きちんと哀悼の意を表せるかどうかが問われた日でしたが、
貧乏mineoは全然ダメでした
こいつの人としての浅さや下劣さがよくわかったように思います
貧乏mineoがヒートショックになればよかったのです
中山さんは1985年、テレビドラマ「毎度おさわがせします」(TBS系)で女優デビュー。同年「C」で歌手デビューを果たした。その後も「ツイてるねノッてるね」「WAKU WAKUさせて」などのヒット曲を飛ばし、92年には「世界中の誰よりきっと」が大ヒットし、NHK「紅白歌合戦」には7年連続で出場した。
俳優としても87年に主演したドラマ「ママはアイドル」(TBS系)で、“ミポリン”の愛称が定着した。95年の主演映画「Love Letter」(岩井俊二監督)では各賞を総ナメにし、97年の「東京日和」(竹中直人監督)では日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞した。
プライベートでは、2002年にミュージシャンで作家の辻仁成と結婚。フランス・パリで生活し、04年に長男を出産。10年には、辻の原作『サヨナライツカ』が映画化され、中山さんが自ら主演した。しかし、14年に離婚協議中であることが明らかになり単身パリから帰国、同年7月に離婚成立。その後、徐々に芸能活動を再開した。
■「第二章」への準備期間だったようにも…
「もともと文学や絵画が好きで、中山さんもこれまでに小説やエッセー集を出版しています。パリでも、よく美術館をめぐり海外の作家の本を読んでいて、愛読書はブラジルの作家パウロ・コエーリョの『アルケミスト』だったそうです。帰国してからも、時間があるときは、個展や美術展に足を運んでいました」(芸能関係者)
一方、帰国後は、アーティストやバンドマンとの交際を報じられたこともあった。 「恋もお酒も自由に楽しんでいました。浮名を流したように報じられたこともありましたが、彼女にとっては、みんないい仲間。誰といても明るくて、でもちょっとシャイなところもあって、それでいてとても聞き上手な人でした。だから、彼女といるとみんな楽しくて、つい夜遅くまで友人たちと盛り上がってしまうんです」(同)
来年はデビュー40周年のメモリアルイヤーとあって、仕事も精力的にこなしていた。 今年4月からは19都市21公演をまわる全国ツアー「Miho Nakayama Concert Tour 2024 -Deux-」を行い、人生初となる金髪にするなど、大胆なイメチェンを図っていた。 その姿は「まるで『中山美穂・第二章』への準備期間のように見えた」(別の芸能関係者)という。
もっともっと、伝えたいこと、表現したいことがあったに違いない。合掌。