「ねぇ、おばあちゃんが戦争の話で、覚えてることってある?」
あるおばあちゃんの戦時中の体験談が、とても貴重だと思ったので紹介させてください。
2021年9月、孫のyoshinoさんが「戦争」をテーマに、おばあちゃんの昔話を聞く様子を撮影し、3つの動画をTikTokに投稿しました。
動画は計300万回以上再生され、13万7千を超える「いいね」が集まりました。
「教科書では教えてくれない、とても貴重なお話をありがとうございます」「こうやって話してくださる方がいることで、私たちが学べることってたくさんありますよね」と、お話を聞けることに感謝する声が寄せられました。
https://www.buzzfeed.com/jp/annekuninaka/yoshino-grandma-duringwar-sns もう被害者主観でしかない戦争体験談なんぞいらんわ。
バカチョン・ザ・ド=パヨクの恨日活動ネタでしかない。
全く当てにならないよ小学生どころか大人ですらな
GHQに検閲された「眞相はかうだ」とかで洗脳されて史実との区別が付かない奴多いし
爺ちゃんが戦時中遊んでたら機銃掃射さるたから竹槍で落とさしたっていってた
小学生2年の夏坊
そもそも高齢者の記憶って結局戦後見たテレビとかドラマの影響が大きいよな
多分色々混ざったものを当時の体験として語ってると思う
戦後体制下で語らてきた戦時の話は全て戦勝国が捏造した嘘歴史やから安心しろ
戦争体験を後世にって
言ってる人多いけど
全部とは言わないけど半分ぐらいはビジネスとしてやってるよね
情報次第
兄弟が別の地域に疎開したが、片方は空襲もなく食料も豊富で肥えて帰ってこれたのに、もう一方は疎開先でも機銃掃射に怯え食料も不足するはめになり痩せ細って帰ってきて、後で兄弟仲険悪になった
みたいな程度の話でいいよとなれば小学生の主観だらけの話でも構わないとなる
天草の人間だがウチの親父は小学生の頃原爆のキノコ雲見たとか言ってたな
そういや、南方落とした記念として小学校にボール寄贈されて、バンザイバンザイやっぱ戦争はこうでなくちゃと大喜びしてたとかいう証言あったなぁ
関東大震災時に、朝鮮人の迫害が起きた。
日本人として恥ずべき歴史。
当時の大人が、子供に対していかに朝鮮人が邪悪かを吹聴していた。
それを真に受けた子供が
外国人排斥を大真面目に考えていた。
人間など、簡単に洗脳される、恐ろしい存在。
隣の行方不明爺ちゃんに
夜は照明弾で明るく綺麗で爆弾が降ってきて
昼間は学徒動員
出兵で貨物船みたいなのに体育座りで戦地にいった
戦時中はリンチ凄か
ってきいた
父親は昭和二十年生まれだが記憶あるわけないな
実家にある祖父の従軍記録
なぜかプロマイドも挟まってた うちの爺ちゃんもよく特攻で敵艦に突っ込んだ話してたわ
ひもじかったとか怖かったとかなら覚えてるだろうけどはだしのゲンの後半みたいに政府がどうとか天皇がどうとかは完全に後付け
空から爆弾降ってくるって凄い体験だよな。地震とかなんとも思わなくなりそう。
俺の小学生時代の日常はクソみたいなもんだから覚えてないけど、戦争中ならインパクトある分覚えてる可能性はある
1銭で遊んで暮らせて
十円で豪邸が建った
100円の土地が億超えたって
カブがカブくってウハウハパコパコって
婆ちゃんがいってた
この世界の片隅に
をみて思ったけど、戦時中だって日常があったわけで
それをあまり見ずに悲惨だったひもじかったみたいな話ばかり聞かされるのは飽きる
都市部に落ちる焼夷弾が花火みたいできれいだった
なんて宿題の戦争体験レポートには書けんかったわ
正確には書いたんだがその空襲で親族を失ったクラスメートらのことを鑑み宿題やらなかったことにした
マスゴミフィルターがかかるから何歳の記憶でも信用できない
真珠湾の時に整備兵かなんかで配属されてて、その後加賀?に乗ってて生き残って帰ってきたじいさんを今日テレビで見た
真珠湾の奇襲成功せりと一報が入ってわぁっと皆で喜んだみたいな話とかもしてて
なかなかにリアルだったが、もう100歳とかでそろそろお話も聞けなくなるんだろうなと思ったもんだよ
ばぁちゃん茅野に疎開してたから御柱祭を見に行けてよかったとか言ってた
最近人生振り返って思ったのは
幼稚園とか小学校高学年のころは割と覚えてる事多いのに
小学校1〜3年のころ8歳前後の記憶がほぼない
高校の修学旅行の記憶すら怪しいので20歳以上じゃね?
>>7
家族水入らずで聞く以外のシチュエーションはパヨ臭くて話半分でいいと思う 空襲があって大変でしたって話は、災害があって大変でしたって話と、どんだけ違うの?
ショッキングな記憶は小学生の頃のものでも正確に覚えてるよ。
ただ、それを語るときにかなり盛ってしまうことが多いだろうけど。
武勇伝ならともかく逃げ回って草食べてた話なんか面白くないしな
うちのじーちゃんばーちゃんは、話したがらなかったな
>>42
再軍備や自衛隊を海外派遣したからって防げる話ではないが
青年海外協力隊やプラント技術者の優秀な若者がテロリストに惨殺されてるのが現実なのに
自衛官を海外に送って若者を殺すなってのは奇妙な話だよな 小学生の頃のクソビビった体験って一生覚えてるだろ
車轢かれた時のことは忘れられん
まさか父ちゃんが南シナから生きて帰ってくるとは思わなかった そして良い大工になり燃えにくい家をいっぱい建てた。書き手:母ちゃん
昭和13年生まれのうちのばーちゃんは、谷根千の根津に住んでいたために
空襲とは全く無縁だったんで、東京大空襲も知らんかった
母方の親戚の農家に疎開したために、食糧不足も知らず
戦後に帰ってきたら、家も学校も全部焼かれもせずに普通に存在していた
自分の行動範囲に、戦争の被害は一切なかった
戦後の思い出だって、上野で進駐軍の兵隊さんにチョコレートがもらえる
という話を聞いて、早速叔母と一緒に上野に行ったら、叔母(当時まだ20代)が
美人だったので、やたらチョコを貰えたという思い出ぐらい
とある爺さんの疎開した女学校でのおねーさん達とのエロ話は本当だと思いたい
今の日本で引き継ぐべきは
戦争の体験談より被災の体験談だろうに
いやいや
衝撃度合いでいえば、小学生の方が上なのでは
>>54
本物ならな
ただ毎年終戦記念日近くになると新しい手記が見つかる
あれはダメだ… >>1
終戦日1945年に15歳中学生としても2021年は91歳
それ以上の年齢でないと語れないね
同様の考えかたで兵士の経験があるのは95歳以上?
慰安婦とかもそんな年齢以上になるのか
もう伝聞ではなく実体験を語れる人はほんの僅か 大正生まれのひいじいちゃんは満州に行ったと言ってたな
捕虜に逃げられて上官にぶん殴られたとか
ひいばあちゃんは空襲にあってここにあった防空壕に隠れてたと言って散歩の時に教えてくれた
その防空壕は戦後すぐに埋めてしまったみたいやが近所に中途半端に埋めきれてない防空壕があったな
まだ数年前に存在してたからある意味文化財やわ
大正10年ころ生まれやから二人とも成人はしてたかな
東海地区の話な
将来今の子供たちが、このコロナの状況を覚えてるかだな。
お金のためと割り切っているからいいんだろうけど
年取ってから昔の辛い記憶だけを話し続ける人生ってなんなんだろうな
映像に残して開放してあげたほうがよっぽどその人のためになりそうな気がするが
>>60
むしろそれは覚えいないくらいの平和な世の中作ってあげたい ずいぶん昔に亡くなった大正生まれの祖父は日中戦争の初期に中国行ったけど、向こうでの話は聞いてもなかなか話してくれなかった
同じ隊で仲良くなった仲間がすぐ隣で銃弾受けて死んだりと辛い記憶が多かったみたい
ただ現地の人との交流もあったみたいで、薬の貴重だった当時は持っていた正露丸や仁丹をあげたら喜ばれたなんて話もしてた
今の戦時中の話は太平洋戦争末期に日本国内に残ってた人の話ばかりで遠征先の戦地で何があったかについてちゃんと伝わっていないように感じる
助けてください!意地悪な叔母に妹共々嫌がらせされています!
日本で戦災に遭った人が持っているのは空爆された体験
ヨーロッパや東欧のように苛烈な戦闘に巻き込まれた人々が持っているのが戦争体験
>>24
大抵盛った話
アメリカ軍では日本兵の頭蓋骨を祖国に持ち帰るのがブームだったので
捕虜を取らずに殺して頭を切り落として鍋に煮て頭蓋骨を作っていた
戦後になってから頭蓋骨持ってる奴らが叩かれるようになり
頭蓋骨は無縁仏として日本に返還された
個人の経験談は貴重なものだし、語り継ぐのも構わないと思うが
それを「戦争は悪いこと」「戦争反対」なんて結論に繋げるのは間違ってる
戦争に負けては駄目という結論なら正しい
人間の記憶なんて当てにならんってのは証明されてんのに
悲劇の場合は絶対正しいみたいな風潮あるよな
昭和一桁、十年代の言う戦争体験談はクソだな。
本当に戦争体験した人たちは語らなかった。
太平洋戦争より後に起きた朝鮮戦争なんて
生き証人が沢山いるはずなんだけど、朝鮮戦争で韓国軍が反政府活動した領民を赤狩りと称して
虐殺しまくったので、当時を知る人々は多くを語らなかった
ただし何故か太平洋戦争の事になると饒舌に語り出すw
>>70
もうやめようぜ
よりかわいそうな感じにアピールしたやつの勝ちって風潮はよお >>46
本当に本土空襲のような事態を防ぎたかったら、アメリカ中国ロシアなどの周囲の大国の歴史を学んで対外政策の傾向を掴んだり
第一次世界大戦後にパシフィズムに陥ったヨーロッパ諸国が防衛費を削りに削った結果、復活したドイツに大侵攻されたり
平和ボケを極めた東アジアの国の自衛官に「もっと国防について真剣に考えろ!」と怒られるくらい国防を手薄にしていたら
山賊に国を乗っ取りかけられた南マケドニアの話を聞いたりした方がマシ
なんなら信長の野望でもやった方が、空襲の恐怖体験を聞くよりもよっぽど国防についてまともな感覚が育つ
ハーディング大統領が日英同盟を壊そうとしたとき、幣原喜重郎が日米英三国同盟をもちかけて太平洋を平和の海にしておけば
第二次世界大戦で日本は二正面作戦なんかせずに済んだ 戦争証言とかあてにならんぞ 話を盛る連中いるからな イデオロギーもからんでw韓国の元慰安婦とか徴用工みてりゃわかるだろ
昔、朝生で自分は南京で虐殺された死体をみたって爺さんがいて
べらべら饒舌に喋ってたが、チャンネル桜がその爺さんんちに詳しい話を
聞きにいったら、呉の海軍士官学校にずっといて、チャイナにすらいったことない
じいさんだったってバレたんだよw
1980年代生まれが昭和を語るみたいなものですね
ガキが語んな黙っとけやボケって思いますわ
>>65
アカは15年戦争!とか言ってるのに
出てくる話の殆どが昭和20年のうちの半年くらいだしな 年を重ねるごとに記憶力が弱くなるのに対して逆に若いころの記憶は鮮明だろう
自分も幼稚園の時の事とかはよく覚えている
歴史の真実を知るものは実は少ない
なぜなら戦争に勝った側が自分らの都合のいいように歴史を改ざんしてそれを広めるから
その話が「真実」として世に広まってるに過ぎない
東京裁判史観はまさにその典型だ
>>69
限界だったから講和したっていうのが正解なんだが
実際食糧危機が起きたのは戦後なんだよね 初めての相手が、ベッドで子供の頃機銃掃射を受けたことを話してたな、萎えた
ネトウヨは都合の悪い歴史は無かったことにしたいんだね
>>75
韓国が信用出来ないのは朝鮮戦争を語らないから
朝鮮戦争なんて李承晩が北朝鮮の奇襲にビビってソウル漢江大橋を避難民数百名諸共爆破して逃げたのに
未だに漢江大橋どころか韓国にはその事件での慰霊碑すらないからな
胡散臭い慰安婦の銅像は建てるくせに 爺様が「オカラしか食えなかった」に対して「俺はオカラが大好きだ」と言ったら「当時はモノが無かったから今と違うぞ」と言われて「じゃ、それ食べたい」と言っちゃったモンで、爺様と婆様が張り切って楽しそうに再現してくれたら普通に旨かったw
オカラと油揚げは安く買えたとの事で、あとは各種山菜、キノコ、あるもの全て、濃いめの味付けだった。
(毎日食ってたから飽きたんだろう)
そういった記憶があてにならんことは韓国が証明してくださってるだろうが
うちの母は小学一年生でわりと平和な岡山の田舎だったから、さつまいもや麦ひえあわばっかり食べた記憶と、山の向こうが空襲か何かで異常に赤くなってた事しか覚えてないらしい。
戦争の悲惨さを見たかったらイラクとかシリアの現状を見るのが手っ取り早い
死んだ爺様海軍だったからその話になると饒舌になってたな。戦艦武蔵と縁があるらしい
昭和13年生まれの親父は母親に手を引かれて玉音放送を聞きに行った
周りの大人は泣いてるけど意味がわからなかったらしい
米軍機が機銃を撃ってきたとか防空壕に逃げ込んだとか怖い思いをしたシーンを単発で覚えてる感じだな
シベリア帰りのじいちゃんはツラいこと思い出すから話せないって感じだった
しかも妙に具体的で、事細かに話したりするが、自分が同じ年のころの記憶を同じように話すなど絶対無理。
なぜか都合のいいとこだけ昨日見てきたかのような記憶と言う…
何回も語ってるうちに絶対どんどん脚色して盛っていってるよね
目の前で爆弾がーとか米兵撃退したとか
あと自分だけは当時から平和主義の良識派でしたみたいな
終戦時に少なくとも20歳を超えていないと話にならない
きょうびはパヨクプロデュースの語り部しか出てこないから偏りは物凄く感じる
空襲で街の方の空が夕焼けみたいに染まってたっていうのは聞いたし、それくらいなら本物だと思う
ローカル線の終点の田舎だったので空襲はなかったが
街の人が衣服なんかと食料の交換を求めてきたという話をばあちゃんに聞いたな
今30代でも幼稚園の記憶はブロックノイズだらけでろくに思い出せない
記憶なんか曖昧なもんだししかも平和ビジネス絡んでるからほとんど眉唾やろ
記憶に残るものは幼稚園や小学生時代の事でも覚えておくもんだよ
人の顔は思い出せなくても何を食べて褒められたとか
自分は幼稚園の時に初めて人参の味噌汁を全部食べたら褒められたのは覚えてるw
>>63
うちもだわ
もう亡くなったが、学校の宿題で戦争体験を聞いてこいみたいなのがあって爺ちゃんに聞きに行ったがあまり話してくれなかった
後で聞いた話だが、爺ちゃんが派遣されてたのはビルマの最前線だったらしく60人の隊の中で生きて帰れたのは爺ちゃんとあと2人
そこまでいくと何も話したくないし思い出したくないよな 実体験者からの
苦情が来ない事がわかっているから
NHKとかは捏造放送をやりまくっているな
うちのジイちゃんはわりとデカい農家の長男で16歳の時に赤紙が来てイヤイヤ出兵したけど病弱だからという理由で出国検査に落ちて胸を撫で下ろして帰郷したら周りは結婚適齢期で貰い手が無い女達だらけでモテモテでウハウハになった
米に困らない農家は羨望の的で慎ましやかに暮らして気付いたら終戦だった
という感じだったらしい
そんな時代遅れの話じゃなくて今でも戦争してる国があるんだからそっちで聞いてこいよ
戦争の歴史だって日進月歩だぞ
>>81
> 実際食糧危機が起きたのは戦後なんだよね
そんなことはない、「コメを腹いっぱい食べて死にたい」
なんてのが常套句のように日記などで出てくるし 当てになるかどうか以前に怖い恐ろしいしかないわけよ子供なんだから
今のマスコミの論調そのまんま
何故日本あの戦争に進まざるを得なかっかのかとか当時の世界情勢がぬけおちてるのよ
25年くらい前は兵隊経験のあるお爺さんが多くいたから
色んな話を聞いたな、三八式歩兵銃は楽勝で命中するのに
九九式歩兵銃に変わったらクソで射撃に難儀したとか
特攻艇震洋の生産をやっていたとかな
>>110
ワロタww
語り部()やってる連中なんて盛ってたり語るたびに内容違ってたりやろなw 従軍体験者の手記で読む価値が有ったと思ったのは分隊長か分隊長代理以上の経験者の手記しか無い。
大抵大卒だったせいか戦後も軍隊でマネジメントの基礎を学んだ分成功した人が多い。
みんなそれぞれに祖父母からきいているのね
うちもしぬまで昔話をきかされたなあ。
死ぬことも、死を恐れる人間の声だけ拾って
しかも誇張してるだろうと思う。
死の恐怖はあったろうけど、個人差と年齢差、
それに男女差も相当違いがあったろうね。
たぶん女性の方が圧倒的に強かった。
>>118
アーロン収容所などは面白かっただろ
収容所では頭でっかちの将校が全くの役立たずで
スモールビジネス起こす商魂たくましい兵隊が
活き活きと活躍している様はまさに戦後日本の復興
に重なるものがある 低学歴の農村部の貧困層が多かった日本軍兵士
略奪&強姦が当たり前になっていた
食料現地調達&反日思想住民の抹殺
を命令していたのは日本軍司令部
>>120
確かにもし中国が沖縄を侵略しても俺も何も感じないかもしれないなぁ
死の恐怖なんて無いだろうし沖縄が中国になればそれはそれで海外旅行に気軽に行けるなぁ 印象の強い記憶なら断片的だが
小学生の方が鮮明に覚えてるだろ
トラウマで記憶改ざんされてる可能性もあるけど
都市空襲も戦争の一部だけどさもそれが戦争のすべてみたいに語る自称平和主義者達は歴史を軽視し過ぎ
>>121
俺が主に読んだのは光人社でアーロン収容所は読んでいない。奈良出身者がビルマ戦線・ニューギニア戦線・
グアム戦役・フィリピン戦役に多いのでそこが陸軍では中心だな。
戦後復興に当たってはGHQがマネジメントの基礎を学ばせる目的でMPTを配布しているのも原因と思う。
将校以上は作戦要務令を参考にした場合が多かったらしい。これは戦記では無くマネジメント系の書籍の受け売りだが。 非戦闘員を攻撃した大規模無差別爆撃は第二次世界大戦の特徴だからな
よく聞くのは空襲や戦闘の恐怖より
食べ物がない事が本当にツラかったと
餓死者もいたし
大和の元乗員だった爺さんに戦艦ヤマトVRを体験してもらったら
「有賀さんがそこで、長官はあっちで・・・」とか
生き生きと艦橋の様子とか語り出すドキュメンタリがよかった
>>127
MPT??モダンポートフォリオセオリーしか知らん
ていうか戦後日本企業の経営は米国流を嫌っているだろ
松下幸之助などは事業部制の推進者だったが。 >>131
すまんMTPの間違いだ。ちなみにマネジメントトレーニングプログラムの略だ。
そう言えば松下幸之助は朱子学だか陽明学だかの影響を受けたって本も有ったな。
後、イトーヨーカ堂とダイエーの創業者も。 外歩いてただけの一般民をわざわざ戦闘機が狙って
射撃してきたって体験はどんどん広めてくれ
>>111
ばーちゃんが「好きな人いたし、別にじーちゃんのこと好きでもなかったけど食いっぱぐれないから嫁に来た」って言ってたの思い出した 100年前の戦中戦後の話より今のパレスチナの人の話でも聞いたら?
まぁ、たしかに三国志とかも一人で何万人もの敵を無双したとかいう話になってんどろ?
歴史なんて言ったもん勝ちじゃねw
歳食うと、昔の記憶が曖昧なのと話を盛ってるのと
言っちゃえば80歳ぐらいのじいさんの50代の話でも当てにならない事がある
始末が悪いのが、若い時や何度も聞かれてる時に嘘言ったり話を盛ったりしているうちに、歳を食えば食うほどそれを真実として記憶してたりする
あれ?このジジイ話盛ってね?話の辻褄合わなくね?嘘だろ
そういう部分を指摘しても、本人は真実として覚えているから
>>141
三国志は史実と演義でちゃんと分かれてて
史実の方は1人倒すのにひーこら言ってて
3人に囲まれて傷を負いながら命からがら逃げ出せたってレベルがちゃんと残ってるからマシ
戦争体験なんて
悲惨さ語らないと真実と見なされないフィルターかかるし うちの親、満州生まれ(戸籍も満州国奉天市鉄西区)で本土に帰って来るのがすごく大変だったよ。って言っているのは信じている。
割と遠くても原爆の炸裂した瞬間は判ったらしいよ。吉田に疎開していても(広島から40キロくらい)校庭で朝礼中でキラッと光ったのに気付いたらしい。半日くらい経て傷だらけの人が沢山送られてきて
その衝撃的な姿の死にかけの人の口から事の重大さを知ったらしい。
沖縄戦の体験談なんて当時4歳とかいる
小学生なら昨日のように正確に答えられるよ
日本軍が沖縄人狩りして5万人を殺したとか
嘘と思うならググれ
近所の爺さんはシベリア抑留から帰って来たけど、戦争の話は一つもしなかったな。母方の爺さんはすげー喋ったけど、衛生兵だから見聞きした話が多かった。父方の爺さんはミャンマーで戦死した。
子供の体験は子供の体験以上にはならない
戦争でそこまで嫌な思いしなかった人だと未だに戦闘機とか大好きなおじいさんとかいるし
戦時中警官が学校でいばってたのに負けたら米兵にへいこらして言うこと変わってムカついたから警察嫌いとか話す爺さんいたけどそれだけの話だわな
ウチの因業ジジイは恩給でたまに小遣いくれた
ボケてホームに入ったが恩給と年金使い切って○んだわ
日本国民全員が空襲被害にあったわけじゃないしな
今年30歳の日本人の俺が2003年のイラク戦争の被害を熱く語るようなレベルだろ実際
>>145
亡くなった母方の曾祖父(元宮大工)が今の北朝鮮あたりで軍の偉いさんの屋敷を建ててたんだが、その方から「何も聞くな、とにかく日本に逃げろ、今すぐだ」と言われ逃げ帰った言う話を良く聞いた。
周囲は何も聞かされてなく、軍族だけが逃げたのをトラウマにしてる風だった。(教えてくれた方は帰ってないそうな) 当時2歳でタイタニック号沈没の証言してる人も居るし…
なんで中国残留孤児がいるのに朝鮮残留孤児がいないのか調べるなよ。
戦場から無事帰ってきた爺さんも戦争は悲惨だ、二度と繰り返してはいけない以外言ってもマスゴミは聞かないから言わないだけだしな
うちの身内の戦争体験も節子と同じ歳の親父の空襲体験だけになった
従軍経験がある方々が今や100歳前後
この10年で語り部はかなり亡くなられた。
バンドオブブラザースみたいに、ちゃんと
所属部隊の方々が誇りを持つ形で遺しておきたかった
通り一遍の「戦争は悪、平和が一番」ばかりでなく
>>156
極少数だがいるよ
ドキュメンタリー番組で見た事ある
少ない理由は戦後でも戻ってこれたから 90以上くらい?
語らせるのもいいけど、史書的な記録を残そうとしてたりはするのかしら?
>>158
負け戦させられて肯定できる兵士がそう多いわけないやん
坂井三郎は水木しげるに戦記ものは勝ったこと書かないと売れないよとアドバイスしてたけど無茶ぶりすぎる >>153
主な都市圏は空襲受けてるので直接的な被害はなくても火炎を目撃してる
うちのお袋は爆撃孔の水溜まりから死体の手が伸びてたのがトラウマになってた まあそんじょそこらの体験じゃないからな
現代の小学生の日常と一緒に考える方がおかしいだろ
実際問題として実体験にすら戦前戦中の大本営発表や戦後の反戦報道でかなりバイアスがかかってそう
>>164
うちの親父はグラマンの機銃掃射を目撃、原爆のキノコ雲を目撃
戦後に友人が不発弾弄くってて爆死
を経験してる おら、早くそのサイトの文章の証拠を提示しろよ馬鹿。
結局逃げるのか馬鹿。
基地外の上にチキンなのかよ?
それと結局重力の話も逃げるんだからお前は真正の馬鹿なのが証明されたな。
お前は迷惑を掛けるのが楽しいと言ってるのだから、
知的障害だけでは無くて、人間性も最低の屑だと証明されたな。
俺は今まではお前の事を池沼だが、馬鹿なりにこの作品の事を考えている、同じ作品のファンだろうと、
まだ思って居たが、お前はそれすらも己の言動により捨てたな。
お前は池沼だけでは無くて人間性も屑の荒らしだな。
重力の話についても支離滅裂で何一つ論理的な反論の出来ない馬鹿で、
その上人間性も屑。
お前にはもう何も残って無いな。
自らの書き込みによって知能だけでは無くて人間性も屑だと証明するとはな。
その屑っぷり、正にチョンだな。
それと、早く林と言うチョン臭い名前の男の主張の証拠を出せよな。
結局ビビッてここには来れないのか?
池沼、
精神病、
その上チキンまで確定したのか。
おばあちゃんの村では戦争に男が行って男がいなくなって、
女性が村に残った校長先生の子を宿しまくりで、子供の顔がほぼ似てる状況が発生して
大変だったと言っていた。
遂に自分で狸と認めたのか。
畜生と言う自覚が有るのは良い事だな。
鉄砲が祖父と祖母の住んでいる家にあって、弾を込めるときの引き金がすごく
重かったのを覚えている
「昔の人はこれを片手で楽楽引いてたのよw」と言ってたから、弾があったら
ちゃんと発射出来てたかもしれない
>>180
空気銃なのかなぁ、重さが15kgあって子どもじゃとても扱えるシロモノじゃなかったw >>135
正確に本当の事を言うと若者に引かれるし、自分もトラウマなので、
むしろ話をソフトにアレンジしていると言っている人いた >>181
サバゲ用エアガンなぞは発射ガスを圧縮する必要があるんで強力なスプリングが使われてるんだけど、本物は排莢と撃針を引くだけでいいんで軽く作られてる。(エネルギーは火薬なので)
ただ、38式小銃も99式小銃も4キロ程度なので、99式軽機(13キロ位)かもしれんな。
なお、軽機のボルトハンドルは子供には重い。 うちの婆ちゃん終戦時10才だったみたいだけど
貧乏だったけど、別に戦争の実感なんて無かったみたいだよ
結局本土決戦無かったし、空襲の真っただ中を経験でもしてなきゃそんなもん
母は中学の校庭で友達が機銃掃射で殺されたのを見たそうだ
ケロッと言ってたんでトラウマでもなんでもないようだ
>>185
爺さんもそんな感じ。
名古屋に住んでたんだけど、B29の位置で自分の地域がヤバいかどうかを(近所の親父と)当ててたそうだ。
かなり遠くで爆弾扉が開くと防空壕に飛び込まなくてはならないが、比較的近くなら大丈夫とかの謎の知識。
(叔母さんいわく)実際は疎開してるんで、数回の経験を延々と話してるんだよと笑ってたw うちの親は空襲で山に逃げた記憶があるって言ってたな
B-29が届かない地域で艦載機による爆撃だったが
被害は小さくなかったらしい
>>188
艦載機に撃たれた友人がケガですんだって話も良く聴かされたんだが、叔母さんいわく「ありゃグラマンの薬莢に当たったんだよ」で、そりゃそうだよなと思ったw
爺様は話をデッカくするのが好きで、叔母さんはその鼻を挫くのが好きらしい。 俺の爺さんは明治45年生まれだったんだけど戦争に関する事は思い出したくないのか一切喋ってくれなかった……
日中戦争には従軍したらしいけど太平洋戦争には従軍したのかどうかわからない
昭和20年時で33歳だからどうだろうかね
>>1
家の亡き両親が戦時中小学生だった。
そんな俺は団塊jr世代の氷河期世代で
何故か世間やネットで団塊の子供扱い枠
理不尽過ぎた人生。 祖父母は起業家で満州帰りで軍人に
財産没収され無一文同士で結婚。
祖母の島で漁師に二代目の父までで
兄が後を継がない為
陸に上がり
私は虚弱で兄とは歳が離れており
父が陸に上がった時は小学生で
父に相手にされて無かった。
ので、陸にあがり貧乏家庭化。
祖父か、満州行かなければ
尾道出身の祖父は広島中心部で
起業していたら、私は産まれて居なかったのでは..と..。
運命の皮肉。
彼らは戦争を経験した世代と呼ばれ、我々は戦争を知らない世代と呼ばれ
凄惨な体験をした彼らの言葉が、昨今の国際情勢や日本の再軍備に対する戒めとして用いられる
尊大甚だしいと思う
近代日本に限っても、前大戦の他に、戊辰戦争を始めとする無数の内乱と
日清戦争を始め4つの大きな戦争に参加してる
それらも立派な”戦争”だが、前大戦のような被害を国民にもたらさなかった
”戦争世代”は前大戦という人類史上最大の規模の国家総力戦と
近代稀に見る無条件降伏という非常に特殊な経験をした世代であり
当然ながらそのような体験が客観的に戦争の本質を理解することに資するはずがない
特定の戦争でトラウマを負った彼らの否定的見解ばかり見聞きすることもまた戦争を理解することに資さない
フィンランド人やポーランド人の戦争経験も聞けばいい
偏った認識こそ戦争の元だ
お腹すかしてたので不謹慎替え歌こっそり歌って気を紛らわしてたってじっちゃんがゆってた
見よ東條のハゲ頭♪
2015年に高畑勲監督の戦争体験を聞く機会があったけど
火垂るの墓みたいな事は無かったけど空襲は火垂るの墓より凄い爆撃をされた話をしていた
終戦時10歳くらいだから小学生の時の話
平和は本当に貴重な物だから守らないといけないと力説していた
ヘリはさすがにないけどジープは戦争初期にフィリピンで捕獲して
パクリジープを試作してた
>>3
当時の軍人の下っ腹(当時の偉いさんの年齢は現存してない)ですらそうだからね
人の記憶とは変わるもの
時間が経った記憶ほどあてにならないものはない ないな
あと、地域差でかい
父親は戦時中に食い物ないとも
防空壕に逃げて大変もない
なぜなら、超ドケチの家でそもそも塩が多すぎて発酵しない味噌汁に麦飯に、海行って魚とってくる生活で
食い物が変わらなかったようだ
町からはずれていたし
家族構成、年齢でも違うから無駄
俺の爺さんは学徒動員で飛行機作り、もう一方の爺さんは出征少し前に終戦で事なきを得、婆さんは風船爆弾の作業と聞いた
嫁の爺さんはシベリア抑留で、シベリアに行ったとそれ以上のことは一切話さなかったし聞けない雰囲気だったそうな
ほんと立場が違えば戦争への想いも違う
>>202
空襲にやられた名古屋住まいの爺様が本家(岐阜の山の中)に行ったらのどかだった言うてたので、地域差ありまくりだったんだろな。 ばっちゃが平塚の空襲で背負われて逃げてる時に、焼夷弾が降ってきてる光景を良く覚えてるって言ってた
俺は親父の背中におんぶされて
ゼロ戦で鬼畜米英と戦った記憶があるぞ
>>1
勿論ならんよw
辛うじて戦中生まれ←に毛が生えた程度の奴がドヤ顔で戦争語ってるようなのを見たら最大限疑いの目で見て話8割引きで聞いた方がええわw 図書館にシリーズ10冊くらい疎開の体験談まとめてたの読んだんだけどほんとどの体験も田舎と都会の衝突とかキツイいじめとか辛い話9割
ごく一部疎開先で辛いけど学校みんなで仲良くやって辛いけど楽しそうなエピソードあるんだけど受験控えてる女子校とかだったよ…
地元の人からも優しくされてて
別学でなんか目標(受験とか)あるような学校の方が今も昔も過ごしやすいんだろうなと思った
爆弾落ちて逃げ惑う事もない飢餓も経験してもない、安全圏でポテトチップスをがしってぬくぬく生きているものが、あーこう高飛車にいっている姿をみると反吐が出る
>>7
戦争体験を後世に伝えるために話しをしている大半は無償ボランティア
主たる地方自治体経由でも伝える場所へ言って下さいと言うものも交通費のみ
戦時関連の記念館など、例えばひめゆりの館長にも元学徒で悲惨な体験をしそれを伝えるものがいるが、金を目的としたビジネスでやっている訳ではない 【12月8日にこそ考えたい 大東亜戦争】
何故、日本は戦争を選んだのか?
何故、日本国民は戦争を支持したのか?(21/12/08)
>>1
忘れるはずがない
アメリカは航空機によるテロを人類史上最初に行った国
https://plaza.rakuten.co.jp/hanagasaku/diary/200608180000/?scid=wi_blg_amp_diary_next
美「飛行機の上から撃つのよ。ほとんど面白がって撃つの。」
江「低空飛行っていうのは、どのくらいまで下がってくるんですか?」
海「顔が見えますよ。」
美「顔が見えるくらい。」
お二人が同時に答えるのに、太一くんは驚き、江原さんは何かが腑に落ちた表情に。
江「実は祖母からね『本当に操縦しながら笑ってた』とかね。
作り話だろうと思ってたんですよ。顔が見えるまでね、
『そんな低空飛行ないだろう』と思っていて。」
美「面白がって来るのよ。それで飛んで来るときにエンジンを切ってくるの、
音がしないように。スーッと無音のまま、爆音がないのよ。
そばに来てから、急にエンジンをかけて。
私も千々石(ちぢわ 長崎県)ってところに疎開して、機銃掃射やられたんだけど、
面白がって撃ってるの。標的をゲームでダーっと撃つみたいに。
私たちは逃げ惑うじゃない?そうしたら、また引き返してくるのよ。
もう、面白がって楽しんでるの。」
国「信じられないですね。」
美「そうよ。」 >>217
1938年、中華民国首都重慶。
民間人多数であるため当初は軍事施設のみを狙ったが、度重なる視界不良で爆弾を持ち帰る事が多く、ある時、
「ま、ここらだろう」「投下」。
後の無差別爆撃の始まりである。 >>218
無差別爆撃を始めたのは国民党
第二次上海事変でだ >>217
奇襲紛いの真珠湾攻撃仕掛けた国が何言ってんだか
お互い様よ >>223
真珠湾の戦艦の中には小学生がいたのか! たまには「当時軍需工場経営していて、軍から
配給が山のように来たから生活に困らなかったわw」
みたいな証言ないもんかな?
>>198
そんな文明の利器が有るなら何故関東軍は後方攪乱を目的とした部隊の移動手段に
1人乗りの気球を使用したんですかね?(ソースは『関東軍特殊部隊:光人社NF文庫』)
>>218
中国国民党軍に軍事支援していた事で知られるドイツ軍が、スペイン内戦に介入した時の
ゲルニカ爆撃(1937年4月26日)が最初やぞ。 >>162
坂井三郎、大好きだったけど、wiki読んだら、すごく微妙。 証言してくれる人がいなくなったら
ウリ達、活動家はどうやって活動したらいいニカ?
終戦の三年後
忘れられない、ではなく絶対に忘れてはならないと決意を新たにする遠藤さん
https://blog.goo.ne.jp/baileng/e/511baaad9aa3364c9be6f2e501896f55
>私が中国の「言論の自由」にこだわるのは、私自身が経験した革命戦争における惨事を、65年経った今も中国政府が認めようとしないからだ。
>しかし、この犠牲者の中には「長春で中国共産党軍が餓死に追いやった数十万の一般人民」は入っていない。
>なぜなら丸腰の人民の命を奪ったのが「人民の味方」であるはずの中国人民解放軍だからである。
>9月20日、私たちはいよいよ長春脱出を決行することになった。その前夜、末の弟が餓死した。
>「卡口」には国民党の兵隊が立ち、一人ひとりの身分を確認しながら「ひとたびこの門をくぐったならば、二度と再び長春市内に戻ることは許されない」と言い渡していた。
>戻るはずがない。餓死体が街路に転がり、人肉市場まで立ったという所には二度と戻りたくない。この門をくぐりさえすれば、「解放区」がある。「解放区」とは八路軍(中国人民解放軍)によって解放された地域のことだ。
>しかし、その門は「出口」ではなかった。
>真の地獄への「入口」だったのである。 向島辺りの隅田川は死体がいっぱい浮かんでたってばあちゃんがよく言ってた
田原とかが偉そうに言ってるけどおまえに戦争の何がわかっんだってはなしだ
戦後生まれとそう変わらねえくせに
一人ひとりの記憶は頼りにならなくても、それが幾十幾百と積み上がれば当時の状況が全体図として見えて来るからな
実際当時庶民や子供だった人の証言のお陰で、研究者は当時の世相や市民生活を把握できるわけで
1999 関東大震災
2007 満州事変
2009 国際連盟脱退
2012 2.26事件
2015 欧州でWW2開戦
2017 真珠湾攻撃
2020 絶対国防圏陥落
2021 終戦
2028 主権回復
こんな感じで仮に今年が戦争終わった年だとしても
空襲とかあってもここ1年ぐらいの出来事だからな
そこまで記憶に残らんだろ
むしろアメリカに占領されてて、情報規制されてた
戦後のイメージのほうが強くなるのでは
証言を聞く奴が日本が悪いで凝り固まったパヨだから、
最初からバイアスかけて、そっちの方に言わざるを得ない面が多なんだろうな
逆にのこと証言したら糾弾されっかんな
>>235
なお陸軍は効果が薄い割に民間人の犠牲が大きいとして爆撃を中止した 慰安婦の証言
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/52778489.html
慰安婦は被害者で日本が加害者?どこがやねんっていう・・・
日本の昔の政治家は知らなかった気づきもしなかった
こういった事をね
↓
韓国の左派は朝鮮半島を統一したい。
その踏み台となるのが韓国から敵性国家の役回りを与えられてる日本。
「統一するのに北朝鮮が敵では都合が悪い。朝鮮半島の敵が必要だ。」
「日本という敵に討ち勝って我らの南北統一国家を取り戻す」
「そして南北統一後も統一を維持する安定剤として反日を利用し続けたい」
慰安婦婆さんも徴用工も左派に利用されてる道具に過ぎない。
利用されてるリプリー症の人達も一方的に利用されてる訳じゃなくて従北反日左派を利用してる。韓国という国は実に罪深い。
※リプリー症候群とは・・・つき続けた嘘を真実だと信じるようになる病。反社会的パーソナリティ障害
◆
つまり韓国と日本では慰安婦合意に取り組む目的がそもそも全然違ったというわけ。
日本の政治家は日韓関係の未来を良くしようと考えたが甘甘だったと
「韓国の左派にとって反日は対日外交カードでは無くて
日本を踏み台に半島統一を達成するぞ」だからね
日本の左翼の連中はこんな韓国人どもを未だに妄信してるマヌケ
◆
今後も東アジア情勢を何も知らない欧米人は被害者コスプレする韓国人に騙され続けるだろう
韓国の反日市民団体が行なってる事は
【人権問題・歴史問題】では無くて【政治活動・経済活動】であるという事に気づけないから