
「6月2日には、愛媛で普通に試合をしたのに、23日には『切断です』と言われて、25日には手術でしょ。心の準備も何もあったもんじゃなかったですよ」
異変の兆しは、右足親指の爪の中にできた血豆だった。そこから細菌が入り、壊死が進んでいたという。
「うちはもともと糖尿病が多くて、失明しちゃったおじさんもいるんですよ。35歳のときに、俺も糖尿病って診断されて。
医者から『20年後には間違いなくインスリン打ってる』って言われたんだけど、その後、糖尿の薬を飲むだけでこれまで過ごせてきたんです。
でも振り返ると、35歳のころなんて、現役バリバリでしょ。糖尿なのに、体をつくるためにガンガン食べて、1日に5000〜6000kcalは摂ってたんだから、体にいいわけないんだよな。
若いころの暴飲暴食って、後々まで残るんですよ。足を切ってみたら、俺の血管は、動脈硬化が進んでボロボロだったらしい」
谷津が右足を失った翌日。この日は、「共闘」と「仲たがい」を何度も繰り返してきた、かつての盟友・長州力の引退興行が、後楽園ホールでおこなわれた日でもあった。
「俺が足を切った翌日、長州がハッピーエンドで引退したのは皮肉だよな。痛いのを我慢して、スマホで試合を観ていたんだけど、『長州と俺の、この落差はなんだよ?』って思ったよ。
でも、『コノヤロー、こいつに負けてたまるか!』って気持ちも湧いてきた。ある意味では、勇気をもらったんだよな。だから、これからの人生は、『谷津嘉章・第二章』。
いつか、どこかの海賊みたいに『片足ジャック』として、またリングに上がってたりしてな(笑)。1本足にはなっちゃったけど、生きざまでは長州に絶対負けたくないからな!」
(終わり)