明治政府はなぜ北海道・夕張を開拓して街を建設したのか 知られざる夕張開拓の歴史
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1f9871b0b3d0f23b36b640f5f360066a2527427a 2019年に「攻めの廃線」によりJR石勝線夕張支線の廃止が行われた北海道夕張市。「攻めの廃線」により便利になったはずのバスネットワークであるが、深刻化するバスドライバー不足の問題から2023年10月1日には夕鉄バスが運行する新札幌駅行のバス路線が廃止となり、今年2024年10月1日には北海道中央バスが運行する札幌駅前行の高速ゆうばり号と岩見沢行の路線バスも廃止となり、夕張市と市外を結ぶ路線バスも消滅する。
北海道夕張市は、国内屈指の炭鉱都市として栄えたが、1990年には市内最後の炭鉱となる三菱南大夕張炭鉱が閉山し、夕張市内から全ての炭鉱がなくなった。その後、「炭鉱から観光へ」のキャッチフレーズのもと石炭の歴史村を始めとしたテーマパークやスキー場の開設、映画祭などのイベント開催により地域経済の再生や人口流出の抑止、雇用再生などを図ろうとしたがことごとく失敗。2006年に財政破綻した。
財政破綻後の夕張市には、鉄道インフラやホテルやスキー場なども残されたが、2011年に市長に就任した現北海道知事の鈴木直道氏により、鉄道は「攻めの廃線」として自らJR北海道に対して廃線を提案。さらに、市が所有するホテルやスキー場などの観光4施設を中国系資本の企業に破格の2億4千万円で売却。このとき売却先の中国人社長と行った共同記者会見の場で鈴木氏は「夕張を国際的な観光地にする」と発言していた。
しかし、そうした期待とは裏腹に2019年の「攻めの廃線」と同年、この中国系企業は夕張市から取得した観光4施設を香港系ファンドに約12億円で転売後、これらの施設の運営会社は倒産した。石炭産業の消滅により夕張経済の最後の砦であった観光産業も消滅してしまった。
こうした夕張の街は、いったいいつ、何の目的で開拓され街が建設されたのだろうか。