【読谷】沖縄県内男性で最高齢の津波蒲戸(つは・かまど)さんが15日午前4時すぎ、老衰のため入居する村座喜味の地域密着型介護福祉施設「紅華の森」で死去した。111歳。読谷村長浜出身。17日、村内の自宅で家族葬が執り行われた。
津波さんは1908(明治41)年生まれ。
四女の知花ヨシ子さんによると目の前に爆弾が落ちたという激戦を生き延び、戦後は米軍嘉手納基地で車の塗装工などをして60年以上働き、6人の子どもを育て上げた。
2年前に同施設へ入居。白内障で視力をほぼ失い、耳も遠かったが職員の支えを借り自力で歩いていた。サーターアンダギーが大好物で、他の入所者とのおしゃべりも日課だったという。
2018年9月1日時点の県内の長寿者上位10人のうち、津波さんは唯一の男性だった。今年6月には、家族や石嶺伝実村長らと誕生日会を祝った。
7月中旬から体調を崩し食欲がなく、点滴を打つなどしていたが、亡くなる前日まで話し掛けると時折笑顔を見せていたという。
施設で2年間、津波さんに寄り添った担当者は「みんなのムードメーカーで太陽のような人だった。ありがとうという気持ちでいっぱい」だと語った。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-973688.html
>四女の知花ヨシ子さんによる
ほかの娘息子に先に逝かれたか
ま110才まで生きてりゃそうなるわな
この人が生まれときはまだ伊藤博文が生きてたと考えると凄いな
自分が111とかなったら「もしかして俺って死なないんじゃ・・」って怖くなると思う
>>15
先生「おじいちゃんおばあちゃんに戦争のときの話を聞いてみましょう」
↓
ぼく「せっかく勝ったのだから賠償金を貰うべきだったとおじいちゃんが怒っていました」
先生「!?」 55歳で「そろそろ定年か…」なんて思ったその時が人生の半分だなんて思いもしないだろうな…
明治生まれか、すごいなぁ
もう数えるほどしか残ってなさそう
見つめ合うと素直にお喋りできなかったりしたのかな?
>>16
逆逆
歳取ると何も出来なくなるのに死ぬことはないっていう無力感と不甲斐無さに苛まれる DQNネームのガキンチョ、なんですぐ死んでしまうん?
年齢ごまかしてんじゃないかなあ
沖縄だし怪しいもんだな
この人が子供の時に見たおじいちゃんって江戸時代の生まれだったんだよな…
>(つは・かまど)さん
かまとバアが死んだのかと思ったわ
目も見えず声も聞こえず体も思うように動けなくて楽しいことあるのかね?
ツハ・カマドさん・・
名前全く読めなかった
アフリカのスワヒリ語喋る部族あたりに居そうな名前
どんなに長生きしても110歳までしか生きれないんだな。
人生は死に向かって進むゲームって本当だな。
死ぬ時に後悔したくないな。
>>1
> 戦後は米軍嘉手納基地で車の塗装工などをして60年以上働き、6人の子どもを育て上げた。
米軍基地が島民の生活を支えている面もあるんだな 自分がガキの頃は大正生まれ60台、明治生まれ80台だったイメージなんだけど年取ったな
かまどって名前のお婆さん他にもいたなあ
割といるのか?
沖縄のおばぁは総理大臣より偉い(爆笑)
これマジ?
サーターアンダーギーってなんだろうと思って調べたら
砂糖油揚げなんだって、沖縄ってやっぱ日本じゃねえか。
サートーアブラーアゲーだもんな。
こういうニュースを聞くと本当に長生きはしたくないと思うよな
ツナミノヨウナワビシサニ アイノウ オビエテル フー
やはり人の寿命は限界がある
これ以上引き延ばすのは不可能のようだ
また宮古島と沖縄は津波でほとんど死んじゃうんだろうな
老人ホームで生かされて死ぬのだけはまっぴらごめんだって遺書を書いてある
明治生まれはすげーな
令和入ってもまだ生き残りいたのか
塗装工とか頭ラリっちゃいそうだけど
長生きできんだね
しかし、こう言う記事を見ると如何に大還暦達成が困難か
122歳で亡くなったとされるフランスのジャンヌ・カルマン氏も最近ロシアの学者達が
その出生にはかなり疑義があると言い出して怪しまれているし、確かな医学的証明が
存在する大還暦達成記録が一切なくなる可能性もある
ジャンヌ・カルマンは本当っぽいが
やはりここら辺が限界で
医学・科学の力でこれ以上引き延ばすのは無理のようだ
>>16
夜寝たら、「このまま眠って、明日起きなかったらどうしよう」の連続やで 19世紀生まれはもういないと思うけど、明治生まれはあとどのくらいいるのかねー?
もう明治生まれの人なんて数えるくらいしかいないんじゃねえの
どんだけ年金で儲けたんだよ
遺族は年金入ってこなくなって悲しんでるだろうな