>>35 生田警察署襲撃事件とか東成警察署襲撃事件か
生田警察署襲撃事件(いくたけいさつしょしゅうげきじけん)とは、現在の兵庫県神戸市中央区にある生田警察署が襲撃された事件である。在日朝鮮人(当時は法的には朝鮮半島は日本の領土)からなる暴徒によって1945年(昭和20年)12月24日、および翌1946年(昭和21年)1月9日の2回続けて発生した。
1945年12月24日午後9時頃、50名を超える朝鮮人の暴徒が「岡山の刑事を出せ」と叫びながら署内に侵入。署員を拳銃・日本刀・匕首を突きつけて軟禁した上で、岡山県警察部の捜査員を探し始めた。襲撃以前、岡山市内にて7人組による拳銃強盗事件が発生しており、強盗犯を追って岡山県警の捜査官が神戸市まで出張にきていた。この捜査員に生田署が協力していたため、暴徒の襲撃を受けることになった。
東成警察署襲撃事件(ひがしなりけいさつしょしゅうげきじけん)は、1951年(昭和26年)12月1日に、大阪府大阪市東成区で発生した事件。
1951年11月10日午後6時頃、大阪市東成警察署の警察官が泥酔している在日朝鮮人男性(安重鎔)を生野区大友町で発見、保護した。保護後、男性の容態が急変し、治療の甲斐なく午後7時30分死亡が確認された。
司法解剖の結果、死因は肝臓が破裂したことによる多臓器不全であった。彼は泥酔しながら自転車に乗り、誤って転倒した時に身体を強く打ち、動けなくなったところを警察官に保護されたのであった。
翌日、署長は面会に訪れた遺族に、事の次第を詳細に説明したが、朝鮮人は男性の死を警察官のリンチによる殺害と決め付けて、一方的なデマを流し、東成警察署に抗議するようになった。