冬至なのに、沖縄県内で夏日 青空の下、正月田芋の収穫ピーク
二十四節気の一つ「冬至」の22日、本島地方と先島諸島は各地で夏日となるなど、寒さとは縁遠い一日となった。
宜野湾市大山では正月用のターンム(田芋)収穫が最盛期を迎え、農家が作業に汗を流した。
本島地方と先島諸島はこの日、前線や湿った空気の影響で曇りがちだったが、強い日差しも照り付けた。
最高気温は北大東村で26.8度、那覇市内でも25.6度を記録するなど、11月上旬並みの暖かさとなった。
宜野湾市大山の畑では又吉正彦さん(63)が青空の下、ターンムの収穫作業に励んでいた。
又吉さんは「今年はまずまずの収穫」と、額の汗をぬぐいながら話した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191223-00000004-ryu-oki 携帯用のちっさい囲炉裏みたいなのが平安時代からあったとか
寒さはある程度慣れるよ
俺自身昔は真冬の朝一のシャワーが辛かったが全く平気になった
電気やガスなんて大正時代ぐらいになってやっと
都市部の一般家庭に普及したレベルだぞ
降雪地域じゃない限り、囲炉裏や火鉢でどうにかなったんだろうけど
薪ストーブや暖炉がなかった時代、降雪地域(特に北海道)ではどのように暮らしてたんだろうかな。
布団が普及したのが江戸時代あたりで、それまでは板床に藁で寝てたとか信じられんわ
燃え盛るような激しいセックスをしまくってホカホカよ!
>>9
おれも、ガス代滞納してとまってるけど
水シャワー余裕
今暖冬だしね マンモスの骨と毛皮を使って寒さを凌いだ。
それがネアンデルタール人との違い
>>13
三毛別羆襲撃事件当時の家屋内がコレ
厳冬期の北海道でこの囲炉裏と着物の重ね着だけで耐えていた模様 エアコン一台で夏も冬も快適だわ
災害で停電になったときが怖い
ウチの近所では、昭和の前半ぐらいまで亜炭や褐炭を掘り起こして燃料に使ってたわ
日露戦争では桁違いの寒さに大変だったらしい
その前に八甲田山でも大変だったけど
調べると大正までは北海道でも囲炉裏や火鉢だったようだ。よく年越せたなぁとw
そんで大正に入ると、日本でいち早く、薪ストーブが導入され屋外排気になったため家を吹き抜けにしなくて済むようになり
ガラスの流入により小さく密封性の高い家を建てるようになったそうだ。
家屋の欧米化は北海道から始まったようだ。
北海道開拓時代とかよくやってこれたよな
てか電気ガスない時代に何で北海道開拓しようと思ったんだろう?
冬になると寒さで人が死ぬから
毎年事前に準備しまくらなきゃいけない一大イベントだったんだろ
人以外の動物は今でも火がなくてもなんとかしのいでるし、昔の人類もなんとかやってんだろう
狭い部屋だったらお湯を沸かしてるだけで部屋は十分暖かい
水を継ぎ足すのが大変だからやらないけど
もっと体中フサフサだったんだよ
発明の結果ハゲが加速した
昔の身体もそれなりの寒さ対応が出来ていたのではないかな
江戸時代に冬期の蝦夷探索をしに行った役人がほぼ全滅してる
寒冷地での寒さをしのげなかったのが原因
江戸時代は1日5合くらい食べていたらしいし
これだけで2800キロカロリー
鳥の羽毛を布団や衣類の中ワタとして使う発想無かったのかな
>>24
厚着した服に火着いちゃって死んだ奴いっぱいいるんだろなぁ… >>43
今?昔?
昔なら無料(ただし肉体労働が付属する)
今なら500円程度で10kg程度の薪。ただし1日も持たない。
ので剪定された木や解体ででた柱などを安く買い付けて、自分で薪にする。この方法の値段はしらね 木やら葉っぱやら燃やしてたし木炭石炭もあっただろ、寒い日はさっさと寝てただろ
壁板を空間開けて2重3重にすれば暖房の効きも良さそうなのに
>>14
地味なツッコミ待ちなんだろうけど、クリスマスイブだからあえてノッテやる。
寒風✖
乾布○ >>6
アイツら20度くらいで寒い寒い言って
厚着してコート羽織ってるんだぜ?
よく耐えられるな、考えられん… 遠野物語読むと、夜は藁に裸で寝てたって
ありえねー
寝るときは家族体を寄せ合って寝るのが普通だった
ジジババ、嫁、娘息子、みんなで一緒に寝て寒さしのいだ
それよりも風呂だよ。炊くの苦行だぞ。女にやらせてたんだろ
ジャップはカス過ぎて部屋で焚火して煙たがってたし
北海道で生活する能力もなかった
半地下の竪穴式住居に焚き火
かなり暖かかったと思うよ
人口少ないから、木は切り放題だしね
デブは食事制限とか運動するより、寒い場所にいる方がすぐ痩せる
>>48
田舎は国交省が道路整備とかで出した雑木をタダであげるから取りにきてとかやってるな
そこまでしないと引き取り手がないってことやろうけど 人類は寒さにめちゃくちゃ強いから電気もガスもない頃から割と北極圏のギリギリまでせめてる
暖房なくても衣類でどうにかなる
ってか赤道付近に移動すりゃいいし
>>74
恒温動物としては寒さ耐性そんなにはないのでは?
衣服や火を扱う能力があるからなんとかなってるだけで >>76
逆なんだよ
体毛が無いから人類は知恵で乗り切った >>80
元からなかったんじゃなくてもとはチンパンジー並みに体毛もじゃもじゃだったろ 哺乳類でよかった。
変温動物は気温だけで環境制限されるからなw
>>62意外と楽しいよ雪降る夜なんか焚いているうちに体が暖まってくるしね
雨の日は地獄だが 親の実家1980年前半まで石炭ストーブだけだったわ
寒い処は人に有害なウイルス類が少ないから ある意味住みやすいのじゃ
ロシアだと「ペチカ」って言って、薪をくべてその脇で
寝られる暖炉があったらしいね。
さすがに今じゃ置いてる家は少ないと思うけどね。
火を使えるようになってから寒い地域に進出していった
オヤジの実家が福島の尋常じゃない山の中だった
俺は夏休みしか行かなかったけど話を聞く限りじゃ冬はとんでもなく雪が積もって車で行くのは大変だったらしい
夏は涼しかったがあの家じゃ冬とてつもなく寒いだろうなと今になって思う
オヤジは兄弟多いけど凍死したって話を聞かないしなんとかなるんだろうな
寒さは慣れても暑さは無理
よって住宅は夏を旨とすべし
吉田兼好も言うてたやろ
冬はつとめて。雪の降りたるは、言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。
日本の家屋ってなんで煙突なかったんやろな
家の中に風入ってくるってバカすぎじゃね
雪積もってる岐阜の高山手前のPAで夜野良猫が寄ってきて衝撃受けた
慣れれば何とかなるんでね?猫が雪の中で生きてたぞw
昔は衛生状態も栄養も悪かったから弱い人間を淘汰できて良かった
>>99
屋根の藁を燻して長持ちさせる。
賢いとおもう。 茅葺き屋根に虫が付かないようにする為に囲炉裏は必要だったみたい。囲炉裏の火は消さずに使用して冬は意外に囲炉裏だけで家の中は暖かい見たい
城ですらガラスがない時代だし。冬はどうしていたのかな
12/22に逮捕されたことを思えば全然辛くない。
クリスマスイブに送検だぜ?!マジあれはキタ。
欧州では森を薪にして森に住んでいたネズミが街に住むようになり
ペストが大発生するのであった
人間ってたまにはゆらゆら揺れる炎見たほうがストレス発散出来るんじゃね?
原始人とか毛が濃いからな
暖房機器がハゲを生んだともいえる
田舎は囲炉裏、町方は炬燵と火鉢
昭和30年代の終わり頃石油ストーブが出てきた
電気ガスは高くて暖房には使えなかった
囲炉裏・練炭七輪や火鉢は火力最強だしね。アンカは豆炭一個だけの豆炭アンカで一晩中ポッカポカ。
タドンの火持ちの長さは驚異的だし、木炭もマキも安かったし。
ボロ家で断熱無くて隙間だらけの方が、中毒の心配少無く、みんな其れなりに幸せだったよ?w
家無しが一番辛くて悲しかった時代だね。
空き地の土管生活の人達も実際に居たからね。
両端にボロ毛布を下げて蓋をすれば、頑丈で雨風防げる立派な我が家。
漫画家の富永先生だったかの世界だね?w
厚着して暖房なしで過ごそうかと思った事はあるけど
やせ我慢してまで月数千円うかすのもストレスになるから止めた。
>>103
日本海側にも縄文遺跡あるけど、どうやって雪や寒さしのいでたか謎 >>118
そんな事をしようと考えるような貧乏人なんだから、ガマンしたって数千円もうかないぞ
元々数千円だろw 竹島付近で韓国に拿捕された日本漁船員4千人近くは
韓国の劣悪極寒で連日拷問を受け死人まで出た
韓国が一方的に決めた境界線を越えてない漁船まで拿捕されたと聴く
本当に寒く辛い時間だったろうと思う
この話を聴いただけで韓国を絶対に許せない
薪のあったかさはガス灯油じゃ真似できないからな
家の外で薪乾燥させてる家多いだろ山持ってない人はしらん
火は思った以上に暖かいからな
あと合成繊維じゃない天然素材の服も見た目よりぬくいよ
マジレスすると
その程度の寒さで死ぬ奴は普通に死んでた
だから有史以来の平均寿命が20〜50くらいだったり
日本家屋が断熱クソなのと床に布団敷いて寝る不潔なスタイルのせいで結構な数が肺を病んでたと思う
ストーブを作れる技術があってそれを運べる手段があれば・・・
>>90
部屋の一壁面全体が炉になってるから、かなり暖かいらしいな 北海道の開拓小屋とか、アレ確実に凍死出来るわ。
よく暮らせてたな。
服とかで体温を維持すること考えつかなきゃ
案外人類あっさり絶滅したんじゃないかと
寒いと虫やウイルスも少ないし
燃料と食糧さえ確保できれば楽勝
こたつはあったよ。
ほりごたつで火鉢を中に入れるやつ。
首から火の付いてる5cmくらいの炭を入れた小型コンロを下げてマントに包まってたのよ
縄文時代の人口は今の長野県が中心だったりするからすげーよな
昔の人は寒さに強かったんだな
山の中ほどにあった爺さんの家に火鉢はあったし、真ん中の囲炉裏は結構な暖房だったよ
後年囲炉裏の場所は掘り炬燵になり、部屋の隅に石炭ストーブが常備された
今は家ごと潰れて跡形もない
囲炉裏とか居間の真ん中で焚き火してるんだから暑いだろ
けっこうでかい丸太とか燃やしてたしな
昔の家の何がヤバいって
朝起きると自分の顔が冷たいんだぜ…
>>151
今と気温が違うだろうから、むしろ暑さを避けて長野に落ち着いたのかも。 肌に油塗って焚き火にあたれば結構いけるで。
うちの方は寒冷地だけどみんなそうやってる
焚き火や囲炉裏があった
それより夏はどうやって耐えてたんだろう
窓の無い納戸に家族が固まって寝てた
割とよく死んでた
火を使う動物は人間だけだろ?
野生の動物は凄いよな、火にすらあたってない
練炭のたぐいやな。自殺じゃなくて事故で死んでた、一酸化炭素中毒。
焚火とか炭火とか1000年以上前からあるんじゃね?
室温0度くらいなら上四枚着て下二枚履いて毛布二枚重ねを頭から被ればお釣りが来る暖かさよ
>>12
気軽に言うけど、昔は薪割り薪拾いは大変だったらしいぞ
炊飯にも使うだろうから大量にいるだろうし >>168
お年寄りや病人子供ばかりで薪が拾えない家は死んでいったんだろうな >>171
去年から薪ストーブ導入したけどマジでこれ
暖房用限定でさえかなりの時間と労力をさかれる
想像をはるかに超えてた
今年は石油ストーブがメインウェポンに戻ったわ(´・ω・`) 東京ですらやばいのに、北海道よりもさらに北にある北欧とかロシアとかどうすんだよ
>>172
そういやエスキモーは姥捨て当然だったんだってな >>20
>水シャワー余裕
>今暖冬だしね
わけわからんw 朝目が覚めても家が寒いので布団から出るのが辛かった
よーしと気合いを入れて立ち上がった
冬になると家の中でも厚着してた
板敷きの部屋にムシロだけで過ごす東北の冬とか想像もしたくないな
東北は冬に耐えるためにやたら塩辛いものを食って血圧が高くなって寿命が短くなった
でも、おならが燃えることは生活のなかで知っていたと思うんだよね。
三内丸山とか最近の復元だと竪穴式住居は土葺きになってるよ
骨組みの上に樹皮を重ねて上に土を盛る感じ
自然に草が生えて土留めになる
厚さ数センチの土壁だから中で火を焚きさえすれば下手な日本家屋より暖かいだろうな
太平洋戦争が終わったのが夏だからよかった
冬だったら焼き出された人はみんな凍死だった
大学の研究室は旧軍の連隊本部をそのまま使ってたんだけど
部屋にスチームが入ってた
>>16
大河ドラマとか戦国時代のドラマで布団で寝てるのはウソやったんか? >>20
滞納で止まっても真夏はそのまま水シャワーで充分だからよく止めたままにしてたな
まあ9月末までが限界だけどw >>120
海岸線が今と全然違ったくらいだから気候も相当違ったと思われるやね その強靭かつ優秀な遺伝子がお前らにも流れているはずなのに
>>1
ロシアの南進も寒いのが嫌なのが理由だからね。しょうがないね。 江戸時代はまだいいほうでさ
氷河期や、シベリアからアメリカに渡っていった人類って
どう生きのびてたんだか
>>188
上流階級は畳の上で布団
百姓は板敷ないし土間に筵や藁 >>171
江戸時代まで土葬が多かった理由がそれ
釈迦が火葬されたのは世間に認知されていたが、
何しろ多産多死社会で火葬しようにも金が無い
火葬に使う薪は家庭一ヶ月分
明治以降に自治体で火葬場が整備されて解決した >>198
鳥葬がいちばんラクじゃね?
と思ったけど、日本はヒト食う猛禽なんていないもんなあ。
ヒトも動物も甘えてるのが日本。 江戸時代、布団は敷くものであり掛けるものではなかった
掛け布団の普及はだいたい明治頃からで、それ以前は夜着だった
>>30
硫黄島とか南鳥島とか魚釣島とかも思い出してあげてください。。。 >>201
朝起きたらお腹ギュルギュル下痢ピーブッチッパが江戸時代の常識だったのか(困惑) 墨が潤沢にあったし焚き火や金持ちの家には暖炉があった
薪ストーブとかさらっと書く奴いるけど実際使ったことあるのかと
面倒だし朝までもたねーし薪なんてすぐ大量になくなるし
あんなのたまに暇なときでさえ使わなくなるぞw
>>88
まさに80年代後半通ってた小学校が石炭ストーブで巧く火をつけられる日直がヒーローだった
よく考えると4年生からとはいえ
教師が来る前にマッチと薪で火興しして石炭くべさせるってどうかしてたわ >>208
仕事場で使ってるけど
知り合いに大工とか木工職人とかいないと薪を集める労力とコスパが悪すぎる
建て付け悪いからだけど、煙突も詰まるし穴空くしメンテもかかる >>208
家庭用じゃないけど昔、バイト先にあった廃油ストーブもなかなか最悪だった
炎の調整がシビアで暑すぎて絞るといつの間にか消えてたり
完全鎮火するまで下手すりゃ30分以上かかるんで暖房が無いままクソ寒い中見守ったり
あんな効率の悪いというか意味のない暖房器具は知らんわ 暖炉を付けてると火を見入って楽しくなる
火の動きて見ていると飽きないし落ちつく
世界の発展途上国の多くが焚き木で生活してるよ。
当然森林伐採で問題あるけどどうしようもない。
>>132
ダウンとTシャツが仲良く手を繋いで歩いてるよね
アイツらやっぱり獣物だ 60代だが、今の生活は天国だよ。
暖冬だしエアコン、毎日風呂、ダウン、ヒートテック、フリースあるから冬も全く寒くない。
子供の頃は厳冬で
家に暖房無、ガラス戸無で穴だらけの雨戸と障子だけなので風を遮るだけで外と家中の温度は同じくらい。
着るのは木綿シャツ、セーターコート(信じられない位重いんだ)。
で、学校へも買い物へも雪の中を1時間以上歩いていく。
電気もガス(プロパン)もあったが
電気は電燈に使うだけ、ガスは料理だけだったなあ。
アイヌの方がボロい家に住んでいるように見えるが、
実は移住してきた和人より暖かい暮らししてたらしいな。
>>220
それはいくら60代であっても貧乏だったのかもしれないぞ
いま77になる親父が大学生だったころに冷蔵庫もってたくらいだから >>222
あ そうだった、ごめんなさい。
洗うだけの洗濯機と製氷機付き冷蔵庫ってのが家にやってきたのを思い出した。
今よりあの頃が良かったのは
未来は明るいと信じられたことだね。
欧米の豊かな生活がいつか日本にも持ち込める筈と
馬の鼻先ニンジンみたいに皆必死だったね。
今は現状より良くなる可能性は少なくて 落ちていくかも、戦争が起きるかもと不安がよぎる。 うわー寒い火ぃつけよ
みたいな生活
砂漠地帯はそうして生まれた
朝鮮人に毛布を与えた日本人は世界一馬鹿
勝手に死なせとくべきだった
時代が30年くらいずれてないか?とも思ったが、どうやら九州の話のようなので納得してしまった
昔は地方との格差もすごかったようだし
>>225
あのしたたかな朝鮮人が寒さぐらいでくたばるかよ
お前、チョンをなめすぎ 俺のもんじゃ〜!ゆーて動物の生皮を剥いで身にまととるやないかー!バンバンえぐい
エスキモーとかさ、ガスや電気無くても北極圏に暮らしてた人々がいるんだから、大昔もなんとかなってたんでね?
そりゃ厳しかったろうけど
外出から帰ったままの姿でいるとストーブは要らない説
子供をたくさん生んでおけばなんとかつなげられりだろ
藁や木は断熱であったかくなるよ結構寒さ凌げる
金属やガラス、コンクリートは熱伝導が良くて冷える
家の中で灰とか埃吸ってじん肺になった人
たくさんいるんだろな
>>4
だな
遠赤外線効果で今よりも暖かいまであり得る >>29
セックス!セックス!朝からセックス!で乗り切ったんじゃね?