2019.11.1
特番『チュチェ思想の恐怖、脱北者の実態とは・・』ゲスト:ジャーナリスト 篠原常一郎氏
>>1 チュチェ思想研究会(주체사상연구회)
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)及び朝鮮労働党の公式政治思想である
14:51
朴 元淳(パク.ウォンスン)弁護士はソウル特別市長になってから.左翼利権をつくりだして、デモ隊はほとんど左派団地と言わている。
左派団体の推薦がなければソウルの市営住宅に入居できませんから。
そこからバスを繋げてデモ隊を送り込むという…。
15:08
そもそも、なぜ日本にこれほど「チュチェ思想」が浸透してしまったのか?
15:13
日本の「チュチェ思想研究会」は1971年に正式に誕生したといわれている。
15:34
要するに「ベトナム戦争の出撃.後方.兵站基地」であった沖縄県で、共産圏諸国による広報かく乱工作がおこなわれた。
しかしロシアがロシア人を使っておこなうわけにはいかない。
そこで、多分、朝鮮人がその担当を担ったのでしょう。
15:21
沖縄県にも現地居住の朝鮮人がいます。
そういうものを利用して工作したのが、「日本でチュチェ思想が広まった」きっかけの一つ。
16:03
日本は日本で、別口で「チュチェ思想」を布教させていたんですが。
沖縄県は昔から「チュチェ思想派」の拠点だったんです。
16:10
でも、その後、「チュチェ思想」が広まったというのが不思議です…。
16:13
共産党員としての経験でお話します…。
左派というのは.例えば、1989年のベルリンの壁崩壊、1990年の天安門事件、1991年のソビエト連邦崩壊という節目…
いわば.自分たちが一つの目標にしていたり、精神.安定の拠り所にしていたものが崩れていった。
社会主義圏が無くなっていった。
そのことで敗北感や喪失感があったなかで、北朝鮮が拠り所になった。
北朝鮮はあんなに小さな国なのにアメリカを相手に頑張って抵抗している。
北朝鮮は何故なんだ?という希望から「チュチェ思想」に嵌っていったのではないか