戦後の引きあげと日本人が置き忘れたもの【CGS ねずさん 日本の歴史 13-8】
>>1 10:10
外地に住む日本人で,復員(Demobilization)できない人達が,いた。
満州(Manchuria)に,いた日本人らは、帰国できなかった。
奉天市(Mukden)や、長春市(Changchun)の町に,幽閉された。
当時、中国大陸(Mainland China)に,いた,日本人は,資産を持っていた。
資産を,片っ端から奪われた。
女性であれば,強〜姦された。
満員電車のような状態で監獄に押し込められ、立ったまま眠り、大小便も垂れ流し。
名前を呼ばれ,外に出された。
生きて戻った人は、手足の骨を折られているなどされていた。
拷問は,頻繁におきていた。
満州(Manchuria)に,取り残された日本人は,戦後も大変な苦労をした。
12:56
日本の,戦争賠償と戦後補償(war reparation)について
上のグラフは、国家としておこなった戦後の賠償額です。
当時のお金で、一兆3,500億円。
大卒の初任給が 6,000円ぐらいだった時代。
民間ベースで、約 13兆円。
さらに、現地に工場を建て,現地で人を雇うなどして援助を続けた。
14:42
当時、我々は,さまざまな国々を占領した。
しかし、占領したことの怒りより、戦後の日本の対応に怒っている人が多い。
各国は、大きな勘違いをしている。
外国人は、占領した兵隊たちに怒っているわけではなく、僕らに対して怒っている。
でも僕らの世代は、賠償金の他に、ODA(Official development assistance)という形で,賠償している。
でも、日本人は恩着せがましく言わない。
中国(China)などは、日本から技術と, ODA (Official development assistance)を享受しながら、国民には伝えず、反日プロパガンダばかりおこなっている。
日本人は,大きな,認識違いをしている。
戦争をして、植民地にしたから,責められているのではない。
戦後の処理が悪いと,言われて,責められている。
戦後の賠償をしていないと思われている。