当時、一部のパッカーの自慢話と武勇伝に辟易して、誰とも関わりたくなくなった思い出。
>>2
俺も同じ。
日本人バックパッカー軍団に嫌な思いさせられて一人で旅するようになった。
欧米人パッカーと話しても疲れるか一人で旅してた。
まともに口聞いのは世界中の売春婦だけ 10年ぐらい海外旅行してないけど。
10年前に東南アジアとオーストラリアを旅行したときに、もう本格的なバックパッカー文化なんて終わってるんだなって思った。
なんちゃってバックパッカーとかツアー軍団ばかりで居場所がなかった。
>>3-4
>>2ですけど分かる。
白人、特にアメリカンのコミュ力は異常と言うより病的。
パッカー=旅人と言うよりもパッカー=アドベンチャーみたいなイメージできてるから、オレはちっちゃなデイパックだけで旅してんのに、エベレスト行くような重装備の白人が多くてびっくりした。
インターネットが如何に革命的だったかだよね。 タイ、キューバ、スリランカには未だに大勢の露助が立ち往生してるようだが
海外旅行が一瞬にして出来なくなる時代になった。
コロナ前に長期旅行出来なかった日本人も、今後は厳しいようだね。
まさか戦争になるとは誰も予測してなかっただろうから。
少しでも若いときにと思って40代でサラリーマンにやめて旅行していてよかった
老後は旅行三昧とか考えていたら今頃絶望していた
それはよかった
自分は20代でやってて、今30の後半だけど、
若いうちにやっといてよかった
また行きたい思いはある
体力あるうちに行きたいね
40もアリだと思う
10年前に1年強プラプラしてたけど、当時ドルが80円前後で今見るとお得だったな。
今は118.9円で1.5倍だもん。ユーロも1.3倍。
石田一成がトレンディだった頃にタイは若いうちに行けってタイ航空だったかのCMがあって、既に若いうちにタイに行ってた自分はニンマリとした思い出。
昔はインドで100円のドミとかに泊まってたけど今は五つ星に泊まってる
日本人多いドミ泊まると仕切る人とかいてほんと地獄だった
みんないつまでいんだよ!と思って5日くらいで宿変えたんだけど、4日目の夜サプライズでお別れ会してくれた
ロシア人みたく一瞬でバックパッカーから難民に転落するケースがあるから
コロナ前にやっといて良かった
カルカッタがめちゃくちゃだった35年ほど前にインドに初めて行った。
インドへ行くと人生感が変わるよ?と言う話をよく聞いてたけど、何てことなかった。
中国へ先に行ってたからかもしれないが中国の方が衝撃的で楽しかった思い出。
カルチャーショックが大きかったのは中国とアメリカだな
>9
自分が旅行してた頃は145円を超えてた。
でも911テロが起きる2年ぐらい前で行っといて良かったよ。
それまでけっこう自由にアメリカ行けたのに、あれ以後
イスラム圏のスタンプがあるだけで入国審査に手こずって
楽しさが半減したような思いだった。
「こんな国に行く必要ないだろ!テロリストの仲間がいるのか?」
と女の人に怖い顔で言われたときはマジで嫌になったもの。
ネット出現後とそれ以前の旅人は大きく違う
ネット前は盛んにコミュニケーションしないと情報が得られなかったし、一度知り合った旅人と再会なんて偶然以外叶わなかった
ネット後はメールなどで連絡しあって途中で再会できる。リアルタイムで日本の情報が入る。
日本の文字や情報と切り離されることで海外に来てる実感があるわけで
ネットのせいでかなり異国来てる感が薄らいだ
またスマホ普及後は発展途上国の現地人が変わった
カメラ、ウォークマンみたいな先進国の人間の持ち物にあいつらが関心示さなくなった
今は現地通貨をカードで直接引き出してるだろ。さらに進んでスマホタッチとか?
おれはもうそこからついていけない
自慢話を一つすると旧ユーゴスラビアの国々が内戦が終わって
やたらフレンドリーで、老若男女から厚遇を受けた
結局、特権を利用して女の方ばっかっりコミュニケーションしちゃうが
ハイティーンの女でも只でセックスが簡単にできた
味を占めて各地でヤリまくった。本当毎日のように出来た
結局2〜3ヶ月居た
白人女も何タイプかあってそれぞれ味を覚えたというか
危険話ではパキスタンで誘拐されそうになった
二人組の男と仲良くなって車に乗せてもらって、ちょっと走ってから降りたんだ
そして3人でまず飯食おうとなってテーブルに着いたら5分ぐらいして
ダっと二人が車に駆け込んで逃げた
呆気に取られたんだが
「お前は運がいい、あいつらは犯罪モノで、お前を誘拐しようとしてた」
と食事処の主人に言われた。そういう会話を二人がしてたんだと
要は指名手配中か何かだったらしい犯人が「勘づかれた」と速攻で逃げたってこと
パキスタンのホテルのレストランでなんだったか忘れたけど頼んだら、出てきたのが1時間後だった思い出。
>>17
「今は便利だよなー、歩き方やロンプラが普通に買えるし
日本人宿に行きゃ情報ノートがあるし、バックパッカーも
うじゃうじゃいるからいくらでも情報交換できるし。。。」
って30年ぐらい前に旅行者同士で話していたのが懐かしいよ。
その後すぐHotmail使って遠く離れた国の旅友と会話出来るようになって、
「来月カオサンで会おう」なんて出来るようになったときは
すごい時代になったなあと感激したもんですよ。 これからパッカーになる人には厳しい時代が到来した。長期旅行のコストは益々上がるだろう。
プーチンは旅も破壊した。
>>21>>20
発展途上国の物価が昔より上がっちゃってるし、自分はいい時に旅したと思ってる
中国でどの都市にいても宿代+食事代だけなら1日千円〜千五百円でやっていけることが多かったけど
今は無理でしょう
チベットなんかも漢族色に汚染される前の姿ん時に行けて良かった
日本人宿に行って情報ノート読んだり、日本から来たばかりの旅人から日本の情報聞いて
バックパッカー全員で盛り上がったり、ってのも面白かったなぁ
そういう時代を経験すると、スマホで常に最新情報を知って、スマホのナビで歩いて
効率よく観光してる現代パッカーが「なんか違うだろ、それ」って思っちゃう
まぁ日本に来てる外国人もスマホで歩いてるから日本人に道を尋ねることもしないし
世界全体の傾向なんだけど
ブータン人もスマホ持ってるらしいから 旅に出ると小ネタが毎日のようにあるけど今も変わんないのかなぁ
いや、減ったと予想するけど、一例を出すと
北タイのある街で朝食食ってたら宿に(うろ覚えだけど大使館関係筋の日本人が来て)
ある日本人ツーリストを探してる。知らないか?と。そして手製のポスターを宿に貼ってった
××君はシンガポールに入国し、×月×日、タイのハジャイに入ったことが確認されてます、とある
妙なのは「どこどこで不明」ってことでは無いと。普通は消息をたったって書かれる
宿で他の日本人たちと話題になったけど、ただの家出じゃないかという推測になった
でもやっぱ他人事ながら心配しちゃうわけ
翌日、例の大使館筋の人?なのか在住日本人が来て「見つかりました。バンコクにいました」ってことだった
こういう小ネタには欠かなかったよなぁ、居る国にもよるけど
>>19
出てきただけ良心的じゃん
俺の場合酔ってたから、注文したこともされたことも忘れて店出たことがあるぞ
出てこなかった料理もしっかり勘定には入ってたw そういえばタイ・メーサイのプラザゲストハウスって畳んでしまって
今は跡形もなく草木に隠れちゃってんだね
最近ネットで知って時の流れを感じた
ログハウスで、粗末な作りだけどシングルでも1泊300円とかだっけ?
広い食堂もあって欧米人も多くて活気あったのにな
パキ懐かしい。カシュガルからボロバスで行ったが、車内にはヒーターはなく凍える寒さだった。
タリバン勢力拡大でもう中パキ陸路国境越えは当分無理。
海外旅行はやれる時にやっておくべき。
1996年に猿岩石ブームが起こったけどそれも色々境目だったよな
大学生は在学中に当たり前のように行くようになって「海外行く」っていう
ハードルをだいぶ下げた気がする
キムタクが流行らせた白いタオルを頭に巻いたスタイルっての?
それほど多くないけど居たことは居た。新人類だと思ったよ
96年以前は旅の本も蔵前仁一とか数えるほどしか出版されてなかったけど
旅本が筍のように出てきた
スーパーレック松田で遊んだことあるヤツいる?
オレはたまに行ってたけど、行ったことあるヤツに会ったことがない。
シリアとかイエメンとかほんと平和なうちに行っといて良かったわ
行けるときに行っといて良かったという国も、行けなくなって悔しいという国もないな。
中米が平和になって、ベトナム、カンボジア、ラオスが自由に旅行できるようになった
あとにバックパッカーになったのはタイミングが良かった。
令和の3B
BUSAIKU
BAKA
BINBOU
タイ・カオサンの宿「出会いの広場」が懐かしい
2000年辺りでもドミが1泊60バーツで、カオサンで最も安いと言われてた
韓国&日本人をターゲットにした宿で漫画もいっぱいあった
2000年だとカオサン表通りは賑わった街のようになっちゃったけど
出会いの広場は飾らない良さが残っててオアシスのようだった
3Bなら行きました。
Belize
Bulgaria
Bosnia and Herzegovina
昔はというか自分が旅してた頃は日本人が経営する飯屋があると食いに行ってたな
同胞に金落とした方がいいだろ、みたいな・・けど奢った気持ちではない精神で
今旅再開したらわからんなぁ
ドライになってっかも
これは大きいですね、このスレだけですら嫌われ排斥されている基地外には理解出来ないでしょうが。
人間関係を作ると言うことは学校に行く最大の目的ですね、オレのクラスでも勉強の出来るヤツ、出来ないヤツ、と言う区別は無かったですね、それぞれが何か良い点を持っているで通りましたね。
一度できあがった人間関係は一生続くモノで、同窓生に限らず、直属の教授陣のみならず学会などで知り合った人々でも交流を続けていることが大切です、オレの場合は指導した研修生達も貴重な人的財産です
オレが仏蘭西長期研修に参加出来たのも厚労省に同級生がいてタマタマ予算の執行について「オマエ、フランスいけへんか?」と電話してきたところから始まって、教授に聞いたらフランスの大学にいる知り合いに掛け合ってくれて受け入れて貰えることになりましたからね。
こう言うのはマトモに人間関係そのものです、悪く言えばコネですわ。
人間って言うモノは個人では出来ることに限りが有るので仲間を組んでやる、グループで協力するという作業が必要なのですが生涯ポッチにはその点が理解出来ませんよね。
それに加えて、オレが東南アジアで嫁を貰い彼女が出来たのも東南アジアからの研修生と良好な人間関係を造りそれを継続してきたからだと思いますね。
粘着し、個人的な事柄の押し売りしかしない人は人間関係を円滑に運営出来ませんよ。
事ある毎に自慢しマウントするような人には良識は寄り集まりません。
長旅やれば危険な経験は幾らでもあるだろうが
ポストイナ鍾乳洞(Postojnska Jama)のはまさに恐怖体験。
ツアー終わった後単独行動して地底湖に掛かる鉄の橋を歩いた途端、証明消されて暗闇に閉じ込められた。
スマホ以外にも単4電池一本で点くLedライト持参し、絶叫したら証明が復旧し
無事生還出来た。
Phuket Happy Tour
ここにゲストハウスが付属していたような。
カオサンのさくらハウスだっけ?はかなり昔に潰れたな
ブダペストのアンダンテホステルはまだあるのかな
南米は行ったことないけどいくつかあったよな
このご時世営業してんのかな
最後に旅行したのは13,4年前だったか、
イスタンブールで20年ほど前に泊まった安宿がどこも数千円になってて驚いた。
ムーンライトやホテルアヤソフィアだっけ、5ドルぐらいで泊まれたよね。懐かしいのと同時に寂しくてたまらなかったな。
>>30
最近、世界地図を眺めながらそれよく考える。
同じ宿に2ヶ月も3ヶ月も沈没してないで、もっとあちこち歩き回れば良かったんじゃないか?って。
でも思い出すと、例えばブダペストから近くのルーマニアやポーランドに行ったとき、その先のブルガリアやバルト三国も「どうせ似たようなもんだろ」という気持ちになってたような気がする。
同じような風景ばかりで新鮮味がなくなると言うか。。。
今になると勿体ないことをしたと思う反面、長く滞在した都市への愛着も大きいので、それはそれでアリだったかなあ。。とも思う。 >>41
おれは2回目の長期旅行からは沈没込みを見込んで旅するようになった
長くいればその都市に浸かった分、記憶容量もデカくなるし現地人(女とか)とずっとコミュ取ってるのもいいもんだよね
せっかく凄く気に入った街を2〜3泊とか駆け足ですぎ去る必要はない
って思ってそれが優先された
でも年取ると偏見っちゅうか好き嫌いができて、行く気がしない国も出るから
旅し始めの頃はバンバン回った方がいいかな 2泊ぐらいだけで次々に移動していく旅行者もいるね。
もっとゆっくり味わっていけばいいのに。。。と思いながらも
そういう移動そのものが目的の旅もあるんだろう。
オヤオヤ、基地外が暴れていますねぇ、飽きもせずwww
基地外だから信用して貰え無い、基地外の嘘つきだから画像も見て貰え無い、書き込みは閲覧を拒否される。
日本社会では常日頃の信用・信頼があってこそまともに対応をして貰えるのですがwww
何故だか理由を理解出来ないから基地外なんです。
誇大妄想の粘着基地外ですからねw
しかも言われて悔しかったことをオウム返しに書き殴っているだけw
オレはリアルだから10年以上にわたり一貫したレスを付けているが粘着基地外はその場その時だけしのげれば良いというブレブレの嘘八百だらけ。
どちらが信用して貰えるのか?日本人なら分かるよねw
それを嫉んで罵詈雑言を浴びせたところで誰にも同調してもらえないのはそう言う事なんですよ。
カイロの日本人宿、なんて言ったっけ。
「豊かな人生、惨めな老後」とかいう標語をよく見かけたが、あそこにいた日本人ももう60過ぎてるんじゃないかなあ。
若いうちにやりたいことやっとかないと老後に後悔するぞって言いたいんだろうけど、あの連中、惨めな老後を迎えてなければいいが。。。
主のような人がいて、その後火事で焼け死んだとかいう噂を耳にしたが本当かな。
サファリに90年〜00年代沈没してた日本人が今どうなってるのか興味あるな
自分は90年代にコヴァラムビーチに2週間、キーカーカーに1ヶ月滞在したが
2020年3月までパッカー現役でした。
せいぜいコロナ前数年程度の思い出話かと思いきや老人がゾロゾロ集まってきてて草
>>48
エジプト人に金貸して返してもらえないから居続けた人でしたっけ? >>47
宿の前にある鶏屋で捌きたての鶏肉を皆でカレーにして食べたのがイイ思い出です。
肉がものすごく柔らかかった。 そういや昔バックパッカーパラダイスだっけ?描いてたさいとう夫婦のブログ見つけたので読んだら娘が就職した記念で行ったのが久しぶりの海外旅行とか書いてたな
やはり家庭持ってて子供出来るとバックパッカースタイルの旅行は厳しい
ブダペストにあったテレザハウスなんかは沈没してても健全なのが多かったような。
積極的に街歩きして海外旅行を楽しむ輩が多かったと思う。
ブダペストのホステルにウクライナ人のオッサンが来ていたけど
今彼はどうしてるんだろうか?
自分はここで怪我して病院通いして予定狂った。
病院通い後、ブダペストからFlixbusと列車乗り継いでポプラド行ってタトラ山地でハイキングした。
その後ポーランド経由でウクライナへ行く予定だったが
急用が出来て無念の帰国を余儀なくされた。涙)
>>56
さいとう夫婦かぁ
今でもこうやって名が挙がるんだなぁ スゴ
まだ旅の本が少ない頃で、漫画だったから
立ち読み小分けにして読んだなw
後になって借りてちゃんと読んだけど、下川、蔵前が目立ってた
90年代前半。いい時代だったなぁ >いよいよ、金がなくて何にもやることがなくなったのかな?w
そうかも分かりませんねw
そして、お金が無いからネットで集めた旅行情報を5chに書き込んで旅行した気分になっているだけwww
投資するセンスも度胸も無いからいつまで経っても天然冷暖房完備の高級オンボロアパート住まいwww
こんな板で他人にマウント取って嫌がらせする暇があるのなら投資で儲ける方法を考えれば良かったのにねw
>オレは日本の旧民主党が良かったとは思わないが
情勢が大きく変わる時こそ利益が膨らむチャンスですから。
今の変化しつつある情勢と投資が結びつくレスが付けられないキセルBBAはド貧乏人確定ですわ。
半額弁当漁りも「やっぱり本当だったんだなw」との心証になりますよ。
さいとう夫婦の漫画は、多摩ニュータウンのどっかの図書館で読んだ
京王と小田急の永山駅付近だったと思う。
インドの安ホテルで、学卒後1度も就職してないという、
35歳くらいの日本人資産家のドラ息子の描写は印象に残ってる。
>>56
さいとう夫妻懐かしい
オウム麻原のこととか書いていたね
コロナ収まってまた旅にいけるのかな? 旅行人関係の作家懐かしいな、岡崎大五、グレゴリ青山、宮田珠己
皆今でもそれなりに活躍してるがバックパッカーからは足を洗ってる
2000年前後が一番盛んだったかな
双葉社から格安航空券ガイドとかいう雑誌も出てた
>>58
ワルシャワのユースでベラルーシから出稼ぎにきたおっさんと同室になったが、修学旅行生の予約があるとかで2人とも部屋を出た。
1月の極寒の中、まったく言葉の通じない彼と朝から部屋探し。ポーランド語を少し話せるらしく地元の人に聞き込みをしてくれて、一緒に街中を歩き回った。
しかしどこも休館中か満室、ホテルは高すぎる。
夜になってようやく住宅街にこじんまりした宗教系の宿を発見。一緒に大喜びしたが、ホームレスや出稼ぎ労働者専用?とかで旅行者は無理らしい。
おじさんはおれの為に一生懸命説得してくれたがダメだった。1日中ワルシャワを歩き回って不思議な信頼関係を築き上げたが、かたい握手をして別れた。彼の申し訳なさそうな顔が忘れられない。
歩いてワルシャワ駅に戻ったのは21時ごろ。駅で夜を明かした。ものすごく寒かった。 >>64
安宿は当日飛び込みだと満室だったり、bookingやagodaで予約入れても1日だけだと追い出される事がある。
ベオグラードの10ユーロ以下のドミトリーにも、労働者みたいな人達がアパート代わりに泊まっていた。
ネットが出来るずっと前だけど、デカン高原のYercaudのドミトリーでも
団体客が来るそうで追い出された。 斎藤夫婦は最初の本は買って読んだよ、まだおれがバクッパッカーを憧れの目で見ていた頃
旅行人関連では小さい連載の「歩くはやさで旅したい」が好きだった
数年前に単行本で出版されたときに購入したよ
>>63
旅行人って言葉には反応せずにいられないw
別に信者じゃないけど熱のこもった、カルトの王様みたいな出来だったよね
富永氏だっけ「スーパーマップ」も良かった
旅行人自体は数冊しか買わなかったけど、友人でそろえてる人がいて読ませてもらってた
そのうち旅行人ノートって形でガイドブック化するけど役に立った
やっぱインターネット登場によって存在意義が弱くなってきた
ネットが無ければ今頃、旅行人ノートが20地域ぐらい出てて存続してただろう幻想はあるw ネットが急速に発達したのが分岐点だね
あと日本の価値がいろいろ下がったのも
ロンリープラネットはまだ高いときにウィラー夫妻が売ったんだよな
>>65
そうそう、そのユースは出稼ぎ労働者の溜まり場だったよ。
6人部屋で、ポーランドの田舎や遠くはモンゴルから来てる人もいた。言葉通じなくても持ってた世界地図を見せ自己紹介したり、相手はウォッカをご馳走してくれてけっこう楽しかった。
みんな歳取っただろうけど、今もどっかで生きてるんだろうな。 東欧諸国のビザがどんどんなくなって旅行は楽になったけど面白味は減った気がする。
領事館でスタンプ貰ったり国境でドキドキしたり、あれもまたいいもんだよね。
あっそうなんだwありがとう。
なるほど、だから、何処かから借りてきた様なレスとおバカなレスのミックスになっているわけですね。
了解。
キセルBBAが投資なんて出来るわけ無い理由ですねwww
一生年収700万円の架空の会社員にしがみついているだけの人生に何の意味があるのか?
>>69
ホステルには労働者優先と旅行者優先があるみたいに感じてる。
労働者は荷物多いから、彼等が泊まると室内が狭くなる。 >>70
そうそう
50ドルのビザ代とか掛けて入国することにリアリティがあったw
ビザ無しになった直後は損した気分にはなるけど
何十年も経って思えばビザ有り時代に行った密かな優越感あるかな チャリダーマン周藤卓也のブログに、アフリカ某国のビザ代が1万円以上と書いてあった
まだ10年くらい前だからそんな昔の話ではない。
ザンビアビザを取りにタンザニアの大使館に行ったら壁にビザ料金の表が貼ってあった。
日本人は3000円くらいだったと思うけど、高い方だったな。
中国人だと数百円程度で、国同士の関係でここまで違うのかよと感じた。
そこの職員の人に領収書はパスポートの挟んでおきなさいと言われてそうしたんだけど、
現地イミグレ職員にイチャモンを付けられるのを防ぐためのようだった。
>>74
還暦キセルからしたら10年前は50歳だからなw
あの使い回しネタがしつこいトルコに行く前かw 昔は飛行機のコクピットに入れてくれるとかあったよな。
下川裕治はコロナ禍でも旅してYouTubeに動画あげてるけど再生数は悲惨
下川裕治の動画は始めた当初に少し見たけど、あまりにもつまらなくてそれっきりだな。
でも旅しているのは尊敬できるよ、ライブだけやってスパチャ稼ぎだけのユーチューバーもいるからね。
そういう意味で海外旅行板で叩くべきなのはキセルBBAですねwww
場違いも良いところの基地外レスのアラシですからねw
しかも、そこら辺のガイドブックにでも書いてあるようなことばかりでマウントwww
ウザイだけ。
昔むかし、ホンジュラスのレンピーラはニカラグアでは紙くずだったけど、
まさかアルバニアレクがギリシャでは紙くずで両替出来ないとは。
これはつい数年前の出来事。
>>80
彼しかいないよな
このスレにはピッタシとも言える イスラム系の国に行くと
「ジャパニ、飯食わしてやるから家に来い!」
的なフレンドリーがやたら多かったな
道ですれ違っただけで向こうから声掛けてきて
そう言ってくる
今でも変わりないんだろうか?
そうやってザルカウィのところに売られるやつ出るから怖いわ
確かについて行って性的イタズラされた旅人はいたな
トルコだったか、ホモ被害w
イスラム圏のホモ伝説はいっぱいあったなあ。
犯されそうになったんで「やめろ俺はエイズだ」と言ったら「心配するな、俺もそうだ」とか、
シャワー室に入ったら壁がパタンとひっくり返るようになってて壁の向こうに裸の男が数名待機してたとか、
レストランでお茶飲んでいて、気が付いたらベッドで素っ裸にされていて男がチンチン舐めてたとか。。。
おれはベイルートのドミトリーに泊まったとき、ふと横のベッドを見たら髭のおっさんがおれを見ながら自分のチンポしごいてた。その晩は怖くて寝れなかったわ。
ヨーロッパで出来たバックパッカー友達
どいつもこいつもケチばっかりだったから、
旅行でケチケチするくらいならがっつり働いて金を稼いでから、豪華な旅行をした方が絶対楽しいと思った
入場料や交通費や飯代、そういうのをケチってばかりでもつまんないよな。
あるバックパッカーはベルギー行ってワッフル食わない、ビール飲まないだったもんな
ホステル巡りは意外と楽しいけどね
東南アジア→インド→パキ→トルコ→欧州
って旅したからどの言い分もわかる
自分はケチった
「ここで食費に使うんかぁ…途上国でボロいバスで24時間走って浮かせた額が一気に飛ぶんか」
とよぎって、パンばかりだった
南欧ではパエリア、ブイヤベースは安いところ見つけて数回食った
欧州の後は南米で、反動でそれなりに食った
東南アジア周遊した最後に香港に寄ったとき物価がクソ高くてめっちゃケチった
最後に物価の高いところで終わるの良くないと思った
パキ懐かしい。
クエッタからの日帰り鉄道旅行で行ったChamanは武装兵士と難民テントがズラッと並んでいてショックだった。
カンダハールは行ってないです。
バックパッカーってカッコいい名前付けるからダメなんだよw
乞食トラベラー、でいいよ
社畜だの大部分の日本人は、パキスタンのアフガン国境地帯には行けませんね
悔しかったら海外旅行してみなさい。
>>93
ペシャーワルはアフガン人が大勢いた
やせて服が汚くて
アフガン紙幣数えてる奴らもゴロゴロいた
日本人に一人も会わなかった ペシャワールはカイバル峠経由でアフガン行くツーリストで昔は賑わったそうだが
もうタリバンが大量に入り込んでパキスタンには行けないだろうね
クンジュラブ峠越えも"過去の栄光"ですよ